第41話 女帝
「エリザベート・クラネッタ様。ご入来!」
侍従の発した言葉と共に、謁見の間の扉が開かれる。お辞儀をした後、俺はその中へ足を踏み入れた。王国ではやりなれた典礼だが、まるで初めて謁見に臨むような緊張感が身体に走っていた。
◇
帝都に到着してから三日後。宮殿からの迎えが宿へと到着した。六頭
――
表面に
警戒を気取られぬ様すぐに彼らから視線を外し、同行するルチアへと振り返った。
「それでは、行こうか」
「は、はい。お供いたします」
「大丈夫。私がついているから」
仰々しい迎えに気圧され、うわずった声で返事をするルチアの手をとり、馬車へと共に乗り込んだ。エミリーも後に続く。全員が席に着くと静かに扉が閉められ、ゆっくりと車輪が回り始めた。
帝都の大道を進み、宮殿へと向かう。正式な送迎という事もあり、今回は車線が確保されていた。その左右には見物人がひしめきあっている。道路のみならず建物の窓や屋根の上からのぞき込む人々もおり、俺たちは仕込が上首尾に終わったことを確信した。
水堀に掛けられた大橋を渡り、正門をくぐり抜ける。二重の城壁を抜けた先に鎮座する宮殿は、まさしくこの大帝国の威容を示していた。
峻険な山の如き姿だ。天を衝かんとばかりに伸びる尖塔がいくつも建ち並び、それらが守る中心には、その高さをもなお上回る主塔が建てられている。そしてその下部に、これから向かう壮麗な宮殿があった。
門前にある馬車止めで下車すると、宮殿の大扉が迎え入れるように開かれた。そこから侍従長を名乗る老女が進み出、俺に深々と礼を行う。
「出迎え、感謝いたします」
「恐縮にございます。皇帝陛下が謁見の間にてお待ちです。こちらへ……」
導かれるがまま、多くの絵画が飾られた回廊をまっすぐに進む。絵のモチーフは帝国の長き戦いの歴史であり、勝利と栄光の証明でもあった。
意外な事に、ライネガルド王国に敗れた七十年前の大戦に関して描かれたものもある。当時の皇帝らしき人物が、戦場に倒れ伏す将兵らを悼む一枚だ。不名誉ともいえるそれがここに飾られている意味を考えると、この後の謁見がさらに難しいものになることが予想できた。
――王国貴族の内、この絵画を見て憂う者はいかほどだろうか。
微かなため息をつき、俺は謁見の間へと歩みを進めた。
◇
謁見の間には、その広さに反して少数の人物が俺の到着を待っていた。中央の通路を挟み、左右に正装した文官と武官が五名ずつ並んでいる。軽く顔を伏せながらの入室のため、詳細な顔つきなどは見ることが叶わなかったが、どの人物からも威厳を感じられた。
そしてその先、緩やかな階段で隔たれた玉座から、それらを遙かに上回る威風が俺に吹き付けていた。
「皇帝陛下に拝謁いたします。ライネガルド王国辺境伯、エリザベート・クラネッタと申します」
階下で跪き、頭を垂れながら名乗る。辺境伯という言葉にあからさまな反応を見せる者はいなかった。
「
耳に響いたその声は、若々しくも重みがある。抗いがたい声だ。慎重に頭を上げ、初めてはっきりとその姿を捉えたとき、俺は驚きに息をのんだ。
眩いばかりの美が、玉座に君臨していた。長身の美少女だ。背丈は一七〇中頃はあるだろうか。群青のドレスを纏うその身体に無駄な部分は一切なく、均整のとれた体つきをしている。
かんばせも、その身体にふさわしいものだった。まず目に入ってくるのは、朝焼けの如きオレンジの長髪だ。陽光を溶かし込んだ様な明るく長い髪は玉座の足下近くまで伸び、脚や玉座に幾筋もの細い滝を生じさせていた。
ほんのりと光っている様にすら見えるきめ細かな白い肌には、つややかな唇、整った鼻筋と眉が絶妙な間隔で配置されている。そして彫りの深い二重まぶたから、翠玉を思わせるエメラルドグリーンの瞳がこちらを見つめていた。
全てを見透かすような深い瞳に身が震える。その全身から発せられる威も凄まじいものだ。かつて大熊と対峙した際に受けた、猛々しい威圧とは全く違う。静けさすら感じられる事がより恐ろしかった。まるで、頂上の見えぬ雄大な山に、己の小ささを思い知らされるかの様だ。
今すぐにでも目を逸らしたかった。だが、そうしてしまっては、これから語る言葉はむなしいものとなるだろう。
焦りと、思うように動かぬ身体に煩悶していると、ふと領主の狩り場での言葉が思い起こされた。
――私たちに、その力をお授け下さい。
セシールが、俺に銃を使うことを進言した時だ。彼女も今の俺の様に震えていた。重臣達の中では最も若く、俺の元に来て日も浅い。もし主の機嫌を損ねれば、寄子でもある彼女の立場は危ういものとなる。
それでも進言したのは、彼女の責任感と勇気だと思っていた。だが、それだけではない。俺に寄せる信頼があってこそできた事だろう。彼女と似た立場となって、初めてその思いに気付けた。
――俺は、皇帝には敵わない。
心の奥底に生じていた考えに変化はない。今の俺一人ならば太刀打ち出来ない。
――だが、俺達なら渡り合える!
彼女らの顔を一人一人思い出すたび、身体の震えが徐々に収まっていく。俺には信頼しあう者達がいる。大きく目を見開き、負けじと見つめ返すと、皇帝の瞳が微かに見開かれ、そして面白がるように細められた。
「カールス帝国第三五代皇帝、ジュリエット・カールスだ。そなたの話は聞き及んでいる。随分と活躍をしたそうだな」
「恐れ入ります。ですが、私一人の力ではなく、家臣らの尽力あっての事です」
エドモンらが引き起こした騒動に関して、皇帝は裏で糸を引いていた事などおくびにも出さずに賞賛し、こちらも又素知らぬ顔で受ける。そんな互いを量ろうとするやりとりをいくつか済ませた後、皇帝がすこし身をのりだして本題を訊ねてきた。
「さて、エリザベートよ。帝国への来訪、なにゆえの事か」
「恐れながら……帝国を害さんとする、不埒な企みをする者がおります」
そうして俺は、枢機卿サジェッサから異端討伐軍への参加を強要されていた事を話した。
言葉だけでは信憑性を疑われるため、ライネガルド王が教皇庁の使者を迎えた際の記録や、サジェッサ自身の発言の記録(帝国に対する激しい非難)を持参した上での告発だ。
「それが誠ならば由々しき事。なれど余はこうも聞いている。辺境伯にこそ異端の疑いあり、と。そなたに向けられた矛先をかわす為に帝国へと参ったのではないのか」
「異端の疑いを掛けられている事は事実です。ですが、それが枢機卿の言いがかりであることをお伝えできる証人を連れてきております。陛下への拝謁をお許し頂いてもよろしいでしょうか」
皇帝が軽く頷いたのを確認した後、俺はルチアを呼んだ。ガチガチに身を強ばらせて入ってきた彼女であったが、横に並んだ際に軽く手を握ると、ほんの少しだけ肩の力が抜けたようだった。
「こちらは教皇庁からの正式な使節団。その団長であるルチア殿です。異端の嫌疑を掛けられている教会官僚化政策について、彼女自身が実際に見聞きした事を証言いたします」
俺の紹介と共にルチアが自身の身分を証明する書類を差し出す。そして、官僚化政策が決して教えに背くものでなく、大いに益をもたらしている事を実例を用いて語った。緊張でぎこちなさがあるものの、報告自体は正確であり、周囲の家臣達の中には驚きの表情を浮かべる者すらいた。
「なるほど。そなたへの疑いは晴れた。だが、枢機卿の企みに関する確たる証拠はないようだな」
「……ございます。ですがそれをお話する前に、一つご了承頂きたく存じます」
「申してみよ」
「証拠をご覧に入れる事で、帝国への企みに荷担したとして罪に問われる者がおります。その者の処罰を、私に一任頂きたいのです。それをお容れ頂ければ、お話いたします」
「よかろう。好きにすると良い」
「感謝いたします」
証言を終え、一旦後ろに下がっていたルチアに目配せをする。彼女は再び皇帝の前に進み出て、彼女のもう一つの役割に関して話し始めた。
「私は、異端審問官でした――」
覚悟を決めた顔つきとなったルチアの横顔を眺めながら、帝都に至るまでに彼女と馬車の中で交わした誓いを思い出していた。
◇
皇帝の前で、教会官僚化政策の正当性を証言して欲しい。そう頼むと、ルチアは表情を曇らせた。
「エリザベート様。どうして、私なのでしょうか」
「教会の、それも地位ある方の意見が必要なんだ。それでいて私と利害関係のない人物でなければならない。君は教皇庁の正規の使者、それも代表としてきている。十分に条件を満たしているよ」
「そうではなく……私が元々何であったのか、もはやご存じでしょう」
教皇庁に逆らってはいけないと、自らの危険を顧みず密かに忠告してくれた夜の事を言っているのだろう。
「ああ。他の使節団員同様、異端審問官だったことは分かっている」
「っそれでしたら、何故、私が皇帝に嘘を伝えると考えないのですか! 私が政策を異端といったら、異端討伐軍と帝国の双方から攻められるのですよ!」
異端討伐軍に便乗し、帝国からも攻め込まれかねない。そもそもそう諫言してくれている時点で信用出来るのだが、彼女自身を納得させる為に言葉を続けた。
「君たちを若者のいない村に連れて行ったあと、密かに監視を付けさせてもらった。他の団員達が相変わらず間諜を続けている中で、君だけは彼らや教皇庁と連絡を絶ち、孤児達の面倒を見続けてくれた。帝国と戦わないという言葉をちゃんと考えてくれたのは君だけだった――私は、その誠心を信じたい」
「お人好し、過ぎますよ」
ルチアはぽつりと呟くと、どこかあきれたような、それでいて晴れやかな笑みを浮かべた。そうして座席から俺の足下に跪き、両手を重ね合わせる。
「私は、エリザベート辺境伯様に対して罪を犯しました。許されぬ罪ではございますが、どうかそのご沙汰はあなた様から承ったお役目を果たしてから賜りたく存じます」
「分かった。それまでには沙汰を考えておこう……ありがとう、ルチア」
あくまで罰は受けるという潔さを見せたルチアの手をとって立ち上がらせ、決して悪いようにはしないと優しく握る。
「沙汰を下すまで、君は私のあずかりだ。誰にも手出しはさせない。たとえそれが皇帝であっても」
「っありがとう、ございます」
思いが通じた事に互いの瞳を潤ませながら、俺達は証言の詳細を詰め始めた。
◇
ルチアの話が終わった。皇帝はその間沈黙を保っていたが、すっくと立ち上がると俺達の所まで歩み寄り、それぞれの手を取った。
「よくぞ知らせてくれた。エリザベート伯、ルチア嬢。帝国を束ねる者として、そなたらに感謝を」
謁見は成功に終わり、辺境領と帝国は、どちらかが異端宣告を受けても互いに攻め入らないという誓約を結んだ。
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