第39話 反撃の狼煙

 先端から吹き出た白煙が、草原の風に流されていく。夏の日差しの中、昔遊んだ爆竹の様なにおいが鼻を突き、祖父の許で暮らした前世の日々が脳裏に思い起こされた。

 だが、あの頃とは何もかもが違う。今俺が手にしているのは、平和な日本では縁の無かったものだ。一瞬だけ瞳を閉じて戻り得ぬ日々を懐かしく思うも、自らの立場を思い出し、すぐさま目を見開いた。


「目標は」

「……全て、命中しております」


 問いに、後方に控えていたエミリーが答えた。かつてクラネッタ領を荒らした大熊と対峙し、一歩も引かなかった彼女の声が微かに震えている。

 先端を地に向けた後に振り返ると、立ち会わせた重臣達は様々な反応を示していた。

 エミリーは双眼鏡で目標の状態を確かめ、セシールは距離を確認しながらなにか考え込んでいた。ベルナール、グレゴリーは本体の仕組みの予想を話し合っている。反応こそそれぞれであったが、皆一様に顔を強張らせていた。開発に携わっていたクロードも、完成した実物の威力を目の当たりにし、同様の表情となっている。


「姫様、それは」


 エミリーの問いに、俺は即答できなかった。彼らが見せた表情に、決めていた筈の覚悟が揺らぎ始める。民を守るためとはいえ、いずれ禍根となるかもしれぬ物を世に出して良いものか。


「辺境伯様」


 俺の逡巡しゅんじゅんを感じ取ったのか、セシールが一歩前に進み出、いつもとは違う呼び方をした。


「私たちに、その力をお授け下さい」

「……セシール。君は、これがどのような物かを理解して言っているのか」

「非力な者ですら扱える、恐ろしき力です。それでも、利用すべきかと。貴女様はこの辺境領を保護する領主にございますから」


 それは、同じ貴族としての言葉――所領を、民を守る責務を優先すべきだという厳しい諫言だった。軽はずみな言動でない事は、俺に険しい目つきを向けられて肩を震わせながらも、けっしてこちらから逸らさない彼女の瞳が物語っていた。

 セシールは不興を買いかねないと理解しながらも、参謀としての責務を果たしてくれた。ならば俺も領主として応えねばなるまい。


「……セシールの言うとおりだ。今の私たちにはこれが必要だ」


 だが、と言葉を続ける。


「忘れるな。これが忌むべき力である事を」


 神妙に頷く彼女らの覚悟を確かめた後、俺は両手でそれを目前に掲げ、名を告げた。


「これは銃という。火薬を用いた――兵器だ」



 俺が銃をエミリーらに教えたのは、いよいよ枢機卿が痺れを切らし、強硬姿勢を見せた為だった。数日前の七月中旬に、詰問の使者を送り込んで来たのである。


――教会官僚化政策は、教皇庁の権利である聖職任免権を侵している疑いがある。自らの潔白を証明せよ。


 その内容は、かつて俺とセシールが懸念していた聖職者の任免に関するものだった。枢機卿の息が掛かった使者は俺の専横を非難し、贖罪を求めた。すなわち、先延ばしにしてきた異端討伐軍への参画を要求してきたのだ。拒否した場合に討伐軍の矛が向かう先を匂わすなど、その態度は傲慢を極めていた。

 事前に言い含めていなければ、激怒した家臣らが使者を叩き出しかねない状況だった。それも又枢機卿の狙いであると理解した家臣らは、拳を握りしめ、歯を食いしばりながらも黙って耐えてくれ、その忠義のおかげでこれ以上の弱みを捕まれずに済んだ。俺の意を汲んだクロードは、使者に贅を尽くしたもてなしを行った。

 クロードの饗応、そして密かに渡された『寄進』により気を良くした使者は、早急な回答をするようにと言い捨て、パスティアへと帰って行った。その後、銃を用いる事を決意した俺は、余人の立ち入りが禁止された草原――領主の狩り場へと重臣達を集めたのだった。



 昼下がり。俺たちは狩り場で昼食を摂り、そのまま今後の方針を決める会議を行っていた。広々とした敷物の上に座る全員の前に、先ほどの銃を置く。


「取り扱いには気をつけてくれ。今は弾も火薬も入っていないが、軽々しく扱っては命に関わるものだ。銃口を覗くな。先端を味方に向けるな。撃つとき以外、決して引き金に指を掛けるな」


 厳重な注意の甲斐あって、重臣達は誰もが慎重に銃の確認を行った。それに安堵すると同時に、セシールのような武人ではない少女が兵器を持つ姿に、俺は再び罪悪感と恐れを抱いていた。


――運用には細心の注意を払わねば。


 自分自身にもそう言い聞かせながら、俺は銃の仕組みを彼らに教授した。


「エリザベート様。ひとつお聞かせ下さい。もう一方に対しては、どのように対処なさるおつもりですか」


 銃の運用方法や、対枢機卿に関するいくつかの指示を彼らに出し終えた後、セシールが言葉を選びながら訊ねてきた。慎重な彼女らしい訊ね方だ。もう一方が何を指すのかを、この場にいる全員が理解していた。相手の強大さを考えれば、当然の警戒といえる。


「銃は使わない。無論。備えはするが、そちらには別の戦い方を行う」

「別の、でございますか」


 俺の言葉を待ちながらも、セシールは思案を巡らせているようだった。他の重臣達は、つきあいの長さから俺の考えを察し、苦笑いを浮かべる。


「なんとなく予想は付きますが、お止めしても無駄でしょうな」

「そんなことはないさ、ベルナール。より良き案があれば、私はそれに従おう」

「伯爵様以上の案を出せとは、なかなかに酷な事を仰る」


 ベルナールは俺の返答に肩を竦めつつも、グレゴリーと共に守護の誓いを返してくる。


「皆様、エリザベート様のお考えが分かるのですか?」

「長くお仕えしておりますから。伯爵様がこのような時、どんな選択をなされるか。才女である貴女ならすぐに分かるようになりますよ」


 様子に気付いたセシールが、少し焦りを見せながら周囲に訊ねると、エミリーがすかさずフォローを入れた。それに、と彼女は付け加える。


「そのような者達と並んで、セシールさんはこの場にいるのです。それは、伯爵様から同様の信頼を得られたからではないですか?」


 セシールは掛けられた言葉に微かに驚きの表情を浮かべた後、納得したように頷いた。


「お心遣いありがとうございます。エミリーさん。皆様も、お騒がせを致しました。新参者ではございますが、エリザベート様のお考えを察せられるよう、より一層精進致します」


 エミリーへのまなざしを、心なしか柔らかなものへと変えたセシールは、話の腰を折ったことを俺たちにわびた後、続きを促してきた。


「よろしい。本題に戻るとしよう」


 エミリーの心配りに感謝しつつ、俺が『もう一方』への対処を語ると、セシールはかつて他の者達が見せたような反応を返した。他方で、驚愕しながらもすぐさまその有用性を認めるなど、クラネッタに今までになかった才幹をも示してくれた。

 策の共有が終わった後、俺はおもむろに立ち上がった。そして座る一人一人の顔を見つめ、その頼もしき顔付きに背中を押されるように、領主としての命を下した。


「伏して耐え忍ぶ時は過ぎた。反撃、開始だ」



 ルチアは困惑していた。辺境伯エリザベートの監視を枢機卿より命じられ、彼女の傍に侍っていたルチアであったが、先日の農村での一件以降、エリザから遠ざけられていた。

 崇敬するまでになった人物に嫌われる。その事に悲しみはあれど、恐らく知られたであろう自らの立場を考えれば、仕方のない事だとも理解していた。エリザが教皇庁と事を構えずに、無事でいてくれれば構わない。そうとさえ思い、ルチアは孤児院の手伝いに従事していた。

 あるいはその行為も、贖罪の意識の表れかも知れなかった。今まで荷担してきた、自らと同じ孤児を生み出す悪事――異端討伐軍の出征は、現実味を帯び始めている。他の使節団員からの密告によるものか、何かエリザの弱みを握った枢機卿からの最終勧告がなされた事を、彼女は風の噂で耳にしていた。教皇庁や他の団員との連絡によってではない。高潔なる領主に感化されたルチアは、彼らとの関わりを自ら絶っていた。

 いずれ教皇庁に連れ戻され、命に逆らった罰を受けるであろう。それでもその時まで正しいと信じる行いを続けると、彼女も又覚悟を決めていた。


「大丈夫? ルチア。何か気になることでも?」


 そうした日々を送っていたさなか、突如呼び出され、ルチアは車上の人となっていた。馬車の向かいの席に座るのは、彼女に正道を歩む決意を固めさせてくれた少女、エリザベートだ。久々に再会した彼女の態度からは、ルチアに対する確かな労りが感じられ、それも又困惑の原因となっていた。


「いいえ。少し考え事をしていただけです。この馬車は、何処に向かわれるのかと」


 エリザベートの療養と称しての出立であったが、それにしては後続の馬車が多い。それに彼女自身も、見た限りどこか身体の不調があるようには見えなかった。率直な問いにエリザは薄くほほえむ。


「ふふ。美味しいものがある所、とだけ伝えておこう。分かるかな?」

「美味しいもの! ですか!?」


 ルチアは自身が発した想像以上の大きな声に驚き、慌てて口を押さえる。教国の孤児院で飢えを経験していた彼女にとって、食事という行為は祈りと等しい程に重要なものだった。

 その様子が可笑しかったのか、エリザも声を上げて笑う。


「もう。からかわないで下さい……」

「ごめん。ごめん。謝るよ。どうしたら、許して貰えるかな」

「その場所を当てる手がかりを教えて下さったら、許してさしあげます」


 この謎かけも又、後ろめたい行いをしていた自身への気遣いと悟ったルチアは、あえて以前エリザが口にしていた、年下の友人のように振る舞った。しかしその演技も、告げられた手がかりの衝撃に吹き飛ぶ事となる。


腸詰ブルストの美味しい所だ。私も行くのは初めてだけどね」


 馬車は一路、カールス帝国首都ファルンへと向かっていた。

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