第33話 使節団
「君が、来るとはね」
ナンシスに帰還して一週間。父上とロジェ宰相閣下に急使を送った後、教皇庁の動向を窺っていた俺たちの下に、意外な人物が訪れてきた。
「再びお目にかかれて光栄です! 教皇庁使節団代表ルチア。パスティア教の守護者たるエリザベート様に、精一杯お仕えいたします!」
応接間の床にひざまずく四人の修道士。その一歩手前で俺に挨拶をしたのは、先日レムリアを案内してくれた少女、ルチアであった。
討伐軍へ参加させるため、何らかの形で教皇庁が監視の人員を送りつけてくる事は予想していた。しかし、その代表が幼い修道女であるとは、誰が想像できたであろうか。
満面の笑みを浮かべるルチアを前に、俺は一瞬考えを巡らせる。枢機卿の狙いは俺から討伐軍参加への言質を得る事だろう。
しかし今の俺の性別は女であり、いくら修道士といえど四六時中つきまとう訳にはいかない。それ故にルチアが連れてこられたのではないか。ご丁寧に使節団の代表という箔もつけてだ。ただの同行者であれば扱いはこちら次第だが、代表ともなれば気を遣う。それも見越しての人事だろう。
――この子が見聞きしたものをまとめ、枢機卿に報告するつもりか。
おそらく監視の本命は、後ろで跪いている随行の修道士達だ。純真な少女を操り、意図せず諜報活動を行わせる。その卑劣さに眉を顰めかけたが、子供の前であると自制し、努めて明るい表情で歓迎した。
「ようこそ辺境領へ。多忙の為あまりお構いは出来ないが、ゆっくりしていってくれ」
いかにしてこちらの内情を悟られないようにするか。枢機卿を相手取った、血の流れぬ戦いが始まった。
◆
「さて、これからどうするか」
領館の離れに設置された浴場で、俺は湯船に浸かりながら思案を続けていた。明かり取りの窓がそこまで大きくないため、浴場は少し薄暗い。さりとて圧迫感を感じることはなかった。湯船は大浴場とまではいえないが、数人が足を伸ばして浸かれる広さだ。この小柄な身体ではより広く感じ、透明な湯の中に伸びる白い足をゆらゆらと動かす。
領主である俺が利用する為、石造りの浴場は丈夫な柵と生け垣に囲まれ、防音、防犯にも配慮した作りになっていた。それ故に、ただ湯に浸かる以外の使い道がある。
「君はどう考える? セシール」
俺の呼び声に、離れた場所――星明かりの当たらぬ部分からパチャリと水音がし、褐色の肌を露わにしたセシールが、身体を湯に浸からせたままにじり寄ってきた。そして隣に座ると、頬に口づけをするような近さまで顔を寄せ、耳元にささやいてくる。
「・・・・・・一旦修道士達を目の届く所に置き、後ほど見られても困らない地方に分散配置するのがよろしいかと」
この場にいるのは彼女と俺の二人きりだ。外の入り口にはエミリーが見張りとして立っているため、流石にルチアも入ってこられない。密談にはおあつらえ向きの場所であった。今のように小声で話せば、音も反響せずに済む。
――ひとまずは私を介して指示をお与え下さい
使節団の目があるため、迂闊な場所では対策を協議しにくい。その目を欺く策がこれであった。そして考案者であるセシールが、伝令となって指示を皆に伝えてくれる。
謀に通じた家臣、更に共に入浴出来る地位の女性となると、彼女以上に適任はいない。
俺とセシールが共に入浴する事に、エミリーはかすか――長いつきあいでなければ分からない程度――にその笑みを強張らせていたが、より良い対策が思いつかなかったのか口を挟むことはなかった。
だがエミリーを悲しませる事は本意では無い。俺は目線をセシールの顔に固定し、慎ましくも艶やかな褐色の肌を極力見ないようにした。そして招かれざる客の扱いの他、枢機卿に対する次の一手を協議するのだった。
◆
先に上がると言い、抜けるような白い肌を赤く火照らせてエリザが去った後も、セシールは湯船に浸かり続けていた。その顔は彼女の主人同様、考え込むような表情となっている。
「やっぱり。そう」
暫く後、そう口にした彼女の顔は、今度は何かに興奮した面持ちへと変わっていた。口元はいつも湛えている凜々しげな微笑ではなく、喜びを抑えきれないといった、にこにことしたものになっている。
自身の表情に気づいたのか、セシールは口元を片手で軽く押さえた。しかし普段の表情を取り戻したのもつかの間、人目のない所ではすぐに緩んだものとなっていく。
――仕方ないよね。
抑えつけなければならない筈だった気持ちに、希望が見えてきたのだ。セシールは普段ならば抑制できる喜びと恥じらいが溢れ出ることに困惑しつつも、それに心地よさすら感じ始めていた。
――エリザベート様は、私の身体を努めて見ないようにされていた。
セシールの優れた観察眼は、エリザの目の動きすら的確に把握していた。
彼女の身体に、目を背けたくなるような外傷などない。薄い体つきではあるが、しみ一つ無い褐色の肌は健康的な美を思わせる。エドモンの呪縛から離れた今、少しずつではあるが成長も表れてきた。浴場で同性に見られて困るものではない。
だが女同士であれば気を遣う必要など無いことをあえてエリザが行っていた。そこから導き出される答えは一つだ。
――異性のように、意識されている。
セシールは幼い頃から祖父を師、書物を友とし、同世代とは比べものにならぬ程知識や見識を持ち合わせている。同性を愛する人が一定数いることを、彼女はその学びの中で、そして自らがエリザに抱く気持ちとして知っていた。
「私も、エリザベート様と・・・・・・」
エリザがエミリーを愛している事も、それらしき場に何度か居合わせかけたセシールは理解していた。恋人への節義故に、彼女が試みたさりげない誘惑をはね除けたのだろう。だが、そこに不満はなかった。むしろそれでこそ我が主人と誇らしくも思っていた。
――お二人を引き離す必要は無い。
彼女たちの絆が確たるものであることは、過日の査問会で目にしてきた。互いを信頼していなければ、エリザのあの堂々たる答弁は為し得ない。
セシール自身も、エリザにひたむきに忠を尽くすエミリーを好ましく思っていた為、彼女を排して自らが隣に立つとは考えもしなかった。
――エミリーさんがエリザベート様の右に侍るというならば、私は反対側に収まればいい。
エリザが自身の気持ちに気付き、傍においてくれたら。そんな願いを抱きつつ、それを自らの働きで現実へと近付けるため、 セシールは一層力を尽くすことを誓った。
◆
ルチア達を受け入れてから少し日が過ぎ、季節は完全に春となっていた。
十五の誕生日にはわざわざ家族がナンシスまで来てくれた。誕生日にかこつけて、先日知らせたパスティアの件に関して、様子を見に来てくれたのだろう。
父上達の気遣いや、子犬のようにじゃれついてくるアドルフ達の愛らしさは、領主としての責務、枢機卿の監視への対策などで知らずに蓄積していた俺の緊張を解きほぐしてくれた。同時にそれは、彼らを守るための決意を固めさせてくれた。
◆
「レムリアに送る『耳』の人員を増やしてくれ」
領館の執務室で、俺は濃い青髪の若者――家令のクロードに隠密の増派を命じていた。パスティアからの修道士達は監視付きで各地方に飛ばし、いつもなら傍から離れないルチアも、今は視察の名目でエミリーと共にナンシスの孤児院へ向かわせている。聞き耳を立てる者はいない。
「枢機卿と、対立されるおつもりですか」
クロードはそのかっちりとした姿勢を崩すことはなかったが、灰色の瞳を少しだけ見開いた。彼の質問に俺は首を振る。
「まだそうとは決めていない。ただ、備えだけは十分にしておかなければ」
既に先手を打たれている状況だ。セシールの献策で使節団はほぼ無力化させたが、それが時間稼ぎにしかならない事は彼女自身から指摘されている。
「かしこまりました。既にパスティア語の流暢な耳は用意してございます。あちらの聖職者に伝がある者もおりますので、ご期待にお応えできるかと」
「もう準備出来ていたのか」
「主人の心を量るのも、家令の勤めにございますので」
「よし。委細任せるよ。それと、例の件の進捗はどうなっている?」
「そちらも、大幅に進んでおります。パスティアから鋳造技術に長けた職人を招いた甲斐がございました」
常に最悪を考える必要がある。その事態に陥ったとき、力無き者に為す術はない。
俺はかつて怪物との対峙でそれを気づかされた。そして、できる限りの手を打ってきた。 数年の研究により、その試みも既に結実し始めている。だが、俺は必要としない限りそれらを世に出すつもりはなかった。
「願わくば、使いたくはないものだな」
「ええ・・・・・・」
その威力故に厳重に秘匿され、火薬がエドモンの告発で広く知られた時にも明らかになることはなかった、まだこの時代にはあってはならないものを。
◆
「ここが、ナンシスの孤児院ですか?」
エミリーに案内されたルチアは、目前の建物とエミリーの顔を交互に見た。
中心部にある領館からほど近い高級住宅街。その中でも一際大きな屋敷だ。周辺の家々の数倍はあろうか。領館に準ずるほどの大きさである。周囲は鉄柵で囲まれ、刈り揃えられた青草が茂る庭も広く、その中では小さな子供達が楽しげに駆け回っていた。
「元からあった建物を改築したのですよ」
「この都市に、元から?」
その言葉にルチアは首を傾げる。エリザが領都として指定するまで、ナンシスは人口一万に満たない中規模都市であった。カールスとの交易路ではあるため商業は発達しているものの、それでも広すぎる敷地だ。
「所有者は都市の中でも指折りの徴税人でした。ですが、調べにより前領主と結託して不当に税を徴収していた事が判明しました」
「ひどい人ですね!」
「ええ、しかし私たちの姫様がそれを看過するはずもございません。徴税人は罷免され、その財産もすべて没収となりました」
そしてこの建物を改築し、孤児院としたのであった。そこまで説明するとエミリーは門衛の所へ向かい、すぐに門扉が開かれた。こちらにはよく来るのかというルチアの疑問は、敷地内に入った途端氷解することとなった。
「エミリーお姉ちゃんだ!」
庭で遊んでいた子供の一人が声を上げると、わっと子供達が駆け寄ってくる。そして思い思いにエミリーに話しかけ始めた。どの子供も色つやの良い肌をしていて、栄養状態が十分であることを物語っている。
「ここには姫様の視察の供でよく来るものでして」
じゃれつく子供達をうまく捌きながら、エミリーがルチアに説明する。なるほどとルチアが頷いている間に、彼女はいつの間にか興味津々といった目つきの子供達に囲まれていた。
「あれ? お姫様じゃない」
「エミリーお姉ちゃん。この子だれー?」
「シスターみたいな服着てるー」
「新しいお友達?」
四方から掛けられる声にルチアが困り果てていると、エミリーが手を叩き、子供達の注目を集めた。
「この人はエリザベート様のお客様。いたずらしてはだめよ。それにそろそろお勉強の時間でしょう? さあ、教室に戻りましょう」
はーい、と声を揃えて子供達は建物の中に入っていく。
「教室、とはどういうことでしょう?」
ここは孤児院ではなかったのか。困惑するルチアに、エミリーは見せたいものがありますと言って屋敷の中へ彼女を導いた。
孤児院の中でルチアが目にしたものは驚くべき光景だった。広い部屋のなかで子供達が均等に並べられた机に向かい、読み書きや計算を習っている。先ほどの小さな子供達だけで無く、年上の少年少女も混ざって勉強を行っていた。
普通の孤児院でも読み聞かせくらいは行われる。しかしここで行われているのは更に本格的な勉学であった。
「テラコヤというものだそうです」
エミリーは主の意向をルチアに語った。ただ子供達を保護し、食事を与えるだけでは、孤児院を出たときに再び路頭に迷う可能性がある。その為、彼らが食べていけるよう、学びの機会を与える必要があると。
「そう、ですか。素晴らしいですね!」
「私もそう思います。ただこの子達はほんの一部。まだ姫様のお考えになられている、すべての民を飢えさせないという段階には至っておりません」
随行の修道士を引き離した為、ルチアの見聞きした事が直接枢機卿に報告される事となるだろう。エミリーは隣に立つルチアに目を向ける。彼女はエミリーの言葉に頷いていたが、その心底まで伺う事は出来なかった。
◆
二週間後。サジェッサは自らの居室で使節団の報告書に目を通していた。机の上には封蝋を施されていた、五通の羊皮紙がある。
「姑息な手を打つ・・・・・・」
修道士達が各地に送られ、エリザの傍にはルチアしかいないという記述に、サジェッサは不快げに顔をゆがめたが、すぐに考えを改める。
「いや、あやつも動きやすくなるか」
報告書の中の一通。使節団代表の印が押されていた羊皮紙を持ち上げる。子供らしい文字で書かれたそれの内容は、一見平凡な、手紙のようなものだ。しかしそれは暗号化された報告書であった。
「未だ決定的な言質、証拠は得ず・・・・・・まあ良い」
珍しく空振りであったが、その声に落胆の色はない。既に次の手を打っている為だった。
「師よ。見守り下さい」
サジェッサは席を立ち、膝立ちになって祈り始めた。それは敬虔な信者の姿そのもので、彼の立場に相応しいものといえるだろう。だが、その祈りは決して神に向けられたものではない。
「必ず、成し遂げて見せます」
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