第32話 招待の理由

「おお、お待ちしておりました。エリザベート様」


 先ほどの控え室よりも幾分か大きい部屋に入ると、白髪混じりの金髪をした初老の男が、立ち上がって俺を迎えた。身につけた緋色の法衣から、彼が枢機卿その人であると分かった。


「お初にお目にかかります、サジェッサ枢機卿猊下。クラネッタ辺境伯、エリザベートにございます」


 挨拶を交わした後、用意されていた椅子に座って対面する。

 頬の痩けた男であった。幾重にも重ねられた法衣をまとってなお、その身体に厚みを感じられない。だが、落ち窪んだ眼窩からこちらを見据える青い目だけが、 炯々けいけいとした眼光を放っていた。


「お若い……その御年で我らが信仰を守護されているとは。感服いたしましたぞ」

「ありがとうございます。同じ神を奉ずる者として、当然の事をしたまでです」


 僅かに声を固くしながら、当たり障りのない言葉を返す。サジェッサ枢機卿は微笑みながら頷いていたが、その表情もどこか仮面を貼り付けているような印象を抱いた。


「早速ですが、貴女様の所領で行われている教会への政策をお伺いしても?」

「そちらはこの者からお話致します。政策を取り仕切っている我が臣です」


 そういって同行させていたセシールを紹介する。彼女は如才なく挨拶をしたのち、教会官僚化政策を掻い摘まんで話し始めた。

 セシールが話したことには訳があった。異端審問長である枢機卿が、もし政策に異を唱えた場合の保険である。俺が説明をしていたらそれがそのままクラネッタの意向と見做され、言い逃れが出来ない。

 だがセシールが話せば、万一指摘があっても俺が横から訂正出来る。彼女の考えた、言質を取られぬ方法がこれであった。


――私が壁となりましょう。


 セシールが控え室でそう言ったとき、俺は彼女の忠心に打たれ、僅かに涙ぐんだ。


――もし枢機卿がセシールを罰しようとしても、必ず守ってみせる。


 俺も同様に意気込んでいたが、枢機卿は特に口を挟むことなく、相づちだけを打って話に耳を傾けていた。


「なるほど、よく分かりました。現実に即した民の救済。エリザベート様。やはりあなたは神に選ばれし乙女だ」

「恐悦至極に存じます」


 セシールの説明が終わると、枢機卿は立ち上がり、俺の手を取った。仰々しいものいいに辟易としたが、おくびにも出さずに礼を言う。


「素晴らしき信仰です。そこで、信心深き貴女様にしかなしえぬお頼みがあるのですが、お聞き届け頂けますか」

「……まずは、お話を伺いましょう」


――来た。


 危惧していた通りであった。教会全体への益になるとはいえ、教会官僚化政策は教皇庁へ直接利益をもたらすものではない。パスティアまで招くのは何らかの意図があるだろうとは思っていた。しかし、サジェッサ枢機卿の口からでた言葉は、俺の想像の枠を超えたものであった。


「カールス討伐軍に参加して頂きたいのです」

「……討伐、ですか。どのような理由で?」

「カールスはパスティア教を奉じながら、同じ信仰を持つ小国を滅ぼしました。これは現教皇の意向に反する、決して許されぬ罪です」


 ライネガルドとカールスの戦争は長らく行われていないが、かの国はその武力を周辺諸国に向け、併呑を繰り返していた。

 教皇イノセント一世はパスティア教徒同士の争いを憂い、停戦を勧告したが、カールス帝国皇帝ジュリエットはそれを公然と無視し、現在もなお領土を拡大している。


「まさしく教えに背く異端の所業。見逃すわけにはいきません。私は異端審問所総長として教皇聖下に具申し……既に、討伐軍編成の密勅を受けております」


 枢機卿が声を潜めつつも、断固とした口調で宣言する。重ねられていた手が強く握られたが、俺は苦々しく思いながらも振り払うことを思い留めた。


――なるほど。だから俺を呼び寄せたのか


 密事を俺に話したということは、


――ライネガルド全体を巻き込もうとしている


 と、いうことに他ならない。いくら教皇庁の呼びかけといえど、大国であるカールスに匹敵する兵力を整えるのは難しい。だが、ダニエル・クラネッタ公爵の愛娘である俺を取り込めば、父上の公爵領も討伐軍に参加するだろう。

 そして、今やライネガルド一の大貴族となったクラネッタ一族が動くとなれば、ライネガルド王家も進退を決めざるを得なくなる。領主となって間もない小娘を狙うとは、なんとも噂通りの悪辣さであった。


「聖騎士団の錬成、傭兵団との折衝も済んでおります。あとはカールスに隣接した貴領のご助力があれば、悪しき帝国の暴挙に神の裁きを与える事が出来ましょう」


 ライネガルド全軍とパスティアの聖騎士団、そして金で雇われる傭兵団を合わせれば数字の上ではほぼ互角の戦いとなるだろう。しかし、俺には無謀としか思えなかった。


――指揮系統がまとまらぬ軍で、帝国に勝てるものか。


 それぞれが独立した指揮系統を持つ軍が、一枚岩の帝国軍に勝てようはずもない。間隙を突かれて終わりである。ましてやかの国の間諜にさんざん悩まされた経験があるだけに、それは確信に近い予感といえた。


――だが、断り方によっては、こちらに矛先が向くこととなる。


 甘い見積もり、そしておそらく目前の男の利も含まれているであろう企みに怒りが湧き上がってくる。しかし、それを一蹴することはできなかった。反対し、異端として認定されれば、討伐軍を差し向けられる恐れすらあるからだ。どちらを選んでも民を苦しめる事になる。

 悩み、黙り込む俺に枢機卿が口を開こうとした時、再びセシールが進み出た。


「おそれながら、申し上げます。枢機卿猊下」

「……なんですかな?」


 枢機卿は俺から手を離し、セシールに向き直る。彼女が目線を、さりげなく重ねられた手に向けてくれたおかげだった。俺から枢機卿が離れた事を確認した後、セシールはいかにも申し訳なさそうに辺境領の現状を訴え始めた。


「教会のご協力で改善しているとはいえ、辺境領は未だ安定しきっておりません。民の生活にも不安が残っています」


 彼女は領地経営に関わる正確な数字を次々に挙げていき、動員が出来ない現実的な理由を語った。


「また、私どもは神のしもべであると同時に、ライネガルドの臣でもあります」


 そしてすかさず、王国の臣下である事も強調する。彼女の援護により落ち着きを取り戻した俺は、枢機卿に深々と頭を下げた。


「我が臣が、差し出がましい事を申しました。ですが、現状はこの者が申し上げた通りです。心苦しくはございますが、回答はそちらが解決してからでもよろしいでしょうか」

「……ごもっともですな。では、その時をお待ちしております」


 枢機卿はようやく引き下がり、俺たちは挨拶を済ませて退出した。


「ありがとうセシール。君がいてくれて助かった」


 帰りの車上で、セシールに耳打ちする。一瞬顔が赤くなったような気がしたが、こちらを向いた時の彼女の顔は普段通りのものだった。


「お役に立てたのでしたら幸いです。ですが、このままでは終わらないでしょう」

「ああ。急ぎ帰還し、対策を練らなければ。まず宰相閣下を通じ、王家に報告をしよう」

「それがよろしいかと。連絡を密にしておかなければ、教皇庁の権威を背景に押し通されかねません」


 可憐な少女二人がたわいない話に興じているように見せかけながら、俺たちは新たな敵への対策を考え始めていた。



「――そうか、エリザベートはそのような娘か」


 同日の夜。サジェッサは人払いした自室で報告を受けていた。彼は最後まで聞き終わると、頭を下げた配下に間髪入れず次の命を下す。


「おまえには、辺境領へと行ってもらう……いつも通りにやれ」


 はい、という短い返事の後に顔が上げられた時、蝋燭の火が揺らぎ、それに照らされた銀の瞳が僅かに輝いた。

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