第31話 小さな修道女

 宿に若い修道女が訪れてきたのは、風呂に浸かってぐっすりと眠った翌朝の事だった。


「ルチアです! よろしくお願いします!」


 教皇庁からの使いを名乗った修道女は、俺よりも更に背の低い、銀の瞳を持つ幼い少女だった。くるぶしまである濃い青の修道服を着込み、頭には同色のベールを被っている。

 温暖な気候の土地柄か顔以外を覆う頭巾ウィンプルは無く、肩口まで伸びた涼しげな水色の髪が、深々としたお辞儀で揺れた。


「よろしく。ルチア。君が来たということは、式典の準備が整ったのかな?」

「も、申し訳ございませんっ。そちらはもう暫くお待ち下さい」


 俺の質問にあたふたとしながら、ルチアは自身が来た目的を告げる。式典の準備が翌日までかかる事が分かったので、俺の無聊を慰めるために彼女が派遣されたのだという。


「早とちりをしてすまなかったね。若いのにご苦労様……そうだ、君の歳はいくつ?」

「今年で十四になります。いよいよ成人です!」


 口にした言葉に、自分も大概であったと思い直し苦笑する。彼女はそれには気づかなかったのか、ぴしりと姿勢を正して嬉しげに答えた。


「一つ下か。年下の知り合いはあまりいなくてね。仲良くしてくれると嬉しい」

「はいっ。こちらこそよろしくお願いします!」


 ルチアは人好きのする笑みを浮かべ、再び元気よく頭を下げた。


 俺たちはルチアの案内でレムリアを見て回った。古代から用いられている上水道や壮麗な大聖堂ドゥオーモ、天使や聖人達の彫像が建ち並ぶ水場など行く先々に名所があるため、昼食をとるのも忘れて観光を楽しんだ。


 レムリアの名所は一日では回りきれない程多くあったが、俺たちは日が沈む前に観光を切り上げ、宿へと戻ってきていた。と、いうのも案内をしていたルチアが、腹の虫を盛大に鳴らした為である。


「大変失礼いたしました! ご案内の途中にあんな……」


 その時の事を思い出したのか、ルチアは口とおなかを押さえて顔を赤くする。


「いや、私も夢中になりすぎてお腹がぺこぺこだ。ルチアも一緒に食事をとらないか?」

「いいのですか!? あ! いえっ、そんなご迷惑をお掛けする訳にはっ」


 しかし断りの言葉が口にされる前に、彼女の腹がくぅ、と代わりに返事をし、その場に居合わせた者達がほほえましいものを見たような笑みを浮かべた。ルチアの頬がさらに赤くなり、リンゴのようになる。


「案内のお礼も兼ねてだよ。私もルチアとまだ話したいからね」

「そ、そうですか? でしたらご相伴に預かります」



 早めの夕食はいつになく楽しいものとなった。ルチアが食事を本当においしそうに口にするので、あれもこれもと注文してしまい、食堂のテーブルはちょっとした宴会のような様相を呈していた。

 野菜のシチューが温かな湯気を立て、白パンがバスケットに山と積まれている。豆を煮込んだ料理から漂うスパイスの香りが食欲をそそり、脂ののったローストポークはつまみやすいように切り揃えられていた。更にはデザートとして旬を迎え始めた柑橘類とアーモンドケーキまで用意され、それらが円形のテーブルに所狭しと並んでいる。


「こんなおいしいもの、初めてです……!」

「遠慮はいらないよ。好きなだけ食べるといい」

「……ありがとうございます!」


 隣に座ったルチアは満面の笑みを浮かべながら、その小さな口に次々に料理を運んでいく。その必死さがひな鳥のように愛らしく、見ているこちらまで笑みがこぼれた。


「お腹はいっぱいになったかい?」

「はい、幸せなほどに! ごちそうさまでした!」

「私も楽しかった。さ、気をつけてお帰り」


 食後、満足げな笑みを浮かべるルチアの頭をひと撫でした後、騎士の一人に彼女のすむ修道院まで送らせた。俺も部屋に戻ると、調子にのって食べ過ぎたせいかすぐにまぶたが落ち始め、身支度もそこそこに深い眠りへと落ちていった。



 翌朝。教皇庁からの使者である老司教が俺を迎えに来た。複数人の供を従えており、その中の一人にルチアも含まれていた。

 彼女の手を借りてゆったりとした式典用の衣装に着替え、宿を出た俺は車上の人となった。パレードなどで使われる、屋根なしの馬車だ。

 急な来訪にも関わらず、俺の存在は既に市民の知るところとなっていた。大聖堂へと通じる目抜き通りの両端には多くの見物人が出てきており、彼ら目当ての商売人もあちこちに窺える。古くから商業都市としても名高いレムリアの市民らしい耳ざとさであった。

 それでもパスティア教の庇護者である領主が、俺のような童女であったことにぽかんとする者もいる。辺境領に入った時と同じような人々の反応に、俺は懐かしさを覚えながら小さく手を振った。



「この清らかなる信徒に、天の門が開かれんことを」


 大聖堂に、教皇聖下の声が小さく響く。式典はつつがなく行われ、俺は教皇イノセント一世聖下から祝福を受けていた。ロジェ宰相閣下よりもさらにお年を召された御仁で、声もしわがれていたが、心に染み入るような優しげな響きがある。

 跪いた俺の首に、聖下直々に鍵を模した祈りの道具が掛けられた。円の上にT字がつけられたようなこの首飾りは、その見た目同様キアーヴェという。キリスト教におけるロザリオのようなもので、パスティア教の信徒ならば誰もが持っているものだ。ただ今回授けられた鍵は金銀に縁取られた豪華なもので、多分に儀礼的な代物である。

 そのほかに聖典、祭事に使われる香炉などが下賜され、その後に聖歌隊が讃美歌を歌った。男女混合の聖歌隊の最前列にルチアがいる。目が合うと彼女は僅かに微笑み、再び楽しそうに歌い始めた。その愛らしい歌声が、耳に届いた気がした。


 式典が終わり、控え室で休んでいると、一人の修道士が知らせを持ってきた。


「枢機卿 猊下げいかが、私と話をされたいと?」


 はい、と頷く修道士が訳を話し始める。そも今回の式典を行う事になったのも、ナンシスからの手紙に枢機卿が目を通し、教皇に取り次いだ為であるという。


「パスティア教の守護者たるエリザベート様から、是非貴領で行われている教会政策を伺いたいと枢機卿サジェッサは申しております」

「分かりました。準備を致しますので、暫し外でお待ち下さい」


 こちらから頼んだ事ではないとはいえ、今回の式典でクラネッタに箔がついたのは確かだ。すぐ向かおうとした俺であったが、同じく控え室にいたセシールの目配せに気づき、修道士を一旦退室させる。それを見届けるや否や、彼女は椅子に座っていた俺の後ろに回り込んで耳打ちをした。


「お気をつけ下さい。エリザベート様」

「気をつける、とは」

「かの枢機卿の名前、聞き覚えがございます」


 それからセシールが告げた言葉に、俺は思わず身構える事となった。


「異端審問所総長だと……!?」

「それも、かなり悪辣と評判です」


 異端。それは組織において、正統とされる考えに疑義を呈する者達の総称である。

 たとえばパスティア教における洗礼は、教会が認めた聖職者にのみ与えられた権利であるが、それを信徒であるならば誰しもが行えると考える者がいたら、それは異端と見なされる。

 基本的に異端の考えは、組織がもつ権威を削ぐ。その為、パスティア教にも異端を押さえ付ける組織が編成されていた。


「その地位を用いて政敵を蹴落とし、出世したとも言われる男です」

「だが、そうであるならばなおさら会わない訳にもいくまいよ」


 危険な男のようだ。それ故に今から断ってはこちらに害を及ぼしかねない。


「ええ、ですから私も同行いたします。私が間に立ちますので、エリザベート様は言質を取られぬよう、お気をつけ下さい」


 話を詰めた俺たちは、外で待機していた修道士に声を掛け、枢機卿の待つ一室に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る