第28話 新たな政策

「人が足りない」


 辺境伯に任命されて一月経った十一月。所領の中央に位置する本拠地ナンシス。

 そこに構えた領館の執務室で俺は頭を抱えていた。頭痛の種は目前の机に小山のように積み上げられた木簡である。各地方から送られてきた、役人の増員を求める嘆願書だ。

 どうにか都合をつける為、伸び始めた黄金こがね色の髪をいじり、椅子から少し浮いてしまっている足を揺らしながら人員配分を考えていると、さわやかな香りが鼻をくすぐった。顔を上げると専属のメイド、エミリーが作業の邪魔にならない所にハーブティーを置き、暖かな色合いをした黒眼を細めてこちらに微笑んでいる。


「お疲れ様ですエリザ様。お昼から働き詰めですので、少しお休みになってはいかがでしょう」

「ありがとう。でもあと少しだけ処理してからにするよ。領民達に不便を強いる訳にはいかない」

「役人の増員ですか。随分と人員の整理がありましたからね」


 広大な所領の実態は、目を覆いたくなるような惨状を呈していた。父上から借りた隠密『耳』を総動員して領内を調べ上げた結果、至る所で役人の不正が発覚したのである。


「年貢の着服は当たり前。加えて賄賂、恐喝まがいの事まで行われていたとはな。しかし、見過ごせぬとはいえ一度にやり過ぎたか」

「そんなことはございません。領民は皆喜び、エリザ様を新しい領主として認め始めています。それに、人が足りない分は私たちがお支えしますから」


 その言葉に偽りは無く、実際にエミリーの働きは眼を見張るものがあった。今までの俺の世話に加え、事務処理の補佐やスケジュール管理、更には領館内で働く使用人の統括まで一手に引き受けていた。


「苦労を掛けてすまないね。辛くなったらいつでも言ってくれ」

「大丈夫です。愛するお方の、エリザ様の為ですから。どんなことだって出来ます」


 身を案じる言葉をかけると、返ってきたのは愛の囁きとしか言いようのない答えだった。

 不意をつかれて赤面した俺は、反射的に顔を俯かせる。そしてエミリーにちらりと目をやると、彼女自身も口にした言葉に恥ずかしさがこみ上げてきたのか、白い頬を紅花のように染めていた。

 その様子を見るうちに愛しさがこみ上げ、俺はたまらず椅子から飛び降りる。そしてつま先立ちになり、小柄な少女の身体で出来る精一杯の背伸びをしてエミリーに顔を寄せた。

 察したエミリーも濡れ羽色の黒髪を押さえながら背をかがめる。だが互いの唇が触れあいかけた時、控えめなノックの音が執務室に響いた。


「セシールです。くだんの資料をお持ちしました」

「……どうぞっ!」

「失礼致します……どうかなさいましたか。エリザベート様」

「い、いや、何でもないよ。教会の件だね?」

「はい。ご報告します」


 エミリーと離れ、急いで椅子に腰掛けたのちに答えを返すと、褐色の肌をした美少女、セシールが、腰まで届く紅毛を僅かになびかせながら入室してきた。彼女は妙に慌てている俺たち二人に一瞬だけ小首を傾げるも、すぐさまそのくれないの瞳を手元の資料に向け、無駄のない報告を始める。俺たちも頭を切り換え、彼女の落ち着いた声に耳をかたむけた。


「エリザベート様のご推察通り、領内各地の教会・修道院内の識字率は九割を超えておりました。この数値ならば、ご考案された教会官僚化政策も実現可能かと存じます」

「セシール様。ご報告中申し訳ございませんが、教会官僚化政策とは……?」


 頷きながらセシールの報告を聞く俺の隣で、エミリーが申し訳なさそうに声を上げた。


「ああ、すまない。この件はまだエミリーに話していなかったか。セシール。共有しておきたいので代わりに説明してもらってもいいかな」

「承知いたしました。エミリーさん。汚職を行っていた役人をエリザベート様が一斉に検挙したことで、辺境領が人員不足となっている点は理解されていますね?」

「存じております」


 エミリーの返答に、セシールはですが、と続ける。


「役人を簡単に用意する事は出来ません。最低でも文字の読み書きが出来る人材でなければいけないからです。ここナンシスからの指示を受けるにせよ、領内の状況を報告するにせよ、書簡のやりとり無しでは大きな手間がかかってしまいます」


 この世界の識字率は低い。読み書きが出来るのは商人や役人など、一部の者に限られていた。クラネッタ領から引き連れてきた役人だけでは、一時的にはとにかく、到底カバーしきれる数ではない。


「そこでエリザベート様が着目されたのが聖職者達です。彼らは読み書きが出来、さらには領内各地に支部を置いている為、新たに派遣する必要もありません。彼らに職務の一部を分担させることで、人員不足の解消を行うことが出来ます」

「なるほど……ひとつ、質問してもよろしいでしょうか。彼らには、何を見返りとするおつもりでしょう?」


 もっともな質問ですとセシールは頷き、各教会への運営資金の寄進など、支援内容を挙げていく。エミリーが内容を理解したところで、俺は報告の続きを促した。


「説明ありがとう。ところで、教区長から承諾は得られた?」

「はい。大司教様にもこちらが提示した条件で承諾頂けました。すぐに各支部へ指示をお出し頂けるとの事です」


 パスティア教は大陸の各地に根を伸ばしており、地域ごとに教会・修道院を統括する、教区と呼ばれるエリアがある。セシールはその教区の責任者との合意も、そつなく終わらせて来たようだった。


「よくやってくれた。よし、セシール。領内すべての教会、修道院へこちらからも連絡を。併せて支援の準備も進めてくれ。エミリー、君も準備を手伝ってほしい」


 かしこまりましたと声を揃える二人に、俺はようやく問題解消の目星がついたと笑みをこぼした。

 後日、諸々の処理を終えた俺とエミリーが、お預けを食らった分におつりが来るほどいちゃついたのは言わずもがなである。



 二ヶ月後の新年。パスティア教国教皇庁に、ライネガルドに派遣されている司教から一通の手紙が届いた。内容は、新年の挨拶と共に、新たに領主となった少女の紹介が記されていた。

 手紙はその少女の可憐さ、聡明さと、パスティア教に対する厚い支援――たとえばパスティアから金属鋳造に長けた職人を招き、領内の教会にある、老朽化した鐘を修復した――を讃え、教皇庁で賞すべきであると締めくくられていた。


「これは、使えるかもしれんな」


 その手紙が緋の衣をまとった初老の男の目にとまった時、再び時代は静かに動き出し始めた。


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