第27話 姫君の騎士

 王旗をはためかせながら進むこと一週間。遂にガランドルフ領の関を間近にした日に、輸送隊の進路を十数人の男達が塞いだ。みすぼらしい身なりに、騎士達はすわ山賊かと身構える。だが彼らは次々膝を突き、馬車を護る騎士達に頭を下げ始めた。


「おねげぇいたします。おねげぇいたします」

「騎士様。お恵みを……」


 男達は近隣の村に住む者達であった。村の食料が尽きかけ、山で食料を探していた所に輸送隊を見つけ、慌てて駆け下りてきたという。

 王旗を見せ、勅使であることを伝えても、村人達は引き下がらない。確かに彼らの頬はひどくけており、偽りを言っているようには見えなかった。


「ベルナール、哀れではあるが……」


 グレゴリーが村人達を気の毒そうに見つめながらも先に進むことを促す。ただ荷を運んでいるだけならば、いくらかは融通も出来たことだろう。しかしながら、今の彼らは勅使としてここにいた。


『いかなる者も道を遮り、その荷を奪ってはならぬ』


 勅命に書かれたその文は、ベルナール達に自由な通行を保証してきたが、同時にその行動を縛るものでもあった。食料を分け与えてしまったら、勅命に反することとなる。村人達は罰せられ、クラネッタ家も汚名を被る恐れがあった。


「支援は順に行われる。おまえ達の窮状は、必ず主に伝えよう。だが我らは勅使としてここにいる。その命に逆らうわけにはいかぬ」


 支援を早める必要があることを伝える。それだけしか今の彼らに出来る事は無かった。

 武装した騎士達の言葉に逆らえる筈も無く、村人達は絶望に打ちひしがれながらも一人、又一人と脇に退いていく。再び進み始める輸送隊。しかしそれに一人の男がすがりついた。


「せめて、せめて子供の分だけでもっ。娘は、まだ九つなんだっ」

「くどいぞっ」

「――待て!」


 騎士の一人が腰の剣に手をかけようとした時、ベルナールがその腕を押さえつけて制止した。そして彼は男の許に近づき、少し考え込んだ後、少々わざとらしい声を上げる。


「あー、我らは急ぎガランドルフに向かわねばならんが、道が分からなくなってしまった。どうだおまえ達、荷は渡せぬが、替わりにあれをやるから、案内をしてくれるか」


 そういってベルナールが指さした先には、馬車には繋がれていない替え馬がいた。ベルナールの言葉に、皆ぽかんと口を開ける。それもその筈、道なりに進んで行けば、ガランドルフ領に半日と掛からずに着くことが出来るからだ。妙な沈黙が流れようとした時、相方の意図を察し、意を決したグレゴリーが話を合わせる。


「ベルナール。急ぎの用を頼むのに馬一頭では足りんだろう。これもつけるからやってはくれないか」


 そう言って自らの腰兵糧を娘を持つ村人に渡す。ベルナールらの言わんとすることを理解した村人は、涙を流しながら案内を引き受けた。



 ガランドルフ領主の館。その食堂に宰相ロジェはいた。テーブルに供せられた夕食は、雑穀で作られた小さなパンと水のみ。その慎ましい食事を見ながらロジェは今後の対策を沈思していた。長雨から一月半の時が過ぎたが、領内の食糧事情は悪化の一途をたどっている。食料を一括管理し、無駄なく配給してきたが、持ってあと一月程度であることを、算学に精通した彼の頭は弾き出していた。

 ロジェはもそもそとしたパンを口にし、それを水で流し込みながら今までに打ってきた手を思い起こす。


――パスティアは動かぬ。少なくとも、更に苦しい局面とならなければ。


 パスティアからの支援が遅れることを彼は確信していた。飢えた者には素朴なパンですら至上の美味となる。それを知っているかの国の聖職者達は時期を見計らっているのだ。

 ライネガルドはパスティア教を奉ずる国ではあるが、守護神ライネガルドへの信仰も篤い。彼らが主神パスティアの権威を高める為ならば、あえて民を飢えさせることも辞さないと知っているロジェは、希望的観測を捨てる。


――クラネッタからの支援も難しい。


 購入資金は用立てられ、使者も送った。しかし両者の間に横たわる各領の関で重い関税がかけられている今、到底領民の腹を満たす食料が届くとは考えにくい。

 いくつもの考えが浮かんでは消えていく。そしてロジェが食事を終えた時、彼はある決意を固めていた。



 ロジェが向かったのは厩舎だった。そこにはガランドルフの騎士達が乗る軍馬がつながれ、馬飼うまかい達の世話を受けている。突然現れた領主に驚きながらも、厩舎の管理人である馬飼の男がロジェに駆け寄ってきた。


「宰相様。どうかなさいましたか」

「いや、馬たちの顔を見たくなっての」

「そうでしたか。こいつらも喜ぶ事でしょう」


 ロジェは馬飼を引き連れ、一頭々々を目に焼き付けるように見つめる。平野部の多いガランドルフ領において、平原を疾駆し、騎士達と共に領内の平和を保つ軍馬は人々の誇りであった。ガランドルフの紋章も、向かい合う二頭の軍馬で構成されている。


「よい毛並みじゃ。大切に世話してくれているのじゃな」

「もちろんです。ガランドルフの象徴ですからね」

「そう、象徴じゃ……」


 そう言って、ロジェが黙り込む。怪訝に思って声を掛けようとした馬飼だが、その身から発せられる、悲壮なまでの気迫を感じ、ロジェが厩舎に来た真意を察した。


「軍馬を、馬たちを――」

「宰相閣下!」


 心中で馬たちに別れを告げていたロジェが、領民を救うため、心を鬼にして命を下そうとした時、使用人の一人が厩舎に駆け込んできた。その者がもたらした知らせを聞いたロジェは、「かの家こそ王国の柱石なり」と声を震わせたという。

 クラネッタの輸送隊が到着したのは、それから数日後の事だった。



「これは、首になるかもしれんなぁ。勝手に公爵様の馬を渡しちまったし」


 ガランドルフから帰還し、報告の為に執務室に向かうベルナールがぽつりとぼやく。道中での村人との取引を彼は気にかけていた。

 勅命により荷を渡すことは出来ない。だがそれを運ぶ為の馬ならば、勅命には抵触しない。苦しい言い訳ではあったが、あの場を収める方法をベルナールは他に思いつかなかった。


「それをいうなら俺だって同じだ。与えられた兵糧を勝手に渡してしまった。お陰で少しほっそりしてしまったよ」


 並んで歩くグレゴリーが丸っこい顔に手を当てておどける。それにはただの励ましだけでなく、朋輩に連座する意志が込められていた。


「……恩に着る。グレゴリー」

「良いさ。俺こそ兵糧を分けて貰った礼を言わせてくれ」


 そうこう話しているうちに、二人は執務室にたどり着いた。流石に緊張した面持ちで入室した彼らだったが、エリザと共に報告を待っていたダニエル公爵から掛けられた言葉は思いがけないものだった。


「褒美、ですか」

「ああ。よくやってくれた」


 独断行動を包み隠さず伝えたにも関わらず、公爵の表情は穏やかなままだ。疑問符を浮かべた騎士二人に、父の傍らで耳を傾けていたエリザが近づき、その手を取って笑いかけた。


「君たちは荷を無事届けて勅命を、民を傷つけぬ事でクラネッタの名を、そしてなにより機転によって民の命を守った。それを賞さずして何を賞するというのだい」


 満足げにエリザを見つめるダニエルの様子から、ベルナール達はこの行賞が誰の口添えによるものかを知り、主君と同様の礼を姫君に捧げた。



「大恩だな。はたして、返しきれるかどうか」

「出来るさ」


 領館の廊下。退出したグレゴリーは、暖かな感触の残る自分の手のひらを見ながら相方に問いかける。返ってきたのは、端的ながら自信に満ちた声だった。


「ゆっくりとお返ししていけば良い。俺たちは今までも、これからも……」

「姫様の騎士、だからな」



 ライネガルドを襲った飢饉は、クラネッタ家の尽力で終息した。かの家の支援に僅かに遅れて、南部のパスティアと、東部の帝国からも民間を通じて食料が輸入され、夏を迎える頃には民衆の生活は落ち着きを取り戻していった。

 そして、三年の月日が過ぎ。


「爺。聞いたぞ。舞踏会を開くらしいな」

「ええ。会ってみたい人物がおりまする」


 王国暦三百八十五年の春。王城で執務をしていたロジェの許へ、皇太子レオンが顔を出した。


「誰だ? 爺とは大抵の者が顔合わせをしているだろう」

「今年、成人した者ゆえ」


 そうしてロジェは語り出す。三年前にガランドルフ領に支援にきた者達が口にしていた、幼き姫君の逸話を。


「面白いな。余も会ってみたい」

「では、殿下にもおいで頂きましょう」

「うむ。余直々に見定めてみよう」

「お戯れは程々になさいませ」


 いつか痛い目に遭いまするぞ、と悪戯好きの教え子を少々あきれた目で見、ロジェは招待状を認め始める。この一通が後の騒動に繋がるとは、流石の彼でも予想する事は出来なかった。

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