第26話 獅子の旗

 カールス帝国首都ファルン。皇帝の執務室は、宮殿の巨大さに応じた広々としたものだったが、当代の皇帝に変わってからは手狭な空間へと変貌を遂げていた。窓の部分を除く壁には本棚が並び、床にも書庫から持ち込まれたらしき書籍が高く積み上げられている。

 その中央に鎮座する重厚な執務机で一人黙々と書類に目を通す少女がいた。ほのかに明るいオレンジの髪とみどりの瞳を持つ女帝、ジュリエット・カールスである。

 御年十四歳。幼いと言ってよい年齢であったが、この宮殿において彼女を軽んじる者はいない。即位から一年の間に、多くの事を成し遂げていた為だ。

 昨年の即位式の後、ジュリエットは過度な不法行為を行っていた貴族たちを一斉に摘発。その領地や財産を接収し、そこに有能な人物であるならば貴族、平民を問わずほうじた。

 前例のない処分と人事に反発し、離反した貴族達が内乱を起こすも、ジュリエットはその全てを平らげ、更にその権力を強固なものとする。今や皇帝と表立って対立する者は消え、帝国はかつて無い程に安定した状態となっていた。

 さらには接収した資金を用いて農、商業の制度を整えた為、帝国臣民達の暮らし向きも大幅に良くなり、新たな皇帝への支持は日に日に増していた。

 ここまでの成果を出せたのは、無論彼女一人だけの力ではない。即位前に見込まれ、派閥の一員となっていた官僚や将軍あっての事だ。そして表舞台に立つ彼らの他にも、ジュリエットに忠誠を誓った者がいた。


「人払いはしてある。報告せよ、オスヴァル」


 ジュリエットが資料を机に置いて呟く。すると、積み上げられた本の影から細い目をした茶髪の男、ライネガルド方面諜報部隊長オスヴァルがにじみ出るように現れ、片膝を突いた。


「ご報告致します。ライネガルドの被害状況ですが……」


 主君に対する形式的な挨拶は行わず、オスヴァルは調査結果のみを報告していく。彼が礼儀知らずという訳では無い。公の場ではない会話にまで冗長な典礼てんれいを加える事を、彼の主が嫌った為であった。


「被害を受けた地域は八割を越え、各所で混乱が発生した模様です」

「我らが貸し与えている西方領の被害はどうか」

「甚大です。他領から支援を受けぬ限り、軍を整えるのは不可能と断言出来ます」


 帝国側は西方領と呼ぶ東部騎士領の状況は、オスヴァルに一つの考えを浮かばせていた。


「陛下。賊どもが兵を失った今こそ帝国の悲願を果たす時にございます」


 ライネガルドへの侵攻、係争地の奪還を進言するオスヴァルに、ジュリエットは軽く首を振った。


「今はまだ、その時ではない。確かに容易く軍を進められたとしても、糧秣りょうまつの現地調達は困難を極めるだろう。輜重隊を整えれば出来なくはないが――」


 しかし、とジュリエットが付け加える。


「昨年の反乱を鎮圧してから、ようやっと臣民に安寧な日々が戻ったばかりだ。我が改革も軌道に乗り始めている。民を酷使し、その芽を摘む訳にはいかぬ」

「差し出がましい事を申し上げました。お許し下さい」


 至尊の座に就きながらも民を忘れぬ主に、オスヴァルはおのずと頭を下げていた。


「構わん。戦こそ行わぬが、この期に西方領の騎士どもを切り崩す。そなたが出入りしているユンクを介して、援助エサに食いつかせよ」

「はっ!」


 今までの資金と引き替えに裏切りを促す事に比べ、切羽詰まった状況での援助はより多くの者を惹きつけるだろう。オスヴァルは主の幼い外見に似合わぬ老獪さに畏敬の念を抱きつつ、調略を成功させることを堅く誓った。



「来たぞっ、大物だ!」


 山間に設けられた関に、見張りやぐらからの声が響く。詰め所から出た関守の隊長は、飛び込んできた光景に思わず自分の目を疑い、柵に駆け寄った。


「おお、こりゃ……」


 直轄領側から幌馬車の連なりが関に近づいてくる。だがそれ自体はよくある事だ。信じがたいのはその規模であった。百両近くあるかと思われる馬車が、大蛇のように進んでいる。その通った道には、満載した荷の重みを示すわだちが幾筋も刻まれていた。


「止まれっ、荷を改める」


 隊長は門前で今まで通り馬車を止め、関税と称して物資を徴収しようとする。随伴した兵達も皆、下卑た笑みを浮かべていた。関税が釣り上げられたのは領主の命によるものだが、それを少しずつくすねている彼らの懐をも暖めていた。

 だが馬車に近寄ろうとした彼らを、馬に乗った騎士が遮った。虚を突かれた隊長であったが、馬上の騎士の身なりからそう身分の高い者では無いと見定め、居丈高に告げる。


「何をするかっ、我らはこの地を治める子爵様の兵! その調べを拒む事は、子爵様に逆らうことになるぞ!」

「ほう、子爵様の」

「そうだっ。馬から下り、おとなしく調べを受けい!」


 子爵の威を借り、そう脅しつけたにも関わらず、黒髪の騎士は下馬する様子を見せなかった。憤怒で顔を赤らめた隊長が、兵に囲むよう指示しようとした時、騎士は懐から羊皮紙を取り出し、それを掲げて堂々と宣言する。


「我らはクラネッタ騎士団! 国王陛下の勅命を受け、ガランドルフ領に支援に向かう。門を開けよ!」


 最初、その羊皮紙を訝しげに見ていた彼らだが、遅れて並んだ大柄な騎士が掲げた旗に目を剥く。


「お、王旗おうき……」


 獅子が向かい合う紋章を持つ家は、ライネガルドには一つしか無い。正真正銘の勅使だと悟った兵達は、血の気の失せた顔で震え始めた。


「門を、開けよ」

「かっ、かしこまりましたっ。開門っ、開門!」


 バッタのように地に伏せた隊長が声を裏返しながら叫び、同様に王旗を目の当たりにした関の兵士達が慌てて門を開く。そうして開かれた門を、騎士達と馬車が悠々と通り過ぎていった。



 関を抜けて暫くした後。先頭を駆けていたベルナールに再びグレゴリーが近づいてきた。


「ベルナール。王旗をお戻ししてきたぞ」

「ああ、ありがとう。グレゴリー。さっきの登場の頃合いは最高だった」

「あの隊長の顔は傑作だったな。ああも人の顔色が変わるとは」


 二人は悪戯が成功した子供のような笑いを上げた。そして、その発案者に思いをはせる。


――荷が届くのを、決して遅らせてはならない。そのためにクロードには旗を借りるように頼んである。


「最初はどういう事かと思ったが、ここまで効き目があるとはね」

「王旗を知らない兵はいないからな。確かに俺も持っているだけで誇らしい気持ちになった」


 ベルナール達は興奮した声色で語り合う。それは勅使としての役目を任された以上に、幼き姫君の聡明さに感銘を受けてのものだった。


「ここまで姫様にお膳立てして貰ったんだ。しっかりやらねえとな」

「おうっ、頼むぜ。ベルナール臨時中隊長!」

「臨時は余計だ! おまえだって臨時副長だろうがっ」


 軽口を叩き合いながら、クラネッタの輸送隊はガランドルフ領に向かう。しかし彼らはこの後、思わぬ困難に直面することとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る