第25話 謁見

 ライネガルド王城。王の居室。国王フィリップは、ぐったりとした様子で安楽椅子にもたれ掛かっていた。

 傍の小机に用意された昼食も、ほんの少ししか手をつけられていない。抜けぬ疲労によって食欲が湧かないのだ。王はただ目を閉じ、国の現状に思いを巡らせる。

 長雨から一月以上経ったが、国中から送られてくる訴えが途切れることが無い。

 つい先ほどまでいた執務室には、入れ替わり立ち替わり裁可を求める役人達が押し寄せ、承認の印を持つ彼の右手が震えた程だ。


「ロジェがいてくれたら……」


 王はそう呟くも、すぐに自らの言を否定するように首を振る。右腕である宰相ロジェを所領に戻したのは、他ならぬ王自身のめいによるものだ。そしてガランドルフ領を含む南部の詳報が入るにつれ、その判断は決して間違いでは無いと確信するまでになっていた。

 ガランドルフ領の被害は王国の中でも最大のものだった。だが、ロジェは迅速な対応で混乱を収めただけでなく、餓死者を出しかけた周辺の所領にまで食料を支援したという。


――危ういところであった。が、安心してもいられぬ。


 ロジェの差配により、南部は当面の危機を脱した。しかしあくまで一時的なものだ。

 隣接する宗教国家パスティアに、食料支援を請う使者は向かわせている――勿論寄進と称した代金を持って――ものの、彼らが戻るまで備蓄が持つという確証はどこにも無かった。


――これ以上使うべきか、使わざるべきか。


 王家には有事に備えた食料がある。大量の備蓄ではあるが、今回の飢饉では既にその半数の放出がなされていた。

 王は椅子に座りながら、東に面した窓に目を遣る。その瞳に映るのは先月とは打って変わって快晴の空であったが、王が憂いているのは天気では無かった。


「新たな皇帝が、どう出てくるか」



 ライネガルドの東方に位置するカールス帝国において、若き皇帝の即位式があったのは昨年の事である。即位式の半年前に先帝が病に倒れ、後継者争いが勃発していた。

 帝位継承権を持つ者は三人。側室の子である長男。正室の子である次男と、また別の側室が産んだ幼い皇女、ジュリエット・カールスである。本来ならば長男が皇太子になっている筈であったが、皇帝が正室に遠慮しその地位は未だ宙に浮いていた。その為皇帝が倒れて以来、王子達の派閥は日に日に対立を深めていった。

 ジュリエットにも一応継承権はあった。しかし彼女は帝位には全く興味を示さず、遠乗りに狩猟と男のような遊びばかり楽しんでいた。

 帝位継承の候補者らしからぬと強く諫言する臣はいたが、その者達を無理矢理遊びにつきあわせる事もしばしばであった。

 それらの振る舞いと、母親の身分の低さも相まって彼女を推すものは数を減らし、ジュリエットの親類ですら二人の皇子派に鞍替えするものまで出る始末。

 実質皇子二人の争いになると誰もが考えていた。だが、先帝が晩年に寵愛した七人の近臣達が動き始めた事で流れが大きく変わり始める。

 彼らは皇帝の代理人として、その権力をほしいままにしていた。まさしく我が世の春を謳歌していたが、それ故に皇子を初め、他の者達から疎まれていた。

 皇帝が没すれば自分たちの栄華は終わる。それどころか、新たな皇帝に専横の罪を問われかねない。そう危機感を抱いた彼らはジュリエットに目をつける。

 考えなしの行いで、派閥すら持たぬ小娘。帝位に据える傀儡くぐつとしては最適であった。彼らはジュリエットを担ぎ上げる事を決める。

 そこからの近臣達の行動は悪辣を極めた。彼らはまず次男に近づき、人払いをさせた後に皇帝が本当は正室の子である次男に帝位を譲らせたいと考えていると吹き込んだ。そして、僅かに持ち直した皇帝の回復を祝う宴を開くよう持ちかける。


――陛下は殿下が後継者であることを、その時に宣言なさるおつもりです。ですが事が漏れては兄殿下からどのような妨害がなされるか分かりません。あくまで快気祝いとして事をお進めなされ。


 そう甘言を囁き、近臣達の影を見せずに宴の段取りを整えさせた。次に彼らは長男に密会し、全く逆の事、長男こそ後継者である事を皇帝が宣言する宴だと伝える。


――ですが継承出来ぬと分かった弟君おとうとぎみが、暴挙に出てもおかしくありません。念のため、殿下の為ならば命も惜しまぬ腕利きを侍らすことをお勧め致します。


 いかにも長男の身を案じるかのように忠告し、護衛を密かに手配させた。

 互いが待ち望んでいた宴の当日。料理を口にした長男が突如として倒れた。招待客としてそしらぬ顔で参加した近臣達が、次男の仕業ではないかと疑いの目を向ける。近臣達の思いもよらぬ態度に、次男が弁明しようとした時、激高した長男の護衛によって彼の首は刎ねられていた。

 自身の煮え切らぬ態度によって二人の息子を目前で失った皇帝もまた急激に衰弱し、ジュリエットを後継に指名した後に息を引き取った。派閥を持たぬ彼女の為に、寵愛していた近臣達に後事を託して。

 策は、完全なる形で成った。次なる欲望を各々胸に秘め、近臣達は愛らしい新皇帝(にんぎょう)の即位式に向かう。だがジュリエットが彼らに用意していたのは、さらなる地位ではなく、冷たい刃のきらめきだけであった。

 突如として即位式を行っていた謁見の間に兵がなだれ込み、近臣達に斬りかかる。驚愕した彼らは皇帝を護ろうともせずに逃げ出すどころか、その背後に逃げ、囮にしようとするものまで出た。しかしそのような抵抗もむなしく、近臣達は残らず命を奪われる。騒然とする会場を静めたのは誰もが侮っていた少女の一声であった。


――帝国を食い荒さんとする逆賊は討たれた!


 声に合わせ、乱入してきた兵が一斉に血に濡れた剣を胸に捧げる。その動作でこの陰惨な粛正が誰によってなされたか、居並ぶ海千山千の帝国貴族たちは一瞬で理解した。すぐさま彼らは片膝をつき、謁見の間で立つのは剣を捧げた兵達と、血が流れ落ちる階段をおくする事無く踏みしめて、上座から周囲を睥睨へいげいする少女のみとなった。

 ジュリエットは、うつけを演じていた。遊び惚ける事で兄たちからの警戒心を失わせ、同時に周囲に侍る者達の選定を行っていたのだ。信頼できると見込んだ家臣には密かに心中を明かし、水面下で自らの派閥を作り上げていた。諫言した者を遊びにつきあわせたのも、他の目の無い場所で密談を行う為であった。

 帝国の威を示した少女は、名実ともに皇帝の地位へと昇った。



「三割は、残す」


 即位後も数々の改革で帝国を安定させた女傑が、この隙を見逃すはずが無い。帝国の侵攻を危惧したフィリップは、備蓄の放出を徐々に減少させる決断を下す。それが今の彼に出来る、餓えに苦しむ臣民達への最大限の配慮だった。

 人を呼ぶ小机のベルを鳴らそうとした時、居室のドアがノックされ、入室した侍従から謁見を求める者がいるとの知らせがもたらされた。


「誰が求めているのか」

「クラネッタ公爵様の使者にございます」


 その答えは、椅子から立ち上がりかけた王をふらつかせる程に衝撃的であった。このところ、支援を求める使者ばかり各領から来ている。それが王国最大の食料庫といえるクラネッタ家からも来るとは!

 しかし思い違いを察した侍従が付け加えた言葉に、王は目を丸くする。


「陛下、ご安心下さい。クラネッタの使者は、他領への支援許可を求めているのです」

「……っすぐに向かう。使者を謁見の間に案内せよっ」

「承知いたしました」


 侍従が出ていき、王自身も謁見の間に向かおうとする、しかし彼はくるりと安楽椅子まで戻り、昼食を急いで口に詰めた。王国の食料事情を改めて知った今、食欲が無かろうと残して捨てさせることなど出来ようはずも無い。

 自らの役目と責任を噛みしめながら、王は力強い足取りで出て行った。



おもてを上げよ」

「はっ」


 国王フィリップの言葉に、下座に跪いていたクラネッタの使者が青い頭を上げる。驚くべき事に一七、八の若々しい青年だった。その顔に見覚えは無く、身につけた服も仕立は良いものの、平民を思わせる出で立ちであった。


「なんだあの小僧は……」

「クラネッタは人材不足と見える……」


 謁見の間に控える宮廷官僚――下級の貴族たち――が小声で囁き合う。国王への使者として遣わされるのは、その家の重臣か、用向きに合った専門家が選ばれるのが常である。短い謁見の間に、正確に報告する必要がある為だ。

 どちらにせよ、そういった事情から壮年よりも年嵩としかさの者が多い。そこにどこか少年のあどけなさを残した青年が現れたので、官僚達が騒ぎ始めたのだ。しかし王は軽く腕を上げて彼らを黙らせると、柔らかい口調で話しかけ、報告を促す。


「よくぞ参った、クラネッタの使者よ。早速だが、用向きを聞かせて貰うぞ」

「はっ、畏れながらご報告致します」


 使者は左右の貴族から浴びせられる軽侮の視線をものともせずに他領の被害状況を簡潔に述べ、支援を行いたいというクラネッタの意向を伝えた。その内容は王に上がって来ていた調べよりも正確なものであり、かの領の情報収集能力の高さを表していた。


「いくつか、尋ねたい」

「なんなりとご下問くださいませ」


 そしてその言葉通り、使者は王の投げかけた質問に過不足無く答える。その中で王は初めて、各領の関所において食料が徴収され、支援が思うように行えていない事を知った。

 王が少し不快げに周囲の官僚を見渡すと、震え上がる者達がいた。おそらく自領において似たような事を行っていたのだろう。どちらが人材不足かと、王は密かにため息を吐きながら勅令を告げた。


「王国に属する全ての者に勅命を下す。クラネッタの支援に対し、いかなる者も道を遮り、その荷を奪ってはならぬ」


 謁見の間にいる官僚達が平伏し、せき立てられるかのごとく各所に向かっていく。王は未だ深く平伏する使者に声を掛け、顔を上げさせた。


「クラネッタとそちのお陰で、王国の正確な現状を知ることが出来た。礼を言おう」

「恐悦にございます。我が主に代わり、御礼申し上げます」

「そち、名は何と申す」


 そう尋ねられ、青髪の青年は誇らしげに答える。


「私の名はクロード。クラネッタ公爵様、そしてそのご息女エリザベート様に身命を捧げし者にございます」

「……そうか。クラネッタは良き家臣を持った」

「ありがたきお言葉。クラネッタを介して、王家により一層忠勤をつくします」


 再び深く頭を下げるクロードを残し、フィリップは謁見の間を退いた。若く有能で、忠義にも篤い人材を抱えるクラネッタ家を、少しうらやましく思いながら。

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