第22話 備え

 時は遡り王国歴三百七十六年の秋。幼いエリザベートの改革は馬具の改良と、重量有輪犂じゅうりょうゆうりんすきの考案だけでは無かった。この時に行われた一連の改革が、その数年後にライネガルドを襲う大飢饉を救うこととなる。



 農地への視察から一ヶ月後の夜。俺は領館の居間で父上から重量有輪犂の反響を聞いていた。


「エリザ。君の考えた農具は凄いな! 賦役に来た農民達が、土を耕しやすいと喜んでいるそうだ」

「彼らに受け入れてもらえたようで良かった。これで次の準備に入ることが出来ます」


 父上が俺を抱き上げ、満面の笑みで頬ずりする。されるがままになりながら俺は、次の手を打とうと考え始めていた。


「エリザのおかげだよ。ありがとう。ところで、次の準備とはなんだい? 何か他にも思いついているのかい?」

「はい。お聞き頂けますか」

「もちろんだとも」


 少し伸び始めている父上の髭に頬を刺されながら、俺は有輪犂を導入した本当の目的を語り始めた。


「父上。肩首輪と有輪犂を導入したことで三つの利点が生まれました。

一つ目はうねを作ることが容易になったこと。

二つ目は深耕によって根菜を栽培することが可能となったこと。

三つ目は賦役をより多くの年貢ねんぐに変えられることです」


 ライネガルド北部にあるクラネッタ領の大地は湿っぽく、重たい。これを耕作に適した水はけの良い土地にするには、土を深く掘り返して畝を作る必要があった。この作業には多くの動員を必要としたのだが、馬と重量有輪犂によって、より早く、より少ない人員で行えるようになっていた。


「畝を作る利点は分かるよ。でも他はどういった点で利点になるんだい?」

「二つ目の利点からお話ししましょう。根菜を作ることによって畑を、より不作に強く、より収穫量のある体制に変更することが出来るのです」


 膝の上に下ろしてもらい、解説を続ける。畑は栽培する種類を増やすことで、病気や虫害などによる全滅のリスクが軽減される。またかぶなどの根菜を家畜の餌とすれば、有輪犂を動かすために必要な頭数の牛馬の飼育が出来る。更にそこから得られる堆肥が土地を肥沃にするため、収穫量の増大が見込めた。


「小麦の収穫は少なくなりますが、他の作物を加えると得るものは多くなります。ですから今までは耕作地と休耕地として交互に使っていた農地を、春と秋に植える穀類の畑、根菜の畑、休耕地と四等分にして頂きたいのです」

「順番に使っていくのだな。分かった。一部の畑で試してみよう」

「ありがとうございます。休耕地には地力を損なわぬ豆類を植えて頂ければ農民達の栄養も――父上?」


 父上は急にふるふると震えだしたかと思うと、がばりと俺を抱きしめ、再び頬ずりを始めた。


「なんて賢いんだ! 流石は私の天使!」

「ち、父上っ、お髭が、お髭がぁ!」


 感極まった父上の頬ずり攻撃により、三つ目の利点である賦役の削減と、それに伴う農民私有の農地からの年貢増加を話すのは、後日の事となった。その時に頬ずりをやめるか髭を剃るかという二者択一を俺に迫られて以来、父上は髭を懇切丁寧に剃るようになる。

 直営の農地で実験的に開始された輪栽式農業は成功を収めた。その成功を賦役で間近に見た農民達は、村で一体となって輪栽式を採りいれてくれ、クラネッタ全体の作物収穫量は年々増加していった。



 直営農地における輪栽式が成功を収める前、俺はもう一つの試みを行っていた。都市における屎尿しにょう処理部門の設立である。


「姫様。なぜ糞尿を集めるのですか?」

「都市の衛生の改善と、農作物の肥料を作るためだよ」


 エミリーに抱き上げられながら、俺はアミーン内部を視察し、衛生環境を確認していた。   お世辞にも清潔とは言いがたく、内側に僅かに傾斜した道路の中心、くぼんだ部分に走る排水溝には汚物が残留している所もある。


「ああいった所から疫病えきびょうが蔓延することがあるんだ。万を超す民が暮らすアミーンだからこそ、清潔に保たなければならない」

「どのようになさるのですか?」

「公衆便所と回収車を作る」


 俺は衛生改善と雇用創出に繋がると父上を説得し、各町内に公衆便所と、屎尿回収用の桶を設置して貰った。そして不法な廃棄や豚の放し飼いを禁止し、違反者には罰則を規定したことで、都市の衛生状況は劇的に改善する。更に回収した屎尿から抽出した塩硝は、作物の生育を促進させる補助肥料として大いに重宝され、クラネッタの貴重な収入源の一つとなった。



 こうしてクラネッタ領における農業改革は数年越しでなされ、エリザベートの名も領内で高まっていった。しかしその名声を試すかのように、未曾有の危機がライネガルド全土に近づきつつあった。

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