第21話 叙爵
ロジェ宰相閣下から茶会の誘いが来たのは、アミーンへの凱旋から二週間後。審問会における功績を賞する式典の日程が決まり、再び王都に舞い戻った日の翌日だった。
数日後に控える式典の予行をクラネッタ邸で行っていた所に、宰相閣下の使いが来たのだ。改めて礼を申しあげたいと考えていた俺はその申し出を快諾し、エミリーを連れて楓が色づき始めた王宮の中庭に向かった。
中庭に準備された白い円形のテーブルには、対照的な黒の正装に身を包んだ閣下とレオン殿下が、クッション付きの椅子に座って待っていた。
「お待たせ致しました、宰相閣下。王太子殿下もご機嫌麗しゅう」
「エリザベート嬢、よく来てくれた。急に呼び出してすまぬの」
「お気になさらず。お世話になった貴方様の招きならば、喜んで参りましょう」
植物模様が刺繍された、淡いグリーンのドレスを摘まんで答え、勧められるままにテーブルの対面に着席する。王宮の使用人がごく自然な動作で俺の前にもお茶のカップを置き、俺たちの声が聞こえない位置まで下がった。俺もエミリーに素早く目配せし、同じようにさせる。
互いに多忙な時期に、あえて茶会に招かれたのには必ず理由があると踏んでいたが、まさしくその通りのようだ。互いの従者が下がるのを確認した殿下が、微笑みながら口を開いた。
「エリザベート。こうして落ち着いて話すのは審問会の前日以来か」
「審問会ではお世話になりました。王太子殿下」
「よい。余もなかなか楽しめた。それにしても、囚人のジレンマとか言ったか。そなたはよくあのような事を知っていたな」
「以前人づてに聞いた話でしたので、私もそこまでは詳しくございません。上手くいってほっといたしました」
まず、会場から閉め出した派閥の者を二人ずつに分け、二人別々に王太子殿下直々に尋問を行った。その際にある司法取引を持ちかけたのだ。俺から入れ知恵された殿下が提示した条件はこのようなものだった。
『片方のみが自供すればその者が工作に荷担した罪は全て許される。黙秘した側は国家を欺いた罪で投獄される』
『双方が黙秘した場合は、共に隠居処分となる』
『双方が自供した場合は、共に投獄の上、お家取り潰しとなる』
この条件を突きつけられた派閥の貴族たちとて無能ではない。双方が黙秘することが一番安全であることは理解していたであろう。
しかし一人ずつ尋問を受けることで、相手だけが自供するのではないかという不安からお互いを信頼しきれずに、殆どの者が自供した。自分が投獄されることを避けたいという気持ちと、自らのみが助かろうという欲に背中を押され、俺たちが張っていた網に飛び込んできたのだ。
「何にせよそなたの知識のおかげで、王国に叛意を持つ者を一網打尽に出来た。余からも礼を言う」
「王国のお役に立て、光栄にございます」
「それと一つ、伝えておかねばならぬ。エドモンの事だ」
「確か、獄中で自殺したと聞いております」
俺が王都を出立した翌日に公告があったそうだ。その知らせは王都の屋敷からアミーンへ、伝書鳩によってもたらされていた。
「あれは自殺ではない。何者かに殺されたのだ。同日に所領の屋敷にも火がつけられ、裏に潜む者たちの手がかりが失われた」
殿下が眉一つ動かさずに告げた言葉は俺を仰天させた。気持ちを落ち着かせる為に、かぐわしい香りを放つ茶を口にする。屋敷の火事はともかく、警戒の厳重な王宮の牢獄に捕らわれていたエドモンが殺される。それは、一つの可能性を示していた。
「王宮に内通者がいる。そう殿下は仰りたいのですね」
「おそらくな。実際にエドモンの監視を行っていた兵の一人が行方をくらませている。内通者が、その者だけだとは思えぬ」
クラネッタ領の結束と、エドモン自身の詰めの甘さにより今回の謀反は失敗したが、その裏に潜んでいた者の下準備は周到なものだった。豊富な資金や工作員を持つ黒幕の調略が、王宮内には浸透していないと誰が断言できようか。
「王宮内ですらこの有様だ。正直に言おう。王家が信頼できる者は少ない」
「その数少ない者の一人が、貴女だ。エリザベート嬢」
宰相閣下が話を引き継ぐ。
「こたびの式典において、貴女には爵位と領地が授与されることになる。まだ若い貴女にとって、それは重荷となるやもしれぬ。それでもこの国のために、どうか受けてもらいたい」
「余からも頼む」
「閣下。殿下。頭をお上げください。ライネガルドを愛する気持ちは私とて同じ。そのような事をなさらずともお受けいたします」
驚くべき事にお二方は小娘一人に頭を下げ、協力を求めてきた。ライネガルド王家の重鎮と後継者に頭を下げられては、否と言えるはずもない。もとより神の依頼も果たさねばならぬ為、俺自身もある程度の権力は必要としていた。
「受けてくれるか!」
俺の言葉を聞いた殿下が、子供のように顔をほころばす。俺もにこりと笑って頷いた。王家の血のなせる技か、それともレオン殿下自身の魅力か。俺は宰相閣下に次ぐ位に、殿下に親しみを感じ始めていた。俺の中身も女であったのなら、凜々しい顔つきから突然変わるギャップにやられていたことだろう。
「ただし、一つだけご留意ください」
受けはしたものの、ただ唯々諾々と従う訳にはいかない。俺には既に、護るべき者が数え切れないほどいた。
「もし王家が民を理不尽に苛む事あらば、私とクラネッタはその敵となるでしょう」
「分かった。心する事にしよう」
「ご理解頂き、ありがとうございます。そのお気持ちを忘れられぬ限り、私は殿下の味方であり続けましょう」
「ありがとう。感謝する」
俺と殿下は席を立ち、テーブルを挟んで堅く握手を交わした。
◆
しばしの歓談の後、エリザベートは席を辞した。メイドを引き連れ、しずしずと歩き去る彼女の背中を見つめながら、王太子レオンは長い息を吐く。
「 爺、やはりエリザベートは並の者ではなかったな」
「さようでございますな。我らの前でも物怖じせず、かといって
「かの者の故郷では、黄金色の瞳と相まって、女王の生まれ変わりと噂する者もおるようだ」
「それほどまでに慕われているという事でしょう。ですが殿下、少々残念でしたな」
「どういうことだ?」
疑問符を浮かべる王太子にたいして、ロジェが青い瞳をいたずらげに細める。
「心優しき令嬢の愛は民に等しく注がれ、殿下だけのものにはなりそうにございません」
「……む、あれはまだ若い。時が経てば、余の想いにも気付いてくれよう」
「ただ殿下に興味が無いようにも見受けられましたが」
爺! とからかわれた事に顔を赤くして怒るレオンを、師であるロジェは
◆
一方その頃。クラネッタ領からベルギム山脈を隔てた先にあるカールス帝国の首都ファルン。その中心にそびえ立つ宮殿の執務室において、一人の男が
「申し訳ございませぬ。ライネガルドにおける調略、ご期待に沿うことが出来ませんでした。全てはこのオスヴァルめの失態にございます」
黒を基調とした軍服を着た茶髪の男が、書物が積み上げられた床の中で叩頭して謝罪している。ライネガルドにおいてカールス商人オスビーを名乗っていた、諜報部隊長オスヴァルである。
「それどころか力を削ぐべきクラネッタ公爵家の令嬢、エリザベートに躍進を許した事は、許されざる事にございます。どうか、この私にふさわしき罰をお与えください」
オスヴァルは床に擦りつけるように更に頭を下げ、その首筋をさらす。首を刎ねられてもかまわないという覚悟の表れだった。
「よい。そちはよくやってくれた。顔を上げよ」
しかしその
オスヴァルが顔を上げ主君と向き合う。そこにいたのは朝焼けを思わせるオレンジの長髪をした美しい少女だった。歳の頃は十七、八に見える。飾り気のない黒のロングドレスを纏った少女が、その
「そちの持ち帰った情報で、我が兵を
この度のカールス帝国の策略は二段構えのものであった。ライネガルドに謀反を起こさせる計画、そして、失敗した場合の東部騎士達の処分による、王国の軍事力低下のスキをついた侵攻作戦を計画していた。
謀反は失敗し、東部騎士の多くに厳しい沙汰が下された。だがクラネッタ領において火薬が実用化されていることが判明した為、相手方の戦力が想定できず、第二の計画は取りやめになったのだった。
「次に活かせば良い。我らは若い、機は必ずまた訪れよう」
「その時の為に、より一層奮起致します」
「ああ、頼りにしている」
「はっ!お任せ下さい!」
「それにしても、火薬を知る者、エリザベートか。なかなか面白くなりそうだ」
感動に打ち震えながら再び頭を下げるオスヴァルの前で、少女、カールス帝国皇帝ジュリエット・カールスは不敵な笑みを浮かべた。
◆
十月のよく晴れた日、王宮の謁見の間には、正装した多くの貴族が集っていた。再編された東部騎士領に任ぜられる、新たな領主達への
「クラネッタ公爵家が令嬢、エリザベート様、ご入来!」
叙爵も終盤にさしかかり、入り口近くにいた侍従がその来場を告げたとき、貴族たちは一斉に顔を向けて注目し、誰もがその美しさに心を奪われた。
床に引きずるほど丈の長い緋色のドレスを纏ったエリザが、ゆっくりと歩みを進めている。ほっそりとしたウェストを強調する点は一般的なものであったが、肩を出した開放的なデザインは、ドレスの色の濃さも相まって彼女の肌の白さを貴族たちに鮮烈に印象づけた。装飾品の類いはほとんど身につけていなかったが、僅かに揺れる金髪と、前だけを見つめた黄金色の瞳は、あらゆる宝石の輝きにも勝るものだった。
通路の中心を進んだエリザが、国王の前で跪く。王の傍に控えていた宰相ロジェが前に進み出、彼女の功績とその恩賞を告げた。
「謀反を企む者どもを一掃し、王国の安定に寄与した功績を賞す。エリザベート・クラネッタに旧ユンク領を含む東部騎士領の半数を与え、辺境伯に任ずる!」
ライネガルド王国暦三百八十五年十月。一人の少女が辺境伯に任ぜられた。この一事が王国のみならず、周辺諸国にまで影響をもたらす歴史の転換点となることを当時予測していたのは、極一部の者だけであったという。
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