第20話 分かれた明暗

「エリザベート様。この度は大変ご迷惑をお掛けしました」


 怪物の毛皮を片しにいく騎士達に礼を言って分かれた後、控え室として割り当てられていた王宮の一間でセシールを労う。背の低い机を挟んで、向かいあわせのソファに座った彼女が申し訳なさそうに頭を下げてきた。


「お気になさらず。貴女に罪はないのですから。それよりもセシールさんには酷なことをさせてしまいました」


 いくら自身の家を守るためとはいえ、自らの夫に対する告発に参加させたことである。しかし、セシールは微笑みを浮かべ、静かに首を横に振った。


「もとより援助と引き替えに捧げられた身です。肌を重ねたこともない夫に思い入れはありません」

「それは一体……?」


 俺とエミリーは嫁入りの理由とそれからの日々を聞き愕然とする。俺の後ろに控えるエミリーなど、あまりの不憫さにハンカチで涙を拭っていた。話し終えたセシールがですから、とこちらに礼をいう。


「このような暮らしから解放していただいたエリザベート様には感謝の言葉もございません。本当に、ありがとうございました」

「こちらこそありがとう。誓約通り、オベールを寄子として迎え入れましょう」

「よろしくお願い致します。ですが、謀反に一時的に関わっていたことも事実。現当主の隠居を以て贖罪しょくざいとさせていただければと思います」

「……では貴女の弟君を当主として立てるよう、宰相閣下に口利き致しましょう」


 やはりセシールは優秀な娘だった。浪費癖のある現当主をこのタイミングで政から遠ざけ、将来の禍根を除くつもりらしい。その明敏さに感嘆しながら、一つ気がかりであった事を口にする。


「ところで、貴女はこれからどうなさるおつもりですか」

「修道院に入ろうと思います。どのような理由であれ、嫁入りした家を裏切った事には変わりありませんので」


 実家を慮っているのだろう。オベールに戻るつもりはないようだった。それならばと俺はセシールに誘いをかける。


「私の所に来ませんか」

「エリザベート様……?」

「この度の騒動で、東部騎士領は再編されます。おそらく私は家を持つこととなるでしょう。そこに、貴女を迎え入れたいのです」

「エリザベート様は最大の功労者でございますから。ですが、私のような裏切り者を受け入れては、貴女様の評判に関わります」


 然り、とセシールが頷く。だが自らの微妙な立場が俺への悪影響になると考え、遠慮しているようだった。俺は机に膝をついて乗りだし、彼女の両手を包み込んで訴える。


「そのような事は気にしません。貴女にはそれ以上の価値がある。セシール!」

「はっ、はい!」

「共に来い! 私は、貴女がほしい!」


 セシールが褐色の肌を、驚きに揺れる瞳と同じあかに染める。瞳の揺れが収まると、彼女はこちらをじっと見つめた後、こくりと頷いた。


「よろしくお願いいたします。エリザベート様。これからは、セシールと呼び捨てになさってください」

「ありがとう。よろしく頼む、セシール!」


 包み込んだ彼女の手をより強く握りしめる。すると再び瞳が揺れ始め、弾けるようにセシールが立ち上がった。


「じ、実家に、エリザベート様にお世話になることを伝える手紙を書かなくては! 失礼致します! ありがとうございました!」


 慌てて出て行ったセシールを見送り、ソファーに座る。スカウトに熱が入っていたため、今になって喉の渇きを覚えた。


「すまないエミリー、お茶を……」


 ガチャンと、カップとソーサーが当たる少し乱暴な音を立て、いつの間にか用意されていたお茶が机に置かれる。振り返ると、むくれた様子で銀の盆を持つエミリーの姿があった。


「あ……」

「……姫様のバカ。姫様のバカ。姫様の……」

「いや、あれはそういった事ではなくて……」


 拗ねてしまったエミリーを宥めるのに、俺は四半刻を費やす羽目になった。最終的にはセシールにやった事以上の、両手で抱きしめて愛をささやく事でなんとか事なきを得た。



 エリザの部屋を出たセシールは、自らに割り当てられた一室に戻った。熱に浮かされたようにふらふらと備え付けのベッドに飛び込み、先ほどのエリザとの会話を思い出す。


――共に来い! 私は、貴女が欲しい!


 それが、自身の才覚を認めてくれた一言であることをセシールは理解している。そこに他意は無いことも。それでも彼女は、今まで経験したことのない胸の高鳴りを覚えていた。


「あの方が、もし殿方であったのなら……」


 セシールはそう呟くもハッと我に返り、その顔を朱に染めながらベッドの上で身もだえした。



 一週間後の正午。王宮への挨拶を済ませた俺たちは王都を離れ、家族や家臣が待つアミーンに凱旋した。

 エミリーが御する無蓋の四輪馬車に乗り、都市の門をくぐると、以前帰郷した際とは比べものにならないほどの歓声がわき上がった。

 人、人、人。馬車の進行する中央を除き、大通りに人があふれかえっている。彼らは皆、審問会の勝利を祝うために集まってくれていた。秋晴れの涼しい日であったが、アミーンの中は夏のような熱気に包まれていた。


「エリザベート様。万歳!」

「我らが姫様に栄光あれ!」


 祝福の言葉と共に、建物の窓から乗り出した人々が花びらを放る。集まった人々も、祝いの言葉を口にしながら手を振ってくれた。


「ありがとう! 皆、ありがとう!」


 歓声と共に降る色鮮やかな雨の中を、俺は礼を言いながら全力で手を振り返した。


 領館の前にはマルセル騎士団長とベルナール、そしてアミーンを守っていた騎士達が整然と並んで待っていた。馬車を降りた俺へマルセルが進み出、堂に入ったお辞儀をする。


「姫様。お帰りなさいませ。この度の勝利、おめでとうございます」

「ただいま。留守をありがとう。あなた方のおかげで、後顧の憂い無く審問会に臨むことが出来ました」

「ありがたきお言葉、光栄にございます。ベルナール達もよくやってくれていました」


 ベルナール達に向き直り礼を言うと、彼らも笑顔で俺たちの勝利を祝ってくれた。ベルナールも俺に祝いの言葉を述べた後、審問会について尋ねてくる。


「姫様、怪物退治の話をされたらしいではないですか。俺たちの活躍も伝えてくれましたか?」

「もちろん。あっという間に話が広まってね。あちらを出立するときには騎士たちに向かって、王都の娘たちの黄色い声が上がっていたよ」

「それは……そちらに行けなかったのが悔やまれますな」


 男所帯の騎士団では出会いが少ない。しきりに悔しがるベルナールたちがおかしく、笑い声を上げた俺は、次に王都に向かう際は連れて行く事を約束して領館に入った。


 腹に飛び込んできたアドルフとミレーユを今度はよろめかずに受け止め、領館のホールに集まっていた人々へ帰宅を告げる。居並ぶ家臣たちから迎えの言葉を受けた後、弟たちと一緒に両親が待つホールの中央に足を進めた。


「父上、母上……」


 万が一の可能性を考え、二人にはアミーンに留まって貰っていた。約三週間ぶりの再会だ。たった三週間だというのに両親の姿がひどく懐かしく、気付けば二人に抱きついていた。母上が優しく受け止め、その上から父上が俺と母上をまとめて抱きしめる。


「エリザ。よく戻った」

「お帰りなさい。エリザ……もう、大丈夫よ」


 そう母上に優しく囁かれ、俺は知らず知らずのうちに身体を震わせていた事に気付いた。十分な準備をして審問会に挑んだとはいえ、まかり間違えば家の存続に関わる事態であったのだ。その重圧が母上たちの顔を見て思い出されたのであろう。だがその震えも、背中をさする母上の手や、力強く抱きしめる父上の腕の暖かさに段々と収まっていった。


「ただいま、もどりました」


 愛しい家族のぬくもりが今ここにあるという喜びを噛みしめながら、俺は両親に向かって笑顔を向けた。



 遡ること六日、王宮の地下にある牢獄にエドモンは捕らえられていた。派閥の者とは引き離され、一人冷たい石造りの牢に座り込んでいる。投獄された昨日にはわめき散らしていたが、誰にも相手にされない為に今ではぶつぶつと言葉にならない声を上げ続けていた。


「ユンク伯爵様」


 聞き覚えのある声にエドモンは顔を上げ、牢の外に跪く茶髪の人物に仰天する。


「オスビー!」

「お静かに。見張りの者が来てしまいます」


 そこにいたのはカールスの密偵、オスビーだった。しかし注意されたにも関わらず、エドモンは声を上げ続ける。


「今頃何をしに来た! 貴様のせいで、貴様のせいで俺は捕らえられる事になったのだぞ!」

「……だから言ったはずだ。エリザベートに油断するなと」


 がらりとオスビーの口調が変わる。まとう雰囲気の変化に喉がひりつくような感覚を覚え、エドモンが口をつぐむ。

 オスビーがゆっくりと頭を上げた。その顔は平静そのものであったが、体中から発せられているのは明確な怒気であった。


「私がここにきた理由がまだわからないのか?」


 オスビーの右手が揺らぐ。すると牢にかけられていた大型の錠が二つに割れ、ゴトリと床に落ちた。その右手には無骨なナイフ。彼はそれを握ったまま、エドモンの牢へと足を踏み入れる。


「まさか……だっ、誰、かっ」


 オスビーの目的を理解したエドモンが、声を上げて助けを求めようとするも、既にオスビーは彼との間合いを一瞬で詰めていた。

 不審な物音を確認に来た見張りの兵士が目にしたのは、壊された牢と、喉を引き裂かれて事切れたエドモンの姿だけだった。


 同日、ユンク伯爵領の領館において火事が起き、エドモンの母他、数人の使用人が犠牲となった。焼け落ちる建物の中から、幾つかの手紙が消えた事に気付く者はいなかった。

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