第19話 決着

 教会が夜の鐘を鳴らし、窓の外がすっかり暗くなっても、ホールから立ち去る者はいなかった。

 傍聴の貴族たちは皆、黄金色の瞳をした少女の語りに引き込まれている。彼女は視線が集中する証言台に立ちながら、決して怯えず、媚びず、堂々と答弁している。その姿は彼らの心を掴み、一挙手一投足を目で追いかけるまでになっていた。

 彼女が語る恐るべき怪物に息を呑み、自らを囮にした逃走劇を手に汗を握りしめながら聞き入る。でたらめだと笑えはしなかった。なぜなら彼女の真後ろに、その恐るべき怪物を打ち倒した証し。剥ぎ取られた毛皮が置かれていたためであった。

 皮となってもその存在感は失われていない。むしろ焼け焦げた部分などが一目でわかる今の状態は、彼女たちの激戦を裏付け、対峙している相手から反論の余地を奪う効果をも上げていた。

 そして遂に怪物が罠にはまり、騎士たちに打ち倒されたと公爵令嬢、エリザベート・クラネッタが語り終えると、貴族たちは一斉に安堵の息を吐いた。そのときには既に、彼らの眼差しからエリザに対する疑いは取り除かれていた。



「怪物退治について、私からお話することは以上です」

「……見事だ。クラネッタの娘よ」


 俺が話し終えると、法壇の上段で沈黙を保っていた国王陛下が初めて口を開いた。その静かな一言が決め手だった。陛下の言葉を聞き逃さなかった貴族の一人がいち早く立ち上がって拍手し、他の貴族たちも慌ててそれに続く。十秒としないうちに、ホールは万雷の拍手に包まれた。それを俺に送る者たちの中には、エドモンの派閥の貴族も含まれていた。

 下段からその様子を眺めていた宰相閣下が手をかざし、ホールに再び静寂が訪れる。閣下は貴族たちが座るのを確認してから、エドモンへと向き直った。

 奴は自身の席から立ち、呆然としていた。色黒の顔が、僅かに青くなっている。自分が負けるとは欠片も考えていなかったのだろう。


「ユンク伯爵。貴公からエリザベート嬢の答弁に対する質問、反論はあるか」


 宰相閣下に話しかけられ、ようやく自失を脱したエドモンが周囲を見渡す。傍聴の貴族達が、冷めた目線をエドモンに送っている。助けを求めるように奴が派閥の者たちに目を向けると、我関せずといった風に目線をそらした。

 エドモンが企んでいたであろう、周囲を敵で固め、威圧することで相手の発言を奪う状況が、全く逆の立場で生じていた。

 味方を探すエドモンと目が合う。俺と目を合わせた一瞬だけ、憎しみの感情からかその目に力が戻った。しかしこれ以上の発言は自身の首を絞めることを、ようやく理解したらしい。エドモンはうなだれ、ぼそぼそとありませんと答えた。


「ならば先ほどの宣言通り、エリザベート嬢への告発を過ちであったと認めるのだな」

「……はい。お騒がせ致しました」

「馬鹿者! 頭を下げる相手が違うわっ」


 エドモンが法壇に向かって謝罪するも、宰相閣下に一喝される。老人とは思えぬ大喝に、奴は叱られた子供のように縮こまった。そして悔しさで肩を振るわせながら、俺に向かって頭を下げる。


「っ申し訳、ありませんでした」

「よろしい。この度の誤った告発に関しての処分は、貴族法に則って行われる。沙汰を待つように」

「……はっ」

「エリザベート嬢も、それでよろしいかな」


 宰相閣下は悄然しょうぜんと返事をしたエドモンを一瞥した後、いたわりを込めた口調でこちらに確認を求めた。


「はい。問題ございません。ただ……」

「どうかしたのかね」

「ユンク伯爵について私から一つお知らせしなければならない事がございます」



 公爵令嬢、エリザベート・クラネッタのエドモンに対する告発は、貴族たちの度肝を抜いた。


「私に対する告発は、ユンク伯と王国転覆を目論む者達との共謀の一部です。東部騎士領における謀反の計画、その障害となるクラネッタ公爵家を排除するためのものだったのです」


 そういってエリザは、エドモンに関する情報を開示する。まずユンク伯爵領の収支を提示し、続いて今回の告発に連名した東部騎士に対する資金援助額を上げていく。その総額はあまりに大きく、伯爵の財力だけで賄いきれないのは一目瞭然であった。ホールがざわつき、自身の計画が筒抜けであったことに目を見張るエドモンへ厳しい視線が向けられる。


「反王国の協力者から資金を得たユンク伯は困窮した騎士達につけいり、援助と引き替えに謀反を唆しました」

「で、でまかせだ! 謀反など考えたこともないし、資金の援助など行っていない!」

「証拠と、そして証人がございます」


 声を裏返して否定するエドモンに対し、エリザはそう言ってうしろの入り口に向かって振り返る。すると扉が開かれ、鮮やかなくれないの髪と瞳をした小柄な少女がホールに足を踏み入れた。その身は、エリザと同じデザインの純白のドレスに包まれている。


「ユンク伯爵夫人……?」


 貴族の一人が、少女の名前を呼ぶ。意外な人物の登場に彼らが首をかしげていると、鶏を絞め殺したような悲鳴が原告席から上がった。


「セシール! その格好はなんだ。なぜ貴様がここにいるのだ!」

「お分かりになりませんか、あなた。いえ、謀反人エドモン・ユンク」


 セシール・ユンクは髪先が少しはねた長い紅毛をなびかせながら法壇に近づき、国王と宰相にお辞儀する。そして、証言台のエリザにも深く礼を行い、その傍らに立った。


「貴様ァ! 裏切ったのか!」

「ユンク伯を取り押さえよっ」


 激高したエドモンがセシールにつかみかかろうとするも、すかさず壇上の宰相ロジェから指示が飛び、密かに背後に回っていた近衛の兵たちがエドモンをホールの床に押さえつけた。セシールはその姿を冷たく見下ろした後、証言台に立った。



 八月末の深夜。宰相ロジェは王都にあるクラネッタ邸の応接室で、二人の少女と密談していた。


「これが、私の知る全てです」

「なるほど、他の騎士領主が告発に連名したのは、ユンク伯に資金援助を受けたからだったのですね」

「お恥ずかしい話ですが、私の実家も援助を受けておりました。オベールに届けられた密書がこちらになります」


 ユンク伯爵夫人セシールが、応接間の机に手紙などの証拠を広げ、嫁入りした伯爵家の悪事を暴いている。それを黄金色の瞳をした少女、公爵令嬢エリザベート・クラネッタが椅子から身を乗り出しながら覗いていた。

 ロジェがセシールに会うのは二度目である。かつて自身が主催した夜会において、夫のユンク伯に連れられた彼女と顔合わせをしたことがあった。その時の受け答えで抱いた理知的な印象は間違いではなかったと、無駄なく話を進める姿に感心しながら思う。

 だがそれ以上に彼を驚嘆させたのは、数日前に初めて出会ったもう一人の少女、エリザベートだった。

 先日彼女が宰相邸へ来訪してきた時は、告発に動揺し、助けを求めてきたのかとロジェは考えていた。

 しかし実際に面会すると、エリザは落ち着き払った態度で審問会の日取りを聞いてきた。更にその胆力に驚く彼に対して、伯爵夫人の訴えを用いた告発への反撃を提案したのだった。三年前、飢饉の援助を受けた際にクラネッタの者たちから耳にした、傑物であるという噂。それが偽りではなかった事をロジェはこの時確信する。


「宰相閣下。この通り証拠も揃っています。あとは……」

「証言に対する誓約書を交わすのであったな」

「さようでございます」 


 エリザが美しい黄金色の瞳を嬉しそうに細める。これが、彼女の提案であった。

 セシールに証言をそのまま行わせては、クラネッタとセシールの実家オベール双方に不安が残る。クラネッタ側はもちろん、土壇場でユンク伯爵家に有利な発言をされる危険性。そしてオベール側は、ユンク伯爵家を裏切った後の保証が無い事だ。

 そこに信頼の置ける第三者を交えた誓約をすることで、双方の不安を取り除こうというのである。誓約が記された三枚の羊皮紙が用意され、全てに三者のサインがなされた。


「オベールは審問会で証人となることを誓い」

「クラネッタはユンク家に代わるオベールの寄親となる事を約束する」

「そして双方の誓いの立ち会いを宰相である儂が行う」


 各々が自らの誓約を口にし、顔を見合わせる。互いを見つめる瞳には、信頼できる相手への敬意が含まれていた。



 セシールが証言を終えた。先ほどまでエリザへの告発の決着や、セシールの登場などでざわめきが絶えなかったホールが、今はしん、と静まりかえっている。

 首謀者の妻がもたらした謀反の計画、その裏に潜んでいた者が、不気味なまでに大きな存在であることに気づいた為であった。彼女の提出した証拠の密書を確認しながら、ロジェが貴族たちに言い聞かせるように、証言について尋ねる。


「それではそのカールス商人、オスビーという男が、裏でエリザベート嬢に対する工作を行っていたのだな」

「間違いございません。オスビーの出入りが多くなった春頃から、エリザベート様に対する不審な噂が流れ始めています。今回の告発に連名した騎士領からなるユンク閥も、かつてかの男による不自然なまでの資金提供によってなされたものです」

「それはいつ頃のことか」

「派閥が出来たのは二年ほど前です。私が嫁入りした三年前には、既にユンク家の出入りの商人となっていました」


 黒幕のあまりの周到さに、貴族たちは不安におののく。七十年の安寧で築いた権益が、危うく崩れ去るところであったのだ。その恐れがそれを呼び込んだエドモンに対する敵意となり、会場は殺気立つまでになっていた。


「嘘だ。嘘だっ、そんな者は知らない! その小娘達と宰相が、俺を嵌めようとしているんだ!」

「見苦しいぞっ。エドモン・ユンク!」


 エドモンが苦し紛れに漏らした世迷い言は、ホールの扉を隔てて響いた、若く張りのある声に喝破かっぱされた。そして再び開かれた扉から姿を現したのは、金髪碧眼の美丈夫、王太子レオンであった。



 王太子殿下は、かつて舞踏会で召されていた青いベスト姿だった。登場を知っていた俺とセシールはドレスの端をつまみ、いち早くお辞儀をする。


「殿下!」


 唐突な介入に貴族たちも慌てて頭を下げた。殿下はその間を大股で通り抜け、エドモンへと近づく。


「殿下っ、私は殿下の為に告発を行ったのです! あなたは奸臣の言を容れ、この忠臣を殺すおつもりですか!」


 近衛に抑えつけられながらもエドモンは顔を上げ、恩着せがましく殿下に助けを求める。しかし、返されたのはその浅ましさを一蹴する一言だった。


「エドモン、貴様の罪は明らかだ」

「な、なにを根拠に……」

「派閥の者を引き連れて来たのが仇になったな。ほとんどの者が貴様に唆され、告発への工作に荷担したことを認めたぞ」

「なっ」


 エドモンの顔色がいよいよもって青くなる。殿下は傍聴の席を振り返り、エドモンを見捨てていた派閥の者達にも厳しい沙汰を行った。


「貴様達が工作を主導する一員であったことも調べがついている。素知らぬ振りをしたところで無駄だ。近衛兵! その恥知らずどもを捕らえよ!」


 瞬く間に彼らは捕らえられ、エドモンの派閥は完全に瓦解した。その逮捕劇を見た宰相閣下が、開会の時と同じどっしりとした声で告発の決着を告げる。


「エリザベート嬢の告発で、エドモン・ユンクらの罪は明らかとなった! 貴族法に則り、国家反逆の徒を即時投獄する。異論無き者は拍手をもって賛意を!」


 エドモンが何か叫んだようだったが、一瞬でわき上がった拍手に呑み込まれ、それが耳に届くことはなかった。エドモンらが引っ立てられてホールから消えて拍手が収まると、宰相閣下が証言台の脇に立っていた俺に話しかけてくる。


「エリザベート嬢」

「はい」

「この度の働き、誠に見事であった。後日、陛下から恩賞がたまわれよう」

「ありがとうございます」


 腰を落とし、深々と頭を下げる俺を、法壇のお二方と側に来られていた皇太子殿下は満足そうに見ていた。


「それではこれにて閉会とする! 救国の聖女エリザベート・クラネッタを、今一度盛大な拍手で見送ろうではないか!」


 拍手の嵐の中、俺はエミリーとセシール、そして端に控えていた騎士達を引き連れ、堂々と退出した。俺たちがホールを出て王宮の廊下を曲がるまで、それが鳴り止むことはなかった。 

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