第17話 クラネッタの怪物退治 3

 怪物との接触から八日後の午後、領館にベルナールが御する幌馬車が到着し、怪物退治の材料が揃った。


「ベルナール! 早かったな。替え馬は滞りなく受け取れたか」

「おかげさまで。快適な旅を過ごせましたぜ」


 一日でも早く到着させる為に、俺はアミーンとスパリングの間にある町々に伝令を走らせ、元気な馬を用意させていた。急な頼みであった為、一回でも交替できれば良いと考えていたが、立ち寄った町全てで準備がされていたという。おかげで予想よりも日数を短縮する事が出来た。


「お望みどおり臭う黄色い石を運んで来ました。それで、一体こんなものをどうするっていうんです?」


 御者台から飛び降りたベルナールが、荷台に積まれた硫黄を摘まみながら不思議そうに尋ねる。


「火薬というものを作るのに使う。僅かながらアミーンにその黄色い石、硫黄を持っていたものがいてな。それを使った試作品が出来たところだ」

「火薬、ですか。聞いた事がありませんな」

「見れば分かるよ。アミーンの外で試作品の実験を行うから、ベルナールも付いてきてくれ」



 都市壁外にある訓練用の空き地で俺の実験に立ち会ったのは、討伐に参加したエミリーと騎士達、村の避難民。そして今回無理を聞いてもらった父上だった。報告も兼ねた立ち会いである。


「エリザ。それが怪物退治の秘策かい? 布で包んだ筒のようだが」

「はい。これは火薬といい、この中には先程ベルナールが届けてくれたものと同じ硫黄。炭焼き職人達に用意させた木炭。耕作地に加えている硝石が砕かれ、練り合わされて入っています」

「硝石というと、あの土や屎尿しにょうから取り出したという肥料か」

「ええ、これは筒の中にある硫黄と木炭を燃やす為に使います」


 父上の力添えも勿論の事であったが、これほどまでに早く試作品が出来たのはクロードの功績が大きい。先触れの騎士が俺たちよりも一日だけ早く到着していたのだが、彼はそのたった一日で指示していた材料を一通り揃えている。後にベルナールがスパリングから持ってきた硫黄でさえも、町の鉱物商などにあたり、少量ながら用意されていた。その事によって火薬の配合の比率を確かめられ、幾つかの失敗をしながらも短期間で実用段階にまで精度を引き上げる事が出来たのだった。

 多忙の為今回の実験には同行していない彼に心の中で礼を言い、父上への説明を続ける。


「これはこのような見かけですが、とても大きな力を持つものです。それをご理解頂くために、今日はお忙しい中、立ち合いをお願いしました」

「……わかった。心して見届けよう」


 いつにもまして真剣な表情になっている俺からただならぬ雰囲気を感じたのか、父上は親ではなくクラネッタ領主としての顔つきに変わる。俺は父上に頭を下げた後、俺たちに遠慮して離れていた立ち合いの者達に向き直り、実験の開始を宣言した。



 騎士達が訓練をする時と同じように巻藁が立てられ、そこから二十メートル程離れた位置で俺とエミリーは準備を始めた。父上や他の人々は、更に後方で様子を見てもらっている。

 用意されているのは先ほどの火薬と、木綿のより糸に溶かした硝石を浸した着火用の火縄、そして俺が先日使っていた弩弓アルバレートだ。火薬を弩弓用の短い矢に括り付け、弦の引かれた弩弓に乗せる。飛距離は少し落ちるものの、これでも問題なく飛ぶことは同量の砂を入れたモックで確認している。


「姫様。火縄の準備、出来ております。いつでも始められます」

「ああ、ありがとう」


 空いていた左手で火縄を受け取り、火薬の導火線に近づける。しかしあと僅かという所でその手の動きが止まった。火薬を付けた弩弓を持つ右肩が、途方もなく重く感じられる。それは、これから先起こりうる悲劇の責任が、一斉に圧し掛かってきたかの様だった。その汚名を背負う覚悟を問われていた。


――それでも、守りたい人達がいるんだ。


 村人を、父上と騎士たちを、そしてエミリーを見つめる。その時には、もう手が動かせるようになっていた。俺は導火線に火をつけ、巻藁に向ってまっすぐに矢を放った。



 目の前の出来事が、クラネッタ領主ダニエルには現実のものとは思えなかった。自らの娘が巻藁に矢を当てたと思ったら、数瞬後に閃光と白煙、爆音が生じ、それが止んだ時には巻藁は跡形も無くなっていた。

 そしてダニエルらの近くに来た娘は、彼同様驚きを隠せない騎士や村人たちに、幼くも力強い声で語ったのだ。これさえあれば怪物を恐れる事はない。必ず村を救ってみせると。苦しみぬいてきた村人たちは歓喜の涙を流し、怪物に仲間を傷つけられた騎士たちからも勇ましい喚声が湧き上がった。


「エリザ……君は一体」


 何者なのか。その言葉が出そうになるのをダニエルは必死に呑み込んだ。それを言ってしまった途端、愛娘を失ってしまうかのような悪い予感を抱いたからである。しかし、途中まで出かかっていた言葉が、彼女の耳に入ってしまっていた。エリザがダニエルに近づき、今まで見たことのない、年を重ねた大人のような憂いを帯びた表情で話しかけてきた。


「……父上、それと母上に大事なお話があります。領館に参りましょう」



 このような日が来ることは、うっすらと予感していた事だった。傾きかけた日が差し込む自室でひとり部屋着に着替えながら、火薬の威力を見た父上の顔を思い出す。驚愕、困惑、そして僅かな恐怖を含んだ表情を。

 明確な破壊を齎す兵器を知る娘の姿は、父上の目にどのように映ったのだろうか。しかしどのように見えたとしても、このまま黙っている訳にはいかなかった。沈み行く日を一瞥し、着替えを終えた俺は両親の待つ居間へと向かった。

 居間の暖炉には既に火がくべられていた。幼いアドルフ達は眠りにつき、この場にいるのは暖炉の近くのソファーに向かい合って座る俺と両親、そして彼らに給仕をしていたエミリーだけだった。


「エミリー。そのまま残ってくれないか。君にも聞いて貰わなければならない話なんだ」

「承知いたしました」


 俺の分の紅茶をサイドテーブルに置き、頭を下げて退室しようとする彼女を呼び止める。エミリーは再度俺達にお辞儀をし、俺の後ろに控えた。


「エリザ。お話って何かしら。また何か面白いものでも考えついたの?」

「いいえ、今日は違います。父上。母上。私はお二人に謝らなければならない事があるのです」


 俺と揃いの白の部屋着を着た母上は、父上の顔色が蒼白に変わったことでただならぬ空気を察した様だった。それでも彼女はそっと微笑み、優しく話を促してくれた。全てを受け入れるようなその笑みに背中を押され、俺は勇気を振り絞って口を開く。


「私は、あなた方に黙っていた事があります――」


 全て話した。前世の人生、事故に遭い命を落とした事。神に転生させられ、国を救うよう依頼された事。父上は何も喋らずに、母上は頷きながら話を聞いていた。


「これが、今まで隠していた事の全てです。本当に、申し訳ありませんでした」


 ソファーを立ち、跪いて頭を下げる。二人は口を開かない。無理もない事だ。自分で話していても荒唐無稽で、おかしくなったと思われていても仕方が無かった。もし信じて貰えていたとしても、到底許されることではない。それでも俺は、厚かましいと知りながらも頭をあげ、一つの頼みを口にする。


「今まであなた方を騙してきた事に関する罰は如何様にもお受けします。ですが、それを行うのはかの怪物を退治してからにして頂きたいのです。火薬を使いこなす知識は私しか知りません。クラネッタの領民を苦しめる災いを取り除いた後に、お裁きを受けたく存じます」

「馬鹿者……」


 父上がそう呟き、立ち上がって近づいてくる。殴られようとも構わなかった。それだけでは償いきれぬほど長い間、俺は彼らを騙してきていたのだ。しかしその手のひらが拳の形に握られる事は無く、父上は俺を固く抱き締めてきた。


「あなた方などと、そんな言い方はするなっ。エリザっ!」

「ち、ちうえ」

「そうだ、お前は私の、私達の娘だ」

「その通りよ。エリザ」


 母上も側に来てしゃがみこみ、抱き締められている俺の頬をいとおしげに撫でた。


「私達はあなたが居た事でとても幸せになれた。あなたの笑顔はいつも私達を嬉しくさせたし、教えてくれた様々な事は、私達だけでなくクラネッタの人々も幸せにしてくれた。それは誰でもない、エリザ、あなた自身が私達にくれたものなのよ」

「母上……」

「ダニエルも私も、貴女が娘だからという理由だけで愛しているのではないの。貴女の優しい心がいとおしいから、心の底から愛しているのよ。そうでしょう? ダニエル」


 母上がそう言うと父上は俺を痛いくらいに抱き締める。


「ああ。リリアーヌ、その通りだ! この子は私達の誇りだ。愛しい我が子だ。例え天使だったとしても、決して天に還らせはしないっ。エリザっ」

「父上っ、母上ぇ」

「あらあら、もうお姉ちゃんなのに、急に泣き虫になっちゃったのね」


 感極まり、俺は二人に泣き縋った。しかし母上の目の端にも光るものがあったし、抱き締められていた時に父上の顔があった側の肩は、かなりの湿り気を帯びていた。俺達はそれが妙におかしく、暫し笑いあった。


 両親に頷き、俺は少し離れた所で控えていたエミリーに向き直る。彼女の口元は微笑み、目元はほんの少し赤くなっていた。


「エミリー」

「はい」


 彼女の名前を呼ぶと、いつもの通りの調子で返ってくる。それは、今の話を聞いてなお、側に居てくれると言外に告げているようだった。


「君にも黙っていてすまない。こんな私だが、これからも共に居てくれないだろうか」

「姫様のお望みのままに。何時までも、何処までもお供いたします」

「ありがとう……」


 迷い無く返された答えに、再び瞳が潤みだす。その様子を、父上と母上は嬉しそうに見ている。


「エリザ、良い家臣を持ったな」

「はい。得がたき家臣、そして大切な友です」


 この日、俺は本当にクラネッタの一員となった。



 五日後。避難した村人達の協力もあり、怪物退治の準備が全て整った。翌日に出発を控えたその夜に、俺は騎士達を領館の会議室に集め、作戦を説明する。


「火薬は強力だが、あの身軽な怪物に全て当てるのは至難の技だ。奴を確実に仕留める為には逃げ場の無い場所に誘導する必要がある。そこで、村に近いこの地形に誘い込む」


 テーブルに地図を広げ、村の近くにあるベルギム山脈の東端を指差す。村長によれば、そこに幅数メートルの隘路があるという。


「崖の間にある隘路ですな。熊が入ったら上から前後に岩を落とすということでしょうか」

「ああ。岩を木の板で止め、怪物を誘う囮役が抜けた直後に落とす。ベルナール、君とグレゴリーは崖の両側に伏せ、上から弩弓アルバレート隊の指揮を執って欲しい」

「お任せあれ」


 頷く騎士達の中から、グレゴリーが質問を投げかけてくる。


「姫様。ベルナールと私が崖の上で待ち伏せを行うとなりますと、囮役の選定はいかがしましょう。身軽な騎士をお使いになられますか?」

「いや、囮役はもう決めている」


 騎士達が武者震いをする。誰が選ばれるのか、主の次の言葉を待っていた。俺は、そんな彼らを驚愕させる一言を放った。


「この、私だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る