第14話 伯爵の切り札

「かの令嬢の名の下に、薬用アルコールなる怪しげな液体を大量に販売しています」

「それは慣れぬ鉄製の大型農具を使い始めたことで増えた傷を、悪化させない為の薬です。一部の地方では酒精の強い酒で傷を癒すと聞き、酒造職人の協力を得て開発しました」


 審問の開始から三時間近く経ち、会場のホールに赤い夕日が差し込み始めた。王宮の召使が夜に備えて明かりの準備をするのを目の端に捉えながら、何とかクラネッタに叛意ありとこじつけたい黒髪の大男、エドモンの告発に、重臣たちの意見を聞きながら準備していた想定問答の通りに反論する。そのおかげで、審問はクラネッタ優位に進んでいた。


「この薬用アルコールですばやく傷を洗い流し、沸かした湯で洗った布で包むと、今までは天に祈るしかなかった傷からの病の発生を殆ど防ぐ事が出来ます。これにより我がクラネッタ領の農村部で、傷の病で腕や足を悪くするものはほぼ皆無となりました」


 そう言って証言台から傍聴席を見渡すと、各地の小・中規模領主が椅子から身を乗り出し、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けていた。商業規模の小さい彼らにとって農民は貴重な収入源である。傷の絶えない農作業によって身体を壊される事は、まさしく彼らの実入りの低下に繋がる。上級貴族も平静を保ちつつも、耳だけはしっかりと向けているようだ。農民達をそういった目でしか見られない彼らに内心嫌気が差しながらも、どちらに味方すれば利があるのかを暗に説いていく。聞き入る貴族たちの中には、エドモンのシンパと思われる者達もいた。長時間の審問にも関わらず、席を立つものは殆どいない。

 ここにきてようやくエドモンは、俺がこの場で他の貴族の取り込みを行っている事に気付いたようだった。何とか場の主導権を取り戻そうと、自席から声を張り上げて俺の答弁を遮り、傍聴の貴族に訴えかけ始める。


「皆様っ、甘言に耳を貸してはなりません! この魔女の釜に自ら飛び込むおつもりですか!」

「ユンク伯爵! 口を慎みたまえ。審問を受ける身とはいえエリザベート嬢は公爵家の長子。パスティア教の教えに反している訳でもない彼女を魔女と謗るのは、貴族法に抵触する行為だとわきまえよ!」

「……いえ、宰相閣下。事実そうなのです。その証拠をお見せいたします」


 魔女、国教でもあるパスティア教の教えを守らぬ外法の輩であるという言いがかりに反論する前に、法壇のロジェ宰相からエドモンに対する叱責が飛んだ。しかし彼は一瞬怯んだものの、こちらにニヤリと嫌な笑みを向けた後、宰相閣下に言葉を返す。そして側に控えていた自らの付き人の男に木箱を持ってこさせ、そこから端に細い紐の付いた筒状のものを取り出した。それは俺にとって見覚えのあるものとよく似ていた。


「ご覧下さい。これがかの魔女が王国転覆の為に用意したまじないの道具! 業火をもたらす火薬です!」

「ただの布で出来た筒に見えるが、それがどう業火となるのだ」

「今からお見せしたく思いますが、ここでは危険過ぎます。中庭と燭台をお借りしてもよろしいでしょうか」


 宰相が上段の王に伺い、許可を得ると、エドモンは先程の付き人に筒と火のついた燭台を持たせてテラスから中庭に行かせる。そこで彼は端の紐、導火線に火をつけた後、庭に被害が及ばぬよう空高く放り投げた。


 直後、雷の如き閃光と爆音が王城の中庭を震わせた。ホールの窓やガラス張りのテラスはその衝撃によってバシンと激しい音を立て、一部にはヒビが入った。だがそれよりも乱れたのは列席していた貴族達だった。

 初めて目の当たりにした火薬の威力に傍聴の椅子から転げ落ちる者、悲鳴をあげる者、扉から逃げようとする者と様々であったが、皆一様に恐怖の表情を浮かべている。


――すこし、まずいな。


 火薬の存在を隠していたわけではない。領内でそれを知る者は家臣団の他にもいたが、危険物である為に製法の秘匿や実物の管理はクラネッタ家が全て行っていた。それ故に告発の材料として言いがかりを付けられる事は予測するも、実物を用意する事は難しいだろうと考えていたのだ。しかし作ったか盗んだかはとにかく、実際にあれ程の爆発を見せられてしまった。

 混乱がようやく収拾した数分後。証言台に立ち続けていた俺は、貴族たちから今までにない警戒の気配を感じていた。動揺していないのは法壇の陛下と宰相閣下、そして自席で勝ち誇った笑みを浮かべるエドモンだけである。流れが再び変わり、傍聴の貴族たちの心は、一気にエドモンに傾いていた。


「この火薬なるもの、一度火を付ければ四方に業火を撒き散らし、近くにあるものを焼き尽くします。さあっ、何故このようなおぞましきものを作ったか! 理由を述べられるものならやってみるがいい!」

「そうだ、我々は、説明を求める!」

「これが魔女のわざでないのなら、なんだというのだ!」

「答えよ!」

「答えよ!」


 エドモンが指を向けて詰問してくる。品位の無い激しい糾弾であったが、火薬の威力におののく貴族達にはそれが恐怖から救われる唯一の道に見えたのだろう。いたるところからヒステリックな同意の声が挙がる。


――なるほど、これが奴の切り札というわけか。


 考えての事とは思えなかったが、エドモンは貴族達の恐怖心を上手く煽った。この状況で当初予定していた、獣除けや岩盤の発破といった火薬の利用法を紹介する答弁をしては、彼らの恐怖心を取り除けずに魔女として、国賊として罰せられる事になっていた事だろう。だがそんな状況に置かれているというのに、俺の心は逆に静まり始めていた。


――持つべきは思慮深い家臣達だ。


 俺自身は可能性は低いと考えていたが、このような事態を憂慮していた者達がいた。一人はクラネッタ騎士団の中隊長ベルナール。そしてもう一人は俺の初めての家臣だった。

 証言台の右、クラネッタ側の席に目をやると、先程まで俺の影の如く控えていたその姿は無い。しかし、何も言わずとも動き始めていた事に、彼女の理解と信頼を感じ、それに背中を押された俺は再び口を開いた。


「ご説明しましょう。それは、ある怪物を打ち倒す為に作り上げたものです」

「…………ははっ。馬鹿にするなっ! そのような戯言で言い逃れられるとでも思ったか!」


 エドモンが乾いた笑いを上げた後、わざとらしいまでに激昂する。傍聴の貴族達は平然と答弁を始めた俺に気を取られていたが、エドモンの叫びに同調しはじめた。


「金髪の小娘がっ。公爵家の威光を笠に着て、我ら由緒ある貴族を愚弄するか!」

「怪物などと、魔女と思えば気狂いの類であったか!」


 そうだ、そうだと貴族達は勢いづき、罵声すら飛び始める。そこにまさに勝利宣言よろしく、エドモンが法壇と証言台の間に立ち、両手を左右に大きく広げて再び声を上げた。


「もしあの火薬が必要な程の怪物を打ち倒したというのならば、その証拠を見せよ! さすれば私は貴様を告発したことは過ちであったと認めよう!」

「でしたら、お見せいたしましょう」


 出来るはずがない。そう高を括り、緩み始めていた奴の表情が引きる。そして俺は自身の背後、ホールの入り口の扉の向こうに相棒の慣れ親しんだ気配を感じ、腹の底から声を上げて呼んだ。


「エミリーっ! 我らクラネッタの怪物退治、その武勲の証をここへ!」

「はっ!」


 間髪いれずに返された言葉と共に扉が開かれ、メイドのエミリーが先頭で入ってくる。そしてそれに続く10名の屈強な男たち、グレゴリー中隊長率いる騎士達が運び込んだものを貴族達が目にした途端、ホールに渦巻いていた罵声は瞬く間に止んだ。

 静まり返ったホールの証言台から、目前で手を広げたまま硬直する敵に、俺は今日一番の笑顔を向ける。


「それでは、お話させて頂きましょう」

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