第12話 浮浪児たち 中編

 急ぎ領館に戻り、呼びつけていた医師に治療を任せる。そしてその後の食事の席で父上と母上に事情を説明すると、苦笑しつつも少年を保護する事を許してくれた。ミルクをたっぷりと入れた食後の紅茶を楽しみながら、今一度俺は両親に頭を下げる。


「先程は順序が逆になり、申し訳ありませんでした。急を要する事態でしたので」

「先触れの者に話は聞いていたから気にしなくてもいい。それよりも、外は楽しめたかい?」

「はい。それと耕作におけるいくつかの改善点も見つける事が出来ました」


 俺の言葉に両親が目を丸くする。いくら俺をただの子供ではないと考えていたとはいえ、五歳児とは到底思えない言葉に驚きを覚えるのは当然の事だろう。しかし二人は、子供の戯言と笑ったり、不気味がらずに俺の意見を聞いてくれた。


「エリザ、どんなところが気になったの?」

「先ずは農具です。鎌は丈夫な鉄製でしたが、すきくわは木製のものが殆どでした。あれでは脆く、すぐに壊れてしまいます。実りを良くする為に深く耕す事にも向きません」

「だが働く多くの農夫に行き渡らせる為には、ああいったもので賄うしかない」


 母上の問いに答えると、父上が少し困った顔をした。確かに今の農夫全員に鉄製農具を渡すのは、現実的とは言えないだろう。


「はい。大勢の農夫を使っている今までのやりかたでは難しいでしょう。ですが馬と、それにあわせた農具を使えば、より少ない人手でより多くの収穫を得る事が出来ます」

「それは夢のような話だが、馬かい? あれは動きこそ早いが、牛に比べて体力が無い。農作業に向いているとも思えないが……」

「いえ、馬は体力が無いわけではありません。ただ牽引する馬具のせいで、馬の本来の力を出し切れていないのです。そうですね……エミリーっ。ちょっと来てくれ」


 食堂の隅で待機していたエミリーを呼び寄せる。そして彼女にしゃがんでもらい、その背後から腕を回して首の前で指を組んだ。


「簡単なものではありますが、これが今の馬具です。エミリー。このままゆっくりと立ち上がってみて。ちょっとでも苦しくなったらすぐにしゃがんで」

「かしこまりました」


 言われたとおりにエミリーがゆっくりと立ち上がる。自然首に回された手によって俺は彼女の首を支えにぶら下がる状態となった。10秒ほど立ってもエミリーがしゃがまないので、もういいと降ろしてもらった。


「どうですか、父上、母上。エミリーは少し苦しそうに見えませんでしたか」

「いや、あまり……」

「エリザは愛されているわね」


 妙な両親の返答を訝しく思い、目線を下に向ける。するとそこには息を乱しながらも恍惚の表情を浮かべ、なにやら呟くエミリーの姿があった。


「あの姫様が私に甘えて、子供のようにぶら下がって。ああ、愛らしすぎます姫様……」

「エミリー。話をややこしくしないで。首に手を回されて苦しかったよね」

「はっ!? しっ、失礼致しました! はいっ。少し息苦しく感じました!」


 声を掛けられ正気に戻ったエミリーが、直立して発した言葉に説明を続ける。


「こうして首が絞められますので、馬は十分に力を発揮できません。ですが次のようなやりかたであれば、馬を疲れさせず、数倍の力を発揮させる事ができます。エミリー。悪いけどもう一度しゃがんでもらえるかな」


 再びしゃがみこんだエミリーの背後に立ち、今度は両肩を掴んで立ち上がらせる。


「どう? さっきよりも随分と楽になったんじゃない?」

「はい。全く問題ございません」


 背中に張り付くようにぶら下がった俺からは見えないが、エミリーの声に辛そうな響きは無かった。降ろしてもらった後、二人にこの違いをアピールする。


「このように肩に力が掛かるようにすれば、より力強く引っ張る事ができるのです」

「背負いかごのようなものなのね」

「はい。その通りです」


 母上の言葉にわが意を得たりと深く頷いた。父上は考え込んでいる。どうやったら馬の肩で引っ張る馬具を作れるか考えているようだった。


「父上。もう馬具の形は考えてあります」


 そう言ってエミリーに書くものを用意してもらい、拙いながらも図にすると、父上の目の色が変わった。


「すぐに職人に取り掛からせよう。この大きな首輪のような部分は革で出来ているのかい?」

「はい。ですが馬が嫌がらないように内側に布を……」


 馬具の打ち合わせはとんとん拍子に決まった。父上の柔軟な態度によってなされた、新たな馬具『肩首輪』とそれにあわせた鉄製農具『重量有輪犂じゅうりょうゆうりんすき』の導入は、これまでの農業を変えるほどの大きな影響をもたらす事になる。それは収穫量の増大だけでなく、畑の形や管理方法、強固な村社会の形成など多岐にわたるものだった。



 翌日。エリザらに保護された少年はクラネッタ領館の客間で目覚めた。最初、彼は遂に自分が死んで天国に来たのだと思っていた。横になっていた寝具は、彼の実家のわらとぼろ布のものとは全く違う、柔らかで暖かいものであったし、部屋の内装は彼の知る最も豪華な建物である教会よりも遥かに立派だった。

 そして彼がそう勘違いした最大の原因は、彼が目覚めた後に部屋に入ってきた金髪の童女の、現実離れした美を目にしたからであった。



 少年の様子を伺おうと、朝食を済ませた後にエミリーをつれて客間に入ると、彼は既にベッドの上で半身を起き上がらせていた。


「おや、もう目覚めていたのか」


 青い髪の少年はこちらを見ながらぽかんと口を開けている。自分がどうしてこんな所にいるのか理解できないからだろう。説明をしようと近づくと、彼の口から思いもよらぬ呟きが零れた。


「天使様。僕は死んでしまったのでしょうか」

「天使?」

「だって、ここは天国なのでしょう? こんなに綺麗な所だし、天使様だっている」

「ここは天国ではないよ。それに私も、天使ではない」


 神に転生させられ、国を救えと送り込まれた事を考えれば、ある意味天使といえなくもない。その誤解が案外間違いでもない事にクスリと笑ったあと、背後で小さなバスケットを持っていたエミリーから白パンを受け取る。


「それよりもお腹が空いているだろう。柔らかいパンを持ってきたから食べるといい」


 少年よりも早く、彼の腹が返事をした。顔を赤くした彼だったが、俺から受け取ったパンを恐る恐る齧ると、あとは無心に口を開き、あっという間に食べきってしまった。


「まだまだあるから、焦らなくて良いよ。そうだ。まだ君の名前を聞いていなかった」

「クロード、です。あの、ありがとうございます。天、えっと……」

「失礼。まだ名乗ってもいなかったね。エリザベート。エリザベート・クラネッタだ」


 自己紹介をしながら二つ目のパンを差し出したが、クロードはそれを受け取ろうとしなかった。


「どうしたんだ。遠慮なんて要らないよ」

「あの、エリザベート様は領主様の家族なんですか」

「ああ、そうだけど」

「じゃあ、要りません」

「どうして要らないのか、教えてもらえるかな」

「僕達から麦を奪った人たちの施しは受けません」


 突如頑なになった彼の様子をおかしく思い、その理由を聞く。すると、にわかには信じがたい話が語られ始めた。彼の故郷、クラネッタ領の西端にある小さな村は、父上の名の下、重税を掛けられているとの話だった。自分達の食べる分すら事欠き、食い扶持を減らす為にクロードは都市に来たのだという。


「そんな筈は無い! 姫様のお父上である領主様がそのような事をするものかっ」

「待て、エミリー。もう少し話を聞いてみよう」


 憤慨するエミリーを手で制し、村の惨状を聞き出す。そしてクロードの目を見つめ、必ず村を救うと誓った。


「私が必ずこの問題を解明し、貴方の村を救う。だから今は大人しくこれを食べてはくれないか。今の君に必要なのは、十分な食事と休養だ」


 再び差し出したパンが、突き返されることは無かった。



 クロードの話を父上に報告して二週間が過ぎた頃、調べに派遣した者が現地の代官を捕えて戻ってきた。

 代官は領主の目が届きにくい辺境である事を利用し、より多くの税を徴収して私腹を肥やしていた。不作の年は父上も税の軽減を行っていたのだが、その代官が管轄する一帯だけは勝手に例年以上の税を課せられていたらしい。

 激怒した父上は代官とその一族、そして搾取に加担していた者達をクロードの故郷で公開処刑し、被害を受けていた人々の溜飲を下げさせた。そして俺はクロードとの約束を果たす為、処刑に先だって被害地域に対する税の軽減と、当分の食料の供給を父上に願い出、受理された。


「このような次第だ。クロード。私は約束を守れただろうか」

「はいっ。ありがとうございます……あのっ」

「? どうしたんだい」


 公開処刑と食料の配給が無事執り行われたとの報告を受けた翌日の昼。客間の小さなテーブルで向かい合い、俺から事の顛末を聞いたクロードは礼を言った後、声を上ずらせながら謝罪の言葉を述べはじめた。十分な食事と睡眠を摂らせた事で彼は起き上がれるようになり、その血色は見違えるほどに良くなっていたが、今の顔の赤さは自らを恥じ入るものの様であった。


「姫様。申し訳ありませんでした。僕、以前とても失礼な事を……」

「そう気にしなくていい。只の誤解だったわけだ。それよりもどうする? 故郷に帰ってまた家族と暮らすなら村まで送り届けさせるが……もしよければ、このアミーンで働かないか」


 俺はクロードの高潔さを気に入っていた。慣れない都市で仕事にありつけず、飢え死にしそうになっても盗みだけは働かなかったという。

 そしてクラネッタに保護された後も、誤解からのものとはいえ、悪人からの施しは受けないという毅然とした態度に感じ入り、スカウトを考えるようになっていた。彼は提案に驚きはしたものの、俺が彼にしたように、目線をこちらにしっかりと向けて答える。


「ありがとうございます。姫様は命の恩人ですし、村を救ってくれたお礼もしたいので、僕でよければ働かせてください。でも、姫様のお役に立てるかどうか」

「それに関しては私にひとつ考えがある。クロード。君はアミーンにいる浮浪児に知り合いはいるかい?」

「はい。何人かとは話した事があります」

「よし。それならば話は早そうだ。付いてきてくれ。父上にも君を雇う事を話さなければならないからね」

「はいっ!」


 こうして青い髪の少年、クロードは俺の直属の家臣となった。この時、彼を初めとした浮浪児達に任せる仕事は頭の中にあったが、後に彼が都市運営に欠かせない人物にまで成長するとは、全く予想もしていなかった事であった。

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