四幕『亜人通りの古き女王』Ⅵ



「落ち着いたか?」

「………………………………………………………………ええ、はい」

 随分長い沈黙を経て、エルシニアが応えた。つい十数秒前までは今にもその場で気を失って倒れそうな雰囲気だったが、どうにか踏みとどまったらしい。トバリとしても介抱するのも面倒なので、ありがたいことこの上ない。

「まあ、お掛けなさいな」と来客用の長椅子に座るよう促すティターニアの勧めに素直に従い、トバリとエルシニアは並んで腰を下ろした。ああ、うん。座っただけで、ヴィンセントが用意した事務所の来客椅子より数段上等な品だということが判って、「いい椅子だ」と小さく感嘆の声を上げてしまった。

「貴方に調度品の良し悪しが判る感性があることに吃驚ですね」

「人のことを言う割には、アンタ自身も皮肉ばっかり零れてるぜ」

 皮肉には皮肉でお返しすると、エルシニアは「なんてことでしょう……」と項垂れてしまった。どうやら自覚なく言葉を発していたらしい。自分の発言にショックを受けたらしく、彼女は視線を下にしたまま肩を震わせて沈黙する。

「《血塗れの怪物》。女に悪影響を及ぼすなんて、いつからそんな悪い男になったのだい?」

「なった覚えはございませんよ、と」

 苦言を口にする割には随分と愉しげな笑みを浮かべるティターニア。トバリは大した感慨もなく適当に話を流して、懐から小さなメモを取り出した。

「――今日、お尋ねした理由に心当たりは?」

「その娘を紹介する――というだけではなく?」

 わざとらしく首を傾げるティターニアに、トバリは首を横に振った。

「それなら、あんな子連れのお荷物は連れてきませんよ。最近地上うえで起きている厄介ごとがありましてね。警官ヤードのお友達が言うには、どうも人間ではない何かが、好き勝手やっているみたいでして」

「その根拠は?」

「血が抜けた、干乾びた死体が多数に」

「おやまあ……」トバリの端的な説明に、妖精の女王は僅かに柳眉を持ち上げる。

「――それは確かに……ああ、確かに人間たちにできることじゃあない」

 女王の言葉に、トバリは首を縦に振って同調した。

「そしてそんな死体モノを道端に転がせる存在ヤツってのは、存外限られる。倫敦で今、不可侵の盟約から外れて動いている存在に心当たりは?」

「このイングランドだけでも、私の同胞は結構な数がいる。だけど……」

 女王が、僅かに口を噤んだ。美しい――それこそ人外の美貌を持つティターニアの物思いに耽る様子は、それだけで一つの芸術作品のようだ。凡百の大衆たちであれば、一目にしただけで言葉を失い立ち尽くすことは間違いないだろう。

 しかし相対するのもまた、凡人とはかけ離れた人類種の異端者である。幻想に近い獣の名を冠する青年は、思慮する女王へと言葉を投げる。

「――心当たりがおありで?」

「……一人、ね」

 妖精族の女王は、何処か寂しそうに眉尻を下げながら口を開いた。


「吸血鬼の、まだ若い世代さ――名前は、メアリ=シェリー。恐らくはそのが騒動の渦中にいるはず」


「吸血鬼……」女王の口から零れたその名に、エルシニアは表情を強張らせた。トバリとしては、ああやっぱりか……という気持ちではあったが、同時にその面倒さに舌打ちを零す。

 ――吸血鬼ヴァンパイア。あるいは血命種。他の生き物から血を媒介に生気を吸い取り糧とする〝吸命〟という異能を持つ幻想種ファンタズマだ。

 強靭極まる身体能力は勿論のこと、空間干渉術式アインシュタイン・コードによる空間跳躍及び空間歪曲、確率操作術式シュレディンガー・コードによる物質透過等、干渉術式を呼吸と同義で扱うという、なかなかに反則染みた能力を持つために、近代兵器の多くを始め、物理攻撃は殆ど通用しないばかりか、並大抵の干渉術式コードでは逆に演算介入クラッキングされてしまい、無効化リキャストされてしまいかねない。

 つまり戦うとなった場合、物理的にも、魔術的にも、吸血鬼にダメージを与えるのは難しい。

 幻想種の中では群を抜いた戦闘力を持つ種族であり、相対したくない幻想種の中でも上位五位に選ばれる存在だ。

 もし直接対峙することになれば、逃げるのが最善手だろう。尤も、空間跳躍や美物質透過をする相手から逃げられる俊足があれば――の話ではあり、究極的に生き延びることを目的とするならば、やはり対峙する以外ない――というのが業界的見解である。それも撃退するのではなく、吸血鬼が退散するのを待つ――という意味で、だ。

 本気で倒すとなれば、それこそ御伽噺や伝説よろしくの銀の弾丸シルバーバレッド聖遺物レガリアを組み込んだ武器を持ち出さなければならないだろう。それもその製造過程の複雑さに素材入手の困難さと加え、対幻想種特化の術式を組み立てる厄介さから、一発用立てるだけで破産が確定するような銃弾や、教会が厳重に管理・運用している聖遺物を、一介の傭兵や幻想狩りハンターが手に入れるのは極めて現実的ではないということを除けば――だ。

 だからこそ、幻想種が起こす問題は、教会が率いる退魔師エクソシスト集団『断罪ノ十字架ロワイヤル』が専門とされているのである。

 とは言うものの――。

 どの世界どの業界どの界隈であっても、反則わざと言うものは存在するので、一概には゛絶対に倒せない相手〝ではないのだが……まあ、それは別の話である。

「……女王ティターニア、質問してもよろしいでしょうか?」

 頭の中で、早くも吸血鬼と戦う場合を想定して対処法を考え始めたトバリの隣で、エルシニアが言った。

「私のことはマダムでいいよ、お嬢さん。そして逐一確認は不要。思ったことを尋ねなさいな」

 妖精の女王はそう言って微笑む。ただ笑みを浮かべるだけであらゆる種族を魅了するその笑みに、エルシニアは一瞬言葉を吞み込みながら続けた。

「では、マダム。貴女はミスタ・トバリの問いかけに対して、殆ど考える間もなく名前を挙げました。ということは、随分以前から彼女――メアリ=シェリーの所業を把握していたのか、あるいはすぐに思い当たるくらい、幻想種の中でも問題のある人物だったのでしょうか?」

「おやおや……」

 エルシニアの指摘に、ティターニアの双眸が僅かに鋭くなった。「なかなかやはり、聡い娘ね」と感心したように肩を竦めて見せながら、

「どちらでもない」

 妖精の女王ははっきりとそう答えた。真摯な言葉で、女王は言い切る。其処には嘘も偽りもなかった。しかしその瞳には、痛みと哀しみが溢れていて。

「……強いて言うならば、良い意味で、目を掛けていたのは確か。だから、あの子が不可侵の盟約を反故にしていることも知っていただけ」

「目を掛けていた?」トバリが復唱する。

「妖精の女王をして、そのメアリ=シェリーって吸血鬼は突出した存在だったと?」

 だとすれば想像以上に厄介だなとぼやくトバリに対し、ティターニアは「そういう意味じゃあないの」と、失笑しながら首を横に振った。

「では、どういう意味なのでしょうか?」矢次に訊ねるエルシニア。

 ティターニアは答えた。


「あの子はね、人間を愛したのさ」


 それはある意味、トバリたちにとって予想外の――想像の埒外の回答だった。エルシニアは驚きと共にあまり馴染みのない単語に頬を染め、トバリに至っては目が零れ落ちんばかりに見開いた。

 そして、ティターニアは続けざまに言う。

「そして幸運なことに、相手の人間も、あの子のことを愛したのよ。そして二人の間には、

 その一言に、トバリは己の耳を疑った。

 目を見開いたまま妖精の女王を凝視するが……無情にも、彼女は無言のまま頷くだけ。

「――……なんってこった」

 信じられない言葉を聞いた――トバリは本気で驚くあまり、無意識にそんな言葉を口にしてしまう。ティターニアにしても「本当にね」と何処か困ったように、しかしまるで我がことの様に嬉しげに笑うのだから、どうやら上段の類ではなく真実なのだと悟り、彼は天井を仰いだ。

「マダム……よく平然としていられるな」

「これでも、話を聞いたときには心の底から驚き慄いたわよ。貴方の想像の百倍くらいはね。場合によっては、種の存続にかかわる問題なのだから」

 しなりと椅子に背を預けながら気だるげに答えるティターニア。しかしその発言内容はかなり物騒である。そしてそれは冗句でもなんでもなく、厳然とした事実なのだから、余計に性質は悪い。

 トバリは深い溜息を吐きながら、言った。

「――つまり……新しいダンピールが誕生した、ってことか?」

その通りexactly

 ティターニアが笑う。尤も、笑ってはいるものの、その表情には僅かに疲労の色が伺えた。妖精の長である女王が、本来なれば人間のように疲弊などしないが、心労となればそれもまた別なのだろう。

 ティターニアの様子に同情しながら、トバリは「くそったれめdam it」と悪態を零す。

「また品のない言葉を……」と、トバリを咎めながらエルシニアが言った。

「ダンピール、というと……確か吸血鬼を殺せる半人半吸血鬼、ですよね。それが何故、それほど驚くことなんですか。私が知る限り、確かに人間と幻想種との混血児が生まれるのは珍しいことですが、前例も多いはずでしょう?」

 エルシニアの指摘に対して、「まあ、そうだな」と、トバリは頷く。

「……そう。混血自体は、言っちゃあなんだが、然程珍しいことじゃあない。歴史上、様々な幻想種との混血児が人類史には幾度も登場するし、歴史上の偉人には少なからず混血がいたしな。

 しかし今回のは、人間と吸血鬼の間に稀に生まれる混血デミだ。ダンピール。アンタが言った通り、吸血鬼を殺せる半人半吸血鬼交わりし血統、それがダンピールだ。だからこそ、その扱いは面倒臭い……というか、血生臭い」

 言いながら、トバリは舌打ちを零す。するとティターニアが、トバリの言葉を引き継ぐように続けた。

「吸血鬼たちは、あらゆる幻想種の中でも特に自分たちの絶対性を信じる種族なの。長命にして不老、不滅にして不可侵……それは吸血鬼にとっての矜持であり、絶対的な存在証明アイデンティティ。故に、大多数の吸血鬼はそれを脅かす存在を徹底して排除する傾向にあるの」

 苦笑を零すティターニア。話を聞いていたエルシニアは、「……随分と冷酷なんですね。吸血鬼とは」と表情を曇らせる。そんなエルシニアの態度に一瞬トバリは眉を顰めた後、わざとらしく鼻を鳴らして笑った。

「別に幻想種に限った話じゃねぇだろ。人間だって、歴史上幾度となく血の繋がった身内で争ってる。同族だから争わないなんて、今時物語の中でだってウケないぜ」

 くつくつと、わざとらしく笑ってみせる。

 しかしそれは、軽口のようで、皮肉のようで、しかしトバリにとっては冗談でもなんでもなく、身を以って培った不変の事実である。

 家族とは、血族とは――トバリにとっては終始愛し、守り、慈しむような間柄ではなかったのだ。

 そんなトバリの言葉に、エルシニアは一瞬目を見開いた後、力なく笑った。

「貴方が言うと、笑えないですね……」

「そりゃお互い様だろ」

「……まったくです」

 エルシニアは肩を竦めながら頷いた。彼女にしても、身内で相争った経験から来る、実感のある言葉なのだ。

「まあ、そういう与太話はさておいてだ。その件の吸血鬼……ミセス・シェリーは、どうして急に人間を襲い始めた? ダンピールが生まれたこと事態は確かに争いの火種にはなるし、戦いになったらそれだけ消耗するのも頷ける。だから他の生物から生気を奪って活力にするのも道理だが……幾らなんでもやりすぎだ。ゴロゴロゴロゴロ死体を道端に転がす理由にはならないだろう?」

 そんなことをすれば、結果は判り切っている。現状がまさにそうであるように、公的機関が動き出し、その中でも事情に通じる者がより専門的な人間に調査を依頼する。そしてこの場所に目が向くのだ。

 人間と幻想の間に結ばれた盟約の主。この地に住む統べての幻想たちの統括者。このイングランドにおいてあらゆる幻想の存在に通じる女王――ティターニアの耳に届けば、最悪の場合、人間たちとの関係に遺恨を残さぬ為に処分される可能性すらあることを、知らぬ者はいないだろう。

 なのに、その女王が黙認している。沈黙を保っている。蛮行を止めぬ吸血鬼の娘一人を諌めることをせず、ただ座して哀しげに微笑んでいる。

 何故知っていながら対処しない、なんて質問はするだけ野暮だ。

 対処しない――それは即ち、相応の理由があるからだ。そして、その理由となるものがあるとすれば、それは一つ。即ち――

「くそっ、此処で繋がるのか……」

 思い至り、トバリは舌打ちと共に悪態を零した。

?」

「ああ」と、トバリは首を傾げるエルシニアに対して仏頂面を浮かべながら、ティターニアを見た。

「――あの赤ん坊がなんだろ?」

 妖精の女王は、返答代わりの拍手をしながら微笑んだ。

「その通り。今、別室でちゃらんぽらんな坊やが抱えている赤子……その児がダンピール。今はまだ名前すら与えられていない、メアリ=シェリーの子供よ」

 トバリは手で顔を覆いながら項垂れた。エルシニアはそんなトバリを見下ろし「……面倒を背負い込むのがお好きですね、貴方は」と皮肉を零す。

「いや……この仕事ビズを引き受けたのはヴィンスだろ? なんでことの発端が俺みたいな扱いになっているんだ」

「最初にミスタ・スペンサーを助けたのは貴方じゃあないですか。そのせいで因果が結ばれた可能性もありますよ」

「……オーケィ。判った。不毛だからこの話は止めておこう」

 トバリは降参と両手を挙げて見せた。エルシニアも日頃の意趣返しができて溜飲が下がったのか、それ以上は何も言わずに首肯で応じ、続けた。

「しかし、何故ミスタ・スペンサーがダンピールの赤ん坊を連れているんでしょうか?」

「英国政府がダンピールを確保しようとするのは、それぼど可笑しな話じゃあない。ただでさえ伝承や神話が溢れているイングランドは、世界的に見ても幻想種の所在が多い土地だ。牽制手段は多いに越したことはない。

 そんでもって、もともと対抗手段が極端に少ない吸血鬼たちに対して、通俗的にも有効手段なダンピールは喉から手が出るほど欲しい存在だ。実際、倫敦には既に別のダンピールが常駐しているしな」

 トバリの言葉に、エルシニアが頤に指を添えて数秒瞑目する。

「――……となれば、疑問となるのは何故ダンピールの赤ん坊を私たちに預けたのか、ですね」

 双瞳を開くと共に真っ直ぐとこちらを見据えて放たれた疑問に、トバリは同意するように肩を竦めた。「取り替えっ子だから、難しい――とか?」更に首をかしげるエルシニアに、トバリは「いや……」と否定する。

「いくら取り替えっ子が成立しているつっても、英国政府にだってそれを解決する手段は幾つもある。表向きには世界一の蒸気機関大国。裏では古代から続く魔術大国だ。なのに国の機関で保護はせず、一般……とは言い難いが、市井の請負屋に任せてくるのは何故だ?」

「では、レヴェナントが追って来るから?」

「それも判からねぇことの一つだな。何故、自我もない、ただただ無差別に人を襲うだけの殺人兵器であるレヴェナントが、混血の赤子を追っている?」

 疑問の応酬を繰り広げながら、その間もトバリは浮き彫りになった疑問もの列挙リストアップしていく。

 子を産みながら子供を取り上げられ、奪い返すための力を蓄えるために人を襲っている吸血鬼メアリ・シェリーと、本来無差別に人を襲い喰らうだけの|存在でありながら、一人の赤ん坊を追い回す機械仕掛けの怪物レヴェナント

「ミスタ・トバリ。あの鋼鉄の怪物レヴェナントが、マン・マシーン・インターフェイスである可能性は?」

 エルシニアの指摘に、トバリは目を見開き彼女を向く。エルシニアは慎重に頷いた。

 人にして、人ならざる鋼鉄の怪物マン・マシーン・インターフェイス鋼鉄の怪物レヴェナント特有の鋼鉄の部位を身体に内包しながら、人間としての理性と自我を失わない存在。

 そんなのが、まだいるのか。トバリは辟易したように眉間に皺を寄せる。「そんな顔をしないでくれませんか。気持ちは判りますけど……」と、エルシニアもまた渋い表情をしながら続けた。

「私たちに限らず、レヴェナントという存在を知る者の殆どは、゛鋼鉄の怪物は無差別理不尽に人を捕食する化け物〟と思っています。それは不変の事実です。しかし、例外はありますから」

「アンタやセンゲのような……か」

「はい」

「だとすれば、あのレヴェナントの素材が誰かだな」

 トバリの視線は、自然とティターニアへ向けられた。

「お相手の名前はご存知で?」と訊ねる。すると、ティターニアは「ファーストネームだけなら」と言って、その名を口にした。


「――ヴィクター。あの娘メアリはそう言っていたわ」


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