三幕『混沌の坩堝の、その片鱗』Ⅳ


「――……この修繕費は其方に請求しても問題なかったかな?」

 壁にできた巨大な風穴を横目に頭を抱えるヴィンセント。懊悩の末、彼は床に尻もちを搗き泡を食っている若者の傍ら――目の前で激しい攻防が繰り広げていたことなどまるでなかったかのように優雅にティーカップを傾ける仮面の男に尋ねてみたがだ……悲しき哉。マイクロフトの返答は「残念ながら」という無情なものだった。

「依頼を引き受けていた後だったのならば、経費扱いも可能だったがな」

「ああ、うむ……いや、問題ないとも。気にしないでくれ給え。そもそも壁を吹っ飛ばしたのは当請負屋ウチの者なのだしね……」

 嫌味の一つを零す仮面の男に、錬金術師は苦笑を浮かべる。実際、あの状況下で取れる手は限られていた。極東人の若者は――我らが《血塗れの怪物》は、その限られた選択肢の中で可能な限りこの場にいる面々に被害が及ばない選択肢を取ったのだ。

 はっきり言おう。

 彼の選択肢は正しい。結果は御覧の通り、見事な最善手だったと称賛に値する。

 その過程で壁に大きな穴が開くものだったというのは、やはり頭の痛い部分ではあるが――悩めるのは事態が既に過ぎ去ったからこそだ。文句を口にするのは勿論、懊悩することすら甚だしいだろう。

 窮地の中でも咄嗟に動け、必要な判断取れる彼の能力には何度も助けられている。雇い主として、自分の人を見る目の間違いのなさはこういう時に顕著に表れるのだ。

(――……まあ、家主としてはやはり頭の痛い話ではあるがね)

 この程度の修繕費用に悼む懐はしていないが、無駄な出費を看過はしない辺り、自分はまだまだ人間臭いものだと一人ごちた。

 そして気を取り直すように、咳ばらいを一つ。

 ヴィンセントは対座の来客に倣うように紅茶に口をつけ、喉を潤してから続けた。

「……これが、彼を君たちの元で保護できない理由かな、ホームズ卿。いや、此処は君との交友を深める意味を込めて何かあだ名をつけてみるべきだね――ああ、マイキーとでも呼ぼうか?」

 ヴィンセントが口の端を持ち上げながらそう言うと、マイクロフトは憮然と告げる。

「……その呼称は弟にしか許していないものだ。絶対に止めるように」

「それは失礼――それで、何の話だったかな。ああ、彼の護衛をどうするかだったね」

 機嫌を損ねたマイクロフトの言葉にわざとらしくおどけ、ヴィンセントは軽々な語り口と共に視線を動かした。そして、未だ床に座り込んだままの若者を一瞥する。

「……しかし、扱いに困る――というのが、今の私の正直な気持ちだよ、ホームズ卿。其処な青年は、完全にレヴェナントの標的ターゲットとなっている。いや無論、見捨てる――というつもりもないわけだが……ふむ」

 悩むように言葉を転がしながら、ヴィンセントはレナードを観察する。苦笑いする青年を彼の姿、あるいはその様子からは、彼がレヴェナントに狙われる理由が思いつかなかった。

 そもそも、レヴェナントは自我の薄い存在である。創造主によって魂を改変された結果、己を失い自身の行動範囲テリトリィからはあまり動かず、支配領域ドメインに侵入した人間を捕食する――言ってしまえばそれだけの機関機械エンジン・マシーンだ。

 それがわざわざ特定の標的を追って襲撃するなど、有り得るのだろうか。

(勿論、私自身がレヴェナントについてのあらゆる特性を把握しているわけではないから断言はできない……エルシニアやトガガミ・センゲのような存在もいるのだから、特定の標的のみを狙う個体がいてもおかしくはない)

 ――だが、

(この青年を狙う理由は、なんだ……?)

 やはり疑問は其処に集束する。あの浮遊する個体がこの青年に拘る理由――それが何か。

 そんな風に考えを巡らせながら青年を観察し、ヴィンセントの目は漸く彼の腕の中に抱えられているものに気づく。

 ヴィンセントは、片眼鏡に手を伸ばし、備わっている回転操作幹メモリを弄る。カチカチと小型の歯車が内部で動く音と共に、備わっている超小型の機関機構エンジンマシーンが励起。片眼鏡の硝子レンズに視覚情報化され、ヴィンセントは其処に表示された情報を見て、その猛禽を思わせる瞳を丸くした。

 腰かけていた椅子から思わず立ち上がり、青年を凝視する。いや、正しくは――彼の抱えている布の塊、その中身を。


「――青年。君の抱えているは、なんだね?」


「……え?」

 今まで視線は向けられながらも、言葉を掛けられることがなかったため驚く青年に、ヴィンセントは紳士とは程遠い荒々しい足運びで彼に歩み寄り、

「――落ち着き給え、伯爵」

 その足を止めるように、マイクロフトが口を開く。ヴィンセントは苛立ち交じりに足を止め、レナードを睨み付けていた眼光はそのままマイクロフトへと注がれた。

 普段飄々とし、人を煙に巻く言動の多い錬金術師の姿からは想像し難い苛烈な気配に、傍にいたリズィが目を見開き、ぱちくりとさせながら一驚する程だ。

 そんな彼らの様子を脇目に、マイクロフトは粛々と告げる。

「貴方が言わんとしていることは判っている。貴方が怒っている理由も、無論。そしてこの件は、既にからも承認なされている案件だ」

「すべて承知の上で、君たちはを確保した……と? それは実に――」


「――莫迦げたことをしてるなと思うね、ホント。この国の連中は、手ぇ出していいものといけないものの違いも判らなくなったか」


 ――がちゃりと。

 扉が開く音と共に、不機嫌を隠す気もない声が投げうたれる。その場にいる誰もが声の主へと視線を向けた。

 僅かに埃に塗れたツカガミ・トバリと、彼と共に壁の穴から飛び出したエルシニア・リーデルシュタインの二人だ。

 二人の姿を確かめたヴィンセントは、険の窺えた表情を僅かに柔和にし苦笑で彼らを出迎える。

「――やれやれ。出て行くときは非常識なくせに、戻ってくるときが常識的なのだね、きみは」

「出迎え代わりの皮肉をありがとうよ。ったく、エルシニアこいつとおんなじこと言いやがる……」

 がしがしと頭髪を撫でながら、トバリは悪態を零した。彼の背後で、エルシニアは諦め顔で苦笑一つ浮かべている。そんな二人の姿を見たヴィンセントは、気持ち心を穏やかにし、「仕切り直しとしよう」と――改めてマイクロフトとレナードの両名を睥睨した。

「改めて言おうじゃあないか、ホームズ卿。そしてレナード・スペンサー君――君のその腕の中に抱えているものを、見せて貰ってもいいかな?」

 ヴィンセントの言葉に、マイクロフトは首肯する。

「無論だとも、伯爵。スペンサー、見せてやれ」

 厳粛と告げられるマイクロフトの言葉に、レナードは僅かに目を見張り上司を見た。〝本当に良いのか?〟と、言葉なく問いかける青年の視線に対し、マイクロフトは頷いた。

「当然だろうとも、スペンサー。我々は――というより、君は彼らに助けを求める立場だ。君がを隠したい気持ちは、私は理解しよう。しかし、彼らから賛同が得られないのは……既に彼らの反応を見れば判る通りだ。中身を開示し、事情を説明する――それが誠意というものだ。違うかね?」

 そう問い質す上司のその姿を見て、青年は撤回などあり得ないと悟ったのだろう。諦念交じりの溜息を吐いた。そして、

「――……了解イエス・サー

 レナードは上司の言葉に従う言葉を口にし、そして腕の中の布を開く。

 はらり……はらり……レナード・スペンサーは、僅かな会話の中に窺わせていた軽薄さとは裏腹に、腕の中に抱えた包みの布を、まるで大事にしまっている宝物をそっと開いて見せるような慎重さで、一枚一枚丁寧に開いていく。

 そうして開かれた布の中から姿を現したのは――

「……子供チャイルド?」

 と、リズィが首を傾げ、

「――というより、赤ん坊ですね」

 エルシニアが布――産着の中から覗く赤子の顔を見て補足する。事実、青年の腕の中にいたのは、産着に包まれた赤子だった。

 二人は大した警戒もせずにレナードの腕に抱かれている赤子の顔をのぞき込み――閉じていた赤子の目が開いたのは、その時だった。

 赤子の瞳が、じっと二人を見上げる。

 その瞳は――


 淀み、濁り、されど鮮やかに輝く――そんな相反する感慨を抱かせるような、そんな紅い双瞳だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る