一幕『その列車に乗り合わせたのは、幸か不幸か』Ⅵ
「……こいつ、
「まさかとは思ったが……どうやら本当にそうらしいな」
トバリとヴィンセントは顔を突き合わせて、足元で打ちひしがれた様子で虚空に死線をさまよわせている老人――カリオストロ三世に目を向ける。
老人はぶつぶつと何かを呟いているが、声が小さくて聞き取ることはできなかったが、呆けた老人の戯言など、耳を傾けるまでもないだろう。カリオストロ三世を無視し、トバリはヴィンセントに向き直って言った。
「取り敢えず、こいつどうする?」
「そうだな。レストレードが来るまで拘束しておくのが妥当だろう。私はその間に、この老人が拿捕した品々の検分でもしておくか。幸か不幸か、レオナルドから
言って、ヴィンセントは
「こんな三流詐欺師の、使い走りに
「そもそも警備があったのかすら怪しく思えてくるな。むしろこの状況を楽しんでいる節すら感じられる……」
「碌でもない奴だな。お前と一緒で」
「酷い言い草だ」
断言するトバリの科白に対し、錬金術師様は苦笑いする。
「まあ、いつの世も天才となんとやらは紙一重なものさ」
「随分と分厚い紙をしてらっしゃるようで」と、皮肉を零すトバリは、カリオストロ三世を拘束すべく腰帯の携帯収納から
「――……おい、あの自称三世は何処行った?」
「なぬ?」
二人の視線は、共に床に蹲っていたはずの老人を見るが――其処には先程まで一人でぶつぶつっと呟いていたカリオストロ三世の姿が、ほんの僅かな時間目を逸らしているうちにその姿はなく――
「くはは、許せぬぞ貴様ら。獅子の尾を踏んだということを思い知らせてくれる!」
老人が叫んだ。
トバリとヴィンセント視線がカリオストロ三世へと注がれる。そして彼らは老人の右手に赤い石が握られているのを見た。
カリオストロ三世は壁にかけてあった額縁を外すと、そのまま石を壁に――否、壁に埋め込まれていた何かに、意思を叩きつける。
そして、
――GRRRRRRRRR……
「……」
「……」
それは聞き慣れた声だった。
それは馴染みのある嘶きだった。
トバリとヴィンセントは思わず互いを見やり、目を丸くする。
その様子を見ていたカリオストロ三世は、まず勘違いをしたことだろう。二人がこの悍ましい声に恐れ慄いているのだと、そう考えたとしても無理はなく――事実二人の反応に、カリオストロ三世は醜悪に口元を歪めて狂ったように笑った。
「今更後悔したところで、もう遅いぞ! 恐れ、震えろ。そして泣き喚き、許しを請うが――」
「――
と、カリオストロ三世がすべてを言い終える前に、トバリが回し蹴りを放った。老人顔面にブーツの踵を叩き込み、その口を強制的に黙らせる。そして倒れる老人の襟首を摑むと、部屋の片隅へと放り投げた。トバリの蹴りで意識を失った老人は、床を転がって部屋の隅で意識を失ったまま静かになったのと、同瞬――
――壁を突き破って、それは姿を現した。
それは
それは
このロンドンに浸透し、姿勢によって実しやかに囁かれ続ける都市伝説の怪物――即ち、レヴェナントと呼ばれる存在。
だが――
「……レヴェナント、にしては――」
「――これはまた、随分と小物だな」
身構えたトバリが眉を顰め、その後ろで成り行きを見守っていたヴィンセントが、興味深そうに目を細めながらそう言った。
壁を突き破って姿を現した鋼鉄の怪物――それは確かに、レヴェナントと称するに相応しい鋼鉄と蒸気機関で形作られた化け物だったが……同時にトバリとヴィンセントが知っているレヴェナントとは、随分と毛色の異なる存在とも言えた。
レヴェナントは都市伝説の怪物であり――同時に、何かしらの伝承や口伝、それこそほかの都市伝説などに登場する怪物を模していることが多い。あるいは、常識ならざる巨躯を誇っていた。
だが、今トバリたちの目の前にいるレヴェナントは、獣の姿を模している。ネコ科の虎に似たその姿だけを見れば、機関工学に詳しいものならば
もし、現存する動物等と異なる部分があるとすれば、それはその背に幾つもの羽が生えている――という点だろうか。
それも、鋼鉄の骨格ではなく、生々しい――生物然とした羽だ。
「こりゃあ……〈
「そう呼ぶには聊か外連味を欠く気もするが――命名としては妥当だろう」
レヴェナントの異貌に対して意見を交わす二人を前に、レヴェナントは低い嘶きを零した。
そして、次の瞬間レヴェナントは耳を劈くよう咆哮を上げる。
その響き渡る声と共に、全身を貫くような威圧感――レヴェナントの持つ権能ホラー・ヴォイスが、トバリたちの精神を支配しようとする。だが、
「――雑音が効くとでも思ってるのか?」
トバリは不遜に言い放って、左手を翻して腰の後ろから短剣を引き抜く。肉厚の刀身が、室内灯の光を反射して鈍く輝く。そしてその切っ先が、真っすぐにレヴェナントへと突き付けられた。
同瞬、レヴェナントがその獣の姿に相応しい咆哮を上げながらトバリへと飛び掛かる。
構えを取ったトバリの虚を突くような襲撃――しかし、
レヴェナントが走り出すのと同時に後方へ跳躍。飛び掛かってきた鋼獣の爪を掻い潜り、床に背を預けるように倒れ込みながら、レヴェナントの腹部を蹴り上げる。鍛えた脚力は、鋼鉄の怪物の質量であろうと容易くその身体を中空へと打ち上げた。
レヴェナントが困惑したような声を上げる。対して、レヴェナントを蹴り上げた当人は、大して驚くこともなく淡々と立ち上がり、落下してきたレヴェナントの首を摑むと、力強く床へと叩きつけ――
「――終いだ」
その胸元へ、深々と短剣を突き刺した。ビクンッ、とレヴェナントの身体が一瞬痙攣し――そしてすぐに動かなくなる。爛々と輝いていた赫眼は光を失い、鋼鉄の四肢は力を失った。
「実に呆気ない幕引きだな、これでは観客から拍手は得られまい」
「そういうお前はいつだって高みの見物だよな。今度から金取るか?」
軽口を叩くヴィンセントに対し、トバリは溜息交じりに悪態を吐く――だが、ヴィンセントは「私の護衛も君の仕事のうちだよ」と呆れ顔で肩を竦めた。
「仕事の内容多くね?」と首を傾げながら、トバリは短剣を払ってレヴェナントの腹部を切り裂き――中から機関核を引き抜いた。
僅かに脈動する鋼鉄の塊を手に、トバリは暫しその鉄塊を睥睨する。レヴェナントの心臓たる機関核――その中央で僅かに明滅するのは、先程カリオストロ三世が手にしていた、あの赤い石である。
「これは――」
その石に、見覚えがあった。忌まわしきロンドンの地下で繰り広げた従姉妹のトガガミ・センゲとの戦い。その最中に生じた、文字通りの横槍によって、彼女の胸部から貫き引き抜かれた――あの赫々たる輝石の姿が脳裏に過った。
トバリは握っていた機関核を、無言でヴィンセントへと手向ける。彼は片眼鏡の向こうにある猛禽類の如き目を鋭くし、赫石を舐めるように観察する。
「――これは〈
「やっぱそう見えるか」
ヴィンセントは首肯で応じる。
「ああ、そうだ。だが……しかし、大きさ、輝き、内包されるエネルギー……よく見れば、どれをとってもあの数多の命の凝縮した魔石には遠く及ばない粗悪品だな。パラケルススが量産していた赤水晶……その模倣品にすら劣るだろう」
「辛辣な評価だな。まあ、それはどうでもいいけど――」
錬金術師による分析に対し率直な感想を口にし、トバリは機関核をヴィンセントの手に握らせ――視線を今も白目を剥いたままのカリオストロ三世に向けた。
「問題は、この耄碌爺がどうしてそんなものを持っているか――だろ」
「確かに。この老人の元に、どのようにしてパラケルススの研究資料の一部が流れ着いたのか――それは大変興味深い案件だ。しかし、どうやら我々にそれを調べる時間はなさそうだ」
「――……だな」
含みのあるヴィンセントの科白に、トバリは納得するように肩を竦めた。
それと同時。
二人が今いる部屋に通じる扉が、勢いよく開く。二人の視線は自然、扉へと向けられた。
開け放たれた扉の向こうには、警官隊を引き連れたレストレードが剣呑な雰囲気で悠然と立ち、二人を睨みつけていた。
「やあ、レストレード警部。今日も険しい表情をしているようだが、どうかしたかね?」
「よう、レストレード警部。相変わらず苛々してますって
「だ・ま・れ、ロンドンで二番目に俺に苦労を掛ける厄介者コンビ……お前らは俺の頭痛のタネだ」
気軽に挨拶をする二人に、レストレードは青筋を浮かべながら憤慨する。銜えていた煙草の端を千切れんばかりに噛み締めて、彼は辟易した様子で二人を睨みつけた。
だが、睨まれている二人はというと、
「やったな。どうやらまだ一番じゃあないらしいぞ」
「それはそうだろう。我々とミスタ・ホームズたちでは彼との付き合いに大きな差があるのだ。むしろ其処で勝ってしまっては彼らに申し訳が立たないよ」
彼の鋭い眼光など気にも留めず尚も軽口を叩くばかりで、レストレードは一層表情を険しくし……しかし最早言葉を返すのも面倒になった様子で、視線を二人から部屋の隅で伸びている老人へと向けた。
「……こいつか?」
「
「ああ、そうかい……だ、そうだ。クラーキー。手錠をかけて、何人かで馬車に運び込んでおけ」
レストレードの指示で、彼が引き連れていた警官たちが慌てた様子でカリオストロ三世の拘束を始めた。
その様子を横目に、トバリはヴィンセントを見る。
「いいのか?」
「構わんよ」ヴィンセントは淡々と応じた。
「凡そ、事の次第は想像がついたからね」
「一人で勝手に完結するなよ、
一人満足げに表情を綻ばせたヴィンセントに詰め寄るが、「なぁに。直に答え合わせができるさ」と飄々とした態度ではぐらかし、彼はレストレードの元へ近づくと、
「ああ、レストレード警部。この老人からいろいろ接収する際に、此処に書かれているものは急ぎ政府機関に引き渡すことをお勧めするよ」
手にしていた書類一式を彼に手渡すと、返事を待たずに踵を返す。そして、
「さて、トバリ。我々の仕事はこれで終わりだ。帰ってお茶でもしようじゃあないか」
とそう言うと、彼は警官たちをぐるりと見回し、「では、
トバリは肩を竦め、同じように警官たちを見回し、最後にレストレードを見やって、口の端を持ち上げて見せる。
「それじゃあ、頑張ってくれよ」
と、適当な挨拶を残し、今にも眉間から血を吹き出しそうなくらい剣呑な
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