一幕『その列車に乗り合わせたのは、幸か不幸か』Ⅴ

[そして偏屈者は無様に膝をつく]


「――遅い。まったく何をしているのだ」

 その老人は豪奢な革張りの椅子に身体を沈め、暖炉の火を眺めながら悪態を零す。乱雑の部屋の中央に座す老人は、これまた乱雑に物が乗せられた机の上に並ぶ、不気味な色の煙を吐き出す無数の試験管や薬瓶を次々と手にとっては混ぜていく。まるで考えなしに行っているように見えるが、そうではない。堅実な理論と実験結果に基づく調合である――と、老人は思っている。

 此処に薬品に精通した者がいれば、あるいは化学に通じる知識をある程度持つ者がいたならば、老人の行動は危険行為以外のなにものでもないことは、一見して判ることだろう。

 そして老人の無茶苦茶な調合は当然と言えば当然の結果を迎える。出鱈目な調合は複雑怪奇な化合により変化し、瞬く間に沸騰――噴出した可燃性の瓦斯が、別の試験官から迸った火花で引火――衝撃と爆熱が老人の眼前で迸った。

「ぬおっ!?」

 老人は素っ頓狂な声を上げ、座っていた椅子ごと後ろに倒れ込んだ。「老人は吹き飛んでしまった試験管を投げ捨てて「くそう、何故だ! 調合は間違っていないはずだろう!」と憤慨する。

「ええい、可笑しい。今の調合で、黄金錬成のための薬液になるはずではなかったのか? それともこのパラケルススの研究資料が間違っていたのか? 名の知れた錬金術師の遺品だというからオークションで競り落としたというのに……とんだ紛い物ではないか!」

 老人は立ち上がりながら机の上に置いてある、古惚けた書物を手に取り床に叩きつけた。古過ぎたためか、床に叩きつけられた衝撃で古書の頁が千切れて宙を舞った。その様子に、老人は再び癇癪を起こす。

「なんだこの本は! たかが床に叩きつけただけで千切れおってからに……まったく。これだから古いものは気に入らんのだ」

 老人はそう不満を口にし、興奮した様子で肩で息をする。そして徐に葡萄地酒ブランデーの瓶を手に取ると、硝子杯グラスに注ぐと一気に中身を煽った。

「――そもそもに、だ。奴らは驕っておるのだ。自分たちこそが叡智の徒であり、知識の探求者などと騙り語っていること自体が間違いであろう。奴らが手にした名声も知識も権能ちからも、本来であれば我が一族こそが手にしていたはずのものだ。なのに何故、わしが後塵を拝せねばならんのか? まったく許し難い、許し難いぞぉ」

 酒気を帯びたと息を吐き、老人は更に悪態を吐く。アルコールで酩酊していく思考は単調で、口から発せられる言葉もどれ程意味があるものなのか、定かではない。

 判ることは、老人が一人酒に酔って癇癪を起している、ということくらいだろう。老人の有様は、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 だから、

「――まったく、実に見苦しいというか、厚かましいというか……此処まで自分に酔える人物は久しく見たよ」

 そう、思わず愚痴を零してしまうのも仕方がないことだろう――と、煩わしさを隠しもせずに放たれた言葉が老人の耳に届いた途端、老人は「うひぃぃぃ!?」という、見っともない悲鳴を上げて椅子から転げ落ちる。

 視線を巡らせると、物陰から姿を現したのは、長身の壮年である。トップハットを被ったその壮年は、片眼鏡モノクルの向こうにある猛禽を思わせる瞳には苦い色が伺えた。片眉を下げ、その男は困ったように表情を歪めている。

 そんな奇妙な表情をした男を前に、老人は慌てふためいた様子で床を転がり、机の引き出しを次々と引っ張っては中を確かめる。やがて目的の代物――一丁の機関型拳銃エンジンピストルを握り占めて、必死の表情で振り返りながら声を上げた。

「――だだだだだだだだ、誰だ貴様!?」

 と叫び、拳銃を構える老人の背後から、

「そう怯えんなよ、耄碌爺ロートル

 そんな科白と共に何者かの手が伸びてきて、特に苦労もせずに老人の手から拳銃を奪い取る。逆に老人は目を丸くして背後を振り返った。其処には机の上にしゃがみ込む形で老人を見下ろす、赤い外套を着た若者が、鋭い双眸に呆れの色を宿しながら老人を見下ろしていた。

「――アンタがカリオストロか?」

「な、何故貴様如きが我が高貴なる名を知っている!? 跪いてこうべを垂れ、許しを得てから発言せんか!」

「……なあヴィンス。こいつ殴っていいか?」

「止めておけ。そんな価値すらなさそうな男だ」

「我が侮辱は赦さんぞ!」

 言葉が一つ飛び交うたびに、老人――カリオストロと呼ばれた人物は怒りの声を上げ、それに反比例する形で二人の表情は疲弊したように力なく俯き、彼らは揃って溜息が漏れた。

 その彼らの態度に、カリオストロは憤慨する。

「貴様ら、私を無視するんじゃない!」

「我鳴るな、老い耄れ」と、若者がカリオストロの後頭部に蹴りを入れた。カリオストロは蹴られた頭を押さえてその場で転げ回り、目尻に涙を滲ませながら若者を睨む。

「この無礼者が! この私を誰と心得ておる! 私は――」

「自称アレキサンドロ・ディ・カリオストロ三世。本名エルシュペ・パルサーモ。祖父は初代カリオストロこと、ジュゼッベ・パルサーモ。一族は代々職業詐欺師だろ?」

「ちがーう! 私は錬金術師であり、自称ではなく、正当な後継者じゃ!」

 カリオストロは座り込んだまま床を何度も叩きながらそんなことを主張する。が、若者と壮年は取り合わず、互いに視線を交わして肩を竦めた。

「――だ、そうだが。見覚えはあるか、錬金術師?」

「いいや、ない」

 若者の問いに、壮年ははっきりとそう答えた。が、カリオストロには彼らのやり取りの意味するところが理解できず、「何を勝手に話を進めておる!」と怒鳴り――そこでカリオストロは「ん?」と首を傾げた。

 若者は今、何と言っただろう。怒りとアルコールで鈍った頭脳あたまで、どうにか今し方交わされた会話を反芻してみる。

 そして、彼はゆっくりと壮年の男を見上げた。

「……錬金術師、だと?」

 カリオストロの言葉に、男は鷹揚に頷き、滔々と答える。

「如何にも。錬金術師だ。名乗るのが遅れて申し訳ない、カリオストロ伯爵。私はヴィンセント。ヴィンセント・サン=ジェルマン。なに、しがない流浪の錬金術師だよ」

「さ、サン=ジェルマンだと!?」

 男の名乗りに、カリオストロは驚嘆の声を上げる。しかしそれも一瞬だけだった。カリオストロはすぐにその表情を険しいものに変え、サン=ジェルマンと名乗った男を糾弾する。

「あ、有り得ん! 貴様のような奴が、伝説の錬金術師だと? 法螺を吐くならもう少し上等マシなものを吐け!」

 すると、若者が腹を抱え大声で笑った。突然の笑い声に、カリオストロは意味が判らず目を瞬かせる中、若者はひとしきり笑ったのち、

「くっくっく……やべぇ。こいつはまさに笑い話だ。選りにも選ってお前が偽者扱いされるとはな。どんな気分だよ、ヴィンス」

「まあ、名を騙ると思われたことは一度や二度じゃあない。何分長生きしている身だ。名は知っていても顔を知らぬ――という輩はごまんといるさ。故に、この程度腹を立てることではないが……まあ、釈然としないものはあるな。よもやこんな三流にもならない木っ端者に誹られる日が来るとはね。我がことながら嘆かわしいよ」

 若者の問いかけに、サン=ジェルマンは渋い顔をしながら答えた。

 自分を無視して会話を続ける二人に怒りを露にし、カリオストロは漸く床から立ち上がって彼らを交互に睨みつける。

「ええい、さっきから意味の判らぬことを! それに、この私を無視するとはどういう了見だ!」

 びしっ、と指差された若者は、「ああ」と声を漏らし、掌を打ちながら口を開く。

「あー、そうだった。あんまりに間抜けが相手だったら。ついつい用件を忘れてたな」

「なんだと!?」若者の悪態に青筋を浮かべるカリオストロを無視し、サン=ジェルマンなる男が続ける。

「ふむ。ミスター。いや、伯爵カウント。我々は君に幾つか質問があって、君の元を訪ねて来たのだよ」

「ん? なんだ。私に質問だと? ああ、なるほど。我が叡智を借り受けたいということか。ふん。不遜な来訪だが……よかろう。なんでも訊くが良い」

 途端に、カリオストロは気分を良くする。自らを頼られることに至上の喜びを感じる彼にとって、どのような相手であれ歓迎すべきなのだ。なにより、自分のことを「伯爵」と呼ぶのもまた好ましい。無礼な輩だと思っていたが、実はこやつらは私のことを敬愛しているのでは? という実に自分勝手な解釈までする始末である。

 しかし、そんなカリオストロの喜びも、サン=ジェルマンが発した次の言葉によって打ち砕かれることとなる。

「いやいや、君の浅慮にして浅知恵しか考案できない蒙昧な知性に等欠片も用件はないとも」

「――なっ!?」

 辛辣なその科白に、カリオストロは絶句し、背後で若者が失笑する気配に顔を真っ赤にさせて、思わずサン=ジェルマンに掴み掛かろうとする。だが、彼の突きつけてきた杖によって機先を制されてしまい、続くサン=ジェルマンの言葉に、彼は目を見張った。

「訊きたいことは何故貴殿が彼の――我が友人にして【万能の貴人】たるレオナルドの手配した機関部品を横から奪うようなことをしたのか、ということだ」

「――何故……貴様らがそのことを知っている?」

 息を呑むカリオストロに対し、サン=ジェルマンは

「彼自ら私に依頼があったからだよ。まあ、元々は私が英国政府からの依頼で、彼と連絡コンタクトを取っていたわけだが……」

「迂遠で面倒で下らない連絡手段でな」

 不意に、若者が何処か棘のある科白を吐いた。サン=ジェルマンは苦笑いで応じながら、何事もなかったように老人を辛辣に見下ろして言う。

「まあ、君が雇った連中は随分と間抜けだったよ。我々が苦労することなく見つけられる程度にはね。おまけに口も軽かった。おかげで、容易く貴殿の居場所を割り出すこともできた」

「ば、莫迦な!? 奴らは腕利きだと紹介されたのだぞ?」

 驚きの声を上げるカリオストロに対し、

「あれで腕利きねぇ。請負屋協会ランナーギルドの三流請負屋ランナーのほうがまだ腕も立つし、口も堅いぜ」

 紅い外套の若者は、呆れたと言わんばかりに皮肉を零す。そんな若者とサン=ジェルマンを交互に見上げ――しかしカリオストロはかぶりを振って激昂する。

「え……ええい、黙れ黙れ! そのような戯言に騙されてなるものか!」

 そう叫び、カリオストロは立ち上がるや否や、壁際に設置している機関型通話機に駆け寄った。

「この不法侵入者どもめ! いいか、私がこの通話機の釦一つ押すだけで、警官ヤードたちが駆け付けることになっている。お前らなど直ぐに逮捕され、牢屋行きにしてくれるわ」

 そう言って高笑いするカリオストロの前で、若者とサン=ジェルマンは顔を突き合わせた後、揃って肩を竦め、


「別に呼ぶのは構わねーけどよ。そもそも、警官ならもう呼んでるぞ」


 と言ったのである。

「なぬ?」と、今度はカリオストロが目を見開く番だった。何故、彼らが警官を呼びつけているのか。その理由が判らず目を瞬かせるカリオストロに向けて、サン=ジェルマンなる人物は「これはこれは。まさに呆れを通り越して笑えて来るというやつだな」と言いながら実際に苦笑を浮かべながら続けた。

「言っただろう。〝元々は私が英国政府からの依頼で彼に連絡を取っていた〟――と。つまりこれは英国政府からの直接的且つ正式な依頼であり、君はその正式な依頼を妨害したということになる――ようするに、だ。カリオストロ伯爵よ。端的に言えば貴殿の行動は国家反逆罪に値するのだよ」


「――なっ!?」


 サン=ジェルマンを名乗る男のその言葉に、カリオストロは今度こそ発する言葉を失ってしまうのだった。



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