一幕『その列車に乗り合わせたのは、幸か不幸か』Ⅶ


[万能の貴人は穏やかに微笑む]


 ガチャリと、入り口の扉が開いた。

 ノックもなしに扉を開ける人間は、この事務所では限られているので、私は特に疑問も抱かずに振り返って彼らを出迎えた。

「お帰りなさい、伯爵。ミスタ・トバリ」

 入り口を潜り、外套を脱ぐ二人に私はそう告げると、

「ああ、今帰ったよ、ミス・エルシニア」

「おう」

 伯爵は微笑と共に答え、ミスタ・トバリは億劫そうに一言、言葉を返してきた。私はそんな彼の反応に溜め息を吐く。

「……相変わらず、紳士には程遠いですね」

「それを俺に求めること自体間違いだろ」

「そう言うと思っていましたよ、まったく……まあ、いいですけど」

 ミスタ・トバリの態度に、私は再度溜め息を吐き、言った。

「伯爵。お客様が来ています」

 すると、伯爵は帽子を外し、帽子掛けに掛けながら口の端を曲げ苦笑を浮かべる。

「ふはは。来ているだろうとは思っていたよ」

 そう言って、伯爵は足早に執務室へと向かった。その背を、私とミスタ・トバリは目を瞬かせながら見送る。

 そして去っていく伯爵の背を、片眉を持ち上げて見ていたミスタ・トバリに私は尋ねた。

「何かありました?」

「いつも通りの厄介ごと」

 溜息交じりの彼のその物言いは、暗にレヴェナントとの交戦を意味していた。だから私は僅かに目を見開く。

「詐欺師の屋敷に行ったはずでは?」

「そのはずだったんだけどな……」

 私の問いに、ミスタ・トバリはそれ以上答えなかった。全身から気だるさを放ち、半眼に開かれた相貌からは億劫の気配が色濃く見え、私は深く溜息を零す。

 こういう場合の彼は、答えるのが億劫なのか、それとも答えに窮しているのかは判断が難しい。だけど、

(……まあ何方かと言えば、話すには材料が足りない――という感じですね)

 彼の場合喩え億劫であろうが面倒であろうが、答えられることは言葉少なに答えるところがある――と、私は思っている。

 なので、今彼が返答を投げてこなかったのは、其処に何かしらの理由があるのだろうと私は勝手に結論付けた。

「我らが子猫キトゥンはどうした?」

「子猫……リズィのことですか? 客人が来て直ぐ、気分が悪くなったと言って部屋に戻りましたけど」

 問われ、私は率直に答えながら、視線をリズィの私室がある方へ目を向ける。

(あれから部屋から出てきませんけど……大丈夫でしょうか?)

 なんて考えた私の横で、ミスタ・トバリは「ふーん……」という、言葉にもならない声を発しながら暫しリズィの部屋の方に視線を向けた後、興味を失ったように歩き出す。

「――客って、林檎飴喰ってるあいつか?」

 事務所兼執務室になっている部屋の扉の前に立って顎をしゃくって見せる彼に、私は頷いた。というか――

「……事務所オフィスの来客用椅子に腰掛けている人物が客人でなければなんなんですか」

「さあ。だけど腹に爆発物を括りつけた殺し屋って可能性はあるだろ。いろいろ怨まれてそうだしな、ヴィンスあいつは」

 私の疑問に、ミスタ・トバリはにやりと笑いながら軽口を叩いた。彼の言葉に、私は想像出来てしまう現実に頭を抱えてしまいそうになる。

「……微妙に否定し切れない可能性を例として挙げるのは止めてもらえませんか?」 

「命を狙われるってのは、俺も他人事じゃあないか……」

「まるっきり他人事みたいに言う科白じゃあないですよ……私やリズィは巻き込まないでくださいね」

 まるで人事のように言うミスタ・トバリに、私は本気でそう思ったので言っておいた。勿論皮肉だが、対する彼は口の端だけを持ち上げながら聞き流し、事務所兼執務室へと足を踏み入れる。

 私もその後に続き、二人で伯爵の後ろに控えるように立った。すると、

「随分とまあ、顔のいい少年ガキだな。街歩くだけで、そこらの女が黄色い悲鳴を上げそうだ」

(……何を言っているんですか、この人は!?)

 ――……余りの物言いに、私は思わず言葉を失ってしまう。

 本当に、皮肉を口にしなければ死んでしまう病気があるのではないでしょうか? そんな疑念すら抱けてしまう彼の言動に、私は鋭く彼を睨みつける。

「――くはっ。あはははは!」

 しかし、彼の不遜な言葉を投げつけられた当人はというと、声を上げて笑い始めた。目を丸くする私を他所に、伯爵の客人は目尻に涙を滲ませながら言う。

「まったく。まったく。サン=ジェルマン。やはり貴方は愉快な御仁だよ。いや、貴方の拾った彼が面白い――というべきなのかなぁ?」

「それには同意するよ、レオ。彼は実に痛烈にして痛快な男だよ。腕が立ち、それこそ幻想とも渡り合える――そして何より、悪態を吐きながらも私を助けてくれる、好き友人さ」

「いや、お前と友人になった覚えはないぞ」

「な、なんだと!?」

 伯爵の言葉を、ミスタ・トバリは即座に否定した。彼の中では、伯爵との関係はあくまで雇用者と被雇用者ビジネスライクなのだろう。

「なかなか慕われているね、サン=ジェルマン」

「これが慕われているように見えるのならば、嬉しい限りだよ……ふはは」

 客人の言葉に、伯爵は力ない笑いを零して項垂れた。勿論、そんなのは単なる振りポーズなのは、私もミスタ・トバリも――そして客人にも判ったのだろう。私たちはそんな伯爵の様子などいつものことだとして放置し、私は改めて客人に目を向ける。

 ――客人。

 伯爵と対面する形で来客用の長椅子に腰を下ろすのは――ミスタ・トバリの言葉を借りるなら、顔の良い少年。世に言う美少年だ。

 というか……

(本当に、怖いくらい顔が端正というか……非の打ちどころのないくらい整っていますね)

 私は、思わず少年の顔を観察し、そんな風に思った。

 口調や仕草が男の所作でなければ、少女と見間違えそうな奇麗な顔。僅かに癖があり、項の辺りでリボンで纏められた輝くような金色の髪。翡翠の輝きを放つ瞳。親しげに綻ばせられる口元――正直なところ、ミスタ・トバリの言葉こそは品性に欠くけれど……妙齢の女性が好みそうな、そうでなくとも目を惹く美貌を持つ美少年というのは妥当な評価だと、私も思う。

(しかし、それ以上に何か……奇妙な――)

「――それ以上前に出るなよ、お嬢さんレディ

 不意に。

 不意に、ミスタ・トバリがそんなことを囁いた。私は顔を上げて彼を見上げる。彼は嘆息しながら客人である少年に視線を向けて、

「――気をつけろよ。あのガキ、自然体デフォルトで【魅了チャーム】を振りまいてやがる」

「おや、気づかれちゃったかい?」

 ミスタ・トバリが警告を発するのとほとんど同時に、少年がそんな科白を口にする。

 にこやかに笑う少年。だけど、その目元は僅かも笑っていなくて、興味深そうにミスタ・トバリを観察していた。

「流石は《血塗れの怪物グレンデル》――いや、『対抗神話フォルクールの獣』だ。この程度の異能ならば、造作なく看破されてしまうんだね」

「……お褒めに与り光栄ですとでも言えば満足か?」

 ミスタ・トバリが眼光鋭く少年を睨みつける。視線だけで人も殺せそうな彼の視線に対し、しかし少年は怯えもしなければ震えることもなく、笑顔のままに言葉を続けた。

「そんな怖い顔をしないでくれよ、《血塗れの怪物》君。ちょっとしたお茶目だよ。お茶目」

 そう言って、少年は片眼を瞑って見せた。妙齢の女性ならば心がときめきもしそうなものだけど、それはミスタ・トバリには逆効果だ。

 案の定、ミスタ・トバリの眉間の険しさが増した。その手は自然と腰に括り付けている短剣に伸びる。

「――ミスタ・トバリ」

 私は咄嗟に彼の名を呼んで静止する。彼は短剣の柄に指を掛けながら舌打ちをし、少年へ向けていた鋭い眼光を、今度は伯爵へと注いだ。

 背後から突き刺さる、それこそ物理的圧力すら在りそうな強烈な視線に、伯爵は「やれやれ」と肩を竦め、少年を見据える。

「レオ――レオナルド。彼を挑発するのは、それくらいにしてくれ給え。後で彼の不機嫌の被害を被るのは私なのだ。私の夕食が、硬いパンだけになるのを避けるためにも……ね」

 少年――ミスタ・レオナルドに対し、伯爵は切実に言った。

 私は思わず苦笑いする。

 この事務所の台所事情は、ミスタ・トバリが一手で担っている。そして、以前伯爵がミスタ・トバリの反感を買った際、その日の食事は伯爵が言った通り、硬いパン……驚くことに、そのパンはナイフが通らなかったくらいに硬かったパンが皿の上に一つ置かれているだけで……。

(あれは悲惨でしたね……)

 後からこっそり食べようとしたそうだけど、食材の多くはミスタ・トバリによって徹底して隠されていてらしく、伯爵は泣く泣く研究室に保管していた、果たして何年前のものか判別不能な干し肉の切れ端を噛む羽目になったのは、大変記憶に新しい事件だ。

「それはそれで見てみたい光景ではあるけど……それはまた次の機会に取っておくとしよう。僕もそれほど時間に余裕があるわけではないからね」

 伯爵の悲惨な晩餐の情景を想像したのか、ミスタ・レオナルドは失笑を零しながらそう告げる。

「私としても、同感だ」伯爵はミスタ・レオナルドの言葉に頷いた。「君と歓談を続けたい気持ちはあるが、それよりも……私は二、三君に訊ねたいことがあるのだよ」

「何かな何かな? 君の質問ならば喜んで答えるよ」

「――では、遠慮なく」

 ミスタ・レオナルドの言葉に、伯爵は微笑を浮かべると紅茶入りのカップを手に取って一口つけ――


「――カリオストロ三世に情報を流リークしたのは君だね?」


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