一幕『その列車に乗り合わせたのは、幸か不幸か』Ⅷ


 険しい表情で、伯爵そう問いかける。

 私は予想外の言葉に目を丸くする。隣に立っているミスタ・トバリが「そういうことか……」と苦々しげに呟いているのを耳にし――同時に、ミスタ・レオナルドが満足げに表情を綻ばせ、力強く首肯した。

素晴らしいexcellentっ! あはは。わりと簡単に看破されてしまったかぁ。もう少し驚かせられると思ったのだけどな。《血塗れの怪物》君も見当がついていたみたいだし……次の機会があるあらば、もう少し難解にしてみてもいいかもしれないね」

「君の講釈はどうでもいいよ。私が知りたいのは、どうしてこのようなことをしたのか、ということさ」

「理由はいろいろあるが――強いて言うならば、退屈しのぎさ」

 憤然と問う伯爵に対し、少年の返事はとても明朗だった。

「君が迂遠にして面倒なことをした結果、私は私が雇っているはずの従業員と助手に短剣と銃弾の洗礼を浴びせられたわけだが、その理由が君の退屈しのぎと来たか……」

 ミスタ・レオナルドに向ける伯爵の視線はとても冷ややかだった。かの御仁にしては珍しく、相手に対し呆れた様子で嘆息をする程らしい。

 そんな彼の様子を見て、ミスタ・レオナルドは一層笑みを深くしながら言う。

「勿論、それだけじゃあないよ。まあ、君たちの現状を知りたかった――というのも理由の一つさ」

「現状……ですか?」考えるよりも先に、私の口は疑問の言葉を発していた。

「そうだとも、お嬢さんレディ

 ミスタ・レオナルドが頷く。そして彼は一瞬だけ私を見て、続けてミスタ・トバリを見て――最後に伯爵をじっと見つめた。

 まるで、値踏みでもするように。

「――このロンドンは、今や無法の地と化しているね。勿論、表社会の話じゃあないよ。女王陛下の威光に陰りはなく、大英帝国の権威は今も頑強であり世界の均衡が保たれるうえで絶対不変の安泰具合だ。

 だがその水面下では――複合企業や裏社会の人間たちが。

 あるいは――我々のような常識を逸脱した領域の者たちが。

 あるいは――人類の認識を凌駕した絶対上位の存在たちが。

 今か今かと機会チャンスを窺っている。技術と知識と文明の中心地――大蒸気機関都市ロンドンで、彼奴らは今もひっそりと、だが確かに暗躍をしている。

 貴方に請われ、数日前にこの地に足を踏み入れた僕ですら気付けるほどだ。ならば、この地を拠点として活動している貴方は、殊更この事態は把握して然るべくだろ?」

 にんまりと口元を歪めて、ミスタ・レオナルドは伯爵に訊ねた。伯爵は「無論だとも」と首を縦に振る。

「君の言う通り、今のロンドンの闇――このロンドンに住む人口三〇〇〇万を遥かに超える人々の、その殆どが知らずが儘にいる社会の裏の領分は、今大変不安定だ。

木っ端の破落戸たちが日々勤しむ略奪に、無法者アウトローたちによる暴力行為。反社会組織マフィアたちの利権争いや、諸外国からやって来る諜報員スパイとの情報戦。人身売買に無識者モグリによる遺伝子改造等の違法行為の数々――まあ挙げれば切りがない程に誰も彼もがやりたい放題! おまけに元凶がいなくなったはずなのに、今も数が減ることのないレヴェナントも目の上のタンコブときている。それらの情報が集束する政府機関は、日々多忙を極めていることだろう。何人もの役人が、何日も徹夜をしながら必死に事態を収めるために働いているだろうさ」

 まるで見てきたように、伯爵は言う。それどころか、何かを思い出したかのように失笑までしている。もしかして、そういう話し合いの場に呼ばれでもしたのでしょうか? 

 ふと脳裏に過った考えについて訊ねてみようと、ミスタ・トバリに視線を向ける――すると、目があった。

 どうやら彼も同じことを考えたようで、私が首を横に振って見せると、彼も返答代わりに片方の眉尻を下げて肩を竦めた。どうやら、その辺りについては彼も知らないらしい。

 とはいっても、胡散臭さの権化みたいな伯爵ではあるが――彼は伝説に名高い錬金術師サン=ジェルマンその人なのだから、顔の広さは私たちの想像するよりも遥かに広い。政府関係者の一人や二人、顔馴染みがいても何も不思議でもない。

 私はそう自分に言い聞かせて、とやかく勘繰るのはやめることにしよう。不毛過ぎる。

 そんな私たちを他所に「――しかしだ。レオナルド」と伯爵は強い語気で言葉を発した。

 瞠目するミスタ・レオナルドに対し、伯爵は悠然と微笑んで見せる。

「君が思っている以上に、このロンドンの守りは堅牢だよ。英国政府は一枚岩ではないが、それでも彼らの耳目は広く、手は長い。それに君が言った通り女王陛下の威光に陰りはないわけだからね――そして、それでもどうにもならない時のために、我々がいる。幸か不幸か、このロンドンには頼もしい者たちが多い」

「それが彼らってことかな?」

 意味深に私たちを見るミスタ・レオナルドに対し、伯爵は自慢げに胸を張る。

「君も、それを確かめたかったのだろう。どうだね、君のその観察眼は、彼らをどう評価した?」

 伯爵がそう訊ねると、ミスタ・レオナルドは輝くような笑みを浮かべて。

「それこそ、語るまでもなしノープロブレム――というやつだね」

 ミスタ・レオナルドは満足げに答えた。

「貴方が手紙で自慢するだけのことはある。英国の外にまでその実力が風の噂で聞こえてくる《血塗れの怪物》は言うまでもないけど……其方のお嬢さんもなかなかの可能性ポテンシャルの持ち主って感じだ。僕が此処に来た時、警戒して早々に部屋を去っていった少女にしてもね。

 それに――君たちを抜きにしても、このロンドンは人材の宝庫だ。高名な探偵コンビに、政府直轄の秘密結社や公式には存在しない諜報部――それに《女王の懐剣セイヴ・ザ・クィーン》もいるわけでしょ。確かに、貴方が言う通りロンドンの守りは想像よりも堅いようだし……これなら安心して、僕も仕事に取り掛かれそうだよ」

「ふむ。では、大機関の件は了承ということでいいのかな?」

「勿論さ。ロンドンの心臓をお目にかかれる機会はそう多くはないし、それを改良してくれなんて言われちゃあ、興味も出るさ。これを機に隅々まで調査して、解析して、改良を施し、僕のすこぶる天才性を発揮して見せるとしようじゃないか」

 そう言うと、ミスタ・レオナルドは席を立った。彼は長椅子の背もたれに引っ掛けていた外套を摑んで、颯爽と部屋のドアへと歩いていく。私は慌てて「お見送りを――」と口にしたのだけれど、ミスタ・レオナルドは「不要だよ」と片手で私を制した。

 彼はそのまま伯爵へ振り返る。

「正直な話、ロンドンがどうなろうと、僕は左程興味がない。究極的に、僕は僕の生み出したいものを生み出せる環境さえ保てれば、誰が世界を支配しようがどうでもいいよ。だが気を付けておいた方がいい。サン=ジェルマン」

 少年然としたミスタ・レオナルドの柔らかな目元が唐突に鋭いものに変わった。伯爵の双眸が猛禽類を思わせるなら、彼の眼差しはまるで蛇のようだった。

「――この大機関都市に潜む連中は、道標を見つけた。今、彼らはそれを血眼になって探している。

 これからは、それを求めての闘争と混迷が続くよ。なにせ散らばったパズルの欠片ピースは、その一端だけでも千金の価値があるからね。もしも貴方が――貴方たちが真にこのロンドンの秩序を守ろうと思うのならば、僕は応援する」

 そう言って、ミスタ・レオナルドは帽子掛けから自分の帽子を手に取って、「――では、健闘を祈ってるよ~」とにこやかに去っていった。

 足音が遠ざかり、やがて事務所の階段を降りていく音がして――そして、ついには何も聞こえなくなった頃、

「――まったく、言うだけ言って帰っていったか。自由気ままは相変わらずのようだね」

 伯爵が深い溜め息を零す。この人にしては随分と疲弊した声音だ。私は新しい紅茶を伯爵のカップに注いだ。

「どういう意味だったのでしょうか。最後のは」

 そう訊ねる私に、伯爵は「ありがとう」と紅茶の注がれたカップを手に取りながら眉を顰める。

「さて、ね。彼の言うことはその真贋がいまいち摑み切れないのが困るところだ。まあ、注意勧告と激励を受けたと思っておくとしよう」

「色々事情に通じていますって喋り方だったな。耄碌爺の件もそうだが、放置していいのか?」

「どうせ捕まえたところで話はすまい。それに、変に機嫌を損ねて敵に回すのも厄介だしね」

 どかりと隣に腰掛けながら物騒な話をするミスタ・トバリに対し、伯爵は首を横に振った。

「厄介ねぇ……まあ、それもそうか」

 意外なことに、ミスタ・トバリは釈然としないといった様子ながら、伯爵の言葉に同調する。

「珍しいですね、貴方がそんな殊勝な態度を取るなんて」

 私は普段の彼の言動を振り返り、何気なく皮肉を込めてそう言ってみると、ミスタ・トバリは顰め面を浮かべた。

「別に。世に名高き有名人を敵に回すと面倒だなと思っただけだよ」

「有名人……」

 彼の言葉に、私はふと気になって訊ねてみた。

「あの少年を、ミスタ・トバリはご存じなんですか」

「顔は初めて見た。だけどな、誰だって知ってるさ。少なくとも名前は知ってる」

 そう言うと、ミスタ・トバリは窓の外を指さしながら言った。

「今日だって飛んでるだろ。羽付きのやつ」

(飛んでいる?)

 自然と、私の足は部屋の窓際へと向かった。ミスタ・トバリが指さした窓の外の光景。普段通りの灰色の空に覆われた、ロンドンの街並みが其処には広がっている。いつも通り、大領の蒸気機関から吐き出される蒸気と煤煙が舞うロンドンの空を、機関飛行船や回転羽根付飛行機ダ・ヴィンチ=フライトが飛んでいて……――

「――え、ええ!?」

 私は、自分でも驚くくらい間の抜けた悲鳴を上げてしまった。しかし、そんな自分の醜態も今ばかりは気にもならず、私は伯爵とミスタ・トバリを振り返る。

「ま、まさかさっきの少年って――……」

 驚く私に対し、伯爵はくっくっくっ……と口元を隠しながら笑い、ミスタ・トバリは「ヒントはいくらでもあっただろ」と呆れ顔を浮かべた。

「レオナルド。【万能の貴人】――この二つだけでも充分答えだろ。そうじゃなくても、大機関はあのバベッジ機関が機関技術の粋を集めて作り出した蒸気機関の中でも傑作中の傑作。それをおいそれと修理するどころか、改良できる存在がどれ程この世にいる? しかも、このサン=ジェルマンすっとこどっこいでもできないことを平然とやれるような技術者なんて、それこそ限られてる」

「で、ですけど……レオナルド・ダ・ヴィンチは四〇〇年以上前の――」

「じゃあこいつは何年前だよ?」

 思わず常識的会話をしようとしたのが、そもそもの間違いだった。私はミスタ・トバリが指さす、彼の隣に腰掛けて今も笑いを堪えている伯爵を指さして見せる。

 途端に、私は納得した。納得してしまった。だって、納得するしかない。

「――……千年は生きていますね。確かに」

 私は、最も身近となった常識の埒外にある人物の経歴を思い出した。言われてみれば、目の前にいるのは千年以上昔から生きていると言われる錬金術師である。そんな人物がいるのだから、過去の偉人が実は常命の枠組みから外れて、実は今も生きているというのは、別段不思議なことでも何でもない。

 いよいよ我慢ができなくなったらしい伯爵が、ついに声にして笑い声を上げる横で、「そーゆーことだ」と、ミスタ・トバリは同情の眼差しで私を見る。

「もう少しこいつと一緒にいれば、自然と慣れるぞ」

「慣れたくないですね」

 ミスタ・トバリの諦観の籠った言葉に対し、私は本気でそう思ったのでそう口にすると、彼は「まったく同感だよ」と肩を竦めた。


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