五幕『空虚な慟哭、それは誰の嘆きか』Ⅰ


 がたがたがたと、舗装が不安定な街路を蒸気式四輪駆動が走る振動にレナードは渋面する。時折腕の中に抱えている赤子が目を覚まさないかとやきもきしながら、彼は蒸気式四輪駆動の運転席に座る青年の背に声を放つ。

「ねぇねぇ運転手さん! もう少し……もうすこーしだけ、ゆっくり運転できないかな? そうでないなら、ガーニーが跳ね上がらないように丁寧に操ってくれると、僕は嬉しい!」

「そりゃ俺じゃなく、周りを走ってる下手糞たちに言えよ。ミスタ」

 片手でハンドルを握り、身体の半分を車窓から車外の乗り出していたトバリが、四輪駆動の中に戻ってきながら悪態を零す。

「それとも降車おりるか? やっこさんたちは泣いて喜ぶぞ」

「それだけは絶対に嫌だね。僕はまだまだ長生きしたいんだ」

「ならばもう少し節操ってものを覚えろ。うちの仕事には、対人案件はないんだぞ」

「愉快な掛け合いは後にしてください! ミスタ・トバリ、右から来ます!」

 レナードの懇願に軽口と皮肉で応じるトバリに対し、隣の席で同じように窓から身を乗り出していたエルシニアが振り返りながら叫ぶ。トバリは「判ってるよ!」と声を張り投げながらハンドルを切る。背後から迫ってきていた後続車の車体に体当たりし、当てられた四輪駆動は制御を失ったまま激しい衝突音と共に街灯に激突した。

「一丁あがり」

「反対も来てます!」

「こっちもだ。ったく、何台蒸気四輪駆動ガーニー持ってんだよ。それなりの高級品だろ、これ」

 振り返りながら、追って来る蒸気四輪駆動の数をすばやく数える。目に見えて走っているのは三台だが、その後方では蒸気馬スチームホースに牽引された二輪座馬車キャレッジの姿も見えた。トバリは思わず溜め息を零す。

「あー、荷物を捨ててぇ……」

「その荷物って僕のことかな?」

「他に誰がいるんですか? ミスタ・スペンサー」

 追っ手に向けて機関型拳銃を構え、断続的に引き金を引きながら、エルシニアが厳しい視線をレナードに向ける。

「まったく、伯爵はいろいろ仕事を安請け合いしすぎではないでしょうか」

「気が合うな。アンタの仕事を引き受けたとき、俺もおんなじこと言ったよ」

 嘆息するエルシニアの言葉に、トバリは彼女と出会って間もないころのことを思い返してそんな軽口を叩いた。途端、エルシニアは露骨に難色を示す。

「こんな時でも皮肉は絶好調ですね、ミスタ・トバリ。普通、それを今言いますか?」

「……まあ、言う必要はなかったかもな」

 非難する眼差しに、トバリは苦笑を浮かべた。その間もハンドルを右に左にと小刻みに操って後ろから体当たりしてきた車両を躱し、お返しにとエルシニアから借り受けた機関型拳銃の銃口を相手の車輪に向け、躊躇いなく引き金を数度引いた。圧縮された蒸気が爆発し、銃口から銃弾が吐き出される。ガンッ、ガンッ、ガンッと金属同士がぶつかり合う音が反響し――次の瞬間車軸が破壊され、前方車輪の一つが吹き飛んでいく。

 車両の支えを失った蒸気式四輪駆動が体勢バランスを崩し、高速で走った勢いのまま右往左往――そして吸い込まれるように正面から街灯に激突し、車両は煙を上げたのを見届けると、トバリは「一丁上がり」と肩を竦める。

「さて、エルシニア。あとどれくらいで追っかけっこは終わらせられそうだ?」

 暗に〝さっさと片づけてしまえ〟と揶揄ると、エルシニアは溜息交じり彼を振り返って言う。

「貴方みたいな大道芸を私に求めないでください。並走しながら撃ってくる相手に対して冷静に射撃するなんてことは普通はできません。それに無抵抗で撃たれるのを待ってくれるほど、相手側も優しくはないでしょう?」

「いいや、あの連中程度なら優しいもんだろ。むしろ気にするべきはもっと別の――」

 トバリの言葉を遮るように、背後から凄まじい衝突クラシュ音が聞こえてきた。言い合いをしていた二人も、成り行きを見守るしかできなかったレナードも、慌てて背後に視線を向ける。

 彼らが見た光景は、目を疑う情景だった。

 つい先ほどまで彼らの乗っている蒸気式四輪駆動を追っていた連中の四輪駆動が、どういうわけか宙高くに飛び上がっていたのである。

 常識的に、蒸気式四輪駆動は宙に飛び上がることはない。街路の凹凸に車輪が引っ掛かり跳ね上がった――という可能性は無きにしも非ずだが……しかし、それは文字通り〝跳ね上がる〟程度の事象であり、人の頭よりも数倍高く跳び上がることはまず有り得ないことだ。

「ななななななんだぁ!?」

「――ミスタ・トバリ!」

「だああ、糞がっ!」

 素っ頓狂な声を上げるレナードを他所に、エルシニアが咄嗟にトバリの名を呼んだ。トバリは応えの代わりに悪態を零し、制動ブレーキから素早く回避操作。街灯や消火栓に対向車――あるいは道を歩く通行人の間をすれすれに移動する。「死にたくなかったらどけ!」と怒号ながら駆け抜ける。

 景色が目まぐるしく背後に抜けていく中、寸前まで走っていた車線コース上に、宙に舞った車体が落下した。凄まじい破砕音の中に、赤い飛沫と共にぶちゅりという僅かに肉がつぶれる音が響く。

 そんな背筋の凍るような情景も、一瞬にして後方の彼方に去っていく。トバリはアクセル・ペダルを踏み込みながらエルシニアに訊ねた。

「何が起きてる?」   

 返答に、一瞬の間があった。

 それだけで、トバリは状況が深刻であることを悟る。同瞬、

「――敵です。かなり厄介なやつですね」

 機関型拳銃を片手に構え、エルシニアは神妙な面持ちでそう答えた。トバリは舌打ちをしながら振り返る。

 先程までずらりと並んでいた、面倒な追跡者たちの車両の影は何処にもなかった。だが、今となってはそっちのほうが百倍マシだという気持ちになる。

 視線の先には、灰色の影。

 それは、女性の姿をしていた。

 それは、白い肌を持っていた。

 それは、灰色の髪を靡かせていた。

 細く長い手足に体躯を包むのは、漆黒に彩られながらその裾がボロボロとなったドレス。そしてその全身から僅かににじみ出る禍々しい黒い靄オーラ

 長い灰色の髪から覗く血走った双眸が、射貫かんばかりに此方を凝視していて――

「――来やがったか!」

 一瞬、その姿が掻き消え――次の瞬間、その距離はトバリたちが乗っている蒸気式四輪駆動の直ぐ後ろに立っていた。

「撃て、エルシニア!」

 トバリが咄嗟に声を上げると、それを合図としたようにエルシニアが機関式拳銃の引金を引く。ばしゅっ、蒸気圧が吹き出す音と共に鉛の弾が音速で放たれ、銃弾は真っすぐに灰色の女性へと叩き込まれる。

 しかし、

「――うそっ」

 エルシニアが驚嘆の声を上げた。レナードは信じられないものを見たというようにあんぐりと口を開いて言葉を失っているが、トバリだけはその結果を予想していた。むしろなるべくしてなった結果とも言える。

 撃ち込まれたはずの銃弾は、これほどの至近距離にいるにも拘らず女性の身体に届いていなかった。銃弾は、女性の全身からにじみ出ている黒い靄オーラによってからめとられていた。

 ――、と。

 灰色の髪から覗く口元が歪み、その細長い腕がゆっくりと持ち上がった。女の全身から滲む黒い靄オーラが掌に集う。 

「――させるかよ」

 咄嗟に、トバリは手袋越しに親指の皮膚を噛み千切り、女に向けて右腕を振るった。指先から滲む鮮血が迸り、それは一瞬にして硬化し灰色の女へと放たれる。

 ――血染化装・放刃式《撃刀うちがたなつきたて》。

 血によって形作られた極細の投刃が、今まさに腕を振り下ろそうとした女の胸元を射抜き、転瞬――ぱぁん! という破裂音が響く。

 投げ放たれた刃が接触と同時に爆散し、衝撃波となって女を襲った。

 その衝撃で、女の身体が後ろに傾ぎ――トバリは勢いよくハンドルを切った。エルシニアとレナードが小さく悲鳴を上げるのもお構いなしの急制動ブレーキ曲進カーブ

 慣性の法則で振り回された灰色の女は、急制動の勢いに呑まれて蒸気式四輪駆動の車体から落下し、近くにあった建物の壁に激突した。

 乗り継いでいた灰色の女を振り落としたのを確認すると、再びアクセル・ペダルを強く踏み、急発進する。

「いいいいい急いで逃げよう《血塗れの怪物》!」

「言われなくたってそうするよ。此処じゃあ分が悪すぎる」

 後部座席から身を乗り出して悲痛な声を上げるレナードの言葉に同意しながら、トバリは舌打ちを零す。

 そんなトバリの隣で、エルシニアは機関式拳銃の残段数を確認しながら訊ねた。

「ミスタ・トバリ。あれは一体?」

「あーん。決まってるだろ」

 トバリは限界までアクセル・ペダルを踏み込みながらエルシニアの問いに答える。


「――来やがったのさ。噂の幻想種がな」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る