一幕『その列車に乗り合わせたのは、幸か不幸か』Ⅳ


[赤色の若者との相席]


 奇妙なことというのは続くものなのだろうか? と、男は首を傾げた。少なくとも、男にとって今日は間違いなく奇妙な出来事が続いている日である。

 小型動物型機械人形を連れた労働者階級の娘とすれ違いもすれば、伯爵と呼ばれた奇妙な紳士と学者然とした女性という不可解な組み合わせの二人組にも遭遇する。

 まあ、そんなことも稀にあるのかもしれない。そして、今日の出来事は少しばかり記憶に残り、酒の席の肴になりそうな土産話程度にはなる。そう思った――そう思ったのだ。

 しかし、どうやら奇妙な出来事というのはどうも続くらしい。いや、奇妙と呼ぶのはある種相手に失礼かもしれない。これが先の二組の乗客との遭遇がなければ、然程気に留める事柄でもなかっただろう。

 だが、そうはならなかったのだからと、相席の人物には申し訳なく思い男は苦笑を浮かべた。

 男のたどり着いた客席には、既に先客がいた。男と比べても随分と若い若者である。ただ、それだけであれば、男も彼を見て奇妙と思うことはなかっただろう。しかし、彼の着ている外套が、男に彼を奇妙と思わせたのである。

 ――外套。

 全身を包む長丈のフーデットコートは、黒や茶などの一般的な色ではなく、赤だった。

 赤色レッド――否、鮮やかさとは程遠い、暗い赤色。葡萄酒色ワインレッド。もっと正しく表現するならば、恐らく赫々色ブラッドレッドと表現する方が正しいだろう。

 そんな好みによっては悪趣味とすら思われるような赤い外套に袖を通し、フードを被ったまま若者がいびきをかいている姿に、思わず扉を開けたまま男は言葉を失い立ち尽くしていた。

 そして、改めて自分の切符を確認し、部屋の番号を確認する。間違いないらしい。となれば、今鼾をかいている若者は自分と相席ということになる、二等客席ともなれば、見知らぬ誰かと相席になることは間々あることだ。

 男は溜め息を吐きながら、礼儀として扉をノックする。当然ながら、青年からの反応はなかった。男は再び溜息を零しながら、客室へと足を踏み入れる。身に着けていた外套を脱いで畳み、被っていた帽子と共に席に置くと、その隣に腰を下ろすと、窓の外へと視線を向けた。

 列車に乗る前から変わらない、灰色雲の景色が其処には広がっている。この光景がロンドンに着くまで続くのだ。かつて観光のため、仕事のために乗って、その窓の外に広がる景色を楽しみながらという旅は、現代においてはあり得ない――というのが通説である。旅行者の多くは機関エンジンカードなどを利用した記録媒体に保存されている観劇シアター舞台オペラを楽しんだり、新聞や小説などの読書、あるいは食堂車で食事と歓談にふけるのが今の旅行の形となりつつあり、今後はそういったサービスに力を入れると鉄道会社が何かのインタビューに答えていたはずだ。

 それが妥当だろう男も思う。この景色を見て楽しむという感性を持つ人間は、なかなかいないだろう。それほどに世界の景色は味気なく、色褪せて映る。青空の欠いた世界は機関文明という素晴らしい社会基盤を築いたが、こういう時は只々もの悲しい気持ちになるのも、また事実だ。

 それは果たして、男にこの地がまだ青空の下にあった頃の記憶があるが故の郷愁なのか。あるいは単に蒸気機関文明に対する反骨心なのか……と考えて男は苦笑する。

 機関企業に属し、蒸気機関車を利用し、蒸気機関の恩恵を甘受している身で、この栄光なる機関文明に不満を垂れるなど。

 男は窓の外を眺めながら、そんな風に思考に耽っていた。

「――なんだ、窓の外に面白いもんでもあったのか?」

 と、不意に声を掛けられて、男は我に返る。そして目を瞬かせながら、声の主を探した。と言っても、この客室には自分を除けば一人しか乗っている人間がいないのだから、自然男の目は対座に座ったまま鼾をかいていた若者へと向けられた。

 いつの間にか目を覚ましていたらしい若者が、男を見ていた。赤いフードの奥。黒髪の間から覗く赤みがかった瞳が男をじっと見据え、若者はにやりと口の端を持ち上げて見せる。

「あんた、忙しそうだな」

 若者の科白に、男は首を傾げた。すると、若者は失笑しながら男を指さす。

「さっきから、窓の外を見ては表情がころころと変わってやがる。愉快な百面相をしていただろ。だから聞いたんだよ。面白いもんでもあったのか、って」

「ああ、そういうことか」

 若者の説明で、漸く男は得心がいった。そして苦笑いと共に首を横に振る。

「別段、外に面白いものなどなかったよ。いつもと同じ、何処までも続く灰色の景色だけだ」

「――ま、そうだろうな」と若者は窓の外をちらりと伺い見て、納得したように肩を竦めた。

「列車の旅ってのは味気ないものだな。なんかの本じゃあ、旅の醍醐味は車窓から見える景色の変化とか書かれてたような気がするんだがね」

「いったい何十年前の本を読んだのかな。確かに、蒸気機関が発達する前はそうだったかもしれないがね……今では御覧の通り、味気ない風景さ」

 そう言って男が皮肉を零すと、若者は僅かに目を丸くして微苦笑する。

「確かに、味気がないってのは同意だよ。少しは期待してたんだが、おかげで寝るくらいしかすることが思いつかなかったわけだしな」

「それはご愁傷様だ。今度列車を利用するときは、暇潰しの道具を持ち込むことをお勧めするよ」

「そうするよ」と、男の言葉に、若者は賛同するように頷く。

「見た感じ、お仕事の帰りって感じだな」

「その通りだね。ちょっとした取引があってね。それを終えて、今から帰るところさ」

「務め人は大変だな。お上の命令次第で東奔西走の大忙しってわけだ」

 呵々と笑う若者に、男は「まったくだよ」と同意する。

「そういう君は……旅行者なのかな。その割には、荷物がないように見えるが?」

 なんとなく、男は自分から今度は問いを投げてみた。特に大層な理由はなく、単純な興味本位の問いだったのだが、若者の返答は意外なものだった。

「アンタとおんなじで、お仕事だよ。一応な」

 仕事――という言葉に、男は僅かに目を剥いた。何処か無法者然とした雰囲気すら醸す若者とは、なかなか不釣り合いな言葉に思えたからだ。

「意外かい?」と、若者は皮肉げに口の端を吊り上げる。男は自分の態度から悟られてしまったのだろうと思い「す、すまない」と謝罪の言葉を口にする。

 若者は気にした様子もなく肩を竦めた。

問題ねぇよノープロブレム。まあ、あんたのような務め人然としちゃあいないからな。そう思うのも無理はないさ」

 若者の皮肉に、男は返答に困り苦笑するしかなかった。そんな男の反応など予想していましたとでも言いたげに、若者もまたにやりと笑う。

 ――、と。

 何故だか、若者の笑みに背筋に冷たいものが走ったような錯覚に、男は息を呑む。

「――後ろ暗い仕事さ。勿論、悪いことじゃあないぜ。単なる人探しだよ」

「つまり……君は探偵か何かかね?」

「いいや。知り合いに探偵はいるが、俺はそういうんじゃあねーよ」

 そう言って、若者は一層笑みを深くする。その笑みは凶暴で、物騒で、悪辣さを感じさせる笑みだった。

 男は、抱えていた鞄を握る手に力がこもったのを自覚する。何故、と問われれば是非もなし。それは単純に、男の中にある危機に対する警戒心故の行動だからだ。

「――では……なんだと?」

 踏み入ってはいけないという理性に対し、警戒心という名の好奇心が鎌首をもたげてそんな問いを口走らせ、対して若者は何処か愉しげに答えた。

「――請負屋ランナーさ」

「――請負屋っ!?」

 男は驚嘆する。

 ――請負屋といえば、失せ物探しから荒事まで。合法非合法問わず、報酬次第で如何なる仕事も引き受ける何でも屋たちである。目の前の若者は、自らがそうであると言うのだ。

 そんな話を聞いた男は、思わず若者から距離を取って鞄を抱きかかえた。

 途端、若者がにたりと笑う。

「――どうした? 俺が請負屋だと、何か拙いことでもあるのかい?」

 男は自分が今まさにとった行動を呪いながら、「な、なんでもない!」と首を横に振る。

 そんな男に向けて、若者はくつくつと笑い声を零した。

「そんな慌てふためいて〝何もありません〟なんて通用しないだろ。つーか、あんたももう勘付いただろ? 俺はな、最初からあんたに用があるんだよ。いやまあ、正しくはアンタの持っている鞄の中身と、それを受け渡す予定になっているお相手になんだがな」

 そう言って、若者が立ち上がった。男は咄嗟に自分の懐に手を伸ばし、其処に忍ばせていたものを摑んで若者へと向け――

「――遅ぇよ」

 という科白と共に、若者の腕が煙るような速さで閃く。いつの間にか、その手には肉厚の刀身を持つ短剣が握られていて、今まさに男が突き付けた拳銃を振りぬいた勢いで弾き飛ばしていた。

 宙を舞う拳銃を、若者は見向きもせずにキャッチする。その神業に、男は言葉を失って呆然とするしかなかった。

 そんな男に向けて、若者は淡々と告げる。

「さぁて、無駄な抵抗はこれ以上するなよ。逃げるのもなしだ。尤も、逃げたところで俺の連れがアンタを逃がすことはないけどな」

 そう言って、若者は客室の扉へと視線を向けた。男も、つられて其方に目を向ければ――なんということだ。

 今日すれ違った小動物型機械人形を連れた娘に、伯爵と呼ばれた紳士。そしてあの美しい女性が、扉の前で此方の様子を見ているではないか。

「アンタたちは……いったい――」

「おーっと。質問するのはあんたじゃあない。俺たちのほうさ――素直に答えりゃ、警察にお世話になるだけで済むからよ」

 若者は男の言葉を遮りながら、短剣の切っ先でついと男の喉元をつつく。男は両手を挙げて、抵抗する意思がないことを必死に訴えた。そこで若者は「よろしい」と満足げに笑って見せ、くいっと顎を動かす。客室の扉が開き、彼の連れたちが入ってくる中、若者は話を続けた。

「――それじゃあ、質問開始だ」

 

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