Ⅲ
――
誰もいなくなったその場所で、一人佇む彼は―ーヴィンセント・サン=ジェルマンは虚空を眺めながらそう心の内で零す。
パラケルススの目的は、恐怖を蔓延させることで超越存在を呼び出し、叡智へと至ることのはず。
なのに何故、賢者の石に魂を移して永劫を生きた彼が――どうして今になって賢者の石に変わる物質を作り出すなどという、
残されたヴィンセントが、周囲に転がる残骸を睥睨する。
銃撃によって半数近くが破壊された揺り籠。そして銃弾の雨に晒されたレヴェナント。粉砕し、四散し、最早物言わぬ骸の山の中で、ヴィンセントは目の前に君臨する巨大な蒸気機関を見上げる。
それは濛々と蒸気を吐き出し、稼働を続ける蒸気機関の王。この大英帝国首都ロンドンを支える大機関である。
その深奥。最も深きこの場死で、ひっそりと大機関の運用エネルギーを利用し、稼働させていた《揺り籠》。そこから生成された〈赤晶体〉が、足元に転がっていた。
手に取り、観察する。
赫い、赫い、血の如きその結晶。歴史に名を連ねる錬金術師、パラケルススが伝説と語られる偉業の所以にして、錬金術師たちが追求し続けた秘奥の一つ――賢者の石と呼ばれる代物を模倣した、赫の結石。
まるで脈動するかのように僅かに明滅をするその石を眺め、ヴィンセントは渋面を浮かべる。
確かに似ている。しかし、同時にこれは賢者の石ではないという確信も得られた。
あらゆる干渉術式を増幅させる力を石。
死の間際の命を救済することの出来る命の石。
非金属を黄金へ錬成する――否、不完全なものを完全なものへと昇華させる栄光の石。
それこそが賢者の石と呼ばれる代物の共通認識(イメージ)だ。実際にはそのような、神の御業に匹敵するような神秘の力を有しているわけではない。
賢者の石は確かに、干渉術式の力を高める力を持っている。確かに、傷ついた者を癒す力を持っている。確かに、石榑を黄金へ変える力を持っている。
しかし、万能でもなければ、全能でもない。
賢者の石の本質は、パラケルススが言う通り、魂の器である。
パラケルススが考案・実証した魂の転移を用いて、肉体から賢者の石へ文字通り魂を移し替える――そのための
それこそが賢者の石の本質だ。
ヴィンセントもまた、賢者の石を知る者の一人である。故にパラケルススが模倣品と呼ぶ理由も頷けた。
〈赤晶体〉もまた、確かに魂の受け皿としては充分に機能するだろう。
だが圧倒的に
やはり、魂を移し替え、且つ定着させ、恒久的に保存する媒体としては、恒久的に形質保存が可能な賢者の石が最適だと言えるだろう。
だからこそ、思わざるを得ないのだ――何故、と。
彼の目的は遥か昔に達成されている。今さら賢者の石に代わる新たな物質を生成する意味などないはずだ。
よしんばレヴェナントの
彼の現在の目的は、超越存在の領域――〈アルケミスト〉が叡智と呼ぶ領域へと至る方法だ。
かつて一人だけ叡智へと至った男の言葉を信じ――このロンドンに鋼鉄の怪物たちを解き放ち、人々の恐怖を煽っている――そのはずなのに。
各所で、話が噛み合わなかった。彼と相対し、言葉を交わし――その違和感は一層顕著となっていくばかり。
噛み合わない主張。
統合性のない手段。
なんだ。一体、なにがどうなっている?
ヴィンセント・サン=ジェルマンは苦悩する。
疑問。
違和感。
何処か引っ掛かりを覚える、ちぐはぐな感覚がヴィンセントの中で大きくなっていく。
やがて様々な疑問が交じり合い、組み合わさり、見出した疑問の正体。
ささやかな疑問。
されど大いなる疑問。
自分の記憶の中のパラケルススと、現在のパラケルスス。
思想や研究課題にせよ、その言動にせよ、目的のための手段にせよ――何処かズレた感覚。
そうだ。
あれは――
「――……
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