剣戟音ガキン


 金属音ガキン


 衝撃音ガキン


 無数の火花が散る度に、響く激突の音を引き連れて、二つの影が薄暗闇の中を縦横無尽に駆っていた。

 壁も床も天井も足場とし、上下の、ひいては重力すらも無視して両者が虚空を疾る。

 そして一閃。いや――瞬きの間に繰り出されたのは、十に及ぶ斬撃の暴風!

 十の刃ざんげき十の刃ざんげきが激突する。

 無駄を排した神速の剣閃と、圧倒的な膂力による豪速の爪撃は、まるで互いを食い散らすように相手を襲う。

 両者、迫る脅威を容易く凌ぐ。常人を遥かに凌駕した動体視力で攻撃を視認し、圧倒的な反射神経と身体能力で格子のような刃の群れの間隙を縫うようにして抜け、肉薄。


「ははっ! トバリ、今日は随分と動きのキレが良いね! この前とは別人だ!」


 殺そうとしている相手に対して嬉々と賛辞を贈るセンゲに対し、トバリは言葉ではなく二刀で返事を返す。

 左右から繰り出される斬撃は、無音無拍子でセンゲを襲う。だが《心臓喰いハート・スナッチャー》たる彼女は、まるでこちらの斬撃を熟知しているかのように太刀筋から逃れて見せる。


「ほらほらもっと疾く! もっと鋭く! もっと殺意を込めろよトバリ! でなけりゃ、ボクの首は、百億年かかっても取れやしないぞ!」


 怪物が吼える。

 怪物が嗤う。

 叱声し、哄笑する。

 無茶苦茶な訴えを引き連れて、鮮血の腕が振り下された。転瞬――爆発。粉塵と瓦礫を撒き散らして通路が吹き飛ぶ。

 爆発の衝撃を利用して大きく退き、着地。だが同時に粉塵を吹き抜けてセンゲが迫る。

 短剣を投擲。更に刃を無数に携えた刃鎖が、螺旋を描いて迫り来る《心臓喰い》に殺到する。

 しかし、邪鬼は止まらない。

 全身を鮮血の結晶に彩ったセンゲの身体は、最早全身を金属甲冑フルプレート・アーマーで覆っているように固く、トバリの放った刃は悉く弾かれる。

 それだけではない。トバリが此処ぞと見つけた隙に飛び込もうとすれば、彼女の背から生えた鋼鉄の機関式大刃が殺到してくる。

 まるで独立した脳を持っているような的確な防御と迎撃。

 血浄塵型と〈循血機関〉。

 血を操る異能と、血を巡らせることで駆動し、意のままに動く蒸気機関。

 対する此方の手数は愛用の短剣と、大量に仕入れた安い短剣をくくりつけた刃鎖。そしてヴィンセントが作り上げた機関武装だけ。

 しかし同じ封神の家で育ったセンゲ相手では、あらゆる剣技は熟知されているし、刃鎖はあの四本の機関式大刃に防がれる。頼みの綱の機関武装も、センゲの背にする〈循血機関〉に比べれば性能スペック差がありすぎて話にならない。

 拮抗しているように見える現状も、実のところ綱渡りに等しい。一歩踏み外せばそれで終わりのような瀬戸際。崖っぷちとはまさにこのことだ。


「おらおら、呆けるなよ!」


 再び叱声を投げつけられ、視線を向けた先。

 迫りくるは、赤光を放ち閃く四本の機関大刃。


「くそったれ!」


 吼えながら鎖を振るう。

 幾つもの短剣を連結させた鎖が縦横に舞う。先端が壁へとぶつかり、それを契機に壁を次々に跳ね回って、網目の如く広がって防壁と化す。

 されど。


「そんな大道芸がいつまでも続くか!」


 怒号が飛ぶ。

 機関式大刃と刃鎖が衝突すると同時、機関式大刃の重圧な四撃により、あわれ極東より持ち込まれた刃の鎖は、その凶悪なる鮮血色の牙によって塵芥じんかいへと成り果てる!

「ほぅら、いくぜぇ!」

 血の色の鎧を纏う白衣の邪鬼は、嬉々と笑いながら右手の拳を繰り出し、

 ――がしゃん!

 その拳の呼応するようにトバリの右腕は鋼鉄の装甲に覆われる。赤光迸り、赤い稲光を伴い鳴動する五つの刃爪――〈食い散らすもの〉がその拳と正面からぶつかり合う!

 バチバチバチと火花を散らす、血甲の拳と赤光の爪。

 両社渾身の一撃は一瞬の拮抗を経て弾け飛び――しかし二人の勢いは止まることなく両者の両腕は幾度も閃く。

 血染めの両腕が荒々しく振り抜かれ、対峙する鋼鉄の爪と短剣が暗闇の中で幾重もの火花を散らし、弾け、相克する。

「そぉぉら、まだ行くぜぇ!」

 声を上げ、センゲが弾丸の如く肉薄する。驚愕するよりも早く、刈り取るような蹴り足が足元から襲い掛かった。

 咄嗟に回避――愚策。体軸が崩され、身体が傾ぐ。

 隙が生じる。それは邪鬼との戦いにおいては、致命的な間隙だ。

 体勢を崩すトバリの目に移るのは、満面の笑みのセンゲと、鮮血の化粧をした長い足を頭上高く持ち上げた姿――。


(――っておい!)


 脳裏に過ぎるのは、現実味を帯びた自分の死の情景ヴィジョン

 あれを――持ち上げられた足を、そこから繰り出される蹴りを、無防備に受けてはいけない!

 無駄な抵抗と知りながら、咄嗟に身体を捻って右手を持ち上げる。


 ――そこに振り下される、渾身の踵落とし!


 まるで砲撃を受けたような轟音と、全身が粉々になるような衝撃が貫く!

 怪物の蹴り足はトバリの右腕を易々と粉砕し、衝撃が身体を貫いて床を倒壊させた。

 トバリは声にならない悲鳴を零しながら、崩れた床から階下へと落下する。落ちた衝撃で背中に再び痛みが走る。だが右手の痛みに比べれば、感じるまでもないような些細なものだ。

 落ちると同時に身体を転がし、死に物狂いで距離を取って身体を起こす。

 右腕を確認――ああ、、駄目だ、、死んでいる、、、、、

 折れているとか、砕けているとか、そういう次元は疾うに超えていた。腕を覆っていた〈食い散らすもの〉は木っ端微塵――その下に隠れていた腕は壊滅的な状態だった。指は二本ほどないし、残った指はあらぬ方向を向いている。肉は所々が千切れていて、砕けた中の骨があらゆる部分から突き出している。おかげでもう何処がどう痛いのかすら不明だ。

 腕にくっついているのが不思議なくらいの、超現実主義者シュール・リアシルトも吃驚な前衛的な仕上がりに、思わず痛みも忘れて悪態をつく。


「くそがっ……どんな踵落としすれば、人間の腕がこうも変形するんだよ」


「こーんなのさ」


 声と共に攻撃の気配。

 咄嗟に跳び退り、躱す。

 寸前までトバリが立っていた場所に、砲撃の如き蹴足が叩き込まれる。轟音を引き連れて崩壊する壁に足を突き刺した姿勢で、センゲがくつくつと笑った。


「いやー、いい感じに腕、逝っちゃってるじゃん? てかあれ、普通なら人間が木端微塵だってのにさー。腕一本で済んでる辺り、お前も充分人間止めてるよな?」


「その自覚はあるが、お前ほど化け物にもなり切れねぇよ……」


 呆れ半分、自嘲半分に肩を竦めて見せる。

 殺し合っている最中だというのに、まるで茶飲み話のように言葉を交わす自分の可笑しさに失笑しそうになる。

 本当に、イカれた血族だ。

 本当に、莫迦げた一族だ。

 家族だろうが、親戚だろうが、敵として対峙したならば遠慮なく殺し合うなんて――それを、家族と呼ぶなんて。

 まったく、正気の沙汰ではない。

 半分本気で、そう思う。

 嘆息一つ零し、まだ生きている左手で外套の裏地から短剣を引き抜いて、握り直す。

 そんなトバリの姿を見て、センゲが屈託のない笑顔で快活に声を張る。


「いいね、いいね、トバリ! どう見立てたって絶体絶命って状況なのに、それでも諦めない姿勢が最高だ。残念なのは、こんな状況でも血浄塵型チカラを使わないって部分だ。トバリの名がなくぜ?」


「うるせーよ。こっちはテメェと違って才能がねえんだよ」


「知るか、くそったれ。使わない力なんて宝の持ち腐れだ。ボクに寄越せよ、それ」


「はっ。お断りに決まってんだろうが」


 子供の駄々のような科白を吐くセンゲに対して、語気を強めてそう答える。

 すると――どういうことだろう。微かに、センゲの表情が綻んだように見えた。

 これまでのような哄笑でもなく、嘲笑でもない。慈愛の気配すら垣間見えた――そんな微笑に面食らう。

 だが、それも一瞬のことだった。瞬きの間に、その笑みは見慣れた厭らしい笑みへと変貌する。


「なら頑張って抗えよ。目の前にいるのは、お前を全力で殺しに来る相手だ。殺さなきゃ――殺されるぜ!」


 吼える邪鬼が禍々しい赫い腕を振り上げた。拳撃が来るのを予測し、横へ回避――。

 そうしようとした時だった。



「――――は?」



 そんな間抜けな声を発したのは、自分だったのか。センゲだったのか。あるいは二人ともだったのか。

 微かな痛みが熱となって脳を焼く。痛源は右腕。死線を向け、絶句する。

 視線の先にあったのは、ほとんど役に立たなくなっていた腕を吹き飛ばすクローム塊――否、杭だった。

 背後の壁を粉砕し、トバリの腕を千切り取り――そしてその先に立っていたセンゲの胸を貫く、黒鋼クロームの杭。

 驚愕に目を剥くセンゲの胸。トバリの斬撃をも防いだ血浄塵型の鎧を、クロームの杭は容易く貫き、背後にまで突き抜けている。


「――センゲッッッ!?」


 弾け飛んだ腕のことも忘れ、思わず彼女の名を叫んだ。

 名を呼ばれたセンゲは、信じられないものを見たという風に自分の胸を貫く鋼鉄の塊を見下ろしていた。杭の一撃によって破壊された内臓の影響で、逆流した血を口も端から零す。


「……なん……だよ、これ! いきなり何処から湧いてきやが……かふっ!」


 吐血しながらそれでも言葉を絞り出すセンゲの科白に対し、


「いやー済まない。どうにも丁度いい位置に立ってくれていたのでね。文字通り横槍を入れさせてもらったよ、レヴェナント=ザ・フィフス。ミス・センゲ」


 粉砕した壁の向こうから、美しい声を響かせながら姿を現すのは、金髪の美少女。

 エルシニア・アリア・リーデルシュタインの姉、アリステラ・リーデルシュタインの姿をした、狂気の錬金術師パラケルスス

 その右腕には、小柄な少女の姿には不釣り合いな鋼鉄の塊。恐らく蒸気機関を組み込んだ大掛かりな強化外装腕パワード・アームを備えており、その強化外装腕から伸びているのは、センゲの胸を貫くクロームの杭だった。


「――《採掘用射出杭パイルバンカー》というやつだ。本来は名前の通り採掘用に使われる代物だが、こうして利用すれば強力な武器になる。蒸気機関を用いた圧縮蒸気圧スチーム・プレスによって、杭が音速で撃ち出される。さしものお前の異能チカラでも、これを防ぐことは叶わなかったようだな」


 歪な笑みを浮かべて語るパラケルスス。その姿を前に、トバリもセンゲも言葉を失ってしまい、少女の姿をした錬金術師を睥睨する。

 そんな二人の視線を受けながら、パラケルススはゆっくりと突き出していた右腕を引き寄せた。

 ずるり……と、センゲの胸を貫いていた杭が引き抜かれ、糸の切れた人形のようにセンゲが力なく膝をつく。胸元に風穴を開けたセンゲが言葉にならない嗚咽を零す中、パラケルススは引き抜いた杭の先端を見て、その目を輝かせる。


「ああ……! ああ! 素晴らしき哉。素晴らしき哉! トガガミ・センゲ、やはりお前は最良の逸材だった! 見よ、お前の心の臓。そこから生まれし至高の輝き! これこそが我の追い求めていた至高の素材アルマ=マテリア。賢者の石をも超えし命の器、〈赫の命晶エリクシール〉!」


 そう喝采するパラケルススの手に握られたのは、その胸元に埋まっている石にも勝るとも劣らぬ、血の色に輝く結晶。


 ――〈赫の命晶〉。


 そう、錬金術師は言った。


 ――センゲの心臓から生み出された。


 そう、錬金術師は言った。


 膝をつくセンゲが、憎悪に染まる瞳でパラケルススを見上げている。心臓を穿たれたセンゲの足元には、胸元から滴った大量の血溜まりができあがっていた。

 致命的な傷であり、致命的な出血量。如何に彼女が封神に連なる者と言っても、心臓失くして生きてはいられない。美しかった白い髪の半分を赫く染めて崩れる邪鬼が、殺意を込めてパラケルススを睨む。


「テメェ……一体、ボクの、身体で……何を……した……!」


「実験だよ。君と言う器を利用して、私が求める物を精錬する――そのための実験だ」


 宣下の問いに答えながら、手の内に転がった赫い結晶に酔うように目元を和らげて見せる。

「そして、実験は成功した」口の端を吊り上げ、少女の姿をした錬金術師。


「見るが良い。この美しき赫の輝きを。これこそがお前の命その物。お前の持つ生命の輝き。お前の持つ、常人を遥かに凌駕する生命力の結晶だ。揺り籠に必要とする数百数千の人間の生命力を上回るほどに高いその命。それは我がずっと求めていた物だった。前の生命力を製錬し、生み出したこの〈赫の命晶〉さえあれば、我が目的は達成も間近……」


 講演者の如く語っていたパラケルススの言葉が、不意に途切れた。そして今まで晴れやかだった表情だった一変する。


「待て……なんだ? 我は、何を言っている。我の目的? それは……なんだ?」


 困惑。疑問。混乱。狼狽――。

 顔面を蒼白にし、まるで見知らぬ地に突如放り込まれた幼子の様に死線を彷徨わせる錬金術師の様子に、トバリは違和感を覚えた。

 疑惑の眼差しを向けられる中、錬金術師は尚も困惑の声を上げる。パラケルススを襲う同様は徐々に大きくなっているらしく、その言動も徐々に支離滅裂となっていた。


「何故このようなものが必要なのだ? 何故何故何故? 何故、我はこれを求めた? 何故、私が目的は叡智への到達だ。なのに何故、今さらこんなものを作る? 私は一体? 何故、私は……私は……――――」


 一瞬。

 空隙が生じ。

 狼狽の果てに。



「――ああ……ああ……ああああああああああああああああああああああああああ!!?」



 パラケルススが、絶叫する。

 零れ落ちそうなほど見開かれた双眸。

 断末魔の様な金切り声を上げて、錬金術師は頭を抱えて天を仰ぐ。

 そして――。
















「――何故? なんて決まっているよ。だって、それは貴方が求めた物ではない。私が求めた物だから……ね」

















 唐突に。

 突然に。

 絶叫がやんで。

 代わりに響いたのは――静かな、済んだ鈴の音のような声だった。

 だが、パラケルススのものではない。それは、彼の科白ではない。

 彼の錬金術師のような仰々しさも、自意識に溢れた科白ではない。

 最早耳慣れた声音で、聞いたことのない口調で語るのは、一人の少女。


「まさか……」


 脳裏に過ぎる、ある一つの可能性。だが、だとすればそれは、あまりにも残酷な可能性だ。

 ――残酷な可能性。

 それはトバリにとってのものではない。

 それはセンゲにとってのものでもない。

 ましてや彼の紳士、ヴィンセントにとってのものでもなく。

 それは、唯一人にとってのもの。異形を宿したあの少女にとっての――あるべきではない、残酷な真実の可能性。



「パラケルスス!」



 咆哮。

 それはもう一人の少女の声だ。

 銀髪を揺らし、その手に巨大な機関式重機関銃エンジン・ヘビーマシンガン携えた、復讐と弔いに身を注ぐ青髪白衣の少女――エルシニア・アリア・リーデルシュタインが戦場に馳せ参じる。

 金髪の少女が振り返った。

 錬金術師パラケルススであった少女が振り返った。

 淡く、淡く微笑んで。


「――久しぶり。大きくなったね、シニア。私の可愛い妹マイ・リトル・シスター


 自らに銃口を向ける少女に向けて、そう、優しげに声を掛けた。

 瞬間、エルシニアの表情が凍りつく。


「――……嘘」


 今まさに引金を引かんとしていた手が硬直したのが見て取れる。

 見開かれた瞳が脅えの色を湛え、そして震える唇が、



「……お姉……ちゃん……っ!」



 微かに、だが確かに、目の前の少女をそう呼んだのを聞いた。


(……やっぱりかよ!)


 エルシニアの言葉によって、トバリに想起した可能性は、かくして現実のものとなって姿を見せる。

 ぎりぃっと奥歯が軋む音を耳にしながら、トバリは唾棄するように言葉を口にする。


「たっくよ……死んだはずの人間が、実は生きていて黒幕でした――なんて、今時そんな安っぽい三文芝居パルプフィクション流行はやらないぜ? アリステラ・シャール・リーデルシュタイン」


 名を呼ぶと、パラケルスス――否、アリステラが困ったように肩を竦めてみせた。


「あはは。それは申し訳ないことをしちゃったわ。観客を退屈させるお芝居なんて、確かに流行らないでしょうね」


「別に構いやしねぇよ。ただ単純に――舞台から退場してくれれば問題ないしな!」


 言って、トバリは少女に肉薄する。左手に握る短剣を、少女の心臓目掛けて叩き込む。

 だがアリステラは足取り軽く横に動き、トバリの攻撃から逃れた。それどころか、


「いきなり襲いかかるなんて怖いわね、ミスター・ツカガミ・トバリ。女性の扱いがなってないよ?」


 そんな科白を零しながら、柔らかな笑みを浮かべてこちらを見据え――あの巨大な杭を携えたクロームの腕で反撃にまで出たのである。ガシャンと重低音を唸らせて、機械仕掛けの巨大な腕がトバリを襲う。

 咄嗟に身体を捻って躱す。躱しながら対峙する相手を見据えた。


「一体、何が目的なんだよ。これだけ引っ掻き回しておいて、まさかそんな石ころ一つ造りたかった、なんて言わないよな?」


「石ころ一つなんて失礼だね。ええまあ、確かに〈赫の命晶〉の精製が、私の目的の一つではあるけれど」


 言って、アリステラは含みのある笑みを浮かべた。


「これは鍵なの。パラケルススの知識から研究の情報を引き出し、そこから私が精査と熟考を重ねて――漸く生み出した、世界を作り替える可能性の断片。そのための鍵の一つ。ずっとこれが欲しかったの。ふふふ、《心臓喰い》のフォークロアを作り上げた甲斐があったわ。なんて綺麗な、赫いいのちの輝き」


 何かを夢想するように語るアリステラに向け、トバリは面倒臭そうに言葉を吐く。


「はっ、何言ってるか判んねぇよ。出来れば凡人の俺にも判るように説明してくれ……いや、やっぱいいわ。テメェをぶっ殺せば、うだうだ考える必要もないだろ?」


「あら、意外とせっかちなんだ。人の話はもう少し真面目に聞くべきなのに」


 呆れ顔のアリステラ。


「気が短いのが欠点なんでね!」そう応じながら再び距離を詰める。


 短剣を薙ぐ。しかしこの一撃もまた、アリステラの携える機械の腕に阻まれた。すかさず追撃に移るため横に跳ぶ。

 だが、思った以上に体が動かない。先のセンゲの戦いで負った傷に加え、片腕を半ば失ったことで平衡感覚が狂っているのだ。

 故に、思い描く動きと現実の動きが歪み、着地と同時にたたらを踏む。

 そしてアリステラは、その隙を見逃さなかった。


「――ふふ、隙あり」


 くすりと笑いながら、再びクロームの腕が襲来する。体制の崩れた瞬間を的確に狙った一撃。これは避けられない!


「……っけんな!」


 憤慨の声と共に、襲来するのは白髪の女性。腹からの滂沱の如く血を流す都市伝説の怪物ハート・スナッチャー――トガガミ・センゲ。

 血の気の失せた顔に闘志を滲ませ、血塗れの腕でアリステラに襲い掛かる。

 だが、振るう拳にも、背中から閃く四本の機関式大刃ももう、先程トバリと戦っていた時ほどの勢いはなかった。突然の襲撃であるにも拘らず、アリステラはセンゲの強襲を容易く回避する。

 反撃は――必要なかった。

 得物を振り抜いた姿勢のまま、センゲが地面にうつ伏せに倒れる。

 生気や活力と言うものを、全く感じさせない、見ているほうがぞっとするような、そんな倒れ方。

 それでも立ち上がろうと両手で地面を掻く。だが、その動きにも全く力が入っていない。誰が見ても死にかけているのが判る。いや、本来ならばとっくに死んでいるはず。

 それを、気力だけで身体を動かしていた。だが、それももう限界なのだ。


「流石にもう、動けないみたいね、センゲ。ロンドンを――いいえ、この欧州全土を震え上がらせた《心臓喰い》。数多の命を喰らった、極東の国の化生けしょう。私の最高傑作――貴女には感謝してる。貴女のおかげで、私の望みはこんなにも早く為し得た。だから、ゆっくりお休み。自分の築いた血溜まりに沈んで、溺れて、眠ろうね?」


 もがくセンゲを見下して、アリステラが告別の言葉を贈る。クロームの腕を携えた少女が、悠々と踵を返して微笑んだ。


(――逃がすかよっ)


 そう思って新たな短剣を握った時だ。

 颶風が舞う。

 閉鎖された地下で突如吹く突風が、風の層が少女を包んでいく。


「――パラケルススの干渉術式コード妖精の書フェアリー・ロウ》……なるほど、随分便利」


 歌うようにそう囁いたアリステラを、驚愕の目で見上げるトバリ目掛け、少女が無造作に腕を薙いだ。

 途端、吹き荒ぶ旋風がトバリを、そして忘我していたエルシニアを襲い、堪える間もなく吹き飛ばされる。壁際まで飛ばされて背中を強かに打ち、意識が混濁する。視界の片隅で、同じように膝をつき、絶望に打ちひしがれながらアリステラを見るエルシニアの姿が見えた。


「少し大人しくしていなさいな。すぐに面白いことになるからさ」


 そう言い残すと、アリステラの姿がまるで幽玄のように姿を消した。

 完全なる消失。まるで夢を見ていたような非現実の所業に、僅かなれど、自分の正気を疑ってみる。

 だが、右腕の痛みも、辺りに漂う充満した血の臭いも、呆然と膝をつくエルシニアの姿も、そして、横たわるセンゲの姿もまた、現実のもの――


「――センゲ!」


 倒れ伏す彼女の姿を見て、我に返る。痛む身体を無理やりに動かして駆け寄り、左手でその身体を抱き起す。


「おい、センゲ!」


「……うる……さいよ、ばーか……」


 強く名を呼ぶと、微かに言葉が返ってくる。うっすらと開いた瞳にトバリの姿を写し、邪鬼は――邪鬼であった者は血塗れの口元を綻ばせた。


「なーに泣きそうな顔……してんの……さ……そこは喜ぶべきだろ? ボク……を……殺しに来たんだし?」


「うっせぇ黙れ! すぐに医者のとこ連れてく!」


「莫迦な……の? 無理に……決まって……じゃ……しんぞ……ないんだ……し」


「らしくねぇ科白吐いてんじゃねーよ! この程度でトガガミ・センゲが死ぬのかよ? ええ!」


 罵倒するように言葉を吐きつける。

 自分でも、彼女が助からないことは理解しているのに、それでもなおその現実を受け入れきれず声を荒げた。


「何勝手に殺されかけてんだよ……こんな呆気なく死んでいいわけないだろ? なんのために、はるばる海を越えてテメェを追ってきたと思ってる!」


「知るか……よ……ボクを……ぶっ殺しにきたんじゃ……ねーのか、よ」



「――連れ戻しに来たんだよ、この大間抜け!」



 力ないセンゲの科白に、トバリは穿弾けるようにそう叫ぶ。

 そう。

 そうなのだ。

 殺すためもなく。

 戦うためでもなく。

 ただ、帰って来て欲しかった。

 その一心で、追いかけてきたのに。


「そんなの……お断りだ……よ、くそったれ……」


 呵呵と、センゲが嗤う。


「ボクは……お前が好きで、それ以上に大嫌いだったよ、トバリ……生まれながらの〝封神幎〟を……約束された糞餓鬼が、ボクはずっと……大嫌いだった。そして、そんなお前を信奉する……一族たちあいつらが……大嫌いだった……憎かった……憎くて……憎くて……仕方がなかった……だから――」


 ――殺したんだ。


 嗤いながらそう言って……そして次の瞬間、センゲはこれまで内に溜め続けていたものを吐露するように息を吐き、微笑んだ。


「ああ……でも、もしかしたら、ボクはお前に……追ってきて欲しかったのかもしれない……お前に……殺して欲しかったのかもしれない。そのために……皆を殺したのかもしれない……勿論、殺したくて殺したけど、でも……そうした……ら……トバリが……来てくれるかもって……思ったのかも……」


「……センゲ」名を呼ぶと、センゲは何処か嬉しそうに目元を綻ばせる。


「そう……トバリ……だけだった……ボクの名前でボクを呼んでくれたのは……トバリだけだった……判るかい? 一族にすら化け物と呼ばれ続けていたボクにとって……それがどれだけ……嬉しかったか」


 それは、初めて聞いた彼女の本音だったのかもしれない。いつも嬉々として戦場に赴いていた殺しの申し子。そう呼ばれ続けた封神の鬼子の、偽りない本心の吐露。

 そんな風に吐き出された言葉に、トバリは強く頷いて見せた。


「判るさ……俺もそうだった。お前だけが、俺を呼んでくれた……〝封神幎〟としてじゃない。ただトバリとして呼んでくれたのは、お前だけだった」


 どういうわけなのかは今も判らないままだが、物心ついた時にはもう、一族の皆がトバリのことをそう呼んでいた。

 生まれながら〝封神幎〟であることを約束された存在だと。

 その言葉の意味が判らず、幼き頃の自分は只管に戸惑っていた。なにせその名は――〝封神幎〟と言う名は、果たして自分そのものなのか、あるいは彼らの崇める偶像なにかなのか。もし偶像なにかなのだとすれば、自分は一体何者なのか? それは、幼い頃からトバリの中にあった疑問であり、恐怖だった。

 だけど、センゲだけは呼んでくれた。

 同じ名前であっても、封神血族における『封神幎』という崇拝すべき存在としてではなく、ただ――ただ一人の、一個人のトバリとして、彼女は接してくれた。

 そこにどんな想いがあったのかは判らない。だけど、ただ自分トバリ肯定して呼んでくれる彼女の存在は、トバリにとっての救いだった。


 だから――。


「怒りはあった……だけど、憎みはしなかった」


 それが例え家族を――血の繋がった人たちを殺されたとしても、恨むことも憎むこともできなかった。

 センゲを追ってこの地に来たのも、殺すためではない。仇討のためでもない。けじめを付けさせるなんてただの方便。

 最初に口にした通り――生きたまま、連れ戻す。その一念だったのだ。英国に来たのは。

 なのに、結果はどうだ。

 今、会いたかった人は息絶える間際。

 トバリにできるのは、ただ、それを見守るだけ――


「……憎まないなんて……ホント、莫迦だよなぁ……トバリは」


 にっと笑みを浮かべて、センゲは言った。

 それは、これまで見たどんな笑みよりも穏やかで。どんな笑みよりも儚くて。そして――どんな笑みよりも美しく思えた。

 ああ、誰だ。最初に彼女を邪鬼と呼んだのは。

 血族の誰かなのだろうか。あるいは彼女と対峙した誰かだったのだろうか。それとも、彼女の戦いぶりを聞いた誰かが勝手に漏らしたものなのか。

 そのうちの誰かであったのかもしれない。あるいは、他の何者かであったのかもしれない。

 だが、誰でもいい。何者だって、構いはしない。

 彼女を邪鬼と呼んだ誰も彼も。見てみるがいいと、トバリは思う。


 何処に、何処に邪鬼がいるというのだろう?


 今、自分の腕の中にいる、穏やかな笑みを浮かべている女性が、もし邪鬼だと言うのならば――お前たちの目は何を見ているのだと笑い飛ばしてやるのに。

 そう思えるくらいに、センゲの笑みは美しく、そして、尊いもののように思えた。

 助けたいと、強く願う。

 救いたいと、強く思う。

 しかし、最早事切れる間際のその命を救う術を、トバリは持ち合わせていない。異能を有せど、所詮は人間の身だ。その叡智は錬金術師には程遠く、持ち得る異能に奇蹟は成せない。

 ただ、できることがあるとすれば、それは終わらせてやることだけ――


「トバ……リ……」


 センゲが、自分の名を呼んだ。悔恨と思考の海をたゆたっていた意識が現実に戻り、トバリは自分に微笑む女性を見やる。


「ボクは……沢山人……ぶっ殺し……て……きた。だから、生き……縋ろうなんて……思わない……さ……それに……言っちゃなんだが、ボクは満ち足りている……」


 そっと手を持ち上げて、センゲはその血塗れの手で、トバリの涙を拭いながら、淡く微笑む。


「お前の……腕の中で死ねる……それは……あまり悪いことじゃ……ないだ……ろ」


 ――だけど、と。

 言葉を切って、センゲは虚ろな視線でトバリの右腕を見つめていた。肘から先を失った、血の滴る右腕を見て、言った。


「お前がさ……半端だから、心配……だよ。だから、お前……と、共にあろ……トバ……リ」


「一体、何を言ってんだ、セン――」


 彼女の名を呼ぼうとした、その間際である。

 そっと、失われた腕の先にセンゲの手が振れ――刹那。



 光芒が――辺りを呑み込む。




 赤光が迸り。





 鮮血色の光が渦巻いて――




 びきり……と、硬い音。

 何かが固まるような、気配が――右腕から。

 佇む彼の腕の中にはもう、誰もいなかった。

 先ほどまで抱き抱えていたはずのトガガミ・センゲの姿は、もうそこにはない。

 代わりに、彼の右腕には悍ましい赫が備わっていた。

 鉤爪のような手に、爬虫類の背鱗を思わせる腕甲。鮮血の結晶によって成されるもの

 それは狂猛の腕だった。

 それは怪物の腕だった。



 ――血浄塵型・纏刃式てんじんしき



 トバリの有する異能の力にして、血に宿りし権能が顕現する。

 それはかつてセンゲが得意とした型の一つ。結晶の鎧を纏う纏鱗式とは異なり、身体の一カ所にのみ異能を展開させる技。


「……なんで?」


 今まで、一度として揮うことの叶わなかった異能が、何故突然使えるようになったのか――理由を尋ねようと抱き抱えていたセンゲに訊ねようとして、息を呑んだ。

 いつの間にか、腕の中は空っぽになっていた。先ほどまで抱えていたはずの、邪鬼と呼ばれ、《心臓喰い》と呼ばれた女の姿は、何処にもなく、ただ彼女の纏っていた着物だけが、腕の中に残されていた。

 状況の理解ができず唖然とするトバリの脳裏に、先ほどの彼女の言葉が過ぎった。



 ――お前がさ、半端だから心配だよ。だから、お前と共にあろう、トバリ。



 まさか、と思った。だけど、それ以外の理由は、最早トバリには思いつかなかった。


(有り得るのか……そんな、ご都合主義みたいなこと、有り得るのかよ……)


「こんなの……こんなのありかよ、センゲ……っ!」


 かぶりを振り、喉が枯れんばかりに彼女の名を叫ぶ。

 返事ははかった。

 だが、代わりにほんの僅かに、右腕が脈打ったような感覚。

 判っている。最早返事が返ってくることはない。死者は黙して語らず、これは……単なる自分の思い込みに過ぎないのだと。


 だけど――


 だけど、それでも。


 その一瞬の脈動こそが、彼女の返事に思えて。


「……使え、ってことでいいよな。センゲ」


 ぼそりと……誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟き、トバリは零れた涙を拭い、踵を返す。

 そして、もう一人の倒れた少女の元へと歩み寄った。

 アリステラの放った剛風に薙ぎ払われた少女――エルシニア・アリア・リーデルシュタイン。

 壁際で膝をつき、いなくなったアリステラの立っていた場所を呆然と見続けている彼女に歩み寄り、同じ目線になるよう膝をついて、


「おい、起きろ。呆けるな。エルシニア・リーデルシュタイン」


 頬を軽く叩きながら声を掛けると、ほどなくして少女の意識が覚醒する。小さく呻きながら、ゆっくりと瞼を上げるエルシニア。

「……ミスター……トバリ?」

「間抜けな科白だな」

 こんな状況だというのに、思わず苦笑を零してしまうトバリ。


「呆けているところ悪いが、パーティはまだ続いているぞ」


「……え? ……あ……ああ……あああっ!」


 呆然としてたエルシニアが、雷に打たれたように立ち上がり――同時に、少女の口から零れる悲痛な声。


「お姉ちゃ……アリスが……あんなことをしたっていうの? じゃあ、私は今まで……何を……なんで……どうして? 私の身体にこんなことをしたのも……やっぱり……」


 死んだと思っていたはずの姉が生きていた。

 生きていた姉が、悲劇の真なる黒幕だった。

 それはあまりに信じ難い、信じられないことだっただろう。しかし、当の本人が凛然とそう宣言した。それでも、否定したいのだろう。悲痛に歪む少女の面持ちが、言外にそう訴えているのが判る。

 しかし、同時に思うのだ。初めて邂逅したにも拘らず、アリステラ・シャール・リーデリシュタインと対峙し、その笑みを見た刹那に感じ取った気配。

 あれは、寸前まで嗤ってたパラケルススと似て非なる、狂人の笑みだ。

 嘲る者。苛む者。自らの目的のためならば、如何なる犠牲も厭わない――そういう者だけが浮かべられる笑みだけが宿す、特有の気配を携えていた。

 それを感じ取ったが故に、トバリはもう定めている。

 あれは、討滅すべき敵なのだと。

 だから、トバリは問わねばならない。


「――悩ましいことだろうけどな、ミス・リーデルシュタイン。我らが雇い主様よ」


 目の前の少女に。


「言っただろ。パーティはまだ続いてる。クソふざけた血塗れの舞台で、あの狂人(おんな)はまだ何かしたいらしい」


 この先どうするかを。対峙するか、否か。


「俺はあいつを追う。そして、ぶった切る。そのつもりだ。そして、だ――」


 もし、対峙するのならば――。


「――お前は?」


 ――どうするのか?

 言葉にせずとも、意味は伝わったことだろう。否。この場において、トバリの言葉が意味するのは、そういうこと以外有り得ない。

 此処で行かないと少女が口にしても、それを責めるつもりはない。むしろその選択は自然のことだ。

 どの世の中に、望んで肉親と対峙することを嬉々とする者がいるというのか。居たとすれば、それは封神のような常識の通じない奇矯な者たちだ。

 トバリとて、センゲと対峙することを望んではいなかったのだ。現実は、そうもいかなかったけれども。

 一秒。二秒。三秒――返答を待つ。

 過ぎていく時間。経過するほどに、アリステラの目論見は着実に進んでいくだろう。故に、時間を無為に過ごすわけにはいかないだろう。

 けれども、トバリは待つ。

 少女の答えを聞かずして、一人赴くのは――何か、違うような気がしたから。

 一〇秒が過ぎ。更に時間が進もうとした、その時だった。

 エルシニアが、ゆっくりと顔を上げた。

 毅然とした表情。目の端に涙を溜めて、それでもそれを零すまいと口を真一文字に結んで。ゆっくりと、少女が立ち上がる。

 埃を払い、凛然と立ってトバリを見上げ――エルシニアが言った。


「――行きます。行かないと、いけない。私は姉に、尋ねなければいけない。姉の真意を。そして、何故私にこんな仕打ちを施したのかを」


「……そうか」


 トバリは頷いた。

 頷く以外の返答が必要だとは思わなかった。

 そう彼女が決めたのならば、最早意見する必要はない。

 代わりに、口にするべき言葉は一つ。視線を、長い通路の彼方へと向けて。


「――行くぞ」


「――はい!」


 首肯し、二人は走り出した。







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