そして、私は走る。

 奈落の――大機関の収まる空間のその外周。螺旋になって組まれた階段を駆け下り、私はその人物を見つける。

 黒衣のインバネス・コートにトップハット。単眼鏡をかけた初老の紳士。

 錬金術師ヴィンセント・サン=ジェルマン伯爵が、暗闇の中でステッキと巨大な旅行鞄を手に悠然と佇んでいた。


「――伯爵」


「おお、ミス・リーデルシュタイン。待ち侘びたよ。君のこの荷物と共にね」


 呼びかけると、伯爵は鞄を持ち上げながら微笑を浮かべて私を迎えた。傍らで足を止め、周囲を見回す――害敵の気配は、今のところ皆無。


「息を潜めているというのは意外に苦労するものだね。君たちと違って戦う術を持たない身とは、実に情けなく思うよ」


「そう思うのでしたら、何処かに隠れていればいいと思いますよ」


「まさか、若者にばかり働かせてなどいられないよ」


 笑い難い冗談を口にし、肩を竦めて螺旋の階段を歩き出す彼に並びながら、私は訊ねた。


「伯爵。何故、貴方自らが此処に?」


 普段ならば、彼は決して表だって行動を起こさないだろう。常に日陰に隠れてこそこそと。短い付き合いだが、なんとなくこの人の人となりは理解できて来た。

 彼は――物語の中の悪役ヴィランの様に暗躍することを好んでいる節すらある。

 なのに、どうして今回に限って?

 それはある意味、当然の疑問だった。

 そしてそんな疑問に対し、伯爵は普段の悠然とした気構えとは異なる気配を纏って答えた。


「強いて言うならば因縁だよ。私と彼ら〈アルケミスト〉――決して相入ることのない因縁故に、私は私自らの手で彼らの目的を阻まねばならないのだよ」


 気配のその名は悲哀。そして憎悪。

 言葉の端々から滲み出るのは、隠しようのない敵意だ。

 錬金術師サン=ジェルマンから、錬金術師パラケルススに――ひいては〈アルケミスト〉という組織そのものに対しての敵意。


「何者も犠牲にして良いなどという傲慢によって、繰り広げられ続ける悲劇があるのだよ」


「私は、それが我慢ならないのだ……」そう言って前を見据える彼の言葉に、思わず息を呑む。


 悲劇と、彼は言う。

 それは私にも共感できる言葉だった。

 パラケルススによって引き起こされた惨劇。

 あらゆるものが、あの錬金術師の手によって奪われた。両親も、妹も、帰る家も――友人や故郷の、そのすべてあの錬金術師が奪い去り、踏み躙った。

 代わりに得たのは、この身体。

 人ならざる機械を埋め込まれた異形の身。

 何故、こんなことを? と、思わなかったことはない。

 だが、それは考えたところで無駄だろう。錬金術師。それは遥かな見聞と度重なる考察を続ける叡智の持ち主たち。その思考回路は、総じて常人では到底及び付かぬほど異常である。

 何より伯爵の言う、あらゆる犠牲を考慮しないような異常思考の持ち主であるならば、なおのことだろうから。


「何度話を聞いても、理解できませんね」


「する必要などないとも。〈アルケミスト〉によっては、それは最早目的意識などではなく、しみついた性質のようなものだ」


「性質……ですか?」


 私が首を傾げると、伯爵は鷹揚に頷いて見せる。


「そう。性質だ。『そうしたい』という目的ではない。『そうしなければならない』のだ。真理に至ることそれ自体が、彼らの存在意義なのだよ」


「正気ではないですね……」


「まったくだ」


 私がそう言うと、伯爵は自嘲気味に口の端を釣り上げた。

 そんな彼の足が止まる。自然、彼の後ろを歩いていた私の歩みも、また。

 辿り着いたのは、あの巨大な大機関の根元。長かった螺旋の果て。深淵の奥底に広がっているのは、赫い輝きを放つ幾つもの柩が並ぶ空間だった。


 ――鋼鉄の柩グレイヴ・オブ・クローム


 そう呼ぶに相応しい大きさの、細長い箱が空間全体を囲うように無数に並んでいる。


「此処は……それに、あの箱のようなものは?」


「《揺り籠グレイヴ》――そう、パラケルススは命名したそうだ。彼が密かに作り上げ、この場に設置した機関機械の一つだよ」


 言いながら、伯爵はコートの懐から資料のようなものを取り出して、私に差し出した。受け取って見ると、其処には今まさに目の前にある揺り籠の写真と共に、その装置の名称――《揺り籠》の名が書かれていた。


「ミスター・ホームズに依頼し、手に入れて来て貰ったものだよ。ホーエンハイム・インダストリーに関わっていた技術者の名簿と、彼らの研究資料さ」


 どうしてこんなものを持っているのだろうか。という質問を投げかけるよりも先に、伯爵がそんなことを言った。

 ヴィンセントの言った通り、資料には目の前の柩の写真と、その横に《揺り籠》の名称が記載されていた。他にもこの大機関のことや、果てには発条足ジャックこと《跳ねる者スプリンガルド》や《屍鬼グール》、《心臓喰いハート・スナッチャー》などのレヴェナントに関しての記述まである。

 ようやく、すべてが繋がったような気がした。

 この国を取り巻く、異常性。富める者も貧しき者も例外なく、実しやかと口々に囁かれる都市伝説フォークロアの数々。その根源を垣間見せるような資料に固唾を呑んでいると、


「――そして極めつけは、君が持っていたあの雇用一覧だ」


 言われて、私は資料を捲った。そこにはかつて彼女自身が手に入れたものとほぼ同じ内容が書かれている名簿一覧があった。

 隣に立っていた伯爵が、不意に最も手近にあった柩――《揺り籠》へと歩み寄った。そしてそこから零れる赫い光の向こうを覗き見た彼の表情は、見る見るうちに険しいものへと変貌していく。


「……やはり、こういうことか」


 忌むような科白と共に空気が張り詰め、思わず身震いしてしまう。一体何が、彼を怒らせるのか。

 私は彼に続くように《揺り籠》へと歩み寄り、赫い光の奥を覗く。

 揺り籠。その中には――人が、いた。


「――っっっっ!?」


 恐らく、男性が一人。

 狭い柩の中で、まるで揺り籠の中で眠っているように。

 安らかな表情のまま――その男は朽ちて、果てていた。


「これは……一体」


「材料だよ」


 私の零した科白を拾って、伯爵は冷淡に言う。その表情は悲痛その物で、決して冗談を口にしたわけではないのが判ったし、もし冗談だったとしても、それはそれで性質が悪すぎる。

 材料と、彼は言った。ならば、それは何を作るためのものなのか? 人間をこんな風にまでして作る物なんて……

 幾つもの疑問。幾つもの戦慄が身体を駆け抜ける。その場でたららを踏み、一歩退く私に向けて、伯爵はつい今しがた口にした疑問への解答を告げた。


「この場所――大機関は、ロンドンの動力中枢であると同時、その運用エネルギーの一部をとある物質を生み出すための生成炉の役割を担っている。ホーエンハイム・インダストリーは大機関の整備も任されているから、此処こっそり実験していてもバレにくいのだろうね。いやはや、手が込んでいる」


 感心したように肩を竦める伯爵はひとしきり笑った後、そっと私に手を差し出して見せた。


「――そしてその生成炉によって生み出される物が、これだ」


 彼が差し出した手の上に乗っていたのは、血の様に赫い小さな石だった。


「賢者の石――の劣化版だな。資料によると、これは〈赤晶体〉と呼ばれている。レヴェナントの動力源だ。これまでトバリと共に討伐したレヴェナントから回収した機関核の中に仕込まれていたから、まず間違いないだろう。この柩に入れられている彼らは――これを生成するための材料……それこそが、ホーエンハイム・インダストリーに雇われた者たちの職務、というわけだ」


 そう言った伯爵の言葉に、私は背筋が凍るような感覚に襲われた。そんな悍ましい、倫理を無視し、人間を人間とみなさない行為を平然と行えるパラケルススという存在に、改めて理解不能の恐怖を覚えた。


「しかし……材料というのは、一体――」


 どういう意味なのか? と首を傾げると、伯爵はその表情に僅かな逡巡の色を窺わせ――深いため息を零しながら口を開く。


「言葉通りだ。彼らは皆、パラケルススの研究材料として雇われ、あるいは攫われて来たのだよ。

 この機関機械は、簡単に言うと――人間の生命力を抽出する装置だ。此処にある無数の柩の中に入れられた人間たちの生命力を抽出し、そして奥にある生成炉で凝縮し、結晶化する――実に、悍ましい機械なのだ」


 伯爵の説明を聞いた私は、一瞬耳を疑ってしまう。

 だが、伯爵の言葉を裏付けるように、目の前の揺り籠の群れが脈動する。そして《揺り籠》と繋がっている太い導管パイプの先――即ち大機関がゴゥン……ゴゥン……と揺れて。

 それは、何かが抽出される音だった。

 そう。今この空間で繰り広げられ始めたのは、生成であり、抽出という工程。



 ――ぐ……がぁぁぁぁぁああぁぁぁあああああああああぁああああああぁ……!



 周囲に並ぶ無数の柩から、言葉にならないような悲痛な絶叫が数秒響き――やがて、それらの悲鳴は緩やかに沈黙していき、柩は再び静かに鎮座した。

 周囲に設置された、脈動する揺り籠から引き出された何か。それらを凝縮し、圧縮し、凝結させている。

 何を?

 そう尋ねたくなる。

 首を傾げたくなる。

 もう、答えは判っている。知っている。

 だけど――判りたくなかった。

 そんなこと、有り得ないと思いたかった。

 しかし、現実は何処までも非情だ。

 パラケルスス。自らの魂を賢者の石に移し替え、永劫不変となることを選んだ狂気の錬金術師。賢者の石が、魂の入れ物であるならば――その生成方法は、


「沢山の人間の命。生命力。あるいは魂。そう呼ばれるもの……それこそが、この石の製錬方法……というわけさ」


 伯爵が、苦悶の表情でそう零した。


「……まさに、狂気の沙汰ですね」


 伯爵の言葉に対し、私は苦々しい思いでそう言った。すると――



「狂気の沙汰――とは酷い言い草だ」



 ――第三の声が、その言葉に異を唱える。

 私たちの視線が、自然と動く。同時に私の腕が閃いた。考えるよりも先に、手が動く。二挺の機関式小銃を携え、寸分狂わず声の主を補足する。

 月明かりを彷彿させるような鮮やかで淡い色の金髪。

 永久に熔けることのない凍土のような蒼の双眸。

 まるで精巧に作られた人形のような、ある種の非現実的な美しさを孕んだ白衣の少女。

 私の姉――アリステラ・シャール・リーデルシュタインの姿をした錬金術師パラケルススが、胸元に血の如く赫い石を携え、悠然と微笑んでいた。


「また会ったな、サン=ジェルマン。懲りずに私の待望を阻もうと画策しているのかい?」


「無論だとも、パラケルスス。私はそのために存在しているのだからね。それにしても、ずいぶんとかわいらしい姿になったものだ。驚いたよ」


 錬金術師たちが言葉を交わす。

 ヴィンセントと対峙する姉の姿をしたパラケルススが、まるで可憐な少女のように微笑んだ。


「この身体、意外に便利なものだよ。見目麗しい美少女と言うだけで、大抵の人間は油断してくれる。侮ってくれる。そしていつしか彼らは羨望の眼差しを向け、跪く。痛快だ」


「理解に苦しむよ、パラケルスス。そして私は、君のこれまでの経緯を聞きに来たわけではない」


「そうだろうとも、サン=ジェルマン。貴方も私も、そこまで暇人ではない」


 そう言って、パラケルススは大機関から何かを取り出す。いや、何か――ではない。

 最早あそこで何が作り上げられているのかは明白だった。

 身構えるエルシニアと、それを視線だけで制止するヴィンセントに向け、パラケルススは喜色の笑みを浮かべながら差し出して見せる。


「見たまえ、精錬されたばかりの〈赤晶体〉だ。我が賢者の石には劣るものの、これだけでも充分過ぎる命の憑代となれる品だ。最も、造り出すにはこれだけの人間の生命力を搾取しなければならないのが欠点と言えば欠点だがね」


「そんなものを作って、お前は何がしたいのだ。パラケルスス。君の目的はこの大都市に恐怖を蔓延させ、その犠牲を経て叡智へ至るものだとばかり思っていたが……何故、そのように無作為に命を弄ぶ?」


 伯爵は、眉を顰めてそう問うた。するとパラケルススは「異なことを言うな、サン=ジェルマンよ」と失笑する。


「無論、叡智の探究に違いないとも。〈赤晶体〉の生成は、その為の過程。人が人の領分を超えるための手順だ」


「――え?」


 思わず。

 私はそう零した。だって彼の言っていることは明らかにおかしいのだ。

 いいや、そうじゃない。思えば、最初からおかしいと言うことに、今さら担って私は気づく。


 だって――


 だって、伯爵が言っていた話では、彼が求めているのは大衆が生み出す恐怖という心だ。

 大勢の人間の、死に至るような〝恐怖〟という概念を材料かてにすることが、叡智へ至る方法だと。

 少なくとも、大勢の命を利用して、魂を移し替える石を。あるいはレヴェナントの心臓となる材料を作ることではないはず。


 ――なのに、彼は多くの人間の命を材料に魂を移し替える石を作っている。


(なにか……なにかが可笑しい?)


 生じた矛盾。頭の片隅で蛆虫のように蠢く違和感が、思考を支配する。

 私は今まさに感じた違和感に目を丸くしていると、パラケルススは不可解なものを見るような眼差しでこちらを見据え、首を傾ぐ。


「理解ができないというのか、アリステラの妹よ。実に愚鈍な思考回路だ。いいや、始まりの人ならざる存在レヴェナント=ザ・ファーストよ。その身に崇高なれり蒸気機関を宿しておきながら、何故それが判らないのか……理解し難い」


 いや、違う。そうじゃない。

 可笑しいのは私ではないはず。むしろ可笑しいのは――


(貴方のほうではないのですか、パラケルスス?)


 私の向ける疑惑の視線を、まるで別の意味のように感じたのか。パラケルススは鼻で笑っている。

 すると、


「彼女でなくとも、多くの者は君の理論を――いや、今の〈アルケミスト〉の思想を理解し得るとは思えないよ、パラケルスス」


 カツッ……と硬い音。

 伯爵のステッキが床を強く打つ。


「いい加減に、愚かなことはやめるといい。世界に恐怖を蔓延させたところで、真なる叡智になど至れるはずもない。ましてや、そんな石榑を作るために大勢の命を弄ぶ行為に、何の意味があるというのだ?」


「否、断じて否だとも、サン=ジェルマン。必要だとも。恐怖こそが――《狂気マドネスの具象》こそが叡智へといたる道筋だと、フィリップの若造は言っていたではないか。あのような若造にできて、どうして私にできないと?」


 伯爵の言葉など意に介さず、パラケルススは不遜に微笑み、肩を竦めた。


「――それにしても……サン=ジェルマン。そしてアリステラの妹よ。貴方たちには随分としてやられたものだよ。おかげで〈赤晶体〉もレヴェナントも、かなりの数が君たちの手によって失われてしまったものだ……まあ、それも今宵までのこと。我は、そして〈赤晶体〉は――いや、我が叡智へ至る理論は、今宵、次なる段階へと移行する」


 不意に告げられたパラケルススの言葉に、私は眉を顰めた。それは隣の伯爵も同じだったらしい。パラケルススが言わんとすることの意味を図り切れないのか、彼は眉間に皺を寄せて困惑の色を浮かべている。

 そんな伯爵の姿を見たパラケルススが、嬉々とした様子で声を張り上げた。


「判らないか? 貴方ほどの智者が、貴方ほどの賢者をして尚、我が思惑を想定しきれていないとは……これほど痛快なことはない! ああ、錬金術師サン=ジェルマン伯爵よ。我は――否、我々の思惑は、ついにサン=ジェルマンの叡智を凌駕する! さあ、直に製錬は完了する。このような量産された〈赤晶体〉などでは到底及ばぬ、至高の素材アルマ=マテリアが! それを宿した究極のレヴェナントを用い、私はこの都に恐怖を蔓延させ、《狂気の具象》を顕現させて見せよう!」


 パラケルススが哄笑を挙げる。喝采を挙げる。諸手を挙げて自らの成果を声たからに讃美する。

 その言葉は、最早聞くに堪えない雑音だった。

 それはまさに常軌を逸した狂気の言葉だった。

 姉の姿で狂気を語る錬金術師の姿に、私は――手にしていた二挺銃の引金を引く。

 同時に響いた銃声と共に、パラケルススの身体が傾ぐ。

 当たった――わけではない。紙一重で銃撃を回避したのだ。学者然としている割には動けるらしい。

 銃弾を避したパラケルススが、口元を歪め、笑みを浮かべる。


「驚いたよ、ザ=ファースト。まさかこの身体に向かって攻撃して来るとは、実に恐れ入る。姉君の身の安全は考えないのか?」


「アリスはもういません。そうでしょう?」


「相違いない。この身を憑代としたその時。賢者の石よってこの身体の持ち主アリステラの魂は、すべて我が虫食んでしまったよ」


「ならば――貴方を殺し、その身を弔う!」


 私は声の限りに叫んで、銃弾を放つ。

 ひらりと軽やかに銃撃の射線上から逃れるパラケルススが、再び哄笑する。


「嗚呼、なんと哀しき哉、ザ=ファースト。アリステラの妹よ。君の望みは叶わない。何故ならば、君の方が此処で亡き者となるのだから!」


 パラケルススが声を高らに叫ぶ。



 ――ぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……



 木霊が聞こえる。

 それは地下道に反響する、亡者たちの声。



 ――ぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ……



 それは魂を失っても動く、死者の唸り声。

 失った何かを求めて、レヴェナントが姿を見せる。

 だがそれは、私の知るレヴェナントとは違っていた。

 現れた存在は、私の知るレヴェナントとは異なっていた。

 奇形、異形、怪物――なんとでも呼べるのだろう。


「……まるで獣ですね」


 私は不快感を隠そうともせずにそう言って、その怪物たちと対峙する。

 人と人をより集めて、人と人を繋ぎ合わせてできあがった――人の肉でできあがった、四足の獣の形を取るレヴェナント。


(名付けるならば――《腐獣ザ・ビースト》……が妥当なところでしょうか)


 ところどころの肉が剥がれ、内側の機械仕掛けが覗き見える奇形の存在が、唸りを零しながら次々と姿を現す。

 こんなものを作って喜べるのか、錬金術師は。

 こんなものに愉悦を覚えるのか、錬金術師は。

 だとすれば、それはなんて――悍ましいことか!


「本当に……救いようのない存在ですね、錬金術師……いえ、パラケルスス!」


 怒号と共に引き金を引き、弾丸を雨の如く乱射する。

 至近距離から叩き込まれる弾丸が人肉の獣の肉体を穿ち、その奥に秘す鋼鉄クロームの骨格を撃つたびに、獣が悲鳴を上げて倒れ伏す。

 だが、動かなくなった同種を踏み越えて、続々と《腐獣》が迫って来る!


「ああっ、なんてことダムイット!」


 悪態を零しながら銃火を散らす。

 だが、敵の物量に対して此方の火力が明らかに劣っていた。如何に威力と連射性に優れていようとも、所詮は拳銃。この数を抑えるには二挺の銃では難しいのは明白。

 なら――


「――伯爵。預けていた鞄を」


「ふむ。これかい」


 伯爵が、ずっと手にしていた旅行鞄を持ち上げてみせる。

 私は手にしていた銃を地面に投げ捨てると、奪い取るように伯爵から鞄を受け取り、留め金ロックを外す。転瞬、旅行鞄が内側から弾けるように開き、中から無数の銃器が姿を現した。

 そのうちの一つを手に取る。

 まるで組み立ての途中のような形状をした、銃身を三つ持つという奇形の銃座式重機関銃ガンラック・ヘビーマシンガン

 私が設計し、こんな時のために作り上げていた自作の機関兵器――その名は〈三頭の煉獄狗ケルベロス〉。

 鋼鉄の塊――即ちクロームの銃身が鈍い光を放ち、五〇口径にも届く三つの巨大な銃口が――


「――吹き飛べ!」


 ――一斉に、牙を剥く!


 爆音のような銃声と共に、巨大な弾丸を吐き出す三頭の重機関銃。咆哮を轟かせ無数の弾丸が異形を貫く。

 大口径の弾丸と、その弾丸が纏う音速の衝撃波が異形の進軍を容赦なく蹂躙する。



 ――ぉぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!



 獣の身体に備わる無数の人面から洩れる呻き。

 ホラー・ヴォイス。恐怖の声。

 耐性なき者に例外なく、直接作用する精神支配の叫び。

 だけどそんなものは私の耳には届かない。三重に轟く銃声が、怪物たちの叫びを呑み込んでいく。

 銃火が止む頃には、《揺り籠》すら巻き込んで異形の群れが蹂躙され尽くしていた。怪物の死体が山となり、クロームの残骸が床を埋め尽くす。


「ふむ……三重の銃声ガンサウンド・トリオ断末魔デス・ヴォイスによる四重奏カツテットか。あまり聴き心地の良いバック・グラウンド・ミュージックとは言えないな」


「お耳汚しの文句は、是非とも指揮者にでも言ってあげてください」


 レヴェナントの沈黙を確認しながら、私は慇懃に告げた。


「だが、どうやら指揮者には逃げられてしまったようだ」


 伯爵が苦笑いする。彼の視線を追えば――確かに。パラケルススが先程まで立っていた場所にはもう誰の姿もなかった。レヴェナントを壁にして逃げたのか。

 だとすれば、一体何処に?


「次の段階に移行する――そう言っていましたけど、一体何のことか判りますか?」


「皆目見当もつかない。パラケルスス自身も言っていたように、私自身が奴の思惑のすべてを看破できているわけではない。それどころか、大きく予想を外してしまったらしい」


 ヴィンセントが歯痒そうに表情を顰める。何処か焦りの色すら滲ませ、ヴィンセントは周囲に視線を巡らせながら言う。


「奴の目的は、説明した通り恐怖をまき散らし、叡智へと至ることばかりだと思っていた――しかし、この場で大量に作られた〈赤晶体〉と、先ほどのパラケルスス自身の言葉からしても、別のところのあると見て間違いないが……一体、何を目的としている?」


 只管に脳を回転させる伯爵の表情は、当惑に彩られている。どうやら、彼にすらパラケルススの思惑は想定外だったらしい。

 そんな彼の隣で、私もまた考えていた。そして、思い出していた。

 パラケルススは言った。至高の素材――アルマ=マテリアの製錬が、直に完了すると。

 ならば、そのアルマ=マテリアとはなにか。

 〈赤晶体〉では到底及ばぬ至高の物質。そんなものを、一体どうやって製錬するつもりのか?

 私は改めて〈赤晶体〉を見据え、続けて周囲に立ち並ぶ柩を見た。鋼鉄クロームの《揺り籠》。蒸気機関でできた、命を吸い出し凝縮する機関機械。

 その機構システムは、命を抽出し、凝縮し、結晶化しているとみていいだろう。

 ならば――生成炉とは何か。

 それは、大量の命をその内に集めて凝縮し、熟成する装置だ。

 


 命。血。生命力。魂――心臓。



「――あっ……ああ!」


 連想ゲームのように、脳裏に単語が次々と過ぎり、まるで天啓を受けたかのような衝撃を感じた。

 彼が言う至高の一品。アルマ=マテリアを為し得るほどの力を有している宿主とは、即ち――。


「――……トガガミ・センゲっ!?」


 《心臓喰い》――〈循血機関〉を宿す存在。

 ミスター・トバリ曰く、血を操る異能を有する女性。

 人の身に在りながら、鋼鉄の機会をその身に宿す、人食いの怪物。

 もしかして、パラケルススの目的は――


「……伯爵、私はパラケルススを追います。此処の処理は、お任せしてもいいですか?」


 可能性に気づいた私はすぐさま伯爵に問う。

 伯爵は私を見つめると、一瞬の瞠目の後「勿論」と首肯した。


「構わないとも。もとより、自分でやるつもりでいたのでね。露払いはして貰ったし、レヴェナントの気配もない。問題ないだろう」


 その科白を聞き終えるよりも先に、私は銃機関銃を担ぎ、一秒でも早くあの狂気の錬金術師に追いつくように走り出した。




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