幕間
生まれ育ったその屋敷の庭には、広大な竹林があった。
其処は馴染みの遊び場であり、鍛錬の場でもあった。
――血の廻りを感じ取れ。
よくよく、父であり師が口にした言葉。
何を莫迦なことを言っているんだと、最初の頃は思っていた。だけど、扱いに慣れてくると、その言葉ほどしっくりくるものはないと思い知る。
両腕の血の流れ。
指先の血の流れ。
動脈、静脈、毛細血管の端の端に至るまで、其処に廻る血を感じ取って――そして、その血を意のままに操る。
ぷつ――っと、指先から血が零れて、同時に硬く硬くと意思を込めれば、あっという間に血は硬まる。強固になる。
紅い紅い、血の色をした金剛石のように。
指先に次いで、手の甲、手のひら。そして腕も。
肌から浮き出るように零れる血が、意思に呼応してパキパキと硬質化していく。
――血浄塵型、
名の如く、血でできた硬い鱗で全身を覆う守りの技法だ。
自分が最も得意とする技。
まるで魚か爬虫類のような細かな鱗でできた血の鎧。そして指先は鋭利に研ぎ澄まされた刃のような鉤爪になっていて、
「――吹っ!」
その腕を、適当に薙ぎ払う。
鮮血色の軌跡が虚空を疾り、周囲の竹が無造作に伐採される。ばきばきと幾本もの竹が倒れ、頭上から降って来る。
更に腕を振るう。今度は両腕。無数の紅い斬撃が頭上を蹂躙し、振って来た竹を細かに刻んでいった。
輪切りされた竹を周囲に散らばして、適当に腕を振り抜いた。
それは刀の血振るいするように。
そうすることで、自分の中で思考を切り替える。
腕を覆っていた鮮血の鱗が、まるで砂のようにぱらぱらと崩れていった。
訓練なんてお行儀の良いものじゃない。ただの反復練習。それだけのこと。なのに――
「うおー、すげー!」
なんて、莫迦みたいに賞賛する声。
ボクは振り返る。
声を上げた彼を。
変な奴だ。本当に、顔を突き合わせるたびに何度も思う。
一族の中でも畏れられているボクを。
多くの戦場で、多くの死を振り撒くボクを。
血だまりの中を、血塗れになって歩くボクを。
なんでそんな風に、忌憚ない顔で見上げては、賞賛と尊敬の眼差しを向けるのか?
「今のなに? センゲ、センゲ! もっかいやって見せてくれよ!」
どうしてそんな風に、人懐っこい声をあげて、ボクの服の裾を摑んでせがむのか?
「うっさいなー。見世物じゃないっていっつも言ってんじゃん」
「けち臭いこと言うなよセンゲ。頼むよー」
頬を膨らませて、唇を尖らせて、拗ねてるのを隠そうともせずに、君は言う。
ボクはそんな君に意地悪を言う。言って、君が遠ざかることを望んでる。なのに――
ああ、なのに。
どうしてボクは、君のその手を振り払えないんだろう。
どうしてボクは、こんなにも泣きそうな気持になるんだろう。
◇◇◇
「――ホント、どうしてさ?」
目を開いて、味気のない天井を見上げながら、そう零す。
体を起こし、白い髪を掻き上げて、《
裸体に近い格好で、床に脱ぎ捨てたままにした着物を拾ってそのまま無造作に羽織る。すると、〈
「おはよう、《心臓喰い》。気分はどうだい?」
「決まってんだろー。最悪も最悪。超最悪だよ。こんちくしょーめ」
殆ど反射で返事をする。考えての発言ではなく、適当な切り返しだ。尤も、気分が最悪なのは本当だ。夢見も悪ければ寝起きも悪い。
夢に見たのは今となっては遠い昔。
まだまだお互い純粋だった頃の記憶。もう、十年近く昔の出来事だ。
そのせいだろうか。胸の奥で、微かに燻る感情があるように思えた。焼けるような、あるいはちくりと刺すような、僅かな痛み。普段ならば無視するような痛み。だけど、どういうわけか無視することができない痛みだった。
(ああ……なんだよ、くそ)
何故、今日に限ってこんな夢を見るんだろう。
今更あの頃のことを思い出したって、意味などないのに。最早どうにもならないところまで、自分は来てしまったのだ。
あの日、すべてを蹂躙し、踏みにじり、切り捨てて、投げ出して――そして逃げて来たのだ。こんな地まで。こんな、はるか遠い異国まで。
もう二度と会うまい――そう決意してやって来た英国。
なのに、どうしてだろうか。
ほんの少しだけ、期待していた。もしかしたら、追ってくるんじゃないだろうかと。追いかけてきてくれるんじゃないだろうかと。
其処にどんな感情があるのかなんてのは二の次で。
もし、もう一度会えたなら、その時は――
(――その時は、どうしたかったんだっけか……)
自問し、記憶を呼び覚まそうとして、失敗する。そして呵々と事情の笑みを零した。
どのみち、すべてが手遅れなのだ。
最早自分は、血族を皆殺しにして逃げ出した頃の自分でもなければ、彷徨った果て、誘われるがままに英国にやって来た頃の自分でもない。
今の自分は《心臓喰い》。
このロンドンの民を恐怖に震わせる、都市伝説の怪物だ。
「目覚めたことろすまないが――侵入者だ。おそらく、君の待ち人だろう。出迎えてやったらどうだい?」
不意に、パラケルススが言った。
彼――あるいは彼女の言葉に、センゲは口元の笑みを深めた。
ほうら、やっぱり来た。来てくれた。
「かかか。そりゃ大変じゃん。いいよ、いいとも、いいですとも。喜んで僕がお出迎えしてやるさ。とびっきりの持て成しをしないとね」
言って、センゲは立ち上がった。
背中がうずく。
魂がうずく。
背負う四本の愛剣が、
そして――このロンドンを恐怖に震わす《心臓喰い》は、ゆっくりとパラケルススのもとを去り、歩を進める。
これがきっと最後。
そんな予感がした。
どんな結果になろうと悔いのないように――そう自分に言い聞かせながら、トガガミ・センゲは歩いていく。
脳裏に過ぎる――まだ幼い少年の笑みを、必死に振り払いながら。
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