葡萄酒を片手に、錬金術師が滔々と語る。


「〈アルケミスト〉――我々錬金術師たちが興した、秘密結社のようなものだ。かつては私も其処に居た。名前の通り、錬金術師たちによって構成されている。特に、名の知れた錬金術師は、等しくそこに名を連ねていたよ。イブン・シーナ。ニコラ・フラメル。アルベルトゥス・マグヌス。ロジャー・ベーコンなどなど。そしてテオフラトゥス……即ち、パラケルススもまた、〈アルケミスト〉の一員だ」


 ヴィンセントの話を、三人は沈黙を保って清聴する。

 そうしてずらずらと並べられる著名な錬金術師の名前の中に、エルシニアが追い求める存在の名も含まれていた。


我々アルケミストの最終目標は大いなる作業マグヌス・オプスを経て、その最果てへと頂くことだった。

 時に不老不死の追及を試み、時には賢者の石の生成を志したこともある。まあ、常人からすれば、それは荒唐無稽な夢物語を追い求めるようなものだろう。だが、我々にとってはとても重要なことだったのだよ」


「何だよ、その最果てへと頂く……ってのは?」トバリが渋面で問う。


 その問いに、


「――神の領域。そこに踏み入ることだ」


 至極真面目な顔で、ヴィンセントはそう言い切って見せた。

 あまりに予想を上回る言葉に思わず自分の耳を疑う。思わず隣に並ぶエルシニアに視線を向けると、彼女も自分と同じように驚きに目を見開いていた。リズィのほうは、どうやら話についてこれていないらしく「神様?」と首を傾げていたが――まあ、それはご愛敬というやつだろう。


「……流石にそれは荒唐無稽が過ぎるってものだぜ? 錬金術師って科学者だろ? 神様信じるのかよ」


 溜め息交じりにトバリが言う。

 だが、ヴィンセントはその言葉をやんわりと受け流し、そしてそのまま話を続けた。


「言葉の比喩として、神という言葉が便宜的に用いられているに過ぎない。人間と言う不完全な存在から、より超越的な存在に昇華するための過程の終わりに位置する場所であり存在でもある。定義は不確か――故に、錬金術師はその不確定な要素を解き明かそうとした」

「……なかなかに誇大妄想だな」

「そうは言ってくれるな。少なくとも、我々は真剣だよ――いや、真剣だったと言うべきか」


 そう言って、ヴィンセントの表情が歪む。


「今からおよそ四百年ほど前だよ……一人の男が高次元に足を踏み込んだ。そしてそれが、最悪の始まりだった。〝彼〟は真理を見たと語り、実際に我々の前で奇跡に等しい御業を様々に披露した。多くの者に擦り寄ったとも。多くの錬金術師が、〝彼〟に教えを請い、そしてに突き動かされるように、彼の唱えた手段を実行し叡智を追った――結果、皆は死に絶えた」

「どういうことだ?」

「言葉通り――誰も耐えられなかったのだよ。〝彼〟が齎した叡智。そこに至る方法は〝彼〟のみに許された手段だった、ということだよ。

 その名は恐怖。

 その穴は狂気。

 精神を虫食み、時に命すら奪う恐怖という概念そのものが、〝彼〟の見出した叡智へ至る要素だった。当然、そんなものは常人には扱えない。いや、我々のような生命の摂理から外れたものですら、〝彼〟の辿った道は、その方法は、とてもではないが同道することは適わない――あれは文字通り、人智を超えていた。

 まさに狂気の具現というべきものだった。

 人の持ち得る狂気の頂。狂気、狂信、狂想――それらがまさにこの世に具現化したような現象。あれは、真理と呼ぶにはあまりにも狂っていた。故に――我々は《狂気マドネスの具象》と呼んでいる」

「狂気の……」

「……具象」


 トバリとエルシニアは、その言葉をしっかりと自分の中に刻み込むように反芻し、問う。


「その《狂気の具象》ってのは、具体的にどんな現象を指すんだ?」

「明言はし難い。だが、抽象的に表現するならば、〝世界そのものになる〟とでも、言えばいいかな?」

「本当に抽象的過ぎて、想像もつきませんよ」


 ヴィンセントの言葉に、エルシニアが呆れ気味にため息をついた。これにはヴィンセントも肩を竦め、申し訳なさげに苦笑する。


「すまないね。だが、英知に溢れるこの私をもってしても、説明が難しいのだよ。

 ……我々の生きる世界がこうして現在も形を成しているのは何故か? と問われて、君たちは明朗な答えを提示することはできるかね?」

「「「できない」」」

 

 ヴィンセントの問いに、トバリ、エルシニア、リズィの三人が口を揃えて答えた。ヴィンセントは満足げに頷いて「つまりはそういうことだよ」と続けた。


「そのうえで仮説を述べるのであれば――《狂気の具象》とは、その顕現者自体が一つの〝世界〟と化す現象だと私は考えている。

 自己の絶対的な正当化。自己認識の究極系。

 今存在するこの世界に対して、《狂気の具象》に至った者の想像する世界こそが既定現実ホンモノとして侵食するのだよ」


 何やら自信満々に告げるヴィンセントの説明を受けたトバリは、眉間に皺を寄せながら隣にいるエルシニアに「……判ったか?」と尋ねたが、彼女は無言で首を横に振った。どうやら理解できていないのは自分だけではないことに安堵しながら、トバリはどうにか思考し、言う。


「――お前の説明に出てきた〝彼〟とやらは、どんな世界を想像した? どんな世界が〝あるべき現実セカイ〟だと信じていた?」

「――外なる存在が統べる世界」


 一瞬の逡巡もなく、答えは返ってきた。


「この世界の外に存在する、人の精神すら狂わす異形の神々が、我々のすぐ隣に座している――そんな世界を〝彼〟は想像し、肯定し、崇拝していた。

 心平坦なる者が遭遇すれば心を壊し、魂を狂わせ、狂気へと落とすほどの異形にして異常なる超越的存在。我々は人類は彼らによって支配され、彼らにとっての家畜である――それが、彼がこの世界に顕現させた《狂気の具象》だ」

「見たのか?」すかさず尋ねると、ヴィンセントは此処ではない何処かに視線を彷徨わせながら「……ああ」と首を縦に振った。


「言葉では到底表現することの適わない――あれは、ただただおぞましい……まさに狂気そのものと呼ぶべき何か、、、、、、、、、、、、、だった。

 そして〝彼〟が顕現させた《狂気の具象》を目の当たりにした結果、多くの錬金術師は死に絶え、生き残ったものの殆どは〈アルケミスト〉を去った」


 かつてないほど険しい表情を浮かべるヴィンセントの様子は、言外にその時の心情を表しているようで、これ以上のことを聞くことは躊躇われた。

 ただ、この常識はずれ極まりない錬金術師をもってしておぞましいと言わしめる現象である――というのは、確かに伝わった。


「――それでも残った者たちがいた。その一人が、パラケルスス。パラケルススは〝彼〟の齎した理論を――《狂気の具象》を再現することで、自らも高次元へ至れるのではないか、と提唱したのだ。

 そして〈アルケミスト〉に残った者たちは、彼の唱えた説に賛同した者たちだった。そうして、新生した〈アルケミスト〉は、各地で実験を開始した。それを察知したかつての〈アルケミスト〉たちは、彼らの暴挙を阻止するべくして敵対すること選んだ。そして――現在いまに至る、というわけだ」

「うん、判らん」


 明らかに話半分に聞いていたであろうリズィが、ヴィンセントの語った内容を一言で一刀両断する。ヴィンセントの口元が僅かに引きつったのを、トバリは見逃さなかった。

 だが、口にはしないが、気持ちとしてはトバリもリズィに似たようなものである。むしろ隣に立っているエルシニアが「そんなことが本当に可能なのでしょうか……」と小さく零していることにこそ驚いてしまう。

 流石はアカデミア所属の学徒なのか。それとも科学者というのは総じて荒唐無稽な理論に直面せざるを得ない生き物なのか……まったく以て奇矯な連中だなと、トバリは胸中で呆れてしまう。

 その思想や理屈は全く理解できなかった。しかし、相手の背後にはかなり危険な連中の姿が見え隠れする――ということだけは判った。


「奴は何をしようとしている?」

「莫迦なことを」


 返答は断言だった。


「これまで、このロンドンに放たれた幾体ものレヴェナント。そして、それぞれの個体に関わる大なり小なりの都市伝説……《蜘蛛》、《跳ねる者》、《人花》、《屍鬼》、そして《心臓喰い》などなど――鋼鉄の怪物たる彷徨う存在レヴェナントを人々は囁いている。認識することは適わない。だけど、どういうわけか人々はレヴェナントのことを実しやかに口にする――そこから、私は考えた。彼は、恐怖を蔓延させたいのだろう」


 ――恐怖。即ち、恐れること。怖がること。


 ヴィンセントの先ほどの説明を鑑みれば、その理由はおのずと理解できた。


「《凶器の具象》を再現するために、ロンドンを恐怖に陥れてるってのか?」

「錬金術師とは知識の探究者であり、真理を追究する巡礼者でもある。そして自らが追い求める真理こたえに至るためならば、如何なる手段も問わない生き物だ。幾万の命が失われようとも。どれほどの国が地図から消えようとも。彼ら〈アルケミスト〉は、決して諦めない。神の領分――真なる叡智へと辿り着くため、恐怖によって引き起るであろう《狂気の具象》。そののための犠牲は、すべからず『必要な犠牲』と彼らは断じるだろう」

「それは……貴方もですか? 伯爵」


 〈アルケミスト〉の思想を語るヴィンセントに対し、かつて〈アルケミスト〉の一員であったものに対し、エルシニアが探るように尋ねた。

 トバリも、同じような意味を込めて彼を睥睨する。

 〈アルケミスト〉。

 この程度の話を聞いただけでも何となくに理解できるる、常軌を逸した者たちの会。

 その〈アルケミスト〉にかつて名を連ねていた男は、果たして何を思うのか。トバリとしても興味深かった。

 二人の視線を受けて、ヴィンセントは暫し驚いたように目を丸くして――そして不意にその口元を綻ばせた。


「言っただろう……私は離反者だ。彼らの考えについていけなかったからこそ、そしてあのようなおぞましい存在をこれ以上増やしてはならないと思ったからこそ、私は彼らを討つと決めたのだよ」


「私の言葉を信じるか否かは、君たち次第だが」そう言って言葉を切ったヴィンセントは、ゆっくりと葡萄酒の硝子杯に口を付けた。

 そんな彼の態度に、くく……とトバリは失笑する。


「なーに格好つけてんだか」


 言いながら、トバリは丸テーブルの上に置かれていた葡萄酒の酒瓶を手に取ると、そのまま無遠慮に口付けて中身を嚥下する。

 程よい酸味とアルコールが喉を焼く感覚に口の端を吊り上げる。そしてトバリは腰を据えているヴィンセントを見下し、


「言っただろ? ビジネスライクだって。アンタは俺を雇って、俺はアンタに雇われている。寝床と飯があって、金を払ってくれるならどんな悪党だって構いやしねーさ。それに、敵の敵は味方だろ」


 にぃぃぃぃ、っと一層深く笑う。

 ならば、と。


「それに、これは俺の問題でもある。アンタが敵対する奴の味方には、俺の敵がいる。パラケルススのやろうとしてることにはさして興味はないが、センゲがパラケルススに手を貸しているってのなら、もののついでだ。邪魔してやるよ」

「アンタの側につく理由としては、それで充分だ」そう告げて再び酒を煽るトバリの様子に、ヴィンセントは目を丸くし――


「そうか。ならば、礼を言おう」

「言葉はいらねぇ、仕事だからな。仕事に見合った支払いがあれば、それでいい」


 その返事に、彼は何処か面食らったような、あるいは安堵したような、そんな風に口元を綻ばせた。


「判った。ならば相応の礼をさせてもらうとしよう」

「それでこそだよ、雇い主」


 ヴィンセントの科白に満足げな笑みを浮かべ、トバリは背後を振り返った。二人のやり取りを見て、呆気に取られている少女に向け、トバリは不敵に尋ねる。


「で、お前はどうする? 前と同じように一人で突っ込んで大暴れして足元掬われるか?」

「……ホント、口を開くと嫌味ばかりですね。貴方は」


 トバリの不遜な物言いに、エルシニアは盛大に溜め息を吐く。


「私がこの地に来たのは……パラケルススを討つために、そしてアリステラを弔うことですから」


 強い意志を込めて、少女が言った。

 次いで、リズィを見る。


「もち、手伝うよ」


 すると、返事は意外にも早かった。彼女は良く判っていないと言っていた気がしたが、本当に自分の言っていることの意味を理解しているのだろうか。

 そんな疑問を込めた視線を向けると、リズィは「判っているよ。で、やるっ言ってる」と補足し、にまりと口の端を釣り上げて言い放った。


「私みたいな気持ちを味わう奴がいるのは、気に食わないからね」


 その言葉に、トバリは肩を竦めた。

 ならば、最早何も言うことはない。

 するべきことは、決まっている。

 三人で頷き、ヴィンセントを見据える。目を丸くする錬金術師様を見据え、トバリはにたりと笑いながら、言った。


「そんじゃ、このロンドンに化け物をまき散らしたらしい、諸悪の根源をぶっ殺すとするか」

「……は、はは! そうだな。では、怪物退治と行こうじゃないか、諸君」


 笑うヴィンセントのその言葉に、それぞれが呼応するように頷いた。






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