――最初に盃を交わした場所でファースト・コンタクト


 思い返せば半年ほど前。このロンドンにやってきて間もない頃に、トバリはヴィンセント・サン=ジェルマン伯爵と出会った。

 身も凍えるような一月の夜だ。今日のように深い霧が辺りに立ち込めていて、まだまだロンドンの路地もうろ覚えだった。夜な夜な血なまぐさい現場に東奔西走し、其処で出くわした鋼鉄の怪物をうさ晴らしに葬って――世に『切り裂きジャック再びか』なんて騒がれ始めた頃。

 あの日も、同じように治安の悪いホワイトチャペルをふらふらして、トガガミ・センゲの手掛かりを探し回っていた。

 世にも不気味な咆哮を耳にして、餌を振り撒かれた狗のように走って――そして出会ったのだ。

 なかなかに奇妙な一夜だったと言えるだろう。

 成り行きなれど助け、そのあとに脅し、果てには共に飯を食い――今では同じ屋根の下でに住まわせて貰っている。まったき世とは不思議なものだ。

 合縁奇縁腐れ縁。なんであれ、予想もしない形で縁というものは繋がる。

 なんて物思いにふけりながら歩いていると、後ろからつつかれた。「なんだよ?」と振り返ると、リズィが眠気眼でこっちを見上げて首を傾げる。


「ミスター。これ、何処に向かって?」


「――いるの? くらい最後まで言い続けろよ。横着すんな」


「答えになってないしー」


「答えるまでもねーからな」


 リズィの問いを一蹴して、トバリは路地を右に左にと曲がっていく。


「それで、これは……っとと。何処に向かっているんですか?」


 狭い路地に転がるごみや崩れた建物の破片やらに足を取られながら、どうにかついて来るエルシニアが問うてくる。

 トバリはため息を吐きながら答えた。


「――あいつの行きつけの店だ」


「おいこらー」


 答えると同時、そんな科白と共に背中に拳が叩きこまれた。トバリは鬱陶しいなぁと思いながら振り返ると、リズィが拳を突き出したまま目の端を釣り上げていた。


「なんで答えたし」


「質問はちゃんとしろよ?『どうして私の質問には答えなかったのに、リーデルシュタインの質問には答えたのか』ってな」


「……よくリズィその子の言いたいことが判りましたね」


 リズィの意図を汲み取ったトバリの科白に、エルシニアは呆れ半分関心半分といった表情でそう言った。


「慣れだよ、慣れ。あと、言葉以上に目がモノを言ってる。というかリズィ、お前ヴィンスからこのメモ受け取ったんだろ? なら行先くらい聞いてねーのかよ?」


 尚も拳を突き出してくるリズィの頭を抑えながら尋ねると、リズィは「いんや」とかぶりを振った。


「事務所に戻ったら、机の上にメモがあった。『ベーカー街にいるトバリに渡せ』って添えてあったの」


「……左様で」


 何処までも用意周到な雇い主様に、呆れればいいのか、驚けばいいのか判らず、トバリはうんざりとした気持ちになって項垂れる。


「まあ、いいさ。イーストエンドに、あいつの行きつけの機関酒場エンジン・バーがある。其処に向かってるんだよ」


「イーストエンド……まさかホワイトチャペル?」


 渋い顔をするエルシニアに、トバリは「いいや」とかぶりを振った。


「治安は良くはないが悪くもないって程度の、キャノン・ストリートとブロード・ストリートの間ってところだよ」


「その辺もじゅーぶん治安悪いじゃん」


 すかさず、リズィが茶々を入れて来る。トバリもまた、間髪入れずにその頭を小突いた。


「有り難い補足をありがとよ。別に通り歩いたくらいじゃ死なねーだろうが。それこそ〈心臓喰い〉でも出てこない限りはな」


 皮肉を込めて口の端を釣り上げると、エルシニアの表情が僅かに青褪める。気持ちはまあ、判らなくもなかった。

 正直な話、今センゲと遭遇して逃げ切れるかと問われれば、まず不可能だと断言できる。

 力量差、戦力差は歴然だ。

 此処に至るまでずっと頭の中でセンゲとの戦いを想定シュミレートしているが、どうしても決め手に欠く。

 防御のための血浄塵型と、攻撃のための〈循血機関〉。あの二つを同時に攻略するのは至難の業だ。

 レヴェナントの装甲すら紙切れの如く切り裂いて見せた〈喰い散らす者〉も、センゲの守りを突き破るには至らない。


(なーんか手はないもんかねぇ)


 自分の手の内スキルを思い出しながら、ああでもないこうでもないと策を考しているうちに、目的の場所にたどり着いた。

 ヴィンセント行きつけの機関酒場ヴェルヴェット。

 店の前にたどり着いたトバリは、内ポケットから懐中時計を取り出して時間を見る。時刻は午前四時半過ぎだ。さすがにこの時間ともなれば客の姿はほとんどなく、店側も終いの準備に入っている頃だが――こっちとしてはむしろそのほうが好都合だった。

 トバリは後ろに二人に「入るぞ」と短く告げると、遠慮なく店のドアをくぐった。そして店の奥のカウンタにいる大柄な男に近づく。


「悪いな、もう店じまいだ」


「そう固いこと言わないでくれよ。一杯だけでいいんだ」


 へらへらと笑いながら、トバリはカウンタテーブルの上に硬貨シリングを置き、硝子杯グラスを磨く男――店主に言った。


「一七五八年『シャンボール』を」


 すると、店主の柳眉が僅かに動いた。値踏みするような視線でトバリを見据えた。にぃ、と口の端を持ち上げて見せる。

 そんなトバリの態度に店主は小さく溜め息を吐くと、ゆっくりと視線を厨房に通じるドアに向け「あっちから裏に回ってくれ。料理長に訊けば判るはずだ」と言って、硝子杯を磨く作業に戻った。


「ありがとよ」


 おざなりに礼を告げ、トバリは肩越しに二人を振り返ると「――だ、そうだ。行こうぜ」とついて来るように言って、さっさと店主が指した厨房へと向かう。扉を潜り、清掃している料理人たちの間を縫うように移動し――その中で次々と指示を飛ばしている恰幅の良い男性を見つけると、トバリは歩み寄りながら言った。


「一七五八年『シャンボール』」


「ああん?」


 訝しむように男性――料理長が眉を顰める。トバリを見下すほどの背丈の厳つい男が、鋭い眼光で見下し威圧して来るが、トバリは微動だとせずその視線を受け止める。

 背後で二人が息を呑む気配。軽く手を振って「気にするな」と示す。

 数秒後、料理長が荒々しく鼻を鳴らした。彼は「少し出てくる、終わったら各自帰っていいぞ」と周囲に言い残して「ついてこい」とトバリたちを促した。

 トバリたちは揃って彼の後に続く。

 厨房を抜け、店のさらに奥へと案内される。薄暗い倉庫のような場所。酒の保管されている大樽や、搬入されて間もない食材の入っているらしい箱が山積みになっている間を縫って進む。

 そんな中で、不意にエルシニアが尋ねてきた。


「一つ、良いですか?」


「あ、私も知りたい」と、相槌を打つリズィ。


「何だよ?」振り返って聞き返すと、エルシニアとリズィは顔を見合わせ――そして代表するようにエルシニアが口を開いた。


「えーとですね……一七八五年『シャンボール』っていうのは、葡萄酒ワインか何かですか?」


「ああ、それね……」


 問いに、トバリは面倒臭げに頭を掻きながら答えた。


「酒の銘柄――と見せかけた暗号だよ。実際は、ヴィンスが昔パリに移った際に研究所として宛がわれた城と、その年のことだそうだ。それがそのまま、此処で合流する時の合言葉になってる」


「――着いたぞ」


 歩みを止めた料理長がそう言って指差したのは、積み重なった樽の間に覗く鉄扉である。


「案内、ありがとよ」


「礼はいらん。店主オーナーが勝手にしていることだしな」


 不機嫌そうに言い捨てて、料理長は元来た道を戻っていく。その背を見送り、トバリはエルシニアと視線を交わす。


「んじゃまあ、入るとするか」

「本当に、此処に伯爵がいるんでしょうか?」

「居なきゃ案内しないだろ」


 そう言って改めて扉を開けた。油が指していないのか、扉は重く、鈍い音を立てた。半分ほど開いたところで、中に入る。

 中は薄暗くあったが、幾つかの照明が施されていた。そしてその照明の光の中で、ぼんやりと姿を浮かべる紳士が、


「……何やってんだ、お前」


 どんよりと。まるで通夜の最中の様に項垂れて、葡萄酒のボトルを抱えてテーブルに突っ伏していた。

 錬金術師であり、トバリの雇い主であるヴィンセント・サン=ジェルマン伯爵である。

 しかし――何故だろうか。その表情は涙に濡れていた。彼の様子を見たトバリは呆れ、リズィとエルシニアは驚きに目を瞬かせる。


「……は、伯爵?」

「ホント、何してんだよお前。泣き上戸だったか?」

「……ああ、諸君。来たか」


 そこでようやく、ヴィンセントは二人の存在に気づいたらしく、懐から手拭いハンカチーフを取り出して顔の涙を拭った。余程酩酊しているのか、その目は随分と坐っているように見える。

 よろよろと立ち上がった彼だったが、すぐにたたらを踏んで地面に膝をつく。

 駆け寄ってみると、凄まじい酒気だった。思わず離れようとしたトバリだったが、それよりも早くヴィンセントの手がトバリの外套を摑む。

 逃げそびれた。振り返れば、いつの間にか二人が距離を取っているのが見えた。

(上手く逃げやがったなこいつら!)

 胸中で悪態を吐くが、ことは既に手遅れだ。


「聞いてくれ、トバリよ。我が友人」

「止めろ、気持ち悪い。俺とアンタの間にあるのは雇用者と被雇者の関係ビジネスライクだろうが」

「そんな……そんな寂しいことを言ってくれるな!」


 語気を強めて紳士が――否、最早ただの酔っぱらいがそう食って掛かる。


「知らなかった……知らなかったんだ。まさかエリザベスが……エリザベスが既婚者だったなどと!」

「あー……なるほど」


 ヴィンセントの切迫した科白に、トバリはほとほと呆れ返って溜め息を吐いた。そんなトバリたちのやり取りを見ていたリズィが、いつの間にかトバリのすぐ背後にやってきてその肩をちょいちょいとつつき、


「誰? エリザベスって」

「此処の給仕係ウェイトレスだよ。ヴィンスの奴がやけに贔屓していたんだが……そういう理由だったか」


「つまり?」と首を傾ぐリズィに向け、トバリは一言で答えた。

「惚れてたんだろ」

「それは……またなんという」エルシニアが名状しがたい表情でヴィンセントを見た。

 一人トバリの服の端を握って膝をつくヴィンセントに、同情と憐憫の視線が集中し――


「くそ……そうと知っていれば、惚れ薬の研究なんてしなかったというのに」

「お前何してんの?」


 予想もしなかった突然の告白カミングアウトに、思わず突っ込みを入れてしまう。するとヴィンセントは目を涙に滲ませながら起き上がり、なお叫んだ。


「彼女と出会った時、まるで稲妻に撃たれたような激しい衝撃を受けた。あれこそが私の追い求めていた衝撃ものだ。あの娘の笑みを見ていると、私は胸を締め付けられるような痛みを覚える。あの娘に語りかけられると、私の鼓動が自然と加速するのだ。そして私は気づいた――これぞ恋なのだ、と!」


「……まあ、理由は置いておくとして――それで何で惚れ薬?」

「決まっているだろう。そうすれば何の苦もなく彼女の心を手に入れられるからさ!」

「お前、もう黙れよ」


 取り敢えず、なおも食って掛かろうとする酔っぱらいヴィンセントの頭に踵を落とす。そして心から思う。頼むから、これ以上幻滅がっかりさせないで欲しい。今この場において、現在進行形でトバリの中で錬金術師と言う存在の地位を脅かしているのは、間違いなくこの男に他ならなかった。

 あと、背後の女性二人の視線がすさまじい勢いで冷淡になっていくことにそろそろ気づけと言いたい。

 しかし件の錬金術師は、叩き落されたかかとの繰り出した一撃の痛みで悶絶するだけだった。

 そして痛みに悶絶する彼に回復する暇も与えず、トバリは冷淡に問うた。


「そんな話をしに来たわけじゃないぜ、ヴィンス。我らが錬金術師。さっさと酔いを醒ませ。そして話せ。お前の知っている、パラケルススのことを」


 すると――


「……ほほう。どうやら色々と聞きたいことがあるようだね、諸君」


 まるで寸前までの錯乱状態が嘘であったかのような普段通りの――いや、普段以上に怜悧さを感じさせる表情を浮かべて、彼は微かに微笑んだ。

 そして、彼はトバリを見つめて問うた。


「興味を抱いたか? 私に。いや、我々に」


 トバリは答えた。


「ああ、話せよ。お前の、そしてお前の言う――我々とやらのことを」


 すると、ヴィンセントはまるで喝采を浴びる舞台役者の様に両腕を広げ、不敵に微笑み高らかと応じた。



「良いだろう。ならば、教えよう。古くよりこの世界に存在する――私たちのことをね」




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