「……あんたもまた、真の意味でのレヴェナントってわけか」


「あのセンゲと言う人に比べたら、かなり旧式ですがね……」


 エルシニアが自嘲するようにそう零す。


「五年程前に、彼女は私の家族を皆殺しにし、実験と称して私にこれを埋め込みました」


「五年前にはもう、レヴェナントを生み出す技術は完成していた、か――一体何者なんだ、あの女……」


 トバリの疑問に、エルシニアはすぐに答えてくれた。


「彼女の名前は、ティオフィス・ホーエンハイム。言わずと知れたホーエンハイム・インダストリーの最高経営責任者であり……その正体はパラケルススという名の錬金術師です」


 出てきたその名前は、想像の遥か上を行っていた。

 もし口にしていたら、間違いなく噴き出していただろう。エルシニアの口から出てきた名前は、それくらいの衝撃があった。


「……ロンドンは何時から錬金術師の魔窟になったんだ?」


 トバリはこの世の終わりを嘆くような表情でそうぼやく。

 ――パラケルスス。

 トバリの雇い主たるヴィンセント・サン=ジェルマンに並んで、その名もまた、錬金術の知識が片鱗でもある者ならば知らぬ者はいないほどの著名な錬金術師の一人。

 哲学者であり、医師であり、そして錬金術師であった人物。

 十五世紀末に生まれ、死去したとされる十六世紀半ばまでに立ち上げた偉業は数知れず。


 曰く――ホムンクルスの生成に成功した。


 曰く――錬金術の秘奥たる賢者の石の生成に成功した。


 曰く――賢者の石を宿した剣を有している。


 曰く――永遠の智者にして不死者の怪物ノスフェラトゥ


 何処までが本当で何処までが嘘なのかを知り得る術はないし、彼女が言うティオフィス・ホーエンハイムが本当にパラケルススであるのかも真偽のほどは知れない。

 だが、何処か納得してしまう部分もある。

 あの身に纏う雰囲気。言動の端々から滲み出る知性。

 長きを生き抜いた賢人故の所作であるのだとすれば――厄介極まりないのがセンゲの背後のいる、と考えていいだろう。

 だが、それ以上に気になることが一つあった。


「……パラケルススって女なのか?」


 史上、彼は男性であったと云われている――そうトバリは記憶していたのだが、あの工場の地下で出会ったパラケルススは、どう見ても少女の姿をしていた。しかも美少女と呼んで過言ではないくらいの容姿をしていたはず。

 そんな姿を見て〝男性〟などと思ったのだとすれば、当時の人間たちの美的感覚を疑う。いやむしろ正気を疑う次元である。

 トバリの疑問に、エルシニアは気まずそうに――というより、悔しそうに表情を歪めながら言った。


「……いえ、あの姿はパラケルスス当人のものではありません」


「はぁ?」


 何を言っているのだろうか。少女の言わんとすることが判らず、トバリは首を傾げる。

 少女は言った。

 あの姿は、パラケルスス本人の姿ではない――と。

 ならば、パラケルススとは誰のことで。

 そして、あの少女は、一体誰なのか。

 脳裏に過ぎった疑問。その疑問の言葉の意味をトバリの頭が理解した瞬間、戦慄がトバリの中を駆け抜けた。

 自分の言葉に、自分の疑問に、恐怖を覚える。

 そして、そんなトバリに向かって、エルシニアは言うのだ。


「あの少女の名前は、アリステラ・シャール・リーデルシュタイン。私の、エルシニア・アリア・リーデルシュタインの、姉に当たる人物です」


 そう投げうたれた少女の言葉。

 意味が、判らなかった。

 ティオフィス・ホーエンハイム――即ちパラケルススであるはずの少女。

 その少女は、目の前にいるエルシニアの姉だと、彼女は言う。

 ならば――

 ならば、ティオフィスとは。

 パラケルススとは、誰のことだ。

 そんなトバリの疑問に答えるように、エルシニアは沈痛な面持ちで続けた。


「……彼女の胸元、そこに何があったか。貴方は覚えていますか?」


 問い掛けられて記憶を遡る。

 鮮烈なまでに記憶に刻み込まれたあの光景を、忘れる方が難しい。一瞬にして鮮明に、少女――パラケルススとの邂逅を思い出す。

 月明かりを彷彿させるような鮮やかで淡い色の金髪。

 永久に熔けることのない凍土のような蒼の双眸。

 まるで精巧に作られた人形のような、ある種の非現実的な美しさを孕んだ白衣の少女――その胸元に埋め込まれていた、血のように赫い宝石、、、、、、、、、


(……まさか!)


 冗談だろうと、そう思いたい。

 そう思いたいのだが……ならば何故、エルシニアが今そのことを指摘したのか。なんて、考えるまでもないことだった。

つまり、


「あの石こそが、パラケルススです――そう言ったら、貴方は信じますか?」


 それが答えだということ。

 予感が的中したことを伝えるエルシニアの言葉に、流石にトバリも息を呑んだ。というより、いい加減に理解が追い付かなってきていた。

 腰かけていた椅子の背もたれに身体を預け、天井を仰ぐ。

 三文芝居パルプフィクションにしては安易チープだし、空想科学サイエンス・フィクションにしてはお粗末クロップな話である。

 なんにせよ、性質が悪い

 どうにせよ、意地が悪い。


「石……パラケルススの石ってことは……あれが」


 ぽつりと零したトバリの科白を耳ざとく拾ったのか、あるいは元から説明しようとしていたのか。どちらにしても、どちらにないにしても、エルシニアはゆっくりと首を縦に振って口を開いた。


「賢者の石――そう呼ばれている物に、彼は魂を転写した。そして、賢者の石の所有者を宿主とし、身体を奪う。それが、稀代の錬金術師パラケルススの唱える不死だと、私は推察しています」


「稀代の錬金術師……ね」


 エルシニアの言葉を借りながら、トバリは廃工場地下でのことを振り返る。

 サン=ジェルマン伯爵に、パラケルスス。

 はるか昔より世界に名を連ねる二人の錬金術師が、同じ都市に拠点を置き、活動している――これが偶然ということは、今となっては有り得ないと断言できる。


(それに、あいつら……面識があったな)




 ――私は貴方に訊ねているのだ――何をしに来た、と。




 ――知れたこと。君の目的を阻むために。




 ――私は喜んで嘗ての同胞と敵対するとも。



 互いに敵意を剥き出しにし、敵対を表明していた二人。

 あの会話から、ヴィンセントがパラケルススは面識はあれど、現状では敵対していると見てまず間違いないだろう。

 そう考えれば、ヴィンセントの行動にも意味が見いだせる。

 ずっと疑問ではあったのだ。ヴィンセントがどうして、執拗にレヴェナントを追っていたのか。

 気にはしていた。だが聞くほどのことでもないと思って聞かずにいたのだが……パラケルススがあの鋼鉄の怪物たちを野に放っていると考えれば、ぴったりと附合もする。

 ロンドンを彷徨う都市伝説の怪物たち――レヴェナント。それは言わば、パラケルススの蒔いたパン屑のようなものだ。

 ヴィンセントはレヴェナントを通して、ずっとパラケルススの影を追っていたのだろう。ホームズの推察と、エルシニアが今まさに話していた内容。そしてヴィンセントとパラケルススの敵対関係を繋ぎ合わせれば、なるほど納得ではある。

 尤も、肝心の部分は本人の口から説明されなければ判らないことだ。だから、


「……後は語ってもらうしかねーわな」


 独り言のように零して、徐に立ち上がる。

「ど、どうしたんです?」急に立ち上がったトバリの様子に驚いたらしいエルシニアがそう尋ねてきた。

 しかしトバリは応じずに踵を返し、代わりに部屋の外へ顔を出して声を上げる。


「ハドソン夫人、ちょっといいですか?」


「あらあら、何かしら?」


 すぐに返事が返ってきて、別室からハドソン夫人が現れた。トバリは軽く会釈をし、


「急ぎで悪いんだが、今から俺たちはいかなきゃなら居ない場所がある。彼女に服を貸してやってはくれないか? 勿論、貴女がよければだけど」


 そう尋ねると、夫人は快く頷いて部屋に入って来て、奥のほうにある衣装棚を漁り始める。


「ま、待ってください、何処に行くんですか!」


 そんなハドソン夫人を傍目に、慌てて立ち上がったエルシニアがトバリの背にそう声を掛けた。トバリは視線だけ振り返って言った。


「決まってるだろ。我らが伯爵様を、問い質しに行くんだよ」


「でも、何処にいるのかご存じなのですか?」


「知らんよ、そんなの」


 トバリはつっけんどんに言い返す。なにせ手渡された紙切れには、ベーカー街B211に行けとしか書かれていなかったのだ。そのあとどうするかなど、何一つ決めてはいなかった。今のような状況では、事務所に戻っているとも考え難い。

 だが、何となくだがトバリにはこの後の展開に予想がついていた。

 あの場に一人だけいなかった者がいる。まあ、正確にはトバリが連れて行かなかったのだが――もし無事であれば、そろそろ……なんて考えた時である。

 突然、玄関のほうからノックの音が聞こえて来た。

 ハドソン夫人が衣装棚から顔を出し、慌てて出ていこうとするのを止めて「俺が出ますよ」と言いながら玄関に向かう。

 来訪者はコンコンコンコンと、何度も軽く叩いている。

 ホームズほどの慧眼はないが、ノックの音だけで、誰がやって来たのかが判った。というか、判ってしまった。

 トバリは「はぁぁ……」と深いため息を吐きながら、玄関の扉を開けた。


「おーそーいー」


 相手のほうも、誰が出てくるのか予想していた様子で、覇気の欠いた声と共にそう言って、相変わらずの半眼でトバリを見上げ、


「……でもまあ、無事でよかった」


「ふむ。お前でも心配ってするんだな、リズィ」


「そりゃそうっしょ。同僚だし」


 そう言って、キャスケット帽子を被った朱色の髪の娘――リズィが、何処か安堵した様子で口の端を釣り上げた。

 ほんの数時間ぶりのはずなのに、何日かぶりの再会を果たしたような気分になった、ような気がした。


「さーて。お嬢さんよ。こんな夜分にわざわざやって来たってことは――お前が案内役ってことか?」


「うん。伝言も預かってる」


「オーケィ、伝言役メッセンジャー。で、あいつはなんて?」


「ほい、これ」

 訊ねると、リズィは黒コートのポケットからひょいと二つ折りにされたメモを取り出した。トバリは苦笑しながらそれを受け取り、そして言った。


「これじゃ伝言役じゃなくて配達役ポスティーノじゃねーか」


 科白を零し、トバリは呵々と口の端を釣り上げた。

 同じことをいつだか誰かさんに言われたなぁ、なんてと思いながら、トバリはメモを開いて中に描かれた文章を見て、失笑する。


「――ったく。洒落てやがるよ、ホント」


 一人楽しそうにぼやく。そしてリズィを見下ろして、くいっと借家の中を指さした。


「中で、依頼主が着替えをしてる。終わったら連れてきてくれ」


「オッケー」


 ぐっと親指を立てながら頷き、軽い足取りで中にはいるリズィを見送りながら、トバリは改めてメモを見て、今一度笑った。



「――『ファースト・コンタクト』ね。暗号のつもりかよ……」




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