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 夕方、他の肉食獣も食べた痕跡の残る大蛇の肉を五匹で食べると、大体は無くなりました。残った後少しも、他の誰かが食べてくれるでしょう。

 私達はそろそろ帰る事にしました。夜になれば、月明かりがあるとしても自由に空を飛ぶのは難しくなります。夜になったら素直に寝る。それは焚火を使っていた冬でも同じでした。


 森の中から飛びあがると、他のワイバーンも崖へと帰っているのが見えました。

 この代で最終的に春を迎えられたワイバーンは四十も居ません。私を含む計十四匹の後、もう一度ノマルを含む十匹位が帰って来て、マメとアズキが帰って来て、その後また数匹が帰って来て、それで終わりでした。それでも成獣したワイバーンの総数と比べるとそこそこ多いのですが、生まれて来たワイバーンは数百の単位で居ました。もしかすると、十匹中一匹程度しか生き残らなかったのかもしれません。

 九割程も子供が居なくなったので、試練から生還してからは崖下はとても静かでした。子供のワイバーンが吠えたり泣いたりする声は全く聞こえなくなり、私はオチビを喪った悲しみとは別に寂しい思いも感じていました。

 なので大勢が一緒になって帰る事は無く、多くて私達のように数匹が一緒に帰る光景が見えていました。ちらほらと、ぱらぱらと、と言ったやはり寂しい表現が当てはまるような光景でした。

 ……あれ?

 前を飛んでいるアズキの隣に、ワイバーンが一匹いました。アズキと同じくほんの少し他のワイバーンと比べて小さいワイバーンです。

 マメ、なのか? 私はアカ達を放り、アズキの方へと出来るだけ早く飛びました。

 マメならどうして生きている? どうやって冬の間、森の中で生き延びた? いや、生きていて、空も飛べるならどうして帰って来なかった?

 言葉を持たないワイバーンである私がマメに問い質す事は出来ませんが、頭の中に浮かんで来る様々な疑問は問い質せなくとも、とにかくマメを見調べたい気持ちで一杯になっていました。

「ルアアアアッ」

 私は仲良さそうに飛んでいるアズキとその隣のワイバーンに声を掛けます。

 二頭はそれを聞いて私の方を向きました。顔を見て私は確信しました。アズキの隣のワイバーンはやはり、マメでした。

 私はその瞬間、心の底で少なからずアズキに嫉妬を抱きました。どうしてオチビは帰って来ない。けれども、それは仕方ない事ですし、もう、変えられない事です。

 私はその感情を押し殺し、素直に喜ぶ事に決めました。

「ラ゛ルルルッ」

 マメは私に気付くと喜びの声を上げました。声が少し掠れていて、それだけでとても苦労した事が窺えました。


 崖下に着いて、マメが着陸する時にマメの足と腹を見ました。腹から左足に掛けて生々しい傷跡が残っていました。

 動けない程の怪我を負ってしまったのか、と私は帰って来れなかった理由に関しては納得しました。しかし、この傷跡から鑑みて、オチビが大蛇から受けてしまったようなそこまで酷い怪我では無さそうでしたが、それでも誰かの助けが無ければ助からない程の怪我だった事も分かりました。アズキはマメが居なくなってからずっと森の中を探し回っていました。助けたのはアズキではありません。

 一体、誰が助けたのでしょうか。

 その傷を庇うようにマメが着陸してから、私はくんくんと鼻でマメの臭いを嗅いでみました。

 強い土の臭いがします。ワイバーン達の臭いは全くしませんが、他の獣の臭いが微かに、甘い食べ物の匂いも微かにありました。

 甘い食べ物の匂い……? この辺りに智獣は住んでいません。まだ、先にある山脈を越えた事は無いのですが、飛び回った限りではそう言う集落みたいなものは見た事がありませんでした。

 一人で旅をしているとか、そういう類の智獣でしょうか。

 いえいえ、そうだとしたら生々しい傷跡は残らない気もします。マメに残っている傷跡は、殆ど自然に任せたような治り方をしていました。

 智獣が助けたのでなければ、一体誰が助けたのでしょう。

 同じワイバーンの誰かがずっと冬の間看病していたのでしょうか。いや、それならばここにアズキと私以外にもう一匹が居る筈です。

 私は、マメからする獣の臭いを集中して嗅いでみました。

 ……毛皮の臭いみたいな感じです。熊でも殺して、それを糧にしてどこかでじっと耐え忍んでいたのでしょうか。それだと甘い匂いの説明が付かないのですが。

 考えながらずっと臭いを嗅いでいると、マメは私を煩わしそうに翼腕で払いました。

 流石に鬱陶しかったか。そう思っている内にマメはアズキに連れ添われて、左足を僅かに引き摺りながら洞窟の方へと歩いて行きました。

 後ろには既にアカとイ、ロ、ハが居て、同じくマメの生還に驚いていました。

 私はマメの後ろを何となく付いて行きました。何があったのか、口が聞ければ質問攻めにしているのでしょうが、それが出来ないまどろっこしさが私をそうさせていました。

 私は悩みながらマメとアズキの後ろ姿を見ていました。アカが私の隣に来ましたが、悩んでいる私を見てかただ隣で歩いているだけです。

 そんな時、ふと、マメの背中に毛が付いているのが見えました。

 ん? と思い、私は再びマメに顔を近付けて、それを見ました。

 綺麗な、赤色の毛でした。それは私やアカ、イ、ロ、ハが最初に見たワイバーン以外の魔獣の色と全く同じ色でした。

 それは、魔獣である赤熊の毛でした。


-*-*-*-


 夜、この日から全員で広い洞窟に集まって寝る事はなくなりました。

 冬は過ぎ、まだ肌寒いですが成獣したこのワイバーンの体では、この位の寒さは何の障害でもありませんでした。

 私は母さんの居る洞窟にマメとノマルと飛びました。ノマルも母さんも、マメが生きていた事に驚いていました。

 けれども、洞窟に入ろうとすると母さんが入り口で翼を広げて洞窟に入れる事を拒んでいました。

 ああ。もう、子供じゃないのか。親と寝る事はもう、出来ないのか。

 私に限らず、マメもノマルもすぐにその事に気付きました。

 もう、私達は成獣なのです。ここから離れる訳ではないけれども、巣立ちの時でした。

「ヴルル」

 母さんは冷たく、どっかに行けとでも言うように、ここから去るように翼腕を振りました。

 私達は仕方なく、という感じでその生まれ育った巣から背を向けて、空いている洞窟を探しに行きました。


 とは言え、空いている洞窟はそんなにありません。

 崖に穴を開けて洞窟を作る方法はもう知っていたのですが、それは数十日を掛けて、複数でやる事です。

 炎を吹き掛け、その直後に口に蓄えた水をそこに吐きだし、そして脆くなったその部分を蹴りや翼腕で削る。

 体の中の燃料も限りがあるので、森を行き来して食事もいつもの数倍摂る。

 そんな作業を数日間ずっと続けて住処である洞窟が完成します。要するにそれが示している事は、洞窟の数は一匹一匹が別々の場所に入れる程多くない、という事です。

 崖は縦にも横にもとても広いですが、そんな面倒な作業を率先してやるようなワイバーンは居ませんし。

 更に、その少ない空いている洞窟でさえも、既に巣立ちしたワイバーン達によって大体が占拠されています。

 早く見つけないと最悪、野原で寝る事になってしまうかもしれません。まだ温かくはないこの季節に風に晒されて寝るのは流石に嫌でした。

「ラルルルッ」

 お、と私は聞きなれた声を耳にしました。アカの声です。

 洞窟の中にアカとイが居ました。イも、ロとハを探しているようで、きょろきょろと周りを探していました。

 私はマメとノマルを見ました。巣立ちと共に、家族単位、兄妹で過ごす時も終わったのでしょう。

「ルルルッ」

「ヴル」

「ル゛ゥ」

 私達は短く喉を鳴らし、そして別れました。家族、というのは変わりませんがその時、家族としての何かが確定的に切れたように思えました。

 それは寂しくもあり、また、すっきりした気持ちにもなって残りました。


 幸いにも、アカとイが取った洞窟はそこそこ広く、成獣したワイバーンが十匹位までなら入れそうでした。

 ロとハもその内来て、最終的には結局、マメとアズキもここに入る事になりました。

 私も含めて総勢七匹の成獣したワイバーンがここに居ます。流石にこれだけ大勢で居ると夏になると暑くなるのでしょう。糞尿を垂れ流すしかなかった一年前の事を思うと、夏は外の方が気持ち良いかな、とも思いました。


-*-*-*-


 特にふざけたりする事もなく、私達は眠りに就きました。いや、全員が眠りに就いた訳ではありません。

 皆が寝静まろうとする頃、マメとアズキがこっそりと、外に出て行ったのです。

 私は自分の疼く下半身を少し煩わしく思いながら、これから交尾をするんだろうな、と思いました。

 いいなぁ、と私は思わずには居られませんでした。オチビが居たらなぁ、とも思わずには居られませんでした。

 ……こんな私は、誰かと番になる事があるのでしょうか。

 そんな事を思いながら、私は目を閉じて眠ろうとしていました。外からは、偶に絶頂の咆哮が聞こえ、その度に私の下腹部が強く疼くのですが、出来るだけ無視しようと決めていました。

 けれども、ここに居る全員が無視する何て事はありませんでした。

 のそり、とゆっくり且つ、慎重に立ち上がった気配を私の体は感じ取りました。場所からして、イ、ロ、ハの誰かです。

 そして、それは私とアカの方へとゆっくり、ゆっくりと歩いてきました。

 しかし、残念ながら、私はこの三匹とは番になる気は全くありません。友達という繋がりではありましたが、ただの友達であり、番となれるような感覚は無かったのです。

 もし、無理矢理襲おうとするならば、私は抵抗します。

 私を打ち負かせられるなら無理矢理でも仕方ないと思う気持ちはありますが、私を打ち負かせないならば、それは論外でした。

 ひた、ひた、と足の爪を地面に付けずに極力音を立てないようにして歩いています。

 もう、距離は殆どありませんでした。

「ヴゥ」

 寝言のように、私は喉を鳴らしてみました。

 じゃり、と後退る足音が聞こえ、その雄はばれている事を怖がっているようにも思えます。

 交尾という行為がワイバーンの中でどういうものなのかはまだ、私には分かりません。けれどもそれは、隠れてやるような、また、怯えてやるようなものでは無い、と私は思っていました。隠れてやるようなものならば、ここまで届くような快楽の咆哮を上げたりはしないでしょうから。

 結局、そのワイバーンはその後近付く事はありませんでした。

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