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 その日、冷たくて強くとも、どことなく優しい風が私達の体を撫でていました。

 目を僅かに細め、私はアカと共に空を飛び、森へと向かっていました。


 アカと私の関係は少し奇妙なものでした。

 アカは私が助けなければきっと死んでいた、という事を理解していて私の事を慕っています。しかし、単純に慕っているだけではありませんでした。

 私は試練の後に誰よりも泣き叫びました。どんよりとした曇り空が真っ黒く染まり始める頃になっても、涙も声も枯れても泣き続け、それでも私の傍にアカは居てくれました。私は、助けたかったのはお前じゃないとアカに噛みついたりもしたのですが、アカはそれでも優しく私に接してくれました。

 アカは私の心の脆さに気付いていたのでしょうか。

 オチビの隣で立ち尽くし、それから丁寧に埋めていた私を見て気付いていたのかもしれません。そんな私をアカは、慕うと同時に私の姉の様に振る舞い、心の脆さを支えてくれていたのです。会った時、血塗れで、空腹で、もう投げやりになっていたアカの方がきっと酷い目に遭ったと思えるのに、それでも私を支えてくれているのです。

 そして、今でも私はオチビの事を良く思い出します。一歳にも満たない時期と言えば、智獣であればまだ自我も余り無い時期であるのですが、魔獣にとってはもう身も心も成長し、記憶も鮮明に残る時期でした。前世があるからとは言え、それは誰にとっても例外ではありません。また、それは確信出来る事でした。

 オチビの事は、死ぬまで忘れる事もなければ、忘れられる事もないでしょう。それが私にとって幸か不幸かは分かりません。

 その死によって私の中に根付いた、これから先喪う悲しみは出来るだけ味わいたくない、という気持ちが私自身にどう影響してくるのかも、私には分かりませんでした。


 広い森の中に私達は降り立ち、日中常に日陰の場所を掘り起こす事にしました。

 土の中で冬眠している大蛇は冬の恰好の食糧であり、コツを掴めば冬眠しているような場所も簡単に見つける事が出来るのです。

 ざくざく、と霜がまだ残っているような寒い場所を何か所か掘り起こしていくと、その内大蛇は見つかります。

 完璧な春が訪れてから起きる為に、わざと寒い場所を選んで冬眠をしているのだろう、と私は推測していました。

 凍り付いた土を足で掘り起こすのは面倒ですが、幾ら掘っても寒さは不思議と余り感じません。特に完全に成獣の体になってからは、それは顕著なものでした。

 無意識に使っている魔法なのか、単に肉体の強さなのか、どちらなのかは私には良く分かりませんが、とにかく寒さを余り感じずに居られるのは便利でした。

 暫く掘っていると、アカが「ルアッ」といつもの声を出しました。今日は残念ながら先に見つけられてしまいました。私がアカが尾で指し示したその場所を見ると、太い胴が見えました。

 私とアカは毒のある尾をそこに突き刺してから、周りを掘り起こしていきます。

 ざくざくと掘っていくと、僅かに大蛇が動きました。抵抗される心配はもう殆ど無いけれども、先に殺しておこう。私とアカはそれを咥えて引きずり出し、頭を踏み潰しました。

 最初は一手違えれば殺されていた程に苦戦した相手だったのに。殺す度に私はその事を思いました。

 びぐびぐと震える大蛇は私達二匹のワイバーンではとても多過ぎます。自分達が満腹になるまで食べた後に、私達は誰か他のワイバーンが来るまで待つ事にしました。


 ぶちぶち、ばりみち。

 私は先に食べ終え、アカの食べる音を聞きながら毒針を飛ばす練習をする事にしました。尻尾の先に力を込めるだけで毒針は一本一本飛んで行くのですが、毒針が飛ぶ反作用でか、尻尾が微妙に動き、正確な狙いはまだ上手く出来ませんでした。

 それも、私がただ立っている状態で、でもです。

 族長は後転しながら走り迫って来るコボルトに毒針を正確に飛ばし、私とアカに襲い掛かって来た老ワイバーンは走りながら私に毒針を当ててきました。

 まだまだ私はその足元にも及びません。私の体一つと半分位しか離れていない木にも、飛ばしていると何度か外す事がありました。

 ビシュッ。

 尾は長いので様々な場所から毒針は撃てますが、今の所頭の隣から撃つのが安定していました。ただ、それは視界に尾の先が見えているからに過ぎないのですが。

 はぁ、と私は溜息を吐きました。

 確かに私は成獣したのですが、ただ成獣しただけです。体が大きくなり空を飛べるようになり、筋力も付いた。ただそれだけで、自らの体を熟知し、そしてそれを生かせる本当の成獣したワイバーンとしてはまだまだでした。

 ワイバーンの寿命は確か平均的には五十年位だった筈。まだ、私は一歳にもなっていません。本当の意味で成獣するまでどの位の時間が掛かるのでしょう。

 私は毒針を撃ち尽くした後、木に刺さっている毒針の数を見てもう一度溜息を吐きました。

 その後、アカが私の隣で毒針を飛ばし始めました。私より精度は良さそうでした。


 太陽が高く上り始めた頃、試練の時に出会った三匹の雄のワイバーン、イ、ロ、ハがやってきて、残っている大蛇の肉を食べ始めました。結局、何だかんだ悩んで、心の中で名付けた渾名はそんな単純なものになりました。

 計五匹の成獣したワイバーンの腹を満たしても、大蛇の肉体はまだまだ残っています。もし、誰も他に来なかったら私達の夜飯ともなるでしょう。

 それか、他の肉食獣が食べに来るかどうかもありますが。

 あの試練の時に出遭わなかったのが不思議な程、この広大な森には様々な動物が居るのを私達は冬になってから知りました。

 冬は寒過ぎず、夏も川の水が少なくなる事が無いこの辺りの気候はワイバーンのみならず、様々な動物にとって快適な環境なのでしょう。

 その証拠に、冬になってからマメのように狩りの途中に行方が分からなくなってそのまま帰って来なかったワイバーンは居ましたが、餓死したワイバーンは居ませんでした。


 イ、ロ、ハが肉を食べ終えて一息吐いて何かしようかと集まると、私は体の底に熱くなるものを感じ始めました。一瞬でそれを私は理解しました。

 発情期です。

 ただ、徐々に来る体の火照りとは逆に私の気持ちは冷めて行きました。

 オチビが居たら喜んでやったのだろうなぁ、と私は思っていました。体の欲求よりもその気持ちの方が強かったのです。

 数瞬の硬直の後、私はアカの方を見ました。アカにはまだその発情期は訪れていないようで、いつも通りでした。

 イ、ロ、ハも全員いつも通りでした。

 それを見て私はほっとし、いつもの通りに喧嘩をしたり遊んだりする事になりました。今、ここで襲われるように三匹に交尾を迫られたら、私には逃げられる自信はありませんでした。


-*-*-*-


 ふぅ、ふぅ。

 じっと、私はロと目を合わせます。イ、ロ、ハはどれも実力は同じ位なのですがそれぞれが得意とする戦法は違います。

 イは体のバランスを崩して倒すのが得意で、ハは全身を回しての攻撃を既に身に付けていました。そしてロは、空襲が得意でした。

 私とアカよりは弱いのですが、同じく試練を乗り越え成獣したワイバーンです。一歩間違えれば負けるのは誰でも確実でした。

「グアアアッ!」

 ロは吠え、一気に空へと飛びました。さて、どうしようか。

 そう悩んだ一瞬で、今更私が追って飛びあがっても不利になってしまったので、私は下で待ち構える事にしました。森の中で炎を使ってはいけないのは暗黙の了解とされています。森を燃やせば、自分の死では償えない程の被害が全ての生物に大して及ぶ事は誰もが分かり切っていました。

 木々が生い茂るこの森の中、どう私に攻撃を仕掛けて来るのか。

 私はロがばさり、ばさりと太陽を背にして、私の動向を窺っているのをただ見続けました。尻尾の毒針も今は無く、ただ待っているだけの私に何か作戦があるのでは、とでも考えているのでしょうか。

 そんな私は特に何も深い事は考えていません。発情期の体の火照りに少し集中を奪われていたのもあり、私はロの動きを直感が動かすままに捉えようとだけ考えていました。

 ほんの少しの時間、戦いにおいては長い時間を経て、ロは何もしようとしない私に向って急降下してきました。

 ふぅ、と私は息を吐き、ロの動きを見極めようとしておかしな事に気が付きました。ロは私に向ってではなく、私のすぐ前に向って急降下している。

 地面に激突したら、死ぬのは当たり前です。

 何か狙いがある。私はそう思い、少し後ろに下がりました。そしてロは地面すれすれで体の向きを変え、両足で地面を蹴り、急降下の勢いを更に増して水平に私に突っ込んできました。

 もし、私が後ろに下がらずにそれを受け止めようとしたら、いきなりの力の方向の転換に追いつけずに突進を諸に食らってしまっていたでしょう。

「ルアアアッ!」

 私に向って牙を向け、ロが肉薄します。私は体を捻じり、鉤爪を使ってロの首を持ち、ロ自身の勢いを利用して投げました。

 投げたと言えどもロの巨体が私の上を綺麗に回転していく、という事はなく、私はロの翼腕にぶつかって少しよろけました。

 それでもロは自らの勢いを止められず、投げられて体が不安定になって転び、そのままごろごろと転がって、頭から木にずしんという派手な音を立てて激突しました。そしてずるりと倒れ、動かなくなりました。

 気絶したかな。そう思い、私はロの方へと歩きました。もっと強いワイバーンだったら、私が投げようとした時の一瞬で対処が出来るのでしょうか。

 私は出来るだろうな、と思いました。

 投げた時にロの翼腕が私にぶつかりましたが、そこで強引に私も倒したり、自らに勢いが付いているなら、尾を私に引っ掛けるだけでも私は転んでしまうでしょう。

 そう考えると、私ももっと良い対処法を考えないといけません。

 ロの顔を見ると、白目を剥いて涎を垂らしていました。勿論、死んではいませんが、死んでいるような顔つきでした。

 私は数回頭に蹴りを入れ、無理矢理起こします。

 はっ、とロは白目を黒目に戻しましたが、脳がぐらついたのか、暫くは動けそうにありませんでした。

 今の所、私がロに負けた事は少ないです。

 ロは悔しそうにヴルルと小さく喉を鳴らしました。


 アカとハが戦い、アカが勝ち、イはここに来たアズキと戦い、珍しくアズキが勝ちました。

 アズキはマメが居なくなってからずっと、日中はずっと森の中に居ます。それは、マメが死体として見つかっていないからだろうと私は思っていました。

 私も冬の内に死んでしまった僅かなワイバーンの死体を見つけた事はあったのですが、寒さの性で腐らずに、誰だか分からない程に大半が食い千切られた状態で見つかった物ばかりでした。

 アズキには私に分からないような小さな差異が分かるのでしょうか。

 私はイを下してから、またすぐに飛んで行くアズキを悲しく眺めました。

 ワイバーンは死者を忘れるのは早いけれども、はっきり死んだと分かっていない者に対してはすぐには忘れられないようでした。 

 ロが立てるようになってから、皆はまた集まり、違う相手と喧嘩をする事にしました。今度の相手はアカです。冬になってから、アカは健康な状態なら私よりもやや強い事を知りました。

 殆ど勝てない、という程に強さに差はないのですが、私の方が負ける回数が多いのです。


「ルアアアッ!」

「ラルルルルッ!」

 イ、ロ、ハは私とアカが戦う時は、別々に戦わずに観戦する方を選んでいました。イ、ロ、ハ達より私とアカの方が実力としては強く、技や動き方を盗もうとしているのでしょう。

 それなら私やアカを見るより、現役引退で若輩を指導しているワイバーン達を見た方が良いとも私は思った事がありましたが、冬、成獣の体になってからもう一度見に行った時にその考えは即座に撤回されました。

 まだその強さで行われる喧嘩を観戦して強さを身に付けられる程、この急激に成長した体を使いこなせるようにもなっていないのです。それが、イ、ロ、ハが私とアカの戦いを観戦する最も大きな理由でした。

 私もアカも、毒針は全て練習に使って尽きています。もうそろそろ一本位は生えて来るでしょうが、生えるまで戦いが続いたとしたら、それは切り札となるでしょう。

 ロと戦ったように、私はアカと呼吸を合わせました。アカと私はぐるぐると一定の間合いを保ったまま小刻みに足を動かして周り合い、睨み合います。私はロと戦った時と同様に、自分から仕掛けるつもりは今日はありませんでした。

 アカの動きに受け身で対応し、そのまま攻撃を仕掛ける。ただそれだけを今日はやろうと思っていました。

 じり、じり。

 冬の風に晒され、千切れている枯葉の上を私とアカは回り続けます。目の前に居るのは空腹で疲労し、自暴自棄になったワイバーンではありません。力強く、立派に成獣したワイバーンです。簡単に倒せるという事はもうありません。

 じり、じり。

 アカが僅かに距離を詰めていました。

 私が攻めて来ないと思っているのでしょう。ならば、と私は思い、アカが攻撃に移る寸前にこっちから攻撃を仕掛けようと作戦を変えました。

 じり、じり。

 私は表情を変えず、来るのを待って居るだけという体を装い、アカが近付いて来るのを辛抱強く待ちました。

 イが欠伸したのが見えて、一瞬そっちに意識が取られましたがアカは攻めてきません。距離がまだ十分でないのか、それともわざと作られた隙かと思ったか、ただ単に気付かなかったのか。きっと、わざと作られた隙だと思ったのだと私は思いました。

 私はそうやってわざと隙を見せて、数回アカに勝った事がありましたから。

 じり、じり。

 微妙に、微妙に距離が狭まってきます。もう、アカが私に向って攻撃を仕掛けて来てもおかしくない距離でした。

 さて、問題はタイミングです。私はその、視線を向けただけの何も考えていないような表情のまま最良のタイミングを狙っていました。

 アカが仕掛けようとする直前の時が最も良いのですが、流石にアカも私が受け身を取ると一辺倒に考えている訳でも無いでしょう。アカも私を睨み付けながらも迷っている筈です。

 カァ、カァ、とカラスの声が聞こえました。それを聞いても、どちらも気を取られません。

 その次の瞬間、私はアカに向けて地面を蹴って接近しました。アカの動作がほんの微かに遅れたのが分かりました。アカもこの瞬間に攻撃しようと思っていたのでしょう。

 もう、アカは目の前に居ます。私は翼腕を前に出して防御の姿勢を取るアカに対し、強く地面を踏んで跳躍しました。

 重い体で飛ぶのではなく、跳躍しても大して高くは跳べませんが、跳び蹴りは高い威力を発揮します。どす、と鈍い音を立てながら翼腕に私の右足がめり込み、アカが後ろへとずり下がりました。

「ヴアアッ!」

 着地し、アカがその隙を狙う前に私は身を屈めて今度は体を急激に回転させます。まだまだ、回転の力を十分に発揮出来る程強くはありませんが、私の狙いはアカを吹っ飛ばす事ではありません。

 長い尻尾を足に巻き付ける事です。

「ア゛ッ」

 けれども、それは読まれました。巻き付ける筈だった尻尾はアカに容赦なく踏まれ、私は背を向けたまま短く悲鳴を漏らしてしまいました。

 引っ張っても尻尾は抜けず、アカは更に私の尻尾の付け根と足を順番に素早く蹴って、私を無理矢理転ばせます。

 戦況を変えようと体勢を立て直す前に、アカは私に圧し掛かりました。私は翼腕で首から上を防御しますが、もう意味はありませんでした。無理矢理その防御をこじ開けられてから、鉤爪を目の前に置かれて私は負けました。

 ばたり、と私は力を抜いて空を見上げました。やっぱり、敵わないなぁ。

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