1-10

 初めて入る森の奥深くまで私とオチビは逃げました。既に太陽は沈みつつあります。この森の中はもうすぐ暗闇で覆われるでしょう。

 子供のワイバーンの誰もが、森の中の事を知りませんでした。遊んでいる最中や、洞窟の中に居た時から視界に入っていて、ある事は知っていましたが知っていただけだったのです。

 私は自分の知識の中にある獣を片っ端から頭に思い浮かべました。犬、狼、猫、虎、蛇、トカゲ、熊、猿、鷲、ワニ、狐、狸、猪、馬等々。森の中ですから、私達のような、野生と知能を持つ者の境界線に近い所に居る魔獣も居るかもしれません。例えば、双蛇、大狼、赤熊、ケルピとか。それらは食卓に出た事は無いので、ここに居るかどうかは分かりません。

 もしも、そんなのが現れてしまったとしたら私達は何も出来ずに死ぬでしょう。私達は子牛と牛の中間位の大きさになっていましたが、そんな魔獣と戦うなんて、成獣したワイバーンと戦うように、無謀です。

 それにそもそも、未だに私達は命を掛けて戦った事は無いのです。はっきり言って、戦う覚悟が出来なければ普通の獣にも負けてしまうでしょう。

 ふう、と私は息を整えました。オチビはまだこの事に関して理解をしていないようで、どうしてこんな事になっているのか困惑していました。

 取り敢えずは、と私は歩き始めました。オチビにこの事を説明するよりも先にマメとも合流したかったですし、何より夜を安全に越せる場所を見つけておきたかったのです。

 そんな場所を、今から目が余り役に立たなくなる夜になる前までに見つけられるかどうか、と問われれば、可能性は低かったのですが。

 また、子供のワイバーンの断末魔が聞こえました。

 そしてふと、私は考えます。生き延びる為の条件は何だろうか、と。

 夜を越す事でしょうか。一定期間この森で生き延びる事でしょうか。ここから自分達の力だけで巣まで帰る事でしょうか。子供のワイバーンが一定数死ぬ事でしょうか。それとも、現役引退のワイバーンを力を合わせてでも全て殺す事なのでしょうか。

 今の状況だけでは分かりませんでした。今からやらなければいけない事が、夜をここで越す事だとしか分かりませんでした。


 ワイバーンとも、他の動物とも全く会わない内に、夜を迎えてしまいました。青く丸い月が私達を仄かに照らしています。そう言えば、夜に空を眺めたのは今まで殆ど無かったな、と私は気付きました。

 けれども、それを見た事が無いのにも関わらず、時が立てば月は赤く変色する事もやはり私は知っていました。

 オチビは不安そうに私の後ろをずっと付いてきていました。私は、一旦休むべきかと思いました。空腹もありましたが、ここ辺りに食べられるようなものはありません。それにワイバーンは果物を食べる事もあるとは言え、ほぼ肉食です。

 まだ子供の私とオチビで何かを狩れるのでしょうか。そして、現役引退のワイバーンと立ち向かう事が出来るのでしょうか。

 どちらも到底無理だ、と私は分かっていました。走るのも、他の野生の動物と比べたらまだ遥かに遅いのです。狩りの経験もありません。尻尾の毒針も口からの火球もまだ使えません。

 力も成獣のワイバーンに比べたらまだまだ及びません。何もかもが私達がここで生きるのには足りないのです。

 もしかしたら、力を合わせろ、とでも言うつもりでしょうか。そんな事を思うと、今まで友達を作ろうとしてこなかったのを、私は後悔しました。

 はぁ、と私は溜息を吐いて木に凭れ掛かりました。とにかく、今は休むべきでしょう。今日はそれ程寒くないのも幸いでした。

 何が居るか分かりませんが、下手に動くのも危険だと私は思いました。私はオチビにも休むよう伝えました。

 極力眠ってはいけません。けれども、毎晩安心しきった状態で眠っていた私達は眠らずに居る事はかなり難しい事でした。座ると、すぐに睡魔が襲ってきます。空腹はありましたが、それを無視出来てしまう強さの睡魔でした。

 ああ、起きていなければ。私は仕方なく立って休む事にしました。オチビは既に寝てしまっていましたが、私が起きてれば良いかと思いました。

 私は空を見上げて、木々の隙間から月をぼんやりと眺めました。

 この夜で一体どれだけのワイバーンが死ぬのでしょうか。最終的にどの位のワイバーンが生き残る事が出来るのでしょうか。今の成獣のワイバーンよりやや多い程度だと思うのですが、そうだとしても半分以上は死ぬ事になるのです。

 出来るだけ早く帰りたいな、と私は切実に思いました。兄妹や、オチビと一緒に、出来れば誰も欠ける事無く。

 遠くでまた、ワイバーンの断末魔が聞こえました。複数の悲鳴でした。それを聞いてしまうと、たった二匹で居る事は限りなく不安になってきました。

「ヴヴッ、グ……」

 それを聞いた影響か、オチビが苦しそうな声を上げ始めました。オチビにとっても、この状況はかなりのストレスになっているのでしょう。体を捻らせて凭れていた木から倒れますが、オチビは起きる事なく、見ているであろう夢にうなされていました。

 起こした方が良いのでしょうか? それとも、放って寝かしておいた方が体力は回復するでしょうか?

 私は少し悩んだ後に、起こす事にしました。あんな声を聞いていたら、私も休めなそうに思えてきたのです。


 断末魔は断続的に聞こえてきました。ある時は一匹だけ、ある時は数匹のそれが聞こえてきました。

 それら全てが現役引退のワイバーンによるものなのかどうかは分かりません。現役引退のワイバーンは結構な数が居ましたから。この森に居る獣にやられたワイバーンがいるかどうか、それはまだ分かりません。

 私の中の緊張は、まだ表面には出ない程度には収まっていました。体が震えたりとかはしていません。オチビは周りを時々見回しながら不安そうに私の方を見る事を繰り返していました。

 休んでおけ、といってもこんな状況では休みにくいのでしょう。眠るのも、今はしたくない感じに見えました。悪夢をはっきりと覚えていたのかもしれません。

 私は空をもう一度見上げました。

 月はまだ青く光っています。赤く光ってはいません。まだ、夜になってから大して時間は経ってはいませんでした。

 まだまだか、そう嘆いた時、視界の隅で何かが動きました。

 私はその瞬間びくっ、と震えました。すぐにオチビに体を寄せて、その動いたものに目を向けます。

 ずるり、ずるりとそれは音も無く動いていました。蛇のようです。それも、かなり大きな蛇でした。私位の大きさのワイバーンなら呑みこめる位の。

 オチビも私の見ている方向を見てそれに気付きました。そして、私がオチビを連れて逃げようとする前に、「ギャウ!」と、半ば反射的にオチビは叫んでいました。

 ああ! 私はその声が、大蛇が私達に気付かれたという事を伝えてしまったのを嘆きました。今なら確実に逃げられたのに。

 大蛇の緩慢としていた動きは瞬時に変わりました。私はオチビに体当たりして、自分も横に跳びました。

 振り返ると、大蛇の口が私達が居た空間に既にありました。行動遅かったら私の体はその中に入っていたと知ると、背筋が凍りました。次いで、ぼとりと大蛇の長い胴が木の上から落ちました。

 逃げられない。私は直感しました。戦わなければいけない。しかし、私はほっともしていました。魔獣ではない、という事が心の奥で安堵も生んでいたのです。この蛇は食卓に出た事もありました。その時は頭が千切り取られていた状態だったのですが。

 私の緊張は未だにありましたが、闘志も湧いてきました。勝機が無い訳ではないと思えもしました。

 大蛇はきっと冬眠前。栄養を蓄えておきたいのでしょう。私達も栄養が欲しいのです。同じ位、いや、それ以上にとても。強くなる為に。

「ルアアアァァ!!」

 私は吠えました。命を掛けて戦った事のない私自身を変え、奮い立たせる為に。目の前の蛇を殺し、我が身にする為に。

 そして、オチビも立ち上がりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る