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洞窟の中は比較的涼しいのだろうと思いながらも、洞窟の中も暑くて堪らない夏は少しずつ過ぎて行きました。私達が垂れ流す糞尿が両親が片付ける前に腐って酷い臭いを放ち始める事が無くなったのが、私にとっては一番の喜びでした。夏の最中は喧嘩は暑さで余りやる事も少なくなっていたのですが、段々とそれも元に戻って行きました。
私達兄妹はゆっくりと成長していってます。最初は鶏よりも小さかった私ですが、小さい犬位の大きさまでに成長しました。まだ、空は飛べませんし、走るのも小動物より遅いです。尻尾や顔もまだまだ父母のように格好良く且つ強そうではありません。私の顔は自分では見れませんでしたが、兄妹の顔は可愛らしいままでした。そんな私達兄妹ですが、喧嘩も偶に父や母が止めに入る事がある程に激しくなるような時も出始めてきました。噛み痕が生々しく残ったりする事は日常茶飯事になりました。
私は滑空位なら出来るんじゃないかと、また、まだ出た事の無い外に行ってみたいと思うようになっていました。
そんな、夏が過ぎ行くある日の事でした。
今でも一番大きく成長してるけども、未だに鼻水を良く垂らしているハナミズが母に連れられて洞窟の入り口へと行きました。洞窟の外は断崖絶壁で、小さい私達は近付く事も余り許される事ではありませんでした。なので、大した事は私は知りません。
外では他のワイバーンも飛んでいた事もありましたが、私には僅かながらワイバーンの生態についても元から知識があるようで、群れで暮らしている事は知っていました。ただ、それとワイバーンは自らが自分よりも強いと認めた者を乗せる事と、そのワイバーンを操る者を竜騎士と言う事位しか知りませんでした。
ハナミズは母の大きな足にけしかけられて、ちょいちょいとその崖から落とされようとしています。滑空が出来なければ崖から転がり落ちて死ねと言う厳しい教育でしょう。後ろ姿しか見えませんが、未だにピィピィとしか鳴けない喉を使ってハナミズは怯えていました。
それは当然でしょう。私もその時が来たら多分、いや絶対怯えます。けれども、母には逆らえません。母のハナミズを蹴る力は少しずつ強くなっていき、とうとうハナミズは外へ押し出されました。
けれども、押し出される寸前に小さな皮翼を広げる姿も見えたので大丈夫だと私は思いました。
ハナミズはそれから毎日、一日一回父か母かに連れられて外へ出るようになりました。まだ、飛べはしないようで帰りは首根っこを優しく噛まれてか、それか背に乗せられて連れて帰って来るのですが。
私はそれをとても羨ましく思いました。まだ見ぬ外の世界を毎日満喫出来るのですから。
卵から孵った時、私は卵の内側だけの世界から洞窟へ出られた事に至上の感動を覚えたものですが、既に洞窟は私にとってその卵の内側の世界のようになっていました。早く、洞窟の内側という卵を割りたくて仕方がありませんでした。
私は一層、肉の争奪戦に精を入れるようになりました。早く大きくなれれば、それだけ外の世界への待ち時間が減って行くのですから。
ハナミズの次に外に出る事になったのはカラスでした。
カラスも同じように母に連れられて入り口の、崖の方へと連れられて行きます。
しかし、ハナミズの時は、何とか翼を広げて滑空を成功させる事が出来ました。けれども、カラスは違いました。ハナミズよりも大きく、悲壮そうな声を上げてビィビィと鳴いていました。
カラスは、姑息なだけで他に何も無かったのでしょうか。喧嘩もマメに次いで弱かったのです。要するに体は強く成長していましたが、心はそうでなかったようでした。
母は容赦なくカラスを落とそうとします。カラスは横に逃げようともしますが、母はそれを許しませんでした。そして、母はとうとう、カラスを落としました。
……私は見てしまいました。カラスは、翼を広げませんでした。一際大きな悲鳴を上げて、滑空する事もなく垂直に落ちて行きました。悲鳴はすぐに聞こえなくなりました。カラカラと、小石が落ちて行く音が後に続いて、それっきりでした。
母はそれを見て自身も降りて行きました。残念そうな表情が垣間見え、私はその無情さに少し怯えました。……当然だとも思っている自分が居る事にも気付いていましたが。
そして結局、カラスが戻って来る事はありませんでした。母はカラスを連れて来る事なく帰ってきました。カラスは失敗し、死んでしまったのでしょう。いや、もしかしたら死んでいなかったのかもしれませんが、母に見放されてしまったのかもしれません。事実としては、六匹だった兄妹は五匹になってしまいました。
けれども、私の外の世界を見たいと言う気持ちが薄れる事はありませんでした。脳裏には、ハナミズが滑空をしながら私の視界から消えていく姿と、カラスが落ちて同じく私の視界から消えていく姿が交互に映し出され、その度に私は興奮と恐怖を覚えるのですが、最終的にはいつも、興奮が勝りました。流石にカラスが落ちて行くのを見た直後に対比された時は恐怖の方が勝ったのですが、それはその時のみでした。
しかしながら私が外に出る事になったのは、更に十、二十以上の日が経った、夏が殆ど過ぎ去った頃でした。私は喧嘩は兄妹の中では強い方でしたが、大きくなるのは遅かったのです。ノマルと姉さんは先に外の世界を満喫していました。母や父の背に、三匹が仲良く乗って帰って来る姿が私には羨ましく、そして妬ましくも思えてました。
そして、その感情が段々膨れ上がって来る頃、とうとう母が私を洞窟の入り口、崖縁へと連れ出しました。これ以上感情が膨れ上がっていたら、私はとうとう自分から兄姉達に喧嘩を仕掛けていたでしょう。一番強いのはハナミズではなく姉さんですが、その姉さんにも何とか勝てる事もありましたから、喧嘩はこのイライラを解消するにはとても良かったのです。
また、私はこの洞窟はかなり高い場所にあるんだろうな、とは薄々勘付いていました。風は強く吹く事が多かったですし、夏でも夜は寒いと感じる時があったからです。私は、それに対しても、前世というものがある事に確信を得ていました。
普通ならば強く吹く事が多いとは思わずそれが当然だと思う筈ですし、同様に夏でも夜は寒いと感じる事が多い事も、ここが高い場所だからという理由など知らずに、何も知らない身としてはそれが普通だと思う筈だからです。きっと、私に前世というものがあったら、知識はある方だったのでしょう。
ともかく、そんなだった私は母に洞窟の入り口へと連れられる時は、様々な感情が入り混じっていました。興奮、恐怖、喜び、怯え、他にも色んな整理しきれない感情がありました。本番に備えて両親が空から飛び出す時の事を何度も頭の中で反芻して、自分で飛び出す様を何度も想像しました。どれだけ高い場所に居るのかも、想像して覚悟していました。雲が掛かる程の高さなのかもしれません。崖の縁に行く事さえ許されてなかった身としては、空も余り見た事は無かったのですが、空や雲の事も鮮明に私は知っていました。
そして、私は崖の縁に立ちました。まず最初に下を見てしまいました。正に、それは断崖絶壁でした。下には草原があり、遠くには川幅が広い川がありますが、遥か下です。雲の上程の高さでは無いですが、とにかく小さな私にとっては、ここはかなりの高さがある場所でした。
それから私は周りを見ました。この崖の岩肌は穴ぼこだらけで、今も沢山のワイバーンがそこから飛び出し、また、飛んでいました。遠くでその岩肌に向って火球を吐いているワイバーンが居ましたが、何故そうしているのかは分かりません。そこまでの知識は元々の私にはありませんでした。
最後に私は上を見ました。太陽の眩しさに目を細めますが、雲が丁度良く配置されているような、美しい青空が広がっていたのです。私の元からある知識の中にあるのとは全く違いました。
ワイバーンの一頭がその太陽を隠しました。その太陽を隠した姿は真っ黒でしたが、その太陽を敵に回したようなその色もまた、とても格好良かったのです。
とうとう母が私の背中を足で押し始めました。綺麗な景色があれども、私はやはり恐怖していました。興奮と期待が高まっていますが、それでもです。私は畏縮していました。ハナミズや姉さん、ノマルが飛んで行った姿よりも、カラスが落ちて行った姿の方が強く脳裏に浮かんでいました。
母は私を容赦なく押します。もう、時間はありません。このまま何もせずに怯えていたら、カラスの二の舞です。私は意を決して翼腕を伸ばし、皮翼を広げました。……そうすると、何故か途端に恐怖が消えました。私の本能が飛べると確信していました。
私はそうして、本能に導かれるようにして落ちました。カラスのようにではありません。ほぼ垂直に落ちて風を掴み、私は次の瞬間、正反対の方向、即ち垂直に飛び上がって空へと舞い上がりました。
ああ、ああ。おおう。
得も言われぬ快感が私の中を占めていました。翼を広げたまま、私はゆっくりと滑空します。風を受け止め、私は高度を下げる事も無く母と同じ高さで留まっている事が出来ました。洞窟の中も見る事が出来、私は兄妹達の顔もしっかりと見れました。ハナミズも姉さんもノマルも、初めての飛行でこうやって中を見る事は出来ていませんでした。
暫くすると、母が私の方へと飛んで来ました。母は羽ばたきながら、徐々に降下していきます。私も同じように羽ばたこうとしましたが、まだまだ筋力が足りないみたいで自由落下しそうになって焦った挙句に滑空に戻りました。
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