4-3
少しだけ、沈黙の時間が流れた。
ふぅ、と麒麟は喋り疲れたように首を下に向けて息を吐き、そして俺に目を合わせた。
「……お前に頼み事がある」
そう言えば、と最初からそのつもりで来たのだろう、と今更思い出した。
「夏になるまで、彼女が帰って来なかったら、俺に誰か強いワイバーンを寄越して。発狂する前に無理矢理にでもここに連れて帰る」
……すぐに頷きは出来ない事だ。
「死なせはしない。俺を誰だと思ってる?
血を見るのももう苦手だが、俺は幻獣なんだ」
そうだとしても、少し躊躇われた。
「お前は行けないだろう? 特に現状においては」
……黄色の友を、まだ完全に信用出来た訳ではなかった。完全に信用するつもりもなかった。
俺がここから一時的にでも去ってしまったら、あいつがここを乗っ取ろうとする可能性は捨てられない。
それにそもそも、俺はもうこの群れの長として、群れを放ってどこかに行く事は許されない。
「……ヴゥ」
でも、この言葉というものを他の誰かがまた、身に受けてしまう事も嫌な事だった。
今でさえ、俺の中には喋れる口が無いのに喋りたいという気持ちが僅かにだが生じている。
智獣や幻獣と接するならともかく、この群れの中でそれは不要ではなく、害なものだ。
……彼女が如何に特殊な存在だろうと、誰にとっても、彼女は群れを出て行った一匹のワイバーンに過ぎない。
麒麟が言った事が全て本当なら、彼女はそう特別扱いされる事も嫌うだろう。
……けれども、彼女の悲惨な転生を知ってしまった今、このワイバーンとしての生は彼女の望む普通として暮らさせたいとも思う。
長い時間、麒麟は彼女について喋った。
きっとまだ、喋ろうと思えば色々喋れるのだろう。
それは彼女に付き添って来た時間をそのまま表しているように思えた。俺が生きて来た時間より、遥かに長い時間、生き死にを繰り返してきた彼女を見て来たのだろう。
そして、麒麟は彼女を助けたいと今でも思っている。接触出来なくなった今となっても。
さて、誰を?
……いや。そもそも、これは俺が決める事では無い気がする。
「嫌だと言ったら、あいつの親友か母親でも無理矢理連れて行く。
やっと、久々に自分の記憶の破裂に怯えずに、そして自分の魂を変質出来る魔獣として生まれて来れた彼女の、この好機を見過ごす訳にはいかない」
……そもそも、俺に決定権は無かったんじゃないか。
渋々、俺は頷いた。
もし来なかったら、彼女の母親を連れて来よう。
それが一番良い選択肢な気がする。
そして、それから麒麟はまた、俺と目を合わせて言った。
「そして、もう一つ。
……帰って来たら、彼女を受け入れて欲しい。
ただ、普通に」
俺はもう一度、頷いた。
選択肢は無いに等しかったが、そうであってもそれに関しては、何も知らなかったら頷くのを躊躇われたと思えた。
今まで彼女はただ、訳の分からないワイバーンでしかなかったからだった。
-*-*-*-
……私は、驚く程に無傷でした。
足に焼け爛れた傷がありますがそれは、この戦いで付いた傷ではありませんでした。それは、単なる無謀で付いた傷でした。
目の前には死体しかありませんでした。巻き添えになった植物も含め。
ワイバーン、大狼、ケルピ。遠くには赤熊らしき魔獣も一匹だけ見えました。コボルト、リザードマン、ケットシー、人間、そしてワーウルフやドラゴニュート、エルフまでもが、私の目の前で全て、同じ死因を以て死んでいました。
私が完全なワイバーンでない、とその証明となる死因でした。
全ての死体は焼け付き、千切れています。私が直接噛みついたり、蹴ったり、毒針を飛ばしたりと、そんな痕跡は何一つとしてありません。
……そもそも、私はここから動いたのでしょうか?
いや、そんな事、どうでもいい。
私は頭を下げ、どさりと座りました。
周りの木々も同じく焼け焦げて、幹が裂けたように折れて倒れています。
いつの間にか赤くなった月が、それら全てを私に見せつけるかのように強調していました。
それは全て、私が発した、歪な魂と肉体の反応による雷が原因でした。
……いや、こうなる事を私は分かっていた。そうだと分かっていて、私はそれに身を委ねた。
……ああ。
結局、私はワイバーンとして生きたいと思いながらも、そのワイバーンでない部分に頼ってずっと、都合良く生きています。
その結果がこれでした。
記憶が戻り、自分を見失って姉さんを殺しました。そんな馬鹿な私を追って来たこの智獣や魔獣を、感情に任せて皆殺しにしました。
自分のその力を都合良く使って。
……何度も、何度も、私はこうして馬鹿をしてきたのでしょうか?
転生して、自分を知って、絶望して、身勝手に振る舞って。
涙はもう出てきませんでした。枯れてしまったのではありません。単に、そんな涙を流すような悲しみも、私にはありませんでした。
大量に智獣、魔獣を殺した事自体は別に私にとっては大した事ではありませんでした。
ただ、殺した過程が、魔獣の正義というか矜持というか、言葉に言えないような何かから外れたものだという事が、今になって後悔するものだったのです。
この大群に挑むのは族長であっても辛い事だと思えます。私はどう足掻こうが、魔獣としては勝ち目はありませんでした。
魔獣としてではなく私としてでしか、勝ち目はありませんでした。
殺したい、静かにして欲しい、ロを守りたい。自暴自棄になっていて都合良く魔法も使えていた私は、その選択を迷わずしたのです。
しかし、それで作られたこの光景は、私にはもうワイバーンとして生きる資格もないような、そんな事実を突きつけて来たようなものでした。
……私は、私でしかない。
皮を被っているだけのような、そんな歪なワイバーン。
「ア、ア、ア」
笑える口が無くとも、私は笑いました。
「ア、アアッ、ア、アッ……アア……」
ああ。
何て虚しいのでしょう。どうして、私はこんな魂になってしまったのでしょう。
ただただ長く、生きて来ただけの私。記憶だけが積み重なり、それに苛まれるようになるだけで、何も変わらない私。
ただ皮を被っているだけのような、仮面を付けているだけのような、もう何にもなれない私。
……それでも、そうだとしても、私は帰りたい。あの群れに。
皮を被っているだけだとしても、完璧な、普通なワイバーンでなくとも。
身勝手だと思います。傲慢過ぎるとも思います。
やりたい事をやる為に群れよりも自分を優先させて、それが終わったから群れに帰る。
それでも、許されるのか、許されると思っていいのか、それは分かりませんが帰りたい。
…………それでもし、拒絶されたとしても、終わらせられる体を今、私は持っている。
魔獣として、智獣として何度も転生するのは、これで最後にしたい。
私は、立ち上がりました。
帰ろう。
もう、智獣と無駄に関わる必要は無い。関わりたくもない。ファルとの約束は、破ってしまおう。
関わる必要があるのは、食べる時だけだ。
それだけ、だ。
森の中、ロが居る場所まで戻ると、怯えるような目でロは私を見てきました。
私は、それに諦めを感じながらも、ロを立たせます。
まだ、喉の傷が治って大した時間は経っていないのにも関わらず、ロはすぐに立ち上がりました。
血が体に戻り始めた訳ではなく、私に逆らってはいけないという恐怖からくる、無理矢理な体の動かし方でした。
ワイバーンらしく生きるなんて、そんな事を考えなければ簡単だとも思っていました。
確かに、昨日まではそうでした。
今はもう、無理でした。
特に、ロの前では。
……出来れば見せたくはなかったけど、もうどちらでも一緒か。
森の中から、ロを連れて凄惨な道へと出ました。
「……ッ」
ロは声にならない何かを上げて、足が固まりました。
もう、完全に私をワイバーンとは見做してはいませんでした。
連れて帰ろうと思っていたけれど、無理かもしれない。
振り返って、ロと目が合い、そして逸らされてそう思いました。
飛ぶ事も余り出来なくなっているロをここに置いて行くのは不安だったのですが、ロは明らかに私を拒絶していました。怯えていました。
得体の知れない何かには触れたくもないような、そんな目でした。
私は、一匹で先に行く事にしました。
もしかしたら、もう会わないかもしれないとも思いながらも。
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