4-4
ドラゴニュートの所にも寄らず、数日を掛けて私はその群れとの境界である、山脈の麓まで戻って来ました。
夕方のこの時間、少し群れに戻るのが躊躇われて、私は一旦降りる事にしました。
行くのは、明日にしよう。
……うん、明日にしておこう。
こんな自分勝手に群れを出た私をまた受け入れてくれるのか、そもそも自発的に出て行ったワイバーンをまた受け入れてくれるのか、それが怖かったのです。
先延ばしにしても何も良い事も無いのですが、私はこの山脈を越えるのは明日にする事にしました。
ふと、私はまだ、八年しか生きていない事に気付きました。
何だかなあ、と私は未だに余り物を考えたくない頭で思います。
もう、数十年間も生きたような、そんな気がする。
時間の感覚はもう、とっくに狂っているのかもしれない。だらだら、だらだらと生き過ぎた私だ。
当然と言えば、当然なのでしょう。
青白く光り始めた月を見上げます。
……いや、それは違うかもしれない。
しかし、今は、そう思う原因を考えたくはありませんでした。
首を下げたものの、もう一度月を眺めてまた思います。
八年間。たった、八年間。
智獣ならばそれはまだ、世の中の表面だけをなぞって生きているような、そんな華奢な存在でしょう。
魔獣は違いました。
たった一年で競争が終わり、それからは自分達を維持していく、大人、成獣の生活をしていました。
だからこそ、たった八年間、ワイバーンに生まれ直してからの八年間は長く感じたのでしょう。
そして後、このワイバーンとしての生は数十年はある。
長い、とも思いましたが、思い出した私自身の事を思うと十分に短いとも思えました。
何百年、何千年生きて来たか私には分かりません。
魂の中にある記憶を全て思い出した訳ではないのです。まだまだ、本当に全ての記憶を思い出してはいないと分かっていましたし、どの位生きて来たか、魂の中にどの位の記憶が埋まっているのか、推測すら出来ないのです。
その、無意味な、ただ何の目的も無いような生をやっと終わらせられるとするならば、そのワイバーンとしての年月は長くはありませんでした。
月が高く登り始めたのを見て、私は頭を下げました。
月が青く輝き始めると、それを見ずとも何度も私はあの時の事を思い出します。
私は、姉さんを殺したのです。
「ヴ……」
酷く、頭が痛みました。
とても、とても、思い返す度に、頭が痛みました。
ずっと檻の中に閉じ込められて、生かされて、孕まされて。
ずっと、ずっと。その翼で飛ぶ事も出来ず、その足で大地を駆ける事も出来ず、その牙で獲物を食らう事も出来ず。
窮屈な檻の中で、何も出来ずに。私なんかより、よっぽど不幸でした。試練の中で呆気なく死ぬよりも、とても辛い事だったかもしれません。
それなのに、どうしてあんな事をしてしまったのでしょう。私は。
どうして、何度も思い出しているだろうに、それなのに、どうして私は思い出すという行為で自我まで失ってしまったのでしょうか。
兄妹、ハナミズ、ノマル、マメ、カラス、姉さん、私。
私だけが、もう本当に私だけしか、生き残らなかった。どうして、何度も生きている私が。
オチビも、アズキも、イもハも、私と親しくしていたワイバーンの殆どは死んでしまった。
たった一度の、その魂でしか生きられなかったワイバーンばっかが死んで、私は生きている。
涙は、何度も出てきました。今でさえも。
後悔してもしきれません。兄妹の魂は全てもう、空に消え、他の魂と一緒に混じり合い、何でもない、誰でもないモノになってしまっています。
姉さんが姉さんであった、兄さん達が兄さん達であったという証明はもう、どこにも無いのです。
この星の魂と、物質で出来た、生物だったという事しか。
何度も嘆こうとも、その事実はもう変わりありませんでした。
泣き疲れても、腹は減ります。
悲しい時でも、楽しい時でも、どんな時でも腹は鳴るものです。食べたいという欲求が湧いて来るのは止められませんでした。
嫌と言う程、この数日で私はそれを学びました。
叫んでも、誰も応える事もありません。ロは私を拒絶しました。もう、私と一緒には居ません。
毎晩、自分の全てに嘆きながらも、まだ、私は整理が付いていませんでした。
どうしていたら良かった、どうしてああなってしまった。そんな事を考えずには居られなかったのです。
夜になり、考え始めてしまうといつも、頭痛も伴います。
考え疲れ、月が赤く染まる頃にはもう、空腹になっていようとも動く気力すらありませんでした。
しかし、空腹は私を動かします。
本能的に、私は培って来た狩りをし、何を仕留めたかも分からないままぼんやりとその肉を食べます。
狩りをしながら、肉を食べながら、そのぼんやりとした頭で一つだけ私は思っていました。
逃げたい、と。この、永遠の生から逃げたい、と。
しかし、そう簡単には逃げられないのも分かっていました。
私自身が完璧にこの永遠の生から逃げる為には、自殺等という簡単な逃げ道を選ぶ事は出来ないと。
智獣を沢山食らい、自分の魂を幻獣に適するモノへと変質させなければ逃げる事は出来ないと、私は分かっていました。
後悔する度に、泣き叫ぶ度に、私はその道へ進む事への決心を強めていました。
-*-*-*-
気付くと、朝になっていました。
深く眠ってしまっていたようで、私の頭の上には小鳥が乗っているのが分かりました。
尻尾を動かして撃ち止めてやろうと思うと、動かす時の微妙な振動が頭まで伝わってしまったのか、残念ながら撃つ前に逃げてしまいました。
「ヴ……」
目を覚まし、ゆっくりと私は立ち上がりました。
ああ、怖いな。ああ、嫌だな。
ロに拒絶され、群れにまで拒絶はされたくありませんでした。そうなったとしても、私は生きなければいけないのです。自分を完璧に終わらせる為に。
私は酷く怖がっていました。
行きたくない、とも思っていました。
けれども、行かない訳にはいきません。ただ怖がって、何もしない訳にはいきません。先延ばしをしようが、帰りたいという気持ちがあり続けるだけです。
起きたばかりだというのに、心臓は嫌に高鳴っています。とても、嫌な感じでした。
拒絶される予感、というものはしているつもりは無いのですが、私の今のワイバーンとしての体がそれをいつの間にか予感してしまっているような、そんな感覚がありました。
本当に、怖いな。嫌だな。
そう思いながらも、私は森の中を歩きました。
ワイバーンは目の前の山を登ったりする事は智獣や大狼のようには出来ないでしょうが、そうして私はゆっくりと、歩く事で群れの所に着くのを先延ばしにしたいと思っていました。
先延ばしにしても何も良い事など無いのに。
そう、分かっていながらも。
山麓には、小さく町があります。
流石に山の急斜面を整備された道でもない場所を歩くのは難しく、山道を歩いていた私は、そこを飛んで越さなければいけないと分かってはいましたが、それでも中々翼を広げる気にはなれませんでした。
翼を広げてしまったら、群れまでは本当に後、一っ飛びの距離だからです。
ああ、もう。
さっさと決心しろ、私。
そう言い聞かせながらも、私は空を飛べませんでした。
夏も近付いて来るこの季節、空を見上げるといつの間にか雲が太陽を覆っています。
雨は降らないだろうけど、少し冷えるかな、と呑気に思いました。一瞬だけですが。
私は、頭を下げて溜息を吐きました。ワイバーンはそんな動作余りせず、私もこれまでしていなかったのですが、やはりそれは思い出してしまった事が一因なのでしょう。
そして、もう一度、空を見上げました。
……行くしか、ないか。
拒絶されたらされたで、ロのようにでも、誰か隠れて暮らしているような智獣と共にでも暮らしましょうか。
ロみたいに、時たま他の智獣を襲ったりもしながら。
それも、最悪な生き方じゃない。最悪じゃないだけ、ましかもしれない。
雲の上に出て、すぐに山頂へと着きました。
本当に飛んでしまえばあっと言う間の距離で、私はまた後悔しました。
とうとう、帰って来た。私は、受け入れられるのでしょうか。
出て来た方には雲が掛かっていましたが、崖の方には雲は全く掛かっていません。
その明瞭な視界の先に、是か否か、単純な答があります。その単純さが、私にとっては恐怖でした。
族長にさえ、受け入れられれば群れに受け入れられると同義だと、私は分かっています。
族長に受け入れられれば群れに戻れる。受け入れられなければ、戻ろうとしても駄目でしょう。
たった、それだけです。
私は意を決してまた空を飛び、山頂から体を飛ばしました。
心臓は嫌な感じではなく、もう、戦いの前のように高鳴っています。滑空をし、翼を動かさないまま風を切る音が私の耳に鋭く届けられました。
風の強さに目をやや細め、暫く飛び続けます。すると、ワイバーン達が動いているのがはっきりと見えるようになってきました。
流石にまだ、この遠い距離からだと点のようにしか見えませんが、色違いも私が出る前と同じようにここに住み着いている事は分かりました。
まだ飛ぶだけなら必要のない羽ばたきをわざとして、速度を緩めてます。
その平静とした、悠久な、魔獣としての私が望んでも完璧に私は実現出来ないものとなってしまった暮らしがそこにあるのです。
とても、眩しいものでした。
意を決して出来た戦いの前のようなすっきりとした緊張はなくなってしまい、また嫌な緊張が私の中を占めていっていました。
ああ、嫌だな。
そう思いながらも飛ぶ事は止めず、いつの間にか川も近付いて来ていました。
目の前から、ワイバーンが私目掛けてやって来ていました。
私は激しく鳴り始めた心臓を抑えるようにして、ゆっくりと地面に降りました。
自分勝手に、ただ交尾をしたくないという理由だけで群れを出て行ったワイバーン。
族長はそう私の事を見做していると思えました。
それ以外、何とも想像する事も出来ません。
そして、そう見做している族長の判断に私は身を委ねるしかないのです。
目の前に降り立った、族長に。
族長は、いつも通りに音も殆ど立てずに着地し、そしてそのまま私の方にいつも通りの普通の足取りで歩いてきました。
思わず身構えそうになりましたが、身構えず、ただ私は族長が来るのを待ちました。
断罪されるのを待つような、そんな感覚でした。
すぐに距離は詰まりました。体二つ分、一つ分、半分。
そしてそのまま、族長は私の足に尻尾を巻きつけ、上手く私を押し倒しました。
「ヴッ」
ごろり、と族長に優しく押し倒され、背中に圧し掛かられ、一瞬声を上げながらもこんな気持ち良く誰かの体温を感じたのはいつ振りだろうと思いました。
そう思いながらも、私の心臓の昂りはいつの間にか収まり、ゆっくりとしていました。
族長が私の顔を、ぺろりと舐めました。
……え?
もう、私の発情期は過ぎてますが。
そう思いながらも、私は抵抗しませんでした。
鉤爪と鉤爪を強く交え合わせ、背中と腹が擦れ合い、その内族長の雄の象徴が突き立ったのを私は感じました。
無理矢理犯されそうになった、あの時のような、不快感は全くありませんでした。
一方的に押し倒されたというのに、私はいつの間にか悦びを感じていました。
……申し訳なさもありましたが。
また、気付くと私は涙を流していました。
受け入れられた喜びと、助けられなかった申し訳なさが複雑に絡み合い、どうしようもなく私は今の心地良さに身を任せました。
腰を振られて、私はその族長の雄の象徴を受け入れました。
体の温もりに身を任せながら、複雑な感情に流されながら、私は族長と交わりました。
激しく、痛く、そしてとても原始的な安堵が私の中を占めていきました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます