4-2

 …………。

 私は、人間の足を強く踏みました。

「……い゛っ、ぎぁっ」

 一瞬声を出すのを耐えたものの、すぐに耐え切れなくなって、人間は声を出しました。

 私は骨が折れる寸前の強さで踏みながら、人間の手を尻尾でロの首に当てました。

「誰か、するも、あ゛う゛っ!」

 人間を拷問しながら、私はこの選択に意志を固めていました。

 私は、ワイバーンです。

 完全なワイバーンでなくとも、私は今は、ワイバーンなのです。

 前世がこう分からなかった時から、私は前世からの私としてではなく、ワイバーンとして生きる事を望んでいました。

 無意識でも、意識的にも。

 だからこそ、私は自分の正体を知ったら帰りたいとも思っていました。だからこそ、私自身が文字を使う事を進んではしなかったのでしょう。

 特に自分がもう、何でも無いという事を知った今、私のその思いは強くなっていました。

 今、私にとってワイバーンである、という事は私の最後の拠り所だったのです。ロを食べてしまったら、それは本当に全ての私という存在が何でも無くなってしまうという事でもあったのです。

 そして、それは私が不死から解放されるよりもとても重みがある事でした。

「う゛う゛っ」

 舌を噛んで自殺しようとしたので、頭も踏みました。

 死ぬより辛い事も、ある。

 私が今そこまでなのかどうかは、はっきりとは分かりませんが、今人間にはそれをやっていました。

 私は拷問の仕方も知っていたのです。……前世でされたのか、したのか分かりませんが、記憶の中では鮮明に残っている方でした。

 そして、もうそろそろ人間は諦めるだろうと私は思いました。


 喉の他にも折れた翼腕や破れた皮翼を治させ、ロは力なく立ち上がってまた、倒れました。

「ああっ、ちく、しょう」

 人間は泣きながら、拷問を続ける私に諦めを見せ、他の全てのロの傷も治して叫びました。

「殺せよ! やる事はやった! くそったれ!」

 そうしましょう。

 ぼろぼろになった体の人間の頭に齧り付き、首を千切って私はロに噴き出る血を飲ませました。

 ごくごくと、喉を鳴らせてロは血を飲んでいきますが、辛そうな目は変わらず、また私に対しては僅かに奇異の目も向けられていました。

 ……いや、そんな事はどうでも良い。

 私はもう数人の死体をロの前に運び、血を飲ませました。

 これで僅かでも飛べるようになるか、それは分かりませんが少しでも望みは強くしておきたいです。


 そう言えば、姉さんも飛べるかどうか確かめなければ。

 そう思い、私は檻の中へ戻ろうとし、すぐに足が止まりました。

 檻へと、足が動きませんでした。私は自分がさっきやった事を思い出してしまったのです。私が自分自身を知り、自我さえも失ってしまった時、無意識にやった事です。

 ……あの雨が降りしきる聖域での戦いの時、ドラゴニュートが私に止めを刺せた時、その時は私は、感情は酷く昂っていても、自我はありました。

 聖域での時は族長を助ける為に、ドラゴニュートの時は私が助かる為に、無意識であっても魔法に指向性はあったでしょう。

 族長を助ける為に色違いの族長の方に雷を落としました。ドラゴニュートの時は推測ですが、あの時の事を思い出してみると電撃をドラゴニュートの方に放とうとしていたのではとも思えました。

 しかし、さっきの私には自我はありませんでした。

 あの時、私が叫んでいたのか、何を見ていたのか、私には全く記憶が無かったのです。

 …………。

 震える足を動かし、僅かな距離を何とか歩いても、私は目をその檻の方へ向けられませんでした。頭は伏せたまま上げられませんでした。

 無意識に、私がさっき思ってしまった事もその一因でした。

 ロには、幸いにも当たらなかった。

 ――幸いにも。

 ……私はその時から、自分のやった事が滅茶苦茶に辺りを破壊した事だと分かっていたのです。

 嫌だ、と思いながらも私は檻に目を向けました。

「ヴ……ア……」

 ああ、もう、駄目だ。

 魂が、抜け始めている。見えてしまっている。微かに、姉さんの体からその魂という何かが見えてしまっている。

 もう、どう足掻いても助からない。

 ああ、何て事、私はしてしまったのでしょう。助けるつもりが、殺してしまった。

 私の手で。

 何を、していたのでしょう。私は。

 たった二匹で何とかなると思っていた事自体が馬鹿だった。族長のような超越した強さを持っていないのにも関わらず、とても強くなったと勘違いしていた。

 何を、馬鹿な。

「ヴ、ア、アアッ」

 馬鹿過ぎる。私には、もう姉さんしか兄妹が居なかったというのに。

 何を本当に、私は。

 そんな時、また足音が聞こえました。

 ああ、もう。智獣がまた来ている。今は、私はもう、動かなければいけない。

 何もしたくない、泣き叫びたい。けれど、動かなければいけない。

 ロも、ふらふらと私の方へ歩いて来ていました。

「ヴ……」

 何をしたんだ? とロは私の方を変な目で見てきました。

 いや、何をしたかったんだ? ともその目は私にもう一つ疑問を投げかけていました。

 ……姉さんを助けたかった、それだけだったのに。

 いや、もう今はそんな事も思ってる時間もない。

 とにかく今は、逃げなければいけない。

 翼を広げ、飛べるか? と私はロに問いました。

 ロも翼を広げましたが、様子からして長くは飛べそうにありませんでした。けれども、飛べない事も無さそうでした。

 ……ああ。

 本当に、私はどうしようもない。この世界で二番目に長く生きて来たというのに。

 馬鹿でしかない。

 ……ごめん。姉さん。本当に。償いきれない。

 そうして、私は空に飛びました。

「ヴアア゛アア゛ッ」

 それでも、青い月はいつも通りでした。


 ばちっ、ばちっ、と飛んでいる間、私の体からは音がし始めていました。

 何が何だか、私の頭の中はとにかく幾多もの糸が絡まり、ぐちゃぐちゃになってもう解けないような程でした。

 自分がどのような感情をしているのかも分からず、僅かにだけ考えられる今、変に冷静でもあるように思えましたが、それは混乱の極地を越えてしまったようなものだとも理解していました。

 私から発せられている雷が、その証拠でした。


 森まで何とか辿り着き、ロはもう限界だと言うように落ちるようにして木々を折りながら着陸し、また倒れました。

 町の方を振り向くと、既に追手であるワイバーンが私達の方に向って飛んできていました。

 町から続く道からも、馬や大狼に乗った人間達がやって来ています。

 ばちっ、ばちっ、と私の体が変に魂と反応しています。

 ……ああ。

 もう、嫌だ。静かにしてくれ。

 自分が無意識にのみ使えるこの雷は、智獣の使える魔法よりも遥かに強力だと、私は分かっていました。

 魔獣の重さは智獣の重さの何倍もありましたし、それに加えて私は智獣の魂をこの体に取り込んでいました。

 更にそれが思考出来る状態で発せられているならば、それは今から私がしたい事には好都合でした。

「ヴ、ヴララララッ!」

 私は、ここに居る。

 町に潜り込み、沢山の智獣を殺した私はここに居る。

 殺せるものなら、殺してみろ。

 今の私は、もう、族長よりも強い。

 完璧な魔獣でないのだから。歪んだ、その強さを私は持っている。

「ア゛、アアアア゛ア゛ッ!」

 どちらにせよ、静かになれば、それで良い。

 涙が流れ、ぼやけた視界に白い光と、それに当たって落ちて行くワイバーンが見えました。

 もう、ロさえ死ななければ今の私は、他の何もかもはどうでも良かったのです。

「ア゛ア゛ッ! アア゛ア゛ア゛ッ、ア゛ア゛アア゛ッ!」

 続けざまに何匹ものワイバーンと智獣が落ちて行くのを見て、私の中の自我がまた、失われていくのに身を任せました。


-*-*-*-


「……幻獣は、余り智獣や魔獣に干渉しない事を強く義務付けている」

 ばらばらに物事を話し始めたのを、俺はそれでも聞いていた。

 好奇心というものでも無かった。単に、この麒麟がばらばらに喋っている事は全て、彼女に関する事だろう、知っておかなければいけない事だろうと思えたからだった。

「そうした事で、遥か過去に酷い過ちを犯した事がある。

 聞いた話では、智獣や魔獣の幾つかを絶滅させたと言う」

 絶滅。……一匹残らず、その種が全て死んだ事。

「今、こうやって話している事さえ、干渉。

 目を付けられたら俺はどうなるか分からない。百年間でもどこかに閉じ込められるか」

 百年間……。

 余り、ぱっとしない時間だった。

「そう。何百、数千までとはいかないが、その位幻獣は生きられる。

 そして、それに見合った肉体と魂を持っている。

 お前が感じている以上に、魔獣や智獣と、幻獣の差は隔絶としている」

 一斉にこの周辺で弾ける音がして、思わず頭を伏せた。

「こんな事も簡単に出来る程」

 恐る恐る頭を上げると、枯葉が全て粉々になっていた。

 恐ろしいと思いながらも、俺はそれを前に出さないようにして話を聞き続けた。

 この感情も見通されているのだろうと思いながらも。

「……それだけが彼女に接触を極力しない理由ではないけれど。

 ……。

 魂は、内側から鍵が掛かった箱。その箱の中には、記憶が詰まっている。

 頭でも記憶はするけども、魂も記憶はする。

 そして、重要なのは、忘れる、という事と、思い出せなくなる、という事が同義ではないという事。

 もう一つ、彼女は魂が固定されたと言えど、その魂の質は魔獣や智獣の魂の質とほぼ一緒だという事。

 そこには、欠陥がある」

 まだ、良く分からなかった。

「……。

 思い出せなくなるという事は、記憶が圧縮されるという事。

 圧縮された記憶は思い出そうとしても思い出せないが、きっかけという鍵を以て圧縮は解かれ、思い出せるようになる。

 魔獣のお前だってあるんじゃないか? 何か思い出せないけれど、あるきっかけを持って思い出したという事位」

 ある。俺は頷いた。

 それは、甘い実の成る木の特徴を、実物を見て思い出す程度の事だったが。

「俺が転生してからの間もない間は、罰は恐れつつも結構彼女に接触してた。

 彼女が何度も転生して、その度に俺が彼女の手助けしたり、その魂を元に戻す方法を一緒に探ったりという事を繰り返した。

 ……けれども、何回か繰り返した後に、彼女は俺を見ただけで発狂して、その後に自殺した」

 は?

「……かなり長い時間考えて、その原因の推測は立った。

 全ての生物は、寿命や知性に見合った記憶の容量を持っている。

 魔獣や智獣の記憶は、その寿命の分だけ。寿命の差から考えると、きっと幻獣は容量としては魔獣の十倍位は軽くある。

 ……彼女の自殺の原因は、彼女は魂の質の割に、長く生き過ぎているという事。

 転生を繰り返して、とんでもなく長い間生きた彼女の魂という箱の中にある記憶は、圧縮に圧縮を重ねられてぱんぱんに詰め込まれている。

 それは結構思い出し辛くはあるけども、もう、その全ての記憶を思い出してしまったら、肉体の記憶の容量を軽く越してしまう位の。

 ……。

 そしていつの間にか、俺は彼女に何度も転生を繰り返しても接触したせいで、俺は彼女にとって何度も俺と生きた記憶を思い出させてしまう存在になってしまっていた。

 俺が接触した時点で、何回分もの生の記憶を彼女は思い出してしまう。魂から溢れ出た記憶が肉体へと移る。その肉体の記憶の容量を越えた記憶に耐え切れず、発狂してしまう。

 ……確かめてはないけれども、確かめたくもない」

 そうか。この麒麟はもう、助けたくとも遠くから見る事しか出来ないのか。

「そんな、自分の魂が既に壊れているようでも、転生をすれば彼女はその圧縮された記憶だけを持ってまた肉体の記憶は空となる。

 自分の正体も忘れ、様々な事も忘れ。

 そのおかげで、彼女は生まれた瞬間にその膨大な記憶に押しつぶされ、発狂して自殺する何て、もうどうしようもない事態に陥らずに済んでいるけども、何もかもを忘れた彼女は何度も繰り返してきたように、自分の正体を知ろうとする。

 ……彼女はまた、自分の正体を知りにこの群れを出た。智獣の事はおぼろげにでも思い出していたからか、その危険に対抗出来る強さを態々得てから」

 ……いまいち、納得がいかないような。

「俺が手段を考えれば一応、直接的に接触しなくとも彼女に自分の正体を知らせる事も出来るけども、それだと彼女が納得しない。

 俺に会いたいとも思ってもしまうだろう」

 いや、そういう事じゃない。

 疑問に思っていると、麒麟は続けた。

「……ああ。

 彼女はお前の事が好き。けれども、子を産む訳にはいけなかった。

 それは、親となってしまい、この群れに縛られてしまうという事だから。

 その位の事も分からない?」

 少し、不愉快になった。

 我慢するしかないのにも、不愉快になった。

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