2-15
雨と雷だけの静寂が辺りを包みました。私を奇異の目で見ていたのは私の呻き声を聞いたワイバーンだけで、他のワイバーンは全員、気絶した二匹の族長を見てぽかんとしていました。
私も自分自身に混乱していましたが、しかし今、これだけは分かりました。
この戦いは引き分けで終わったのでしょう。
どちらも、ただ大勢死んだだけでした。どちらも、何も得られたものはありませんでした。
全員がその唐突な終わりに放心していた時間は僅かで、それから色違いも何も関係なしにゆっくりと皆は動き始めました。
戦いは、終わりました。誰ももう戦う事はありません。互いの族長も起こされ、それからゆっくりと頭を振って眼を覚ますと、変な表情で互いを見つめ合い、鉤爪同士を合わせました。
……族長二匹にとっては良い終わり方だったのでしょう。この戦いでは、族長同士だけが、対等に戦える喧嘩相手というものを得た、とも言えるかもしれません。
動けない私もアカによって引きずられ、色違いの上から降ろされました。ずっと下に居た色違いが立ち上がり、やっと解放されたとでも言うように立ち上がりました。
……頭を地面に叩きつけて、私は倒したと思ったのですが。大して怪我はしていないようでした。
きっと、私が後少しでも動けていたら殺されていたという事を思って、負けを認めてくれたのでしょう。後少しでも体を動かせたら、私はこの色違いを殺せていたのです。その時にはもう、そうしようとも思いませんでしたが。
アカは私をある程度の、余り誰も来ないような安静に出来る場所まで運ぶと、私を楽な姿勢にさせました。
「ヴゥ」
ありがとう、と私はそう声だけで伝えると、「ラルルッ」と身振りを添えて元気な声でアカは返しました。小さな傷は無数にあり、疲労も確実にありましたが、今のアカは全くもって元気でした。私が智獣を食べていなかったら、私よりも確実に強いままだったでしょう。
それからアカは「ヴルル」と、私に別れを告げてから別の方へ歩いて行きました。
自分で守り抜いた番の方へ行くのでしょう。
私は寂しさを覚えながらも、一息吐きました。毒が抜けて少しでも動けるようになったら洞窟に戻る事にしました。
……本当に、私が雷を落としたのでしょうか? また、私にとって都合の良い雷はあれだけではありませんでした。
最後に戦った色違いに勝てたのも、潰れた右目の方に雷が都合良く落ちたからです。それに、ふと思い出しましたが、犯されそうになった時に雷のような音が聞こえていたのも、その雷に似たようなものだったのかもしれません。
しかし、そもそも、魔獣は意識的に魔法を使えません。無意識に使えるとしても、自由に魔法を使える訳でもないでしょう。光の矢を飛ばしたり、水を凍らせたり、または沸騰させたりと、そしてましてや雷を落とすなんて、そんな事ワイバーンを含め、全ての魔獣は出来ない筈です。
魔獣は無意識に、そして体に定められた魔法しか使えない筈です。確証はありませんが、きっとその筈でした。
偶然が重なっただけとも考える事は出来ますが、やはりそれも辻褄を合わせただけです。不自然さは拭えません。
本当に、私が魔法を使ったのでしょうか? 本当に、私が雷を落としたのでしょうか? 堂々巡りの疑問は、何を考えてもやはり、推測にしかなりません。
前世があるから、魔法を使えたのかもしれない? いや、それだけじゃないだろう。私の体はワイバーンと言う魔獣なのです。
ただ、推測で終わらないのは、転生という事柄は記憶を引き継ぐだけでは無い可能性があるという事でした。
そして…………やはり、私はここを出る必要があります。
私が何か、という事だけではなく、転生という事象に関して知る為に。私が本当に、完全に、ワイバーンという生物なのかどうか、知る為に。
-*-*-*-
その一晩は過ぎ、私は洞窟の中で目を覚ましました。
体は動かすと痛く、次に右目が潰れている事を思い出します。そして、酷く腹が減っていました。
起き上がり、私はゆっくりと体を起こして外の光景を目にしました。
…………そうか、沢山、死んでしまったんだ。
小雨が降る中、灰色と濃い橙色のワイバーンの死体が沢山見えました。ここまで血の臭いがし、死肉を漁りに獣が少しずつ寄って来ていました。
ああ、嫌だな。
色違いのワイバーンに大して恨みが湧かないのは変わりませんでしたが、好きにはなれないでしょう。
私は少しの間その凄惨な光景に固まっていました。けれども、腹が鳴ったので、飛び降りました。
強く噛まれた翼腕もいつものようには動きませんが、滑空する程度なら何とでもなります。ある程度の場所から私は動かすだけで痛む、火傷した尻尾から毒針を飛ばし、死肉を漁っていた山犬数匹を仕留めました。
……今日は、休んでいたいな。
そう思いますが、死者を弔わなければいけません。
もう既に、数匹のワイバーンは死体を集め始めていました。
山犬に止めを刺して食べていると、ふと、遠くに赤い物体が目に入りました。血のような赤黒い赤ではなく、綺麗な赤色です。
肉を食べながら、私はぼうっとその赤色を眺めました。それの正体に気付くと、肉を口から落としそうになり、慌てて噛み戻しました。
赤色は動かず、ただじっとしています。……私は、そこに行くのを躊躇しました。
骨を噛み砕きながら、私はその事実を胸の奥から込み上げて来るもので確信してしまいました。
カラスは、崖から落ちて死にました。
ハナミズと姉さんは試練で、何らかに襲われてか、死にました。
そしてノマルと、……マメが、この戦いで死にました。
その綺麗な赤色は、赤熊でした。やはり、あの成獣まで体が急激に成長する冬にマメは赤熊に助けて貰ったのでしょう。赤熊にとって助けた理由は火を手に入れる為だけだったかもしれませんが、それから何年も経った今も交流を続けていたのです。ただ、火が欲しいだけ、助けて貰っただけの関係ではなくなっていた事は明らかでした。
私は兄妹の中でもたった一匹になってしまった事を自覚しました。今さっきまでは、自覚してなくとも、マメの死体を見ていなかったその時はまだ一匹じゃないと思っていられる自分も居ました。
しかし、もう、そんな風には思っていられませんでした。
私は兄妹の中でたった一匹になってしまった事は、私以外は死んでしまった事は、もう変わり様のない事実でした。
山犬を一匹食べ終えた所で、私は赤熊の後ろからではなく隣を回って歩きました。赤熊は座ってただ、二匹のそのワイバーンの死体を見つめています。体は酷く濡れ、それだけで悲しそうでした。
赤熊が近付いて来る私に気付き、顔を上げました。
私は止まらずに歩き、そしてその二匹の、マメとアズキの死体の前に、赤熊と向き合って座りました。
「……ヴゥ」
マメは首を食い千切られ、アズキはその上で体を切り刻まれて、マメの上にアズキが覆い被さるようにして死んでいました。
ただ、それだけでその昨夜のここでの出来事が思い浮かびます。
マメが死んだ時点で、アズキも諦めてしまったのでしょう。
どちらも肉体的に劣っていても、試練を乗り越えられるだけの力があったのに。
ずっと、仲が良かったのに。私にとって、オチビが居たらという理想の番だったのに。
その二匹に私は嫉妬や羨望も持っていましたが、私がそうなれなかった以上、死んで欲しくないと強く思っていたのです。円満なまま、一生を過ごして欲しかったのです。
怒りは湧いてきません。私もそんな色違いを殺さなかったとは言えませんし、どれもこれも、仕方のない事でした。
翼の音が多く聞こえ始め、赤熊は上の方を向きました。
私も上を向くと、ワイバーン達が降りて来ていました。
それを見て赤熊は立ち上がり、悲しそうに二匹を見つめてから後ろを向き、ゆっくりと歩いて住処である森の中へ歩いて行きました。
そこにはワイバーンより絶対的に強いという自信とまた、それ以上にワイバーンの友を喪ってしまった悲壮が見えました。
私もゆっくりと立ち上がり、その二匹の死体を見つめ直して歩き始めます。
私は、死んではならない。生きなければならない。そう、強く思いました。
…………? 何か、記憶に引っ掛かった気がしましたが。
とにかく、今は仕留めた残りの山犬を食べましょう。食べなければ、治る傷も治りません。
ゆっくりと、その作業は進められていきました。
現役引退で飛ぶ事がもう出来ずに崖の上での戦いに参加出来なかったワイバーン達も、その弔いに参加していました。
色違い達は色違い達で死体を一か所に纏め、私達は私達で同じように死体を纏めていきます。
流石にこの量を川に流す訳ではありませんでした。
マメとアズキ、見つかった、ボロボロな体になってしまっていたイとハや、マメとアズキの子の死体も引っ張ってそこに集め、崖の上にあった死体も足で掴んだり咥えたりして数匹で落とさずに運んでいきます。
アカと一緒にノマルの死体も運びました。
私の母は生き残っていましたが、出した血の量が多かったのか洞窟の中でじっと休んでいます。母と共に昨日戦っていたワイバーンが死肉を啄みに来ていた鳥を沢山捕まえてそこに送り届けていました。
ただ、アカの母は死んでいました。崖の上で、炎の攻撃を避けられなかったのか、黒焦げになっていました。
アカはその隣で暫くの間座って赤熊のようにぼうっとし、それから私と一緒にゆっくりとまた、運びました。アカの番も私の母と同様に、休んでいました。
暫くして私と薄らとしか関係の無い、死んでしまったワイバーンも運び終え、私は少し崖の上で休みます。私と関係の無いワイバーンを運ぶのは、取り敢えず止めておきました。
休みながら、私はその死体を運ぶ慣れない左目だけの光景を眺めました。ずりずりと尻尾の付け根辺りを噛んで崖の近くまで運んでから、数匹で崖の下まで運ぶ色違い達や、下で死んでしまった仲間と向き合っているワイバーンが居ます。
そこには独特の、恨みや怒りの無い悲しさが漂っていました。
恨みは、表面に出さずに隠しているという訳でもなく、無いように思えました。私自身もそうでしたが、それを疑問に感じる私も居ました。色違い達が恨みを持っていないのはまあ、納得出来ると言えば納得出来るのですが、私達灰色のワイバーンが誰も大して恨みを持っていないと言うのは、何か疑問に思えました。
弱肉強食という理にただ淡々と従っている、と感じられましたが、魔獣と言う知性を持つ獣でもそれを淡々と受け入れられるのが不思議に思えたのです。
夕方頃になり、死体を集め終えるともう元気になったそれぞれの族長が声を上げて、それぞれの死体の山に炎を吹き掛けました。
私達もそれに続いて炎を吹き掛けます。火球ではありません。ただ何かを燃やす為だけに使う炎の吐息です。
ぼう、と死体は燃え始め、私達は座ったり、立ったりしてそれをじっと眺めます。今日、死体運びに参加しなかったワイバーン達も洞窟の前でそれを見つめていました。
どちらも随分と数が減りました。半分は軽く死に、どちらも群れとして続けていくには数が少ないように思えました。
見た所この崖の洞窟を両方含めて一匹ずつで使っても、余る位です。
これから、どうするのでしょう。今までと同じように過ごす事は出来ないように思えました。
夜になっても炎は尽きず、私はただ、これからの事をぼうっと考えていました。
血の臭いが染みついた地面と肉の焦げる臭いが、酷く悲しみを強くさせ、私はいつの間にか涙を流していました。
心臓の音が、とても強く感じられました。
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