2-14

 雨は降り止みません。ざあざあと、ただ全てのワイバーンを濡らし続けるだけです。

 しかし、この空間は驚くほど静かでした。

 他の場所の戦いは全て終わり、最後まで戦い続けたワイバーンも、負けたワイバーンも、今は色違いとかも関係なしにその聖域での戦いを見ていました。

 雨音は誰にとっても無視され、私達の耳に届くのは喧嘩で響く風切り音、それと肉と肉がぶつかり合う音。ただそれだけでした。

 月に代わり、炎に代わり、今は雷が明かりとなっていました。ごろごろと不吉に至る所で聞こえるその音も無視され、ただ発せられる鋭い光だけが無視されずに私達にその戦いを見せています。

 アカと戦っていた色違いはいつの間にか、アカと一緒に倒れている私と色違いの隣に立っていました。結局こちらの戦いは最終的に私達の群れか色違いか、どちらが勝ったのか少し気になりましたが、すぐに私の関心はまた聖域での戦いに移って行きました。

 誰も応援する事なく、誰も邪魔する事なく、聖域での戦いはずっと静かに続いています。

 永遠に続くような、ただただ太陽と月が回って行く日々のような、そんな戦いでした。

 しかし、永遠という言葉は概念でしか存在しないように、この戦いにも変化が訪れました。

 色違いの方の族長は、私と一瞬目が合った、色違い達をここに呼び寄せたワイバーンでした。そのワイバーンが族長の番を尾で弾き飛ばし、同時に族長がもう一匹の色違いの首に噛みつき、強く睨みつけました。

 どちらも、殺しませんでした。

「ヴゥ……」と呻き声を上げながら、族長の番は這って聖域から去り、族長に首を噛まれた色違いは解放されると、すごすごとまた、聖域から去って行きました。

「ウルラララッ!」

「ラ゛ル゛ルルル゛ッ!」

 二匹の族長は、そして対峙し、咆哮しました。

 正真正銘、最後の戦いが始まりました。


 尾の先端同士がぶつかり、頭がぶつかり、翼腕の殴りが二匹の中央でぶつかり、全くと言って良い程戦い方は同じでした。

 全く疲れていないような俊敏で力強い動きも同じです。

 互いの族長の本気は、まるで生まれて来た時から付き添って来たような、双子の関係を彷彿させるもので、自らの姿を全く同じに映し出す、鏡のようでした。……鏡?

 そしてふと、私は思い出しました。鏡を見ている私の光景が、コボルトだった私の光景が見えました。ただじっと自分を悲し気に見ている、やつれて老いた、雄のコボルトの姿が見えました。

 はっきり、その光景で確信出来ます。

 私の前世は、コボルトでした。

 ……けれども、その瞬間変な違和感が強く感じられました。

 私の父を連れ去ったコボルト達には確かに、私は見覚えがありました。あの日の事や、他の智獣と出会った時の事は鮮明に私は覚えているのです。確実に、私はあのコボルトを前世で知っています。

 なら何故、私の思考している言語はその言語と違うのでしょうか?

 私は違う言葉を持つコボルトだったとか、単にあのコボルト達はあの時違う言葉の部族と儀式に来ていたとか、辻褄を合わせる事は出来ます。しかし、辻褄を合わせる事が出来るだけでは全く先へは進めません。それにまた、私の思考している言葉がどこかのコボルトが使っている言語だとも、どうもしっくり来ませんでした。

 また、もう一つ違和感はありました。

 私は、卵から生まれて自分の性を確認する前から、私は女だったという意識がありました。どの種類の智獣だったかは分からなくとも、前世も女だったと絶対に確信していたのです。

 ……もしかして、やつれた表情は肉体と自己意識の性が違うという身体を持つという事から来るものなのでは?

 いや、それは絶対に違うような気がしました。そんな葛藤を持っていたら、生まれ変わっても何かしら自分の性に関して思う所があるようにも思えましたし。

 ひとしきり悩んだ後、今思い出した前世の記憶だけでは限度があったので、私は大人しく観戦を続ける事にしました。


 雷が比較的近くに落ち、二匹は一旦距離を取りました。

「ラルルルッ!」

「ラア゛アア゛ッ!」

 その咆哮は笑っているように見えました。

 本気で戦える事が嬉しくて仕方ない。そんな感情もあるように思えましたが、どこか、覚悟めいた虚しさがありました。

 それが何だか、私にはすぐには分かりませんでした。

 同時に二匹は走り、そして体を回転させ、尻尾と尻尾がぶつかり、今度は絡まり合います。瞬間、毒針が飛び、刃が背中を切り裂きました。

 どす、ざしゅ、と音が聞こえ、その長い尻尾が絡まり合ったまま二匹は向かい合いました。同時に出された鉤爪を交わらせ、ぎしぎしと音を立てた後に、また同時に頭突きをしました。

 どちらも衝撃で頭を跳ね返らせ、そしてまたどちらも退かずに頭突きをします。鈍く、強い音が何度も何度も響き始めていました。

 更に下では頭突きと平行して蹴り合いが始まっていました。

 水が撥ね、岩が削れ、互いの額から血がぼたぼたと流れて行き、どちらも意識が朦朧とし始めながらも、戦いの激しさは衰えません。

「ヴララララッ!」

「ガアアアッ!」

 叫びながら、どちらも一歩も引かずに頭突きを何度も何度も繰り返します。

 それでも、二匹に毒が回り始めているのが微かに見えてきました。動きが本当に僅かながらぎこちなくなっていき、蹴りや頭突きの音が弱くなり始め、弾ける水の量が少なくなり始め、戦いのスピードが落ちています。

 毒の回りが遅いのか、それとも族長のレベルになると毒への耐性も私達より強いのか、単なる意地で立っているのか、理由は分かりませんが、それから長時間経ってもどちらも動けなくなる程体を痺らせる事はなく、動きが緩慢になりつつも、戦いは終わりません。

「ヴ、アアア゛!」

「イ゛、ア゛アア゛ッ!」

 ただ力の限り、吼え、そしてもう、何も小細工も仕掛ける事はありませんでした。それはただの体力勝負、ただの我慢比べでした。族長の強さの域に達しているワイバーンだけが出来る、ただの意地の張り合いでした。

 目が離せません。

 誰も何も、声を上げません。共感もしません。頭突きが何度繰り返されたかも分かりませんでした。

 蹴り合いはいつの間にか終わり、ただただ頭突きだけの勝負になっていました。体力が尽き始めているのでしょうか。尽きていたとしても、きっと意地だけで立ち続けているのでしょう。毒が全身に回っていたとしても、やはり、意地で立っているのでしょう。ワイバーンの毒は体を麻痺させても、完全に動けなくなる事はありません。私は無理でしたが、意地で立っていられるのかもしれません。

 二匹の族長は時々吼えながら戦いを続けていますが、意識があるかどうかももう、分かりませんでした。

 次第に、頭突きと頭突きの間隔が大きくなっていきました。

 咆哮はいつの間にか、呻き声にすり替わっていました。しかし、動きの一つ一つ全てが痛々しくなっても、止めません。終わりません。額が血塗れで、仰け反った時に血が角を伝って落ち、頭突きをする際に弾けます。

 威力もとうとう弱まっていきました。もう、ただ続けているだけになっても、それでも終わりません。

 そして、雷がまた、落ちました。


 ドン、と爆発するような轟音が去り、雷だけが照らす闇の中、私達の族長だけが「ア゛……」と呻き声を上げました。運悪く、私達の群れの族長だけが、怯む強さの電流を身に受けてしまっていました。

「ヴ、アアア゛ア゛ッ!」

 色違いの族長は、その隙を見逃しませんでした。朦朧としていた目を見開き、血塗れの額を強く、怯んでいる族長の頭にぶつけました。ごん、とまた強く鈍く響く音がし、強く絡まり合っていた尻尾が緩み、交差していた鉤爪が外れました。

 ふらり、と族長は堪え切れずに後ろへ倒れました。

 その前に、色違いの族長が悲し気に立ちました。

「……」

「……ヴゥ」

 ……。

 私は咆哮の中にあった、虚しさの原因を今、理解しました。この対等な戦いはとても楽しかったのでしょう。きっと、ずっと続けていたかったのでしょう。

 色違いの族長の目には、仕方ないという気持ちと、それ以上の殺したくないという気持ちが強く見えました。群れの大半が殺されても、それ以上の気持ちがその中にはありました。

 しかし、彼らは群れの長なのです。長は、はっきりとけじめを付けなければ、どちらかが死ななければいけないのでしょう。

 でも……駄目だ。

「ヴ……ア゛ア……」

 動け。頼むから、動け。私の体、動け。

 族長だけは、死んで欲しくない。もう、これ以上は嫌だ。私の周りから死んでいくのは、嫌だ。

 沈黙は続いています。族長の番でさえも、顔を伏せるだけで助けようとはしません。

 儀式のような、絶対に邪魔してはいけない事だとしても、けれども、私は嫌でした。

「ア゛……ヴッ……」

 動いて、頼むから。

 どれだけ強く体を動かそうとしても、怪我を負い、血を失い、毒が回り、強く疲労した私の体は虚しくびくびくとするだけで、動きませんでした。

「……ヴゥ」

「ラルル゛」

 色違いの族長と、私達の群れの族長が静かに目を合わせました。

 楽しかった。そう言っているように思え、私は一層思います。

 駄目だ、嫌だ。死んで欲しくない! 嫌だ、駄目だ! 動け、動け!

「ヴア゛……ッ、ア゛ア゛ッ!」

 ドン!

 そしてまた、私の視界は白く染まり、轟音が辺りを覆いました。

 ……え?

 閃光の後、私の目の前では、色違いの族長が私達の族長の上にゆっくりと倒れていく様が見えました。

 どさり、と音を立て、色違いの族長が眼を開けたまま気絶していました。私達の族長も、口を大きく開け、気絶していました。

 どちらもただ、その唐突な雷を知覚する事なく、死ぬ事もなく、気絶していました。

 そんな運の良い展開に、私は安堵よりも先に茫然としながら思いました。

 ……流石に、都合が良過ぎる。

 私が、やったのでしょうか?

 私の呻き声を聞いた、アカや私の下に居る色違いが私を奇異の目で見ていました。

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