2-11
もういいかな、と私はこの頃思うようになりました。
とうとう毒針の見極めもある程度の境地に達し、成獣のワイバーンの中でも勝てる割合も半々位にまで高くなって来た頃、私は八歳になり、アカも年下のワイバーンと番って私の元から去っていました。
子を為すか否か、の結論が出た後も私は他のワイバーンがどのように子に接しているか、私は見続けて来たのですが、同世代の中で未だに番を持たないワイバーンはもう、私の他には居ないようにも思えました。
私が結局番わらない事を決心して交尾をせずにいて、それでも自分の欲求に悩んでいたのと同様に、私が一番智獣を食べているのも変わりません。また、食べた智獣の言語や戦い方を知っていたのも変わりませんでした。既に、理解出来る言語の数に関しては五は超えていました。
毎年ではありませんが、子供を盗みに来るそんなに強くない智獣を倒して食べているだけだったのでしたが、他に進んで盗みを働く智獣を倒して食べようとするワイバーンは何故か他に余り居ませんでした。
なので、一度の機会で多ければ五人位は食べられます。
流石にその量を一度で食べられる訳ではありませんが、沢山倒せた時は出来るだけ食べられるように生かしておくようにしておきました。
そうすると、他のワイバーンに食べられてしまう事もあったのですが。
そしてそれ以外だと儀式に来る智獣に勝つしか智獣を食べられる機会は無く、私はこの群れの中でも結構強くなっていると自負していました。儀式だけでは、年に一人か二人位しか食べられないですし。
毒針も難無く鉤爪や体の硬い部分で弾けるようになり、体の使い方も本当の成獣の中でも長けてきたように思えました。
儀式には参加しませんでしたが、今ならこの群れを出ても、強い智獣を相手にしても十分通用するでしょう。
私はもうそろそろ、この群れを出ます。
八度目の春、発情期が終わったら私はここを出ようと決めていました。
私はこの群れに居なくとも、本当に困ったり悲しんだりするワイバーンは居ません。アカは昨年私に次いで本当の成獣と認められて、同じくして番を得ましたし、母は私が居なくなっても大して気にしないでしょう。この一、二年、番を未だに持たない私は母に少し疎んじられているように思えていたのです。
ただ、未だに少し気になるワイバーンが一匹だけ居ました。
私がまだ一度も勝てない族長です。
その日、いつも通りに私が地に伏し、族長もいつも通りその後に私を不思議そうな目で眺めました。
五歳の時から、私が族長と繋がりを持って偶に喧嘩をするようになってから、それはずっと、いつでも同じでした。
私と戦う最中も私が負けた後も、私を理解出来ないというように眺めるのです。
当然だと、私は思っていました。
私が族長に惚れている事は族長も分かっているでしょう。私は恥ずかし気に族長の前で振る舞ってしまう事が偶にありましたから。それなのに、族長と交尾をする事もなく、他に番を持つ事もなく私はただ一匹でいるのです。
その理由をずっと探っているのでしょうか。
また、この群れから自発的に去っていくというのはとても珍しいですし、去って行くとしても普通はもっと早めでした。
今更去ろうとしているとも思われていないように、思えました。
私はそれを見る度、心の中で謝るようになっていました。何年も族長に疑問を抱かせておいて、そして唐突に去っていくというのは、私にとっては申し訳なかったのです。
-*-*-*-
発情期がやってきて、アカが去ってからは、私はこの時期により強く寂しさを覚えるようになりました。
良いな、と思うのは当たり前でしょう。けれども、私はそれをしてはいけません。
ワイバーンには、子を育て終えた後も見守り続ける責任が少なからずあるのを私は知りました。群れを出るつもりである私は番を持っては、子を成してはいけないのです。
そのどうしようもない寂しさと虚しさも感じながら、私は洞窟の奥に耳を塞ぐようにして寝ていました。
それだからでしょう。私は異変に気付くのが少し遅れました。
発情期の時の肉欲を満たす声はいつの間にか聞こえなくなっていても、耳を塞ぐようにして洞窟の奥で寝ていた私はそれに気付かなかったのです。
ばさり、ばさり。
……二度目、か。
私は数年前の嫌な事を思い出しながら、洞窟の入り口に着地したワイバーンの音を感じてその方へ目を向けました。私があの時殺したワイバーンはとても強かったらしく、あれ以降私を犯しに来ようと来るワイバーンは居なかったのですが、今度は誰でしょう。
もしも、万が一、族長だったらどうしましょう。
……あれ?
けれども私の耳と目に入って来た情報は、どちらもおかしなものでした。そのワイバーンは私に向って息を吸い込み始めていて、外からは何故か喘ぎ声や叫び声ではなく、戦いの怒声や悲鳴が聞こえていました。
そして、そのワイバーンは私を犯そうとしているのではなく明らかに殺そうとしていましたが、それよりも私は体色や角の数が違う事に驚いていました。
取り敢えずはと、私は火球が放たれる前にそのワイバーンの喉に向けて毒針を放ちます。
それは気管に穴を開け、そのワイバーンは「ウッ、グッ」と声にならない怒声を私に向けながら、後ろへと足を退いて行きました。
私は立ち上がって、歩み寄りながらそのワイバーンを眺めてみました。
そのワイバーンは頭の右、左、そして私達には無い中央に三本のやや短めな角を生やし、濃く、鈍い橙色の体色をしていました。尻尾の先には毒針は付いていないものの、鋭い刃が付いていました。体格は同じ位でしょうか。
私は大きなワイバーンではありませんが、この違う種類のワイバーンを見るとワイバーンは種類が違えど大きさは大して変わらないように思えました。
「ヴッ、ア゛ア゛」
徐々に淡々と距離を詰めていく私を怖がってか、そのワイバーンは既にもう後ろへ退がりきっていました。
飛んで逃げれば良いのにと思いながら、私は最後の抵抗として振るわれた尻尾を鉤爪で受け止め、翼を引き裂きながら崖下へと突き落としました。
外は撒き散らされた炎で明るくなっていました。
今日は月明かりが大して無い夜ですが、いつの間にか下では至る所で炎が燃え広がっており、その光は強くこの場所を照らしていました。
外は既に大混戦に陥っていました。下には、比率としては色違いの方のが多かったのですが、既にどちらのワイバーンの死体も沢山あり、地上戦も空中戦も至る所で行われていました。
……何で、こんな時に。
私はその光景を見て、ついそう思っていました。とうとうここから去ろうとしている時に、こんな災厄が来るなんて、どうも私は運が悪いみたいです。
どちらにも一匹を複数で仕留めているのも見られ、毒針も火球も沢山飛んでいました。
下手にここから出ない方が良いな、と前までの私は思ったのでしょう。しかし、智獣を二桁の数に届くまで食べた私は、この混戦の中でも戦える自信がありました。
運が悪い、と思いながらも私は戦い自体は好きだったのです。
「ラアアアッ!」
私は吠え、それに気付いて向って来た色違いの突撃を跳んで蹴り落とし、更に体勢を立て直そうとするそのワイバーンの頭を崖に蹴りつけました。
ぐしゃり、という良い音と共に私は確信します。うん、私は強くなっている。
私は落ちて行く色違いを見て満足しながら、次の獲物を殺しに飛び上がりました。
多対多、一対多という経験は私には余りありませんでした。本当の成獣になってから、喧嘩で僅かにやった事がある位です。
けれども、私は大して苦戦せずにその色違い達を屠る事が出来ていました。上から踏みつけようとしてきた色違いが居たので、躱して尻尾を噛み砕きながら地面に叩き落とし、やはり、平均として弱いな、という結論が色違い達に出せました。
数は色違いの方が多いです。そして、地に伏した死体の数も色違いの方が多いです。
空中で取っ組み合っていた二匹が居たので、その色違いの首に毒針を刺しておきます。
この色違い達はきっと、何も考えないで様々な場所を食い荒らしながら各地を放浪してきたのかもしれない、と思いました。何も考えないで数を無闇に増やし、何も考えないで獲物という資源を枯渇するまで奪い取って群れとして行動して来たのかもしれません。
魔獣にはそう出来る力があります。普通の獣とは段違いの力を持っているのですから。
首を狙って振るわれた尻尾を重力に任せて落ちる事によって躱し、そのまま下に居たワイバーンに頭から突っ込みます。さっきの私と違って気付く様子はありません。
翼腕の付け根に噛みつき、そのまま落ちながら骨ごと砕きました。
魔獣は、単なる獣とは違いました。命を繋げて生きていく為にほぼ全ての生を捧げる獣ではありません。
力を持っているからこそ、どこかで自制し、謹まなければいけない。また、自惚れてはいけない。
そうしなかった結果がきっと、この色違い達なのだろうと私は思いました。
群れて弱さを誤魔化して、自分達が絶対であるように振る舞って。馬鹿馬鹿しい。私達の群れは絶対にそこまで傲慢ではありません。
尻尾が視界の隅で動き、最後に一撃でも、と私を狙って来たので離れてから私は地面に羽ばたきながら降りました。
飛べなくなって墜落死したり、首を引き千切られていたりと、倒れているワイバーンはどちらも殆ど死んでいます。激しく炎が盛っている場所では時々、ワイバーンの体内の燃料に引火したであろう爆発音が聞こえています。
そう言えば、私に親しいワイバーン達はどうしているのでしょうか。それを思い、ぞくりとしました。
私の中のあの試練の時の記憶は、もう絶対に失いたくないという気持ちだけを強く残していたのです。自らの牙でオチビを殺さなくてはいけなかった、そのどうしようもない状況だけにはもう、遭いたくありませんでした。
私の元から去っても良い。けれども、死んでしまうのだけは、楽にさせなくてはいけないのだけは嫌だ。
私は背後から近付いて来た色違いに背を向けたまま毒針を飛ばしておき、必死に周りを見ました。
母が誰かと組んで色違いと戦っているのがまず見つかりました。母の片目が潰れているのが見えてしまいましたが、弱っているようには見えません。
一つの洞窟の中から沢山の色違いが出て来て、全員違う洞窟の中へと入って行くのが見えました。
……あれは仕留めなければいけない。
私は飛び上がり、その方へ向かいます。しかし、上が広く暗くなったのを感じて咄嗟に横へ避けました。
しかし、ばしり、と私の翼腕にそのワイバーンが墜落してしまうのに当たってしまい、私のよろめきながらもう一度降りざるを得ませんでした。
ぐちゃり、とそのワイバーンが音を立てて、死体となりました。
私はそれを見て、ほっとしてしまいます。同世代でしたが、私があだ名も付けていない大して親しくないワイバーンでした。
「ヴラァッ!」
「ガァァッ!」
ああ、まずい。私がよろめいたのを見て、複数の色違いが私を仕留めようと空から、そして死体を踏みつけて走りながら向かってきました。
上を向くと、それに便乗して私を殺そうともっと沢山の色違いがやってきました。
とても、まずい。
どうすべきか、一瞬では判断が付かず、その間に空から私の首筋に噛みつこうと色違いが急降下してきました。
私は数年やってきた喧嘩で染みついた動きで、寸前に後ろに下がりました。
ガキン、と思い切り牙を閉じる音が目の前で聞こえ、私はその頭に、喧嘩のように殴るのではなく、鉤爪を頭に突き刺してそのまま地面に叩き落とします。
幸運にも目の前から走って来た色違いはその倒れた色違いの下敷きになり、更に私を殺そうと色違いがやって来る前に首を強く踏みつけ、捻じっておこうとしましたが、その必要もなくなりました。
二匹、同時上からやってきて、片方が火球を私に向けて放って来たのです。
私はすぐに走ってそれを避け、直撃した色違いは悲鳴を上げてのたうち回って悲鳴を上げていました。川はここから遠いので、全身に纏わり付いた炎を自力で消すのは難しいですし、死ななくとも誰かが殺すでしょう。
火球を躱し、どんどん、と強く音を立てて私の両脇に色違いが降り立つと、すぐに私に向って吠えながら牙を向けてきました。
ワイバーンの最も強い攻撃は全身を強く回す事です。族長が棒立ちのコボルトにそれを見舞った時、コボルトの体が小石のように吹っ飛んで行った程です。
今、それをする一番の好機でした。私は迷った振りをして色違い達が私に突っ込んで来るのを躊躇わせないようにして、十分に誘き寄せてから瞬時に身を屈めました。
そして、足を開き、両方の鉤爪を下の死体に突き刺して体をしっかりと大地に圧しつけます。右からは蹴りが私の腹に迫り、左からは喉を食い千切ろうとしてバランスを崩した色違いが私の上に落ちてきますが、もう、準備は整いました。
足で強く大地を蹴り、鉤爪は死体を投げ飛ばす程に強く回し、一気に体を回転させます。
視界が付いて来れない程の速さで、鉤爪が蹴りをしようとしていた足の肉を捕えて引き裂きながらそのまま転ばせ、尻尾が倒れて来る色違いの肋骨を粉砕し、そのまま叩き倒しました。
痛みを叫び、立とうとしても中々立ち上がれないその二匹に止めを刺すと、それ以降は誰も襲っては来ませんでした。
取り敢えず、一段落付いたようです。
すぐに、私はまた周りを見渡して思い出しました。そうだ、あの洞窟を大勢で巡っている色違い達を殺さなければ。
私は上に注意を重んじながら飛び上がり、今度こそそのワイバーン達に飛んで行きました。
がら空きの腹に毒針を刺し、振るわれた尻尾を噛み砕きながらまた高く飛び上がります。
まだ、母以外、私の知っているワイバーンは安否が確認出来ていません。……頼むから、生きていて欲しい。
私は不安に思いながらもその色違い達が出て来る所を見つけました。
息をすぐに吸い込み、色違い達が私に気付いた瞬間に火球を放ちました。派手な音は立てませんが、燃料が纏わりつくように二匹に命中し、その二匹は更に数匹を巻き添えにして落ちて行きました。
「ヴラララッ!」
それを見て、色違い達は怒りました。襲って来たのはお前達だろうに。
私に向ってその全ての色違い達が散開しながら向かってきます。流石に全員が一直線に突っ込んで来るような大馬鹿では無いようですが、後は一旦逃げて、一匹一匹倒せば良いだけです。
それに、散開した所を狙って誰かが倒してくれるのも期待出来ます。
私は背を向けて上へと飛び上がりました。火球の速度は全速力で飛ぶ速さと大して変わらないので上に飛べばまず当たる事はありません。この色違い達は遠距離から攻撃出来る手段をそれしか持たないので上に逃げている限りはまず安全でした。
そしてそのまま、私は崖の上、岩だらけの荒地に着陸しました。
私を追って色違い達が、その色違い達を追って更に私達灰色のワイバーンが、と来ています。
そして目の前では族長を含むこのワイバーンの群れでも強者に入るワイバーン達が、同じ数の色違い達と向き合っていました。全く音を立てず、十数匹同士が互いに互いを睨み合ったまま、そこに居ました。
私がそこに着陸した瞬間、全員が強く吼え、そこでの戦いの火蓋が切られました。
後ろから色違い達がやってくるまでの瞬き数回分しかないような短い時間の中、私はそこで行われる戦いの格の違いを身に感じました。
純粋に喧嘩をし続けてその中で頂点に立つ方のワイバーン達と、何もかもを食らい続け、全てを敵に回しても今尚生きているワイバーン達が一気にぶつかり合い、互いを殺そうと技を使って、または力任せに攻撃を、防御をしています。
感じられる殺気は私にはもう慣れたものでした。しかしそれはまた、私はまだその土俵に立つ事すら出来ていないとも確信出来るものでした。
私はこのとても強い灰色のワイバーン達とも喧嘩して、僅かながら勝った経験もあります。けれども、私は今でも彼ら、彼女らのような殺気を持って戦った事はありませんでした。
要するに私は喧嘩と殺し合いをまだはっきりと区別していたのです。
けれども、今分かりました。今戦っている私達の群れのワイバーン達は喧嘩と殺し合いを大して区別していません。致死や後遺症が残ってしまうような攻撃をするかどうか、それだけを区別して戦ってきていたのです。
……そこの殺し合いは一種の聖域の中でした。
私はその殺し合いに参加する権利を持たず、色違い達は私に牙を向けて来る事はありませんでした。ただただ、下で行われている戦いとは別にここでも縄張りを賭けた戦いが行われているのです。
下での戦いと上での戦い、どちらも勝たなければ縄張りを守ったとしても意味は無いのです。
頂点だけ生き残っても仲間が居なくては意味が無い。仲間達が生き残っても頂点が失せては意味が無い。
いつの間にか、どうして戦いが二分化されていたのかは私の知るところではありません。
しかし、今ここで行われている戦いは下とは違い、生き残る事だけではなく、ある意味智獣との儀式のような、誇りも賭けた戦いである事は確かでした。
後ろから色違い達が崖を越えて来て、私は振り返ってその方を対処する事にしました。
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