2-10
族長は私と距離を少し取ってから、来いよ、とでも言うかのように尻尾をふりふりとなびかせました。
私は冷静に、静かに息を整えました。心臓は高鳴っていますがそれは私を焦りや迷いへと惑わせるものではなく、今は興奮させるものでした。
ワイバーンの中でも最高峰に立つであろうワイバーンと戦うのです。興奮しない訳ないでしょう。それに、私はその喧嘩に挑戦出来るだけの力量があるとも認められているのです。
ふっ、と息を鋭く吐いて私は空へと鉛直に飛び上がりました。高く、高く空へ飛び、族長もそれに合わせるようにして空へと体を動かします。
「ルアアッ!」
私は吠え、まずは一本、毒針を飛ばしました。
族長はそれを体の最低限の捻りで躱し、そのまま私に一直線に飛んで来ます。
迷ってはいけない。けれど、直感のみに従って動いてもいけない。この四年間、ずっと喧嘩をし続けて学んだ一番の教訓がそれでした。
私はそれに従い、今、族長にとって最も不利になる攻撃を仕掛けます。
それは族長に向って急降下する事でした。
毒針を族長に当てるのではなく、その周りに飛ばしながら私は族長に向って落ちて行きます。躱せば毒針が、躱さなかったら私の体重を諸にその身で受ける事になります。
しかし、族長はそれでも全く表情を変えずに突っ込んできました。ぶつかろうとするまでのその僅かな時間、私は困惑しました。
どうやって、この私の攻撃を捌くつもりだろう。
その答はすぐにやってきました。
族長はタイミングを見計り、いきなり体を縦に回転させました。私は空中でこんな事も出来るのか、と思うと共に族長の狙いも把握しました。
私も翼腕を使って体の向きを変え、体を回転させて来た蹴りを躱します。蹴りの直後、遅れてやってきた太い尾が私に叩きつけられますが、それは敢えて食らい、胃液を吐きつつも、体勢が崩れつつも翼腕でしっかりと抱きかかえました。
私はそのまま落ちて行き、族長も私が尻尾を抱きかかえて離さないのでそのまま落ちて行きます。尻尾の先端が私に掠りますが、毒が入り、動けなくなる程の強い傷ではありません。
無理にでも滞空しようとしてくれれば、目の前にある族長のがら空きな腹に攻撃を叩き込めたのですが、流石にそう上手くはいきません。
それに私の方がこうして下に居ると、族長にとって何もしない事が最良の選択肢である事に私は気付いてしまいました。
先に墜落するのは私の方です。動かなければ、私は墜落死するだけです。
劣勢に立つ選択肢を取ってしまった、と私は思いながら抱きかかえていた尻尾を離し、族長から距離を取ります。取ろうとする間に尻尾の先端が暴れましたが、何とかそれは躱す事が出来ました。
ばさり、ばさり、と私が離れた事によって族長も羽ばたきを再開しましたが、私が体勢を立て直す間には攻撃をしてきませんでした。
あくまで、私に力試しをしているとしか見られていないのでしょうか。私がどうするべきか、とまた向かい合いながら考えていると、ふむ、とでも言うかのように私の方をまた見つめられ、すっ、と息を吸い込み始めました。
どっちだ? 族長にだけ、息を吸い込んだ時の選択肢がありました。単純に火球か、肺活量が優れている族長のみが出来る音の大砲か。
更には毒針も私に向けてきました。
音の大砲は至近距離で食らったら体が狂ってしまう程の音量です。まともに食らったら飛ぶ事も不可能になるのは間違いありません。
突っ込む事は論外でした。とにかく、距離を取らなければ。
毒針が私が直前にやったように、私の動きを封じるように撒かれました。私はまだ、それを体を使って弾く事は出来ません。また、その間を縫って包囲網を抜け出す事も出来ずに、私は動きを鈍らされました。
そして当然、ただ毒針が飛び去るのを待ってくれている族長ではありませんでした。
族長は息を十分に吸い込み終えて、いつでもブレスを放てる状態で私の方へと飛んできていました。
避けるのも、逃げるのも、もう間に合いません。毒針が更に飛んできて、どうしようもなくなった私は迷ってしまい、それを肩に食らってしまいました。
直後に来た肩の痺れで私はがくりと体勢を崩し、族長は既に私に肉薄して口を開けていました。
その時点で私に出来る事はただ、覚悟するだけでした。
……気が付くと、私は変な姿勢で地面に横たわっていて、族長は私の隣で寝ていました。
起き上がろうとしましたが、全身が強く痛んで上手く動けません。耳がきぃんと鳴っていて、私は音の大砲を食らったのか、と理解しました。その後、気絶して落ちてしまったのでしょう。
私の尻尾には強い噛み痕が残っていて、族長がそのまま落ちて私が死ぬのを防いでくれたのも分かりました。
族長が私が起きたのに気付き、頭を持ち上げます。
「ヴル」
まだまだ弱いな、と言われたように感じました。そして、私が族長の方を見ていると、族長もまた私とじっと目を合わせてきました。
それは純粋な好奇心で私の奥底を読み取ろうとしているようで、けれども目を逸らせずに私もただ、族長と目を合わせているしか出来ません。
族長の目には恨み等は全く籠ってなく、私を犯そうとしたワイバーンを殺した事に関しては何とも思ってなさそうでしたが、それ以外に私を知ろうとする理由はあるのでしょうか?
もしかして、族長のあの誘いらしきものを受けてそれで族長の元へ交尾をしに行かなかったワイバーンはとても珍しかったりするのでしょうか。
……珍しいのかもしれません。
それ以外の考えられる理由は余り根拠としては弱く、私は恥ずかし気に目を先に逸らしました。
族長はやはり、それから不思議そうな目で私を見ていました。
夜、まだ全身が少々痛む体で私は洞窟に戻りました。
アカはすぅ、すぅと疲れ果てたように寝ています。きっと、猛特訓を始めているのでしょう。
……私も、頑張らなくてはいけないな。
取り敢えず、毒針を弾けるようになり、また躱すにせよ本当に最低限の動きで、自分自身の動きを妨げないようにすべきだと私は決めました。
それが出来るようになった時、私は智獣が射る矢なども容易に躱せるようになっているのだろうと思うと中々やりがいのある事だと思えます。
外から聞こえる交尾の声は少しずつ少なくなっており、今年も誰とも交尾しないで終わるな、と思いました。
けれども、それで良いのです。私はここから離れる事を決めたのです。
……いや、あれ? 本当にそうでしょうか?
子孫を残さないでここから去る事の方が自分勝手なのでしょうか? その疑問は、単に私が交尾したいという欲求から来るものだったかもしれません。
けれども、その疑問はどうしても私の中で消えません。子が生まれて試練を終えるまでは最低限の育児だと思いますが、それ以降は私の母のようにその子供達を見守り続ける必要はあるのでしょうか。
族長の沢山居る番の一つになったとして、子を残してからはその番を辞めても良いのでしょうか。
見守り続ける必要がある、番はずっと番でなければいけない。
そう思ったからこそ、私は番になってはいけないと思っていたのですが、それは本当なのでしょうか。
言葉を持たない私としてはそれを確かめる事は難しいですが、確かめる必要があります。群れの意志を確認する為でもありますし、それにもう一つ、私の欲求が満たされるかもしれませんし。
そう決めると、下腹部の疼きが少しだけ強くなりました。
-*-*-*-
本当の成獣である様々なワイバーンと戦うようになって、夜になると私はアカと同様に泥のように眠る日々が続きました。
五割とまでは行きませんが、喧嘩は成獣したばっかりの私としては中々良いと思える程度に勝つ割合は多いように感じられました。
ただ、一戦一戦の緊張の度合いがアカ達と喧嘩をしていた時とは全く違うのです。やっているのは殺し合いではないので、致死に至るような攻撃はしません。
翼腕を振り回しますが鉤爪を突き刺す事はありませんし、噛むとしても牙を強く突き立てる事もありません。しかし、殺気があるのです。本当に私を殺しに掛かって来ると錯覚してしまう程の殺気を身に受けて私は喧嘩をするようになっていました。
慣れるようなものではありません。本当に殺す気は無いと分かるまで、私は怯えてしまって全く勝てませんでした。
私にとって、秋から冬、そして春以外の時間は特に何も変わった出来事は無いに等しくなり、気付くと季節が過ぎていたと言える程に時間は早く過ぎて行きました。族長とは交尾する事なく発情期を終え、殆ど喧嘩とこのワイバーンの群れの意志を確かめるだけに専念し始めると、いつの間にか暑くなり始めていたのです。
秋から冬に掛けては、子供のワイバーンの二度目の試練の時期になります。
何年もこの群れで過ごす内に、子持ちのワイバーンは誰しもが少なからず緊張している雰囲気がある事に気付きました。
何度もその試練に子供を送り出しているワイバーンも慣れてしまっているとは言え、全くいつもと同じように過ごしている訳ではなかったのです。
そしてその季節はまた、私が格段と強くなれる、智獣を食べられる時でもあります。
その季節は、私自身も違う理由で緊張する季節になっていました。
春は言わずもがな、発情期の季節で私は葛藤を繰り返しまています。原始的な肉欲は抑えようと思っても完璧に抑える事は不可能で、特に族長に惚れてからは抑え辛くなってしまい、私は木の枝でも使おうと思った事もありました。
まあ、流石に使いませんでしたが。
私が生まれてから何度目の儀式だったかはもう忘れましたが、リザードマンが来て夏の初めに儀式が行われました。
いつも通り、最初の戦いは族長が普通に勝ちました。音の大砲も使わずに今回は勝っていて、全力を出していないとその時点で分かりました。
それを見たり、この頃偶に族長とも喧嘩をするようになって、族長はワイバーンの中でも強過ぎるのではないか、と私はこの頃思うようになりました。
本当に成獣したワイバーンは、私と喧嘩をする時に強い殺気を向けてきます。それは私が侮れないワイバーンだと思われているという事だと思うのですが、私が族長と戦う時はまだ、殺気を向けられた事がありません。
ただ、私を観察するように眺めながら戦い、私の攻撃は全て流して余裕綽々で勝ってしまうのです。私は喧嘩の相手としてではなく、育てるべきワイバーンだと、弟子のように扱われている感覚がしていました。
今回の儀式もそれと似たような感じでした。その最初に儀式に挑んだリザードマンは私がかなり前に戦った盗人のリザードマンと比べると段違いに強いのが見て取れたのですが、族長はそれよりも段違いに強かったのです。
そのリザードマンはある程度型に嵌った攻撃をしていましたが、隙は全く見られず、私がやったように攻撃の合間を縫って尻尾を足に巻きつけて転ばせる等という事は不可能に見えました。飛ばされる毒針も最小限の動きで躱すか、刀で弾くかを状況に応じて確実にやっています。
ただ、隙を見せずに攻撃をし続け、防御もしっかりしているだけと言えば、それだけのようにも見えました。最初、その攻撃を族長は躱し続けているだけでしたが、そのリザードマンは攻撃を全て躱され続けても何も方法を変えようとせずに刀を振り回しているだけだったのです。
もし戦っているのが私だったら、そうだったとしてもただ躱し続けるしか出来なかったと思えるのです。私が智獣と戦う時は、戦法を良く知っていたので相手の隙を狙って攻撃をするという戦法を取っていました。なので、隙が無い相手にはどうしようもありません。良くて体力勝負になるだけでしょう。
しかし、族長は違いました。
途中から、族長はわざと追い詰められているようにしていると、数回戦っただけの私でも分かりました。
まるで、この罠に引っ掛かるかどうか試しているとも思えました。
柔軟に対処出来る姿勢を崩されたように見せかけて崩し、頭が出てしまったように見せかけて前に差し出し、そこにリザードマンは食らいつきました。
切り上げた刀を両手で持ち直し、全力を持って族長の頭に振り下ろしたのです。私も危ない、と思わず洞窟から身を乗り出したのですが、すぐにそれは驚愕に変わりました。
まともに当たったら、刃引きされている刀でも体が両断されてしまうような重く速い一撃を、角の根本で受け止めて弾き返すという荒業をやってみせたのです。
リザードマンがあり得ないと言う表情を見せ、姿勢が崩れた時にはもう遅く、族長はその隙にリザードマンを踏み倒していました。
は? と何が起こったのか私が理解する前に、族長は勝鬨を上げていました。気が付くと私は口も開けていました。
……一体どれだけの智獣を食べて、どれだけの修練を積めばあんなに強くなれるのでしょうか。
視界に入らない角で受け止めるという事だけでも難しいというのに、その刀を受け止める為に、一番角が太い部分である角の根本で受け止めたのです。更に、当たった瞬間に微妙に角を動かして衝撃を緩和させているのも見えました。
そんな芸術的とも呼べるような防御の仕方は、私には一生を全て戦いに賭けないと出来ない事に思えました。
族長なら、智獣がなりふり構わず戦いを挑んでも、卑怯な手を使おうとも普通に勝てるように思えました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます