好きな人に自分の好きなものを

 高価(たか)そうなカップで、高価そうな紅茶を飲み、高価そうなケーキやチョコレートを食べる。

 ……ここまでなら「あぁ、金持ちのティータイムって感じ」って思えるんだけど。


「いい? セフレなんて、求めちゃ駄目。それってつまり、何度も求めてるってことでしょ?」

「そうそう、あの方を縛るなんて出来ないんだから。むしろ、一度でもあの方に近づけることが奇跡なの」

「…………」


 確かに俺、会長に失礼のないように色々、教えて欲しいって言ったけど――えっと、これ、何の心得だ?

(いや、逃避したけど。つまりは『会長のお手つき』になった時の心得だよな)

 無言で紅茶を飲む俺の前で、チワワ達の力説は続く。

 朝、生意気な感じで俺に「教えてあげる!」と宣言したのは、親衛隊長の美山詩桜(みやましお)だった。

 くるくる波打った黒髪と、大きな目。まさにチワワって感じ(年上らしいけど)だ。今もやれ、声をかけられた時はありがたく承るだの、やれ、遠慮も無粋だけど積極的だと萎えさせるだの――そして、両手で拳を握って。


「ゴムは駄目だけど、ローションは必須だからね!」

「…………」


 キッパリととんでもないことを言い切られたのに、俺は残りの紅茶をゴクンと飲み込んだ。

 新歓の日、緑野に迫ったのは親衛隊だった。

 あの時も面倒だと思ったけど、度合いからするとこの会長の親衛隊の方が上かもしれない。内心、ため息をつきながら俺は口を開いた。


「皆さんは、本当に会長が好きなんですね」

「「「……えっ?」」」

「そもそも、俺みたいな平凡なんて相手にされないと思いますけど。万が一、いや、億が一の可能性の為に一生懸命なのって……会長を、困らせないようにですよね」


 緑野の親衛隊は、自分の気持ちを緑野に押しつけてた。

 だけど、同じ『好き』でもこのチワワ達は会長のことを考えてる。

(やめろって言えないのが、面倒だよな)

 まあ、思い込みの激しさは良い勝負だし。そもそも、振り向いてくれない相手に抱かれるのってどうかと思うけど――それって、チワワ達の気持ちだから。だから、俺は「辛いだろう」とも「酷い話」だとも言わなかった。

(会長の株は、大暴落だけど)

 ここまで説明されるのって、つまり(主に)下半身に節操がないのが事実だからだろう。

 男同士でも、いや、男同士だからこそ気遣うのって男のエチケットって言うか、甲斐性だろ。チワワ達の好意に、胡座かいてんじゃないって話。


「……よ」

「えっ?」

「そうだよ! 僕達は、紅河様のことが好き……大好きなんだからっ」


 ……そんなことを考えてたら、目の前の隊長がいきなり叫んで泣き出した。

 いや、隊長だけじゃない。チワワ達が、目の前でポロポロ涙を流している。


「皆、ぼ、ぼく達のこと淫乱って」

「ただ、紅河様のこと、す、好きなだけなのにっ」

「だ、抱いてやるなら誰でもいいんだろ、って」

「本当に、見る目がないですね……皆さん、こんなに可愛いのに」


 あ、可愛いからこそ妬みとか相手にされないことへの僻みもあるかもな。

 そう思ってたら、目の前のチワワ達がピタリと固まった。何か気に障ったか、と思ったけど。


「べっ、別に嬉しくなんかないんだからねっ」

「紅河様の為に、自分を磨くのなんて当然だし!」

「そうですよね。好きな人には、自分の好きなものをあげたいですよね……だから、俺はお勧めしなくて良いですよ?」


 照れてるだけみたいなんで、そう言って俺はケーキを食べた。だけど、そんな俺の前でチワワ達がまた固まる。


「えっと、プレゼントって自分の好きなものを送るじゃないですか? 皆さんは、可愛くて頑張ってるあなた達を会長にプレゼントしてますよね? でも俺は、皆さんみたいに努力してませんから」


 解り難かったかな、と思って俺は言葉をつけ加えた。

 だから、俺には億どころじゃなく兆に一もお手付きになる可能性はない。そもそも努力する気なんてないけど、心得を覚える必要もない。そんな『俺はライバルじゃないです』アピールに、チワワ達がおずおずと尋ねてくる。


「「「……プレゼント?」」」

「ええ」

「「「そんな風に言われたの、初めて……」」」


 ……本当、親衛隊って苦労してんだな。うん、一茶が肩入れする理由がよく解った。

 そう思ってチョコレートに手を伸ばしたら、何でだかチワワ達がアタフタし出した。


「すすす、好きって何言ってるの!?」

「紅河様に対する心構えを、教えただけで……そっ、そりゃああんたのこと嫌いじゃないけど!」

「「「もう、信じられないっ」」」


 ……えっ、何が?

 叱られる意味が解らず、首を傾げてると――隊長が、深々とため息をついた。


「まあ、この子達も浮かれてるけど……あんたも、誑(たら)しすぎ。こっちは、優しくされるの慣れてないんだから」

「えっ?」

「「「……えっ?」」」


 誑すとか優しくって、何のことだ?

 疑問の声を上げた俺に、チワワ達もまた声を上げた。そしてしばしの沈黙の後、可愛い顔を揃ってキッと上げる。


「隊長、こいつ危険です!」

「見た目、無害な平凡なのにっ」

「「「こんなんじゃ、いつ変なのに目つけられて襲われるか!!」」」


 そう言って、ビシッと俺を指さしてくるチワワ達――えっと、何か心配されてる? でも、今の話の流れでどうしてこうなるんだ?


「あの、喧嘩吹っかけられたりとかは、大丈夫だと思いますけど……Fクラスに、知り合いがいるんで」


 刃金さん達に頼っちゃいけないと思うが、チワワ達を安心させる為に言った。


「それはそれで、危険でしょう!? あんなゴリラ達っ」

「それに、あんたみたいに呑気にしてたら不良以外にも簡単に捕まって、人気のない教室に連れ込まれるわ!」


 だけど、チワワ達は安心するどころかますます必死に訴えてきた――えっと、白月(ここ)はどれだけ無法地帯なんだ? 金持ちのくせに、平凡庶民の財布まで奪うのか?


「……仕方ないわね」


 チワワ達と俺を見比べて、隊長がため息混じりに呟く。


「一番良いのは、親衛隊に入ることなんでしょうけど……それだと、あんたまで陰口叩かれるだろうし」

「あの」

「仕方ないから、僕達があんたの親衛隊に『も』なってあげる」

「……はい?」


 真顔で思いがけないことを言われたのに、俺は疑問の声を上げた。そんな俺に、隊長が説明してくれる。


「まあ、公式には出来ないから厳密に言えば『ファンクラブ』だけど……あんたのこと見守って、困ってたら助けてあげるから」

「紅河様のついでにっ、なんだからね!」

「感謝しなさいよっ」

「それだと、皆さんも巻き込んじゃうじゃないですか……駄目です、危ないですよ?」

「「「っ!?」」」


 俺とそんなに変わらなかったり、下手すると小さいチワワ達に何かあったら大変だ。そう思って断った俺に、チワワ達が尋ねてくる。


「「「……心配、してくれるの?」」」

「えっ? ええ、勿論」


 当たり前なのでそう答えると、チワワ達が真っ赤になる。

 それから互いに目配せをすると、グッと拳を握って言った。


「「「まずは、自分の心配しなさいよね!」」」

「……はい」


 だからここ、どれだけデンジャラスゾーンなんだ? まあ、俺が危ない目に合わなきゃ大丈夫だよな。

(気持ちだけはありがたく受け取ろう)

 キッパリと言い切るチワワ達に、俺は反論するのをやめて頷いた。



その夜、会長の親衛隊とのやり取りを話すと一茶は万歳三唱をし、奏水に「食事中にうるさいよ」と叱られていた。


「……また明日も、そいつらのところに行くのか?」


一方、真白はって言うとショボンとした口調で聞いてきた。見えないけど、耳と尻尾があったら可哀想なくらいへたれてるだろう。


「いや? 話は聞いたし……次に行くのは、来週の月曜日かな」


 目的は果たしたんだけど、何か成り行きで俺のファンクラブになってくれたし、今日は色々ご馳走になったし。人数多いから、お返しはクッキーかな。

 そう思って答えると、途端に真白が目を輝かせた。


「ホントかっ?」

「あぁ、会長の話は聞かせて貰ったし。お返しは来週、持ってくとして……あとは、誰に聞けばいいかな」

「オレはっ!?」

「えっ?」


 意気揚々と手を挙げる真白に、俺は軽く目を見張った。まあ、確かに真白は生徒会メンバーに呼ばれて半日一緒にいたけど。

(……キス奪った相手の話とか、当事者に聞いていいのか?)

 悩む俺の前で、真白はニコニコ笑ってる。あれ、俺の考えすぎか?


「出灰は、真白が会長にキスされたから気を使ったんだよ」


 解禁して以来、一茶や奏水も俺を名前で呼ぶようになった。そんな一茶の補足に、真白が首を傾げる。


「それだとオレ、紫苑も嫌わないといけなくなるぞ?」

「……そうだな」

「そりゃあ、最初はムカついたけど……アイツら、バカだからな!」

「えっ?」


 そう言えば真白、副会長とも普通に話してたか。成程なって思ってたら、真白の口から予想外の、しかも笑顔での『バカ』発言が飛び出した。


「だってアイツら、自分達がキスしたら相手が喜ぶって思ってんだぜ!? ま、オレは嬉しくないってシッカリ怒ってやったけどな!」

「何それ、俺様会長だけじゃなく副会長も!?」

「おう。まっ、紫苑は『僕は安売りしません』って言ってたけどな」

「確かに、最上財閥と神丘病院の御曹司な上、あの見た目だからね……逆に、あの見た目じゃなきゃ相当、痛い発言だけど」


 真白の話に、一茶と奏水が口々に言う。そして俺はもう一度、成程って思った。


「会長も、プレゼント感覚なのか」

「「「……えっ?」」」


 チワワ達みたいな健気さは全くないけど、相手が欲しがるものをやるのもプレゼントだ。日本屈指の名門と大病院の跡取りとくれば、欲しがる輩も多いだろう。

 共感は全く出来ないけど、ちょっとは理解出来た気がする。


「ありがとな、真白……だけど、押しつけたら本当に迷惑だよな。真白が怒ってやったんなら、ちょっとは反省したかな?」

「いっ……出灰も、迷惑か!?」

「えっ?」

「紅河とか紫苑に、そ、その、キスとかされんのっ」

「当然」


 そもそも、外国みたいにキスが挨拶って習慣ないから必要ないし。いくら金持ちで美形でも、男だしな。

(抵抗がないなら、かー君とキス出来てるだろうし)

 イケメンで幼なじみだけど、阻止したからな。これ言うと、また真白が気にするだろうから言わないけど。

 だから俺は、別の話題を口にした。


「そもそも俺、副会長とか会長がお前にキスするの見て『変質者』だと思ったし」

「へっ!?」

「だっていきなり、しかも人前でとかって普通、犯罪だろ?」


 まあ、副会長は俺とか岡田さんに見られてるって知らなかったけど。そう考えると、会長の方が重症だな。


「あ、真白は被害者だから何とも思ってない。交通事故にあったようなものだから、気にするなよ?」

「う……うん」

「お、王道会長と副会長がへ、変質者って!」

「…………っ」


『変質者』がショックだったのか、真白は呆然としながら頷き――一茶は大爆笑、そして奏水は堪えようとしながらも肩が震えていた。

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