第3話 かるら
朝が来た。P助を預かって三日目の朝だ。可動式の天井を開けて朝日を入れる事から僕の一日が始まる。天井が開くと言っても、そこからドラゴンが外に出られる訳ではない。第一に開口部には耐熱鋼で作られたネットが被せられているし、第二に、そもそもドラゴンはそこまで飛べないのだ。
確かにバイオテクノロジーが生み出した人造ドラゴンは、それはもう伝説のドラゴンの姿に瓜二つだった。第一世代のドラゴンにこそ出来なかったが、第二世代のドラゴンからは火まで噴けるようになった。そして第三世代には繁殖も出来るようになった。こうして世代が進むに連れて、ドラゴンはよりドラゴンらしく進化して行った。
だがそれでも今も尚、ドラゴン達からドラゴンらしさを奪い続けているものがある。それが重力である。
ドラゴンには立派な翼がある。中でもワイバーンは大きな翼を誇る。だが、飛べない。翼を動かす筋力に対し、体重が重すぎるのである。もちろん研究者たちも手を
朝の食事の後は糞の掃除だ。ドラゴンの糞は黒くて固い糞便と、白くてドロリとした尿酸とが一緒に出てくる。これをまとめてシャベルで猫車に乗せて廃棄場に捨てる。と書くと簡単で楽そうな仕事だが、糞の量も多いし、何より防火服を着たままの作業は結構しんどい。楽して儲かる仕事は無いものかなあ、といつも思っているが、それはあたかも人造ではない天然物のドラゴンを探すが如き所業であろうか。
僕が糞を片付けてホースで水を撒いていると、P助が丘を登り出した。別にそれは珍しい事では無いし、そのままこちらの仕事をしていると、P助は丘の頂上に上り、そこで両翼をバタバタとはためかせ、開いた天井に向かって、ウォォォン、ウォォォン、と鳴き始めた。
呼び鳴きかな、と最初は思った。インコなどを飼っていると、飼い主を呼ぶ為に大声を上げるが、ドラゴンもよくそれをする。でも少し違うような気がする。どこがどう違うと説明は出来ないのだが、なんとなく、呼び鳴きではない気がするのだ。
だとしたら何だろう。ホームシックにでもかかっているのだろうか。しかし寂しそうな鳴き声という訳でも無い。現状、とりあえず餌は食べているし、糞もきちんと出ている。体調が悪化しているとは思えないから、それほど気にする必要は無いのかも知れないが、どうも気になる。何故鳴いているのだろう。八大さんはまだ出勤して来ていないが、すぐに報告を入れた方がいいだろうか。万が一病気の可能性があるのなら。
「病気ではありませんよ」
子供の声がした。振り返る。誰も居ない。周りを見る。やはり誰も居ない。空耳か?
「空耳じゃありませんよ」
また声がした。予想以上に低い位置から――というか足下から――声が聞こえた。そこには小鳥がいた。大きさはスズメくらいの、しかし何処か猛禽を思わせる顔つきの、そう、モズに似ている。だがモズではない。何せ全身が燃えるような赤なのだ。こんなに鮮やかな赤い羽毛は、カナリヤでも居ないだろう。
「……お前が喋ってるのか?」
驚いた僕が思わず手を伸ばしたその時、その小鳥はパッと飛び上がり、僕の頭の上に止まった。
「初対面の相手にお前とは失礼ですね」
「ご、ごめんなさい」
思わず謝ってしまった。頭の上の赤い小鳥は、僕の防火マスクをコツンと突くと、
「まあいいでしょう。初めてだから許してあげます」
と小さく笑った。
「はあ、それであの」
「何ですか、まだ何か謝ることでも」
いや、何ですかではない。突然現れていきなり話しかけてきて、何ですかと聞きたいのはこちらの方だ。
「ああそうでしたね、うっかりしていました。いつも通り巡回だけして帰るつもりだったのですが、ちょっと面白かったので話しかけてしまいました」
巡回? 何度も訪れているという事なのか。いやそれより、何がそんなに面白かったのだろう。
「ここは出来た当初から三日とあげず、中の様子をチェックしています。いろんな方面に興味深い施設ですからね。もちろん中で働くあなた方の様子もです。それはともかくとして、あの龍が鳴いているのは病気だからでも寂しいからでもありません。飼い主の身を案じているのです。面白いでしょう。龍が人の身を案じているのですよ」
小鳥はくすくすと笑った。でも僕にはそれの何が面白いのかわからない。ドラゴン程の知能があれば、飼い主の心配くらいするのではないのか。
「知能知能知能ですか。人間はやたらと知能で生き物を判断するのが好きですよね。それしか取り柄が無いからでしょうか」
僕はムッとした。可愛い姿をして厳しい事を言うなあ。
「あなたは知らないかも知れませんが、生き物に限らず、この世の全ての物には『相』があります。人相・手相の『相』であり、相応・不相応の『相』です。龍の持つ『相』は人のそれとは違います。龍が人の身を案じるなど、不相応な事なのですよ」
なんだかよくわからない。ドラゴンにだって心は有る。それは実際に接してみれば、誰にだって感じられるはずだ。心が有るなら愛情だって有るはずだし、飼い主の事を心配だってするだろう。
「そんな事はありません。龍の持つ相を客観的に見れば、龍は人間を堕落させるもの、龍は人間を騙すもの、龍は人間を喰らうものですよ」
それはファンタジーの中のドラゴンのイメージじゃないか。人の手で創り出され、人間によって育てられた実際のドラゴンとはまるで関係の無い話だ。
「誰によって創り出されたかなど、それこそ関係の無い話です。神の手によろうと人の手によろうと、龍として生まれたものは、龍にしかなれないのですから」
そういう事じゃない、人間だって環境が違えば、例えば生まれや育ちや教育が違えば、個性だって人間性だって違って来るじゃないか、ドラゴンだって。
「環境が違っても人は人ですよ。成れるとしたら、せいぜい『人でなし』くらいのものです。人は人以外のものには決して成れません。いかに努力しても人の枠を超える事などできないのです。もしどうしても人以外の物に成りたければ、一度生涯を終えて転生するしかありません。しかしその転生も自由には出来ません。人が人として、どのような生き方をしたか、して来たかによって転生先も変わるのです。だから結果として、龍が人に転生したり、人が龍に転生したりすることも有り得るでしょう。かつて人だった龍が人を思いやったり、かつて龍だった人が龍を思いやったりする事は、魂の観点からは
「それはお前の言葉ではあるまい」
突然どこからか雷鳴のような大きな声が響き、急に周囲が暗くなった。見上げると天井の開口部から覗く空を、真黒な雲が覆っている。大きな声はそこから響いているようだ。
「あらあら、今日はお早いお着きだこと」
小鳥は
「今日はこれくらいにしておきます。でも最後にこれだけは。人が信頼できるのは人だけですよ。
このとき今更ながらに気が付いた。僕は小鳥と会話するのに言葉を発していない。
「いずれまたお会いしましょう。私の事は、あなたの上役にお聞きなさい。我が名はかるら、龍を喰らう者」
突然何かが 爆発した。僕の視界は炎に包まれた。
よく見慣れた天井である。四角いシーリングライトが眩しい。
「やあ、おはよう」
上から八大さんが覗き込む。僕はがばりと身を起こした。
「あれ、あの、僕、客室に居ましたよね」
僕は何故か事務所のソファの上に居た。
「おいおい、寝ぼけているのかい。それとも頭でも打ったかな」
「え、でも天井開けて、餌換えて、糞の処理して」
「うん、それはやってあったね。やるべき仕事は、きちんとこなしてあった。そこは褒めてあげよう」
「……僕、ここで寝てました?」
「私が来た時にはもう寝ていたよ。防火服を着たままだったからね、熱中症にでもなったのかと驚いた」
今、防火服はハンガーにかかっている。そして僕の全身は水を被ったかの様に汗まみれだ。
「あの、鳥が、赤い小鳥がいたんですけど」
「小鳥? この事務所にかね」
「いや、それはその」
「もし客室だったとしても、ドラゴンのいる場所にわざわざ網の目を潜ってまで鳥が入って来るかな」
それはそうだ、普通はそう思う。実際、これまでドラゴンが客室に居るときに、鳥が入ってきた事は無かった。耐熱鋼でできた網の目は、カラスくらいは入ってこれる大きさだが、カラスも鳩も雀も入ってきた事など無い。ましてや……いや、そもそもオウムや九官鳥の物真似ならともかく、ペラペラと人間と会話する鳥などいるものか。やはりあれは夢だったのだろう。だが。そう思っても尚引っかかる。
「かる……ら」
僕の口からその名が出た瞬間、八大さんは口をへの字に曲げ、片眉を吊り上げた。
「八大さん、かるらって知ってますか」
「嫌なことを聞くじゃないか」
知っていた。それも相当に嫌なことらしい。
「まあドラゴンに
何故だろう、怒られているような気がする。無知を馬鹿にされるとばかり思っていたから、八大さんの反応は意外だった。
「いいかい、『かるら』と言うのはインド神話の巨鳥ガルーダが仏教に取り込まれたものだ。
鳥……炎のような赤い鳥。
「その鳥がドラゴンとどう関係してるんですか」
八大さんは、これでもかと言うほどに鼻の頭に皺を寄せた。
「迦楼羅は龍を餌にするんだよ。仏典には、一日に一龍王および五百の小龍を喰らうとある。それを毎日だよ。幾らなんでも食い過ぎだろう」
龍を喰らう者……!
「つまり、ドラゴンの天敵」
「いや、それがそうとも言えなくてねえ」
八大さんは何とも
「確かにガルーダと呼ばれていた頃は単なる天敵で良かったんだが、こいつが迦楼羅と呼ばれる様になると、鳥面人身の神となり、仏法の守護者として
「それはまた……ややこしいですね」
「ややこしいんだよ本当」
八大さんは心底うんざりした様子だった。
「敵に回すと厄介だが、味方にすると面倒臭い。ドラゴンにとっての迦楼羅ってのはそういう存在さ。君もドラゴンに携わる仕事をするなら、一応頭の
そう言うと八大さんは、何故か僕を可哀想な子犬を見るような目で見つめ、はあ、と一つ溜息をついた。
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