第4話 コカトリス
それはニワトリに似て非なる物だった。
「おお、コカトリスじゃないか」
高級外車の後部座席から姿を現した全長一メートル程のそれを見て、八大さんは思わず声を上げた。
「ほう、ようわかりましたなあ」
飼い主氏は岩のような顔をほころばせ、だみ声を嬉しそうに震わせた。八大さんはニッと笑い返す。
「蛇の道は蛇と言う奴です」
何か上手い事言ったつもりなのだろうが、完全に滑っている。というか怖いもの知らずにも程がある。空気読め馬鹿! と言いたい気持ちを必死で抑えた。そんな僕の気持ちも知らずに、八大さんは続けた。
「しかしフランスでお披露目があってからまだ一か月と経っていないのに、もう手に入れられるとは、あなたもなかなか大したものですなあ」
「まあ、ちょっとコネがありましてな」
もう駄目かもしれない。僕は必死で笑顔を作っていたが、いつ卒倒してもおかしくない気分だった。今、コカトリスと呼ばれた異形の生き物の周りを四人が囲む。僕、八大さん、物凄い迫力のある飼い主氏、そして仲介業者の萩原さんである。その周囲を鬼のような体格で鬼みたいな形相の人達が七人でボディガードとして取り囲み、さらにその周囲を十数人の鬼の如き人達が取り囲んでいる。みんな黒いスーツにサングラス、頭は殆どがパンチパーマかスキンヘッドだった。
『龍のお宿 みなかみ』の駐車場には外国製の高級セダンが五台並び、周囲を威圧している。少し離れた場所にはパトカーが二台止まり、こちらを見ながら警官が何やら無線で連絡している。完全にアレである。ここで僕達を囲んでいる人達は、間違いなく『その筋』の人達であることは疑い様が無い。そんな異様な空気の中で、八大さんは子供のように眼を輝かせ、前から後ろからと落ち着きなくコカトリスを
「キミ、ちょっとちょっと」
と、不意に僕を手招いた。
「何ですか」
僕が不審げに近づくと、八大さんはコカトリスを指さした。
「この子の顔をじっと見てごらん」
「は?」
「いいから、ほら見たまえ」
仕方がないので、僕は言われた通りコカトリスの顔を見た。やはりニワトリに似ている。似てはいるが、
そうやって見つめていると、コカトリスもじっとこちらを見返してきた。視線が絡み合う。血走ってはいるが、淀みのない綺麗な瞳だ。一人と一匹が見つめ合う、なんだか不思議な時間が流れた。
「で、どうだね」
八大さんがニヤニヤ笑いながら尋ねる。
「あ、そうですね、よく見たらちょっと可愛いなとか思いましたけど」
「そうじゃないよ、体調に変化はないかと聞いてるんだ」
「体調? 何でですか」
「コカトリスには視線に毒があってね、見つめられた者は石になって死んでしまうんだ」
「えええっ」
あははははっ。八大さんは高らかに笑った。
「馬鹿だなあキミは、そんなの単なる伝説に決まってるだろう、実際にそんな能力があったら、研究者も飼い主もみんな死んでしまうじゃないか」
僕の驚いた顔がそんなに面白かったのだろうか、こちらを指差し、咳き込みながら笑っている。腹立つ。あ、更にへたり込んで笑い出した。ムカつく! などと思っていた時である。それまで薄笑いを浮かべて見ていた飼い主氏が、小さく咳払いをした。
「あー、楽しんでるところすまんが」
周囲のサングラスが一斉にこちらを見た。それだけで僕の背筋は凍り付き、顔から血の気がざざっと引いた。倒れる、いやむしろ倒れたい、と思ったりしたのだが、八大さんはそうではなかった。
「いやいやこれは申し訳ない。確かご相談がお有りとの事でしたね」
と笑いながら答える。この人の神経はどうなっているのだろうか。
「あのう」
僕たちと並んで立っていた四人目の男、仲介業者の萩原さんがおずおずと声を上げた。
「その辺は中で話しませんか」
始まりは先週、P助を預かるに際しての事前打ち合わせの時の、萩原さんと八大さんの会話からだった。
「こちらでは飼育に関する相談なんかも受け付けているのですか」
「もちろん、疑問質問クエスチョンなんでもござれです」
僕は開いた口が
「何だね、その顔は」
八大さんは僕を横目で睨んだ。
「いや、だって」
「だって何だ」
「今までにあった問い合わせの電話、全部話の途中で八大さんが受話器叩きつけて終わってるんですけど」
「当たり前だ、ドラゴンをアパートで飼いたいだの、ローンを組みたいだの、そんなバカな話に付き合っていられるか」
「いやいやいや、それも含めての問い合わせ対応じゃないですか」
「キミは仕事の何たるかがわかっていない。無駄な行為に時間を割く事を仕事とは言わない。仕事とはもっと合理的なものだ」
「合理性に
「そんな評判に左右されるような客など、うちは最初から相手にしていない。こちらから願い下げだ」
正に、ああ言えばこう言うである。
「で、相談があるというのは、どんな方ですかな」
八大さんに急に話を戻されて、萩原さんはちょっと
「はあ、ヨーロッパドラゴンの件とは別のクライアントなのですが、その何というか」
「何というか?」
萩原さんはちらりと僕の方を見た。助け舟を求められても困るなあ。
「そう、あの何というか、非常に気難しい方でしてね」
「大丈夫、私はどんな方にもフレンドリーですから」
八大さんは胸を張ったが、一体全体何がどう大丈夫なのか、僕にはさっぱりわからない。電話を叩き付ける人の何処がフレンドリーなのか。萩原さんはまたちらり、僕を見た。そんな顔されましても。
「ま、まあ相手方の都合がある事ですし」
ごめんなさい萩原さん、今の僕に出せる助け舟はこれが精一杯です。
「そうですね、まずクライアントの都合を確認してから、改めてお問い合わせという事で」
萩原さんはホッとした顔でそう言った。だが。
「萩原さん、携帯は」
八大さんは真顔だった。
「は」
「携帯はお持ちですか」
「はあ、持ってますが」
「それは良かった。では、今すぐクライアントに確認しましょう」
「えっ」
「何か問題でも」
「いや、問題と言うかその」
「善は急げと言います。疑問は早く解消した方が良い。さあ、今すぐ電話を。携帯の調子が悪いですか?ではうちの事務所の電話をお使いください。さあどうぞどうぞ」
結局、根負けした萩原さんがその場からクライアントに電話をした。その結果、話はとんとん拍子に進み、今日の訪問が決まったという訳である。
それがまさかこんな来訪になろうとは。ちなみに、ゴッドファーザーという映画はまだ観た事が無いのだが、今日一日を無事に過ごす事が出来たら一度観てみたい、そんな事を思ってみた。
事務所の中ではボディガードは三人になった。ドアの向こうにあと四人、それ以外は外で待機である。飼い主氏は事務所に入って来た時に、モニタに映るP助を見て「おお」と言ってから以降一言も発していない。
ソファに座っている飼い主氏と八大さん、萩原さんにコーヒーを出して、僕は八大さんの後ろの方に立った。席を外そうかとも思ったが、事務所の外も怖い人だらけだったので、一人になりたくなかったのだ。
コカトリスは飼い主氏の隣に並んでちょこんと座っている。リードはボディガードの一人が持っているが、やはり飼い主が誰なのか、ちゃんと理解しているようだ。
切り出したのは、萩原さんだった。
「では、質問は私の方からさせて頂いてよろしいでしょうか」
飼い主氏が無言で
「今回クライアントが
「ドラゴンですよ」
八大さんは即答した。あまりに明快な解答に、飼い主氏も萩原さんも、しばし呆気に取られた。
「……いや、あの、これは大事な事なのですよ、そう簡単に言い切ってしまって大丈夫ですか。コカトリスはドラゴンではないという意見もあるそうじゃないですか」
飼い主氏の方を気にしながら、萩原さんは慌てて問い直した。そうだよなあ、こういう反応が普通だよなあ。しかし八大さんは空気を読む気配も無く、ニッと笑うとこう答えた。
「
しかし萩原さんは納得しない。クライアントを前にして、簡単に納得はできないのだろう。
「ドラゴンとして作られたからドラゴンだという事ですか」
「その通り」
「それはあまりに無責任な答でしょう。断言するならば何らかの根拠を示すべきです。少なくともコカトリスがドラゴンではないというのは、あなたが言った通り、ドラゴン学者の著作がある」
「つまり専門家としての私の意見では足りないという事ですか」
「はっきり申し上げればそうなります」
そう言われて八大さんは、うーむ、と考え込む振りをした。振りだ。単なるポーズである。そこそこの付き合いがあればわかるが、この人は滅多な事では真剣に考え込んだりはしない。この状況を楽しんでいるのだ。
「それではこういうのはどうでしょう」
八大さんは立ち上がると、僕の背後の壁際に歩み寄った。そこには小さな棚があって、何冊か本が立ててある。そのうちの一冊を手に取った。
「十九世紀から二十世紀にかけて活躍した博物学者に、
萩原さんは虚を突かれたような顔で頷いた。
「はい、名前くらいなら」
「結構。最も有名なのは粘菌の研究でしょうが、この博覧強記の学者先生がこういう本を書いています」
本の表紙をこちらに見せた。『十二支考』と書いてある。そして八大さんはパラパラとページをめくった。その手が止まる。
「この『十二支考』という著作の中、『鶏に関する伝説』という章で、熊楠はコカトリスについて次の様に述べています」
“バシリスク一名コッカトリセは、蛇また蟾蜍が雄鶏が産んだ卵を伏せ孵して生じ、蛇形で翼と脚あり、鶏冠を戴くとも、八足または十二足を具え、鈎ごとく曲った嘴ありとも、また単に白点を頂にせる蛇王だともいう”
「まず熊楠は、バシリスクとコカトリスが同じものだと言っています。これについては諸説ありまして、先のドレイク博士などは別物だと書き残していますが、まあここでは私の意見は置いておきましょう。次に熊楠はコカトリスの生い立ちを説明しています。すなわち、
「はあ……」
萩原さんは圧倒されていた。飼い主氏も目が点になっている。八大さんは続けた。
「つまりコカトリスはドラゴンなのか、という疑問はそのまま、ドラゴンとは何ぞやという疑問へと繋がるわけです。では今度はこの『十二支考』からドラゴンについて述べている個所を取り上げてみましょう」
八大さんはまたページをめくり、次にチラリと僕を横目で見た。
「さて、『田原藤太竜宮入りの話』の章から引用しますと」
また俵藤太か!
“ここに大悪竜あり、全身あまねく火と毒となり、喉濶く牙大にしてこの騎士を撃たんと前む、両足獅のごとく尾不釣合に長く、首尾の間確かに二十二足生え、躯酒樽に似て日に映じて赫耀たり、その眼光りて浄玻璃かと怪しまれ、鱗硬くして鍮石を欺く、また馬様の頸頭を擡たぐるに大力を出す、口気を吹かば火焔を成し、その状地獄の兇鬼を見るに異ならず”
「とにかく大悪竜がいたと。ちなみにこれは英国のドラゴンですが、その全身が火と毒であり、口は大きく開き牙も大きく、騎士を打ち倒そうと前に進み、両足はライオンの様で尾は不釣合いに長く、首と尾の間に足が二十二組生え、胴は酒樽に似ていて日光にキラキラと輝き、その眼は水晶かと思うほど光り、
八大さんは、ひとつ呼吸を入れた。本をパタンと閉じる。
「それでも尚、ドラゴンとは何ぞやと問うのであれば、私は二つの条件を挙げます。一つは複数の動物の特徴を併せ持つ事、二つ目はそのデザインに蛇との関係が重要視されている事です。例えばエジプトのスフィンクスは一つ目の条件に適合します。しかし、蛇の要素は無い。だからドラゴンではありません。一方同じスフィンクスでもギリシャ神話に出てくるスフィンクスには蛇の要素があります。尾が蛇になっているデザインが存在しているのです。これはキマイラの影響なのかもしれませんが、とりあえずそのデザインのスフィンクスに関してはドラゴンに含めても良いと私は思っています。同じ理由で、キマイラも、そして日本の
ここで八大さんは、すっかり温くなってしまったコーヒーを手にし、ゴクリと一口で飲み干した。
「さて、ここまで様々なドラゴンを例に挙げて来ましたが、最後にここに居るこのコカトリスを見てみましょう。彼は果たしてドラゴンなのか、という質問でしたね。まずは体の寸法に注目してください。このコカトリスは見てわかるようにデザインのベースはニワトリです。鶏冠の形など一般的なレグホンに近い。しかし、その割に首が長い。そこだけ見れば
数瞬の静寂が流れた。
「ううっ」
突如、低い呻き声がした。三人のボディガードが慌てて駆け寄る。
「親父!」
飼い主氏が顔を伏せていた。大変だ、話が長すぎて気分でも悪くしたのだろうか。しかし飼い主氏は右手をあげて一同を制した。そして左手で顔を拭うと、ゆっくり顔を上げた。気のせいだろうか、目元に涙が
「今の話、信用してもよろしいんでしょうな」
飼い主氏の言葉に、八大さんは大きく頷いた。
「勿論。何時何処で誰の前であろうと、私の名前を出して話していただいて結構です」
「そうですか……そうかよかった」
飼い主氏は岩のような顔を歪め、岩のような手でコカトリスを撫でた。コカトリスは眼を閉じ、身を任せている。そこには確かな結びつきがあるように僕には思えた。八大さんは首を
「わかりませんね。その子がドラゴンである事の証明が、そんなに大事なのですか」
「そらあ大事ですわ、面子の為には。我々は面子の為に生きとるようなもんですからな」
「成る程、ドラゴンでもないモノをドラゴンだと言われて
「そういう事ですな」
「しかし私には、あなたが面子の為にその子に愛情を注いでいるようには見えないのですよ」
飼い主氏はコカトリスを撫でる手を止めなかった。そしてしばしの沈黙の後、静かに口を開いた。
「親の顔も知らず、誰かの都合で勝手に産み出されて、自分が何者であるかの証明も無く、ただ怖がられ、指を指され、一人ぼっちで。そんなこいつがね」
「他人事とは思えませんでしたか」
ボディガードの三人が、八大さんを睨み付けている。そりゃそうだ。けれど飼い主氏は、くっくっくと小さく笑った。
「おかしいですわな。似合わんと言うか」
「別におかしいとは思いませんがね、ただ疑問に思っただけですよ。もし私がコカトリスはドラゴンではない、と言ったらあなたはどうされるつもりだったのかと」
そう言う八大さんに、飼い主氏はニヤリと笑って見せた。
「それは我が口からは言えませんわなあ」
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