第2話 ムカデの姫

 トウモロコシ、小麦、鶏肉、セルロース、ポークエキス、米、動物性油脂、ミネラル類、ビタミン類、ハチミツ……原材料表示を見る限り、ドッグフードもドラゴンフードも大して変わらないな、といつも思う。

 バスタブ程もあるボウルに山のようにドライフードを盛る。P助はすぐに口をつけた。食事を心配されていたP助だったが、やはり何という事も無い、腹が減れば食べるのである。自分の家ではそうでは無いのかもしれない。だがそれは飼い主以外の者から餌を食べなければ、飼い主が心配して手ずから餌を食べさせようとする、という事を理解しているからそうするのであって、要は人を見ているのだ。ドラゴンくらい知能が高ければ、人をだましもするし裏もかく。飼う方は注意をしなければならない。人間よりは色々とマシなのかもしれないが、決して天使ではないのだから。



 業務日誌の異常の有無欄に『特になし』と書き込んで、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出す。今日の仕事は一応終わりだ。この後P助が異常行動など取らなければ、明日の朝まで特にやる事もない。客室内の様子は監視カメラが二十四時間モニタに映し出している。


「おー、食ってるねえ」


 何だかんだ言いながら、八大さんもP助の食事については心配していたのだろう、モニタを見ながら安心したように呟いた。


「食事に関しては心配ないみたいです。飼い主さんが見たら驚くかもしれませんね」

「まあ何を飼うにせよ、飼い主と言うのは多少心配し過ぎなくらいがちょうど良いのだ。こちらもそのつもりで話を聞かねばな」

「ですね」


 そう答えてペットボトルに口を付けた僕の視界に、見慣れないものが写った。いや、見慣れないというのは正しくない。見慣れないのが普通なのだが、実際には何度も見てしまっているもの、と言うべきか。何だそりゃ。とにかくP助の映っているモニタの隣にあるもう一つのモニタ、外周の防犯カメラの映像が映し出されているモニタに、黒塗りの大型セダン一台とワンボックスカーが二台、計三台の車が写り込んでいた。玄関前の映像だ。と言う事は。


「なんだ、気が付いたのか」


 八大さんがニッと笑った。長めの犬歯が白く光った。


「あの、それってまさか」

「そのまさかだと思うよ、多分ね」

「えええ、またですか」


 これを見るのは今年に入って何回目だろう。おそらく四回目である。モニタには三台の車からバラバラと人が降りてくる様子が映し出されている。


「ほら、行った行った」


 僕に出迎えに出ろと言うのである。そして八大さんはコピー用紙とマジックを手にした。


「あの、僕が行くより八大さんが出てくれた方が、話が早いと思うんですが」

「何を言ってるんだねキミは。ラスボスは一番奥で待ち構えるのが、世の常識というものだろう」


 ピンポーン。インターホンが鳴った。


「ささ、お呼びだよ。謹んでお相手をしてやりたまえ」


 ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。仕方ない、これも給料の内と諦めよう。僕はインターホンの受話器を手に取った。


「……はい、今行きます」



 美人と言うのは珍しくはない。いや、珍しくない事もないのかもしれないが、テレビやネットや雑誌などを見ていれば、嫌でも目に入ってくる程度にはそこらに転がっている。少なくとも本物のドラゴンに比べれば、珍しくも何ともない。ただ、こういう人はどうなのだろう。『美人』という単語を使っていいのかどうか。とはいえ僕の貧困なボキャブラリーでは、どう頑張って頭を絞ってみても『物凄い美人』としか言い様が無い。取り敢えず僕の中ではドラゴンに匹敵するクラスの存在が今、目の前に立っていた。

 普通の美人と言うのは、目の前に立たれるとちょっと胸がドキドキしたり、目のやり場に困ったり、口元がニヤけるくらいのものなのだが、この『物凄い美人』に立たれると、息が苦しくなる。そして背中にびっしりと変な汗をかく。まるでそこに居るだけで自分の醜さ汚さを暴かれて、人生を全否定されているかのような強烈な圧迫感がある。それでいて存在感も圧倒的なので目を逸らす事が出来ない。こういう人と会話をしなければならないというのは、ちょっとした拷問である。


「県の動物安全課の足利と申します」


 事務的な口調でそう名乗ると、『物凄い美人』は名刺を差し出した。それを僕はおずおずと受け取ったが、わざわざそこに書かれてある名前を読むまでも無かった。読まなくても知っている。足利百子あしかがももこ、そう書いてあるに違いないのだ。何せ今まで何度も受け取っているのだから。ならば受け取らなければいいのに、と思う向きもあるだろう。でも僕には、そんな事を言い出す勇気が無いのである。


「本日は飼養しよう施設の状況確認に伺いました」


 足利百子は感情の籠らぬ口調で淡々と話した。が、その淡々が怖くて仕方ない。


「あ、あのう、それなんですが」

「何か問題でも?」


 足利百子は小首を傾げた。い、いかん、可愛いとかそんな生易しいものではない。心臓が痙攣けいれんをおこしそうだ。慌てて胸をドンドンドンと叩き、僕は言葉を繋いだ。


「いえ、あのですね、飼養施設の確認は、その、もう何度か実施されてるはずでは、と」

「ああ、そういう事ですか」


 足利百子はニコリと微笑むと、ほんの少し、後ろを振り返った。すると足利百子の背後から、ニュッと手が出てバインダーを手渡した。今の今まで足利百子の存在感で全く気が付いていなかったのだが、彼女の背後には屈強な男たちが十人程控えていた。あのワンボックスから降りてきた連中だろう。だが、そこに何かを感じる事は無かった。その男達を見てもなお、足利百子の存在感はかすむ事すらなかったからである。


「確かにこれまで何度か確認させていただきましたが、それは龍が居ない状態でしたよね」


 足利百子はバインダーをめくった。


「は、はあ、そうでしたっけ」

「今回は龍をお預かりされていると伺いましたので、その状態で飼養施設に問題が無いか確認させていただきます」

「あ、いや、でも」


 バインダーをパタンと閉じると、彼女はもう一度ニッコリと微笑み、


「ご案内は結構ですよ、場所は存じ上げておりますので」


 そう言うと早足で僕の横を通り過ぎた。


「あの、ちょっと」


 それは困ります、と言おうとしたが、その時既に相手は男達の作る壁の向こう側に居た。先頭を行く足利百子、その背後にぴったりとくっつくように、猫の子一匹入る隙間も見せず、一糸乱れぬ足運びで十人程の男たちが一列に連なって歩いて行く。その様はまるで美しい頭部をかざした巨大な一匹のムカデのようであった。

 僕は一瞬見惚れていた。いや、足利百子から解放されてほっとしてしまったのか、とにかく呆けてしまっていた。が、すぐに我に返った。いけない、このまま彼女たちを客室に向かわせては大変な事になる。ただでさえ人見知りなP助の元に、あんなに沢山の人間が押し掛けたら、パニックを起こしかねないではないか。


「ちょっと待ってください、ちょっと」


 僕は通路を走った。懸命に走った。だが何故だ。おかしい。何が起きているのか。いかに早足とはいえ、歩いている足利百子たちに、どうしても追いつくことが出来ない。夢でも見ているのか。僕の頭は混乱した。ああ、そこを右に曲がれば客室の扉だ、間に合わない。と思った瞬間、ムカデの如き隊列は突然動きを止めた。その横をすり抜け先頭に回り込む。ぎょっとした。そこに立っている足利百子は怒っていた。怒りに打ち震えていた。そしてその姿もまた、物凄く美しかった。

 足利百子は客室の扉を見つめていた。そこには一枚のコピー用紙が貼りつけてある。何やら文字が書いてあるのだが、達筆すぎて読めない。


「一体どういうおつもりですか」


 扉の紙から目を離さず、足利百子は問うた。僕にではない。扉の隣で無精髭をいじりながらニッと笑っている八大さんにである。


「それはこっちが聞きたいね。抜き打ち検査にしても回数が多過ぎないかな」

「龍という、それだけ危険な生き物を預かっている自覚が無いのでしょうか」

「もちろん自覚はあるさ。だからこれだけの設備を作ったのだし、お宅の抜き打ち検査にも今までは付き合ってあげたじゃないか」

「ならば実際に龍を預かった状態で、本当に安全かどうか調べさせてもらいます」

「残念だけどそれはできんね」

「何故。自信が無いのですか」

「挑発のつもりなら通じんよ。我々はドラゴンの事については君らよりも遥かによく知っている。どれだけ危険かも知っているし、どれだけデリケートな生き物なのかもね。こんな大人数でどやどやとこの部屋に入ってごらん、間違いなく死人が出るよ。まさかそれが目的じゃあるまい?」


 この時初めて、足利百子は八大さんを見た。その射抜く様な目で見られるのが自分でなくて本当に良かったと思った。


「ではこうしましょう、彼らにはここに残ってもらいます。中には私一人が入る、それで良いでしょう」

「それはもっと駄目だな」

「何故」

「ドラゴンの為にならない」


 僕は思わず八大さんの顔を見つめた。言ってる意味が分からなかったからだ。八大さんは笑っていなかった。この人もこんな真剣な顔ができたんだな、と関係ない事を考えてしまった。


「あなたが龍の事を考えるのは勝手です」


 足利百子は言った。


「けれど我々行政には責任があります」

「何に基づく責任かね」


 八大さんはまたニッと笑った。


「この国は曲がりなりにも法治国家だ。ならば行政の責任も、法に基づくものではないのかな。しかるに、現行法においてドラゴンは特定動物には指定されていない。将来的にはされるかもしれない。しかし現時点ではドラゴンの飼育にも保管にも、何ら法に基づく規制は無いはずだ」


 これはその通りである。猛獣や毒蛇など、周囲の人々を危険に晒す恐れのある動物は、基本的に飼うにも預かるにも規制がある。行政による許可が必要で、誰でも彼でも自由に、とは行かない。

 ところが驚くべきことに、現在ドラゴンは法による規制を一切受けていない。火を吐く巨獣なのにだ。それはそもそも、ドラゴンという生き物がこの世に存在していなかったからだ。

 ライオンや熊なら議論をするまでもない。少々体が大きかろうが小さかろうが、遺伝子など調べるまでもなくライオンはライオンであり、熊は熊である。危険なのは誰にでもわかる。だから規制する。だがドラゴンは遺伝子操作によって生まれた合成獣だ。どこからどこまでがドラゴンである、という明確な区切りが存在していない。

 思い切り極端な例を挙げるなら、九十九パーセントの遺伝情報が人間と同じであり、姿形も人間とまったく変わらない生物がいたとして、それが遺伝子操作によって生み出された存在であるなら――そしてその開発者が、ドラゴンであると言い張るなら――それは人間ではなくドラゴンなのかもしれないのだ。ドラゴンとはそれ程にあやふやな存在なのである。

 無論、合成獣全てを規制すべき、という極論もあるにはある。しかしその場合、医療用に改造された、例えば人間の内臓を持つ豚の飼育や保管はどのような扱いになるのか、等々解決しなければならない問題が山積みな為、結局のところ議論は進んでいない。

 まあ慌てて議論しなくとも大した影響は無い、と考えている人も多いのだろう。何せドラゴンの絶対数が無視できるレベルで少ないのだから。

 ドラゴンを扱うペットショップは、世界中探しても一軒も存在していない。ドラゴンを売るネットワークは存在するが、それは一般のごく普通の人々の目に触れる所には無い。インターネット上にも存在していない。極めて少数の、限られた人々の間でしか流通していないのである。それがプレミア的な価値を生む、という事もあるが、そもそも小型のドラゴン一匹を買うのに必要な金額で、都心に一戸建てが持てる。買うだけで、である。しかもそれが毎日餌を食い、火を噴いたり暴れたりするのだから、実際には当然それなりの施設が無ければ飼い様が無い。ペットにそこまでの金が使える人など、最初から限られているだろう。

 更に言えば、欧米中露より一歩以上遅れてドラゴンの研究開発を始めた、我が国のバイオテクノロジー産業界界隈かいわいからの反発も少なからずあるようだ。

 まあそんなこんなで、ドラゴンの法的扱いは宙に浮いて久しい。その現状をかんがみるならば、今の段階で行政にとやかく言われる筋合いは無い、という八大さんの言い分は、決して間違ってはいないと思う。いや、正直規制はされるべきだと個人的には思うけれども。



「必ず拝見させていただきますので」


 と捨て台詞を残したものの、結局のところ足利百子は客室に入る事無く帰って行った。車に乗って去って行く様子をモニタで見ながら、僕はほっと息をつく。


「これでしばらくは会わずに済みそうですね」

「それはどうかな」


 八大さんは鼻先でフンと笑った。


「えええ、もう勘弁して下さいよ」

「考えてもみたまえ、連中は何故今日のこのタイミングでやって来たのか。うちがP助を預かっている事を何故彼らが知っていたのか」

「誰かが教えたって事ですか……僕じゃないですよ」

「知ってるよ。キミにそんな事が出来たら、逆に褒めてやりたいくらいだ」

「どういう意味ですか」

「信頼しているという事だよ。深く考えるのは無駄だからやめたまえ」

「何だかなあ」

「そんな事より、ほれ、この霊験あらたかなお札をコピーして、うちの周りのそこら辺に貼っておいで。そうすりゃ連中は、しばらく来ないだろうから」


 と、手に持った紙をヒラヒラさせた。さっき客室の扉に貼ってあった紙だ。


「ああこれ、気になってたんですけど、何が書いてあるんですか」

俵藤太秀郷たわらのとうたひでさと

「たわらの……とうた……ひで?」

「何だキミ、俵藤太も知らないのか」


 あははははっ、と八大さんはさも楽しそうに笑った。


「俵藤太こと藤原秀郷は平安中期の武将だよ。下野しもつけの豪族だったらしいがね、この男があるとき近江国の勢多せた川の橋を渡っていると、大蛇が横たわっていたそうな。大蛇とは言ったがこの蛇、角があると言うからね、今なら龍と呼ばれるのかもしれないが、手足についての言及は無いから、手足が無かったのならまあ大蛇でもいいのかな。とにかくそれが横たわっていたから、人々は皆恐れおののいて橋が渡れずにいたらしい。しかし秀郷は意に介さず、わざと踏ん付けて通ったところ、その後小男だったり美女だったり、書いてる本によって違うけれど、まあとにかく竜宮の使いが現れるんだ。てことはさっきの大蛇もやっぱり龍じゃないのかな、と思うのだけれど、昔の日本では蛇と龍の違いは曖昧だったからね、だからそれはいいや。とにかく竜宮城の使い曰く、最近うちと土地を争っている敵が居るのだが強くて負けそうだ、お前さん程の剛の者は見たことがない、何とか力を貸してくれないか。そう言われて秀郷はOKしちゃうのだな。で、歓待のうたげが竜宮城でもよおされるのだが、その最中に敵が襲って来る。その敵というのが三上山という山を七周半する大きさの、超巨大サイズのムカデなんだ。因みに光は秒速三十万キロだから一秒間に地球を七周半する事になるが、これは単なる偶然だな。さてそんな敵に対して、秀郷は相手の眉間に矢を打ち込む。だが弾かれる。もう一度打ち込む。また弾かれる。三度目にやじりに唾をかけて射ると、矢は見事ムカデの額を射抜いたそうだ。ムカデが唾を嫌うというのは日本中にある俗信だが、元は陰陽道らしいね。で、秀郷は竜宮から褒美の宝物を授かるんだけど、その宝物の中に俵があった。その俵の中の米はいくら使っても使っても減らなかったらしい。その俵にちなんで、藤原秀郷は以後、俵藤太と呼ばれるようになりましたとさ、って有名な話があるんだけど知らないかな」

「知りません」


 僕は一言返事をするのが精一杯だった。ちょっと眩暈めまいがする。


「それは勿体ないなあ」


 八大さんは心底残念そうだった。


「俵藤太を知らないのなら、平将門たいらのまさかども知らんのだろうねえ」

「将門? 首塚の平将門ですか」

「なんだ、将門は知ってるのか」

「ええ、まあ」

「その将門を討ったのが俵藤太だよ」

「え、そうなんですか」

「平将門を知っていて俵藤太を知らないとはおかしな男だね。どうせ帝都物語でも斜め読みしたんだろう」

「放っといてください」


 漫画版ですが、などと言おうものなら、どんな罵詈雑言が飛んでくるのやら。


「まあとにかく、俵藤太が人の名前だってことはわかりました。八大さんがお札なんて言うから、呪文でも書いてるのかと思いましたよ」

「呪文だよ」


 何を当たり前の事を。そんな顔だった。


「俵藤太秀郷は立派な呪文さ。ムカデけのね」

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