龍眠る宿

柚緒駆

第1話 龍のお宿

 厚さ五メートルの特殊な気泡コンクリートの壁が、直径二百メートル、高さも二百メートルの円柱を形作り、内壁には床から天井までびっしりと耐火煉瓦が貼り付けられている。ドーム球場を思わせる回転可動式の天井の開口部から差し込む陽光が、建物の中に作られた小高い丘と、ふもとの洞窟の入り口と、壁に沿って流れる川と、深さ三十メートルに至るふちを照らしている。


「成る程、こりゃ立派なもんだ」


 五十を幾分過ぎているのであろう、やや頭髪の薄くなった仲介業者の男――萩原はぎわらさんと言ったっけ――は汗を拭いながら感心した。


「つまり、ここで放し飼いというかその」

「はい、お預かりしている間は、ここで過ごしていただきます」


 僕は涼しい顔で答えた。実際暑いとは感じていなかったのだ。今日は六月にしては気温も高く、天気予報でも汗ばむ陽気だと連呼していたが、ここで働くようになってから、暑さには慣れっこになってしまっていた。

 萩原さんは満足そうに目を細めたが、それでもまだ気になるのか、念を押すように尋ねた。


「さすがにこれだけ広ければ、少々の事ではあの、大丈夫でしょうな」

「そうですね、まあ生き物ですので百パーセント絶対という事は言い切れませんけど……」


 僕は一旦言葉を区切ると、自信満々の作り笑顔を相手に向けた。


「大抵のドラゴンなら、まず大丈夫です」

「大抵の、と言う事は、ここで預かれない、その、ドラゴンも居たりする訳ですかな」

「居るかもしれません。世界は広いですからね。でもうちで預かれないドラゴンというのは、ほぼ人間の手には負えないドラゴンですよ」

「ははあ、成る程」


 得心がいったのか大きく頷くと、萩原さんは手に持った鞄の中からうちのパンフレットを取り出し、ページを開くと、うーん、と唸った。


「それでですね、料金の方なのですが」

「はい、十メートルクラスのヨーロッパドラゴン一匹という事ですので、一泊五十万円となります」


 うーん、ともう一度唸ると、


「クライアントの方からはですね、何とかもう少し安くならないものかと言われているのですが」


 と、僕の顔を覗き込んだ。


「残念ですが、割引サービスは用意していないのです。料金に問題がおありでしたら、他を当たっていただくしか無いのですが」


 我ながら傲慢ごうまんな物言いだと思う。他を当たれと言った所で、ドラゴンを預かるペットホテルなど、この国では他にはあるまい。いや、そもそもペットホテルに限らず、ドラゴンを扱っている動物取扱業者自体まず無い。もしかしたら僕が知らないだけかもしれないが、とにかく他に代わりは事実上無いのであり、だからこそこんな殿様商売が許されているのだ。しかし、こんなやり方はそう長くは続かないのではないかなあ、と思ったりもする。それがいつかはわからないが、いずれもっと沢山の人がドラゴンを飼うようになり、ドラゴンを取り扱う店が増えれば、価格競争の波に放り込まれてしまうのは、僕のぼんくらな頭で考えても明らかだからだ。しかしこれは経営者の意向なのだから仕方ない。雇われ平店員としては、唯々諾々いいだくだくと従うのみである。


「他にと言われましてもねえ、他にドラゴンを預かってくれる店なんて無いんですよねえ」


 萩原さんは困り果てたように呟いた。やっぱりそうなんだよなあ。しかしだからと言って、ですよねー、と言う訳にも行かない。取り敢えず何か適当な事を言って、お茶を濁さねば。


「期間は一週間と伺ってますが、それくらいならご家族やお知り合いにでも世話を頼むとか、できないものなんでしょうか」


 経営者に聞かれたら、頭を張り倒されるかもしれない事を言ってる、という自覚はあるのだが、まあいいや、言っちゃったもんは仕方ない。自分は営業には向いてないんだろうな。そんな事を思っていると、萩原さんは小さく首を横に振った。


「詳しい事は言えないんですが、私のクライアントはセキュリティに気を使う立場の人でしてね、家族であろうと、そうそう自由に私室に立ち入らせる訳には行かんのですよ」

「ああ、それは大変ですね」


 何が大変なのかは良くわかっていない。しかしこの件には深く立ち入らない方が良いという事はわかった。とにかくドラゴンなど飼えるくらいである、そのクライアントというのは色んな意味で力を持った偉い人なのであろう。それ以上は知る必要は無いし、知りたくもない。好奇心は猫をも殺す。ましてペットホテルの平店員など。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、萩原さんはうんうんと一人頷くと、


「まあ仕方ないですね、クライアントには値引きは無いと伝えましょう」


 と、あっさり引き下がった。この人も仲介業者には向いていないのではあるまいか、と思ったり思わなかったり。


「ただ最後に一つ、確認しておきたいのですが」

「何でしょう」

「クライアントによれば、そのドラゴンはクライアント以外の人が餌を与えても食べないらしいのです」

「ああ、それなら大丈夫だと思いますよ」


 僕は笑顔で即答した。無理に作った自信を浮かべた笑みでは無く、本当に自然な笑顔が出た。明確な根拠は無い。だが少ないながらも積み重ねた経験が、大丈夫だと断言しているのだ。



 二十一世紀も後半になると、バイオテクノロジーは急速に進化した。豚に人間の内臓を組み込む程度はもう当たり前、腕も脚も胴体も、首から下はほぼ全て人間のパーツで出来た豚や羊を大量生産できるようになり、移植医療はどんどん拡大した。

 一度医療に使うと決めた技術なら、そのまま医療にのみ使い続ければ良さそうなものだが、それで満足しないのが学者という生き物。馬肉の味のする牛だとか羊毛の取れる金魚だとか色々なものを生み出し、あちこちの方向に迷走を続けたその挙句、ついには伝説の中にしか存在しなかった合成獣を作り出すに至った。様々な動物の部分を兼ね備えた生物を、たった一つの胚から生みだす事ができるようになったのである。すなわちスフィンクスであり、グリフォンであり、そしてドラゴンである。

 特にドラゴンは、欧米において大センセーションをもって迎えられた。もちろんその開発者に対し、生命倫理の観点から強い非難を浴びせた者も居た。しかし、である。一部の学者の道徳的な意見など、世間の大多数の人々の好奇心の前では、嵐の中のともしび以下の影響力しかなかった。人々は、世間は、世界は、ドラゴンを欲した。ファンタジーの中にしか存在が許されなかったそれを、現実の世界の中で、目の前で見たいと欲したのだ。

 一度加速した流れは止められない。せきを切った様に溢れ出す。最初の開発者がドラゴンを世界各国の動物園に限定的に卸す為の会社を立ち上げた時、既にそれとは全く別の所で、ドラゴンをペットとして世界中の金持ちに売りつける為のネットワークは完成していた。

 商魂たくましい者は何処にでも居る。欧米は勿論、ロシアや中国の企業もドラゴンの生産に参加した。そして提供されるドラゴンの種類も、ヨーロッパドラゴンからワーム、アンフィプテール、ワイバーン、コカトリスと一気に増加して行った。かつて伝説の世界が輝きを失うと共に消え去って行ったドラゴンたちは、いま遺伝子工学の力によって再び世界中に分布を広げようとしている。



 ドラゴン専門のペットホテル『龍のお宿 みなかみ』は、広大な埋め立て地の端っこにぽつんと建っている。その玄関横手の荷捌き場に、十トントレーラーがバックで侵入してくるのを見ながら、僕は防火服を着込んだ。防火マスクを被り、防火手袋をはめ、防火ブーツを履き、全身を姿見でチェックしてから、荷捌きと客室を繋ぐ搬入口の開放スイッチを押す。準備万端整った所で、さて、トレーラーの荷室を開かねばならない。

 運転手は荷室の扉の前で、おどおどしている。自分が開けていいものかどうか、いやできれば開けたくないと思っているのだろう。僕が片手を上げて近付くと、運転手はほっと胸をなでおろした。と、その瞬間、荷室の内側からドン、と重く硬いもので叩く鈍い音。ひっくり返りそうになった運転手を身振りで扉前から下がらせ、ゆっくりと荷室の留め金をはずし、扉を左右に開いて行く。

 真っ暗な荷室の中、あかいモノがゆらめいた。両手を顔の前にかざす。ゴウッ、空気が弾ける音。僕の周囲を炎が埋める。時間にして二、三秒。二千℃の炎に耐える防火服だが、この瞬間は毎回肝が冷える。防火服の内側の温度が一気に二十℃程上がり、全身にどっと汗が噴き出す。かざしていた手を下ろし、まだちろちろと小さな炎がゆらめく荷室の内に目をやる。

 ドラゴンが口を開いていた。口の中には第二撃を放たんと種火を残し、しゅうしゅうと威嚇音を立てている。鉤爪の光る前脚を構え、両翼を広げ、長い尾をくねらせて荷室の内壁を叩く。随分とご機嫌斜めの様子だ。トレーラーでの移動はそれだけ苦痛だったのだろう。


「やあ、初めまして、P助くん」


 僕は両腕を開き、努めて明るい声で話しかけた。トレーラーの中のヨーロッパドラゴン――名をP助という――は身構えたまま動かない。


「大丈夫だよ、君が人間の言葉を理解している事は知ってる。そう簡単に人間を信用しない事もね。だから自分の目で見て確かめて欲しいんだ。ここは君にとって安全な場所だという事を。君を傷つける物は何も無い。そもそも君を傷つけても僕らには何の得も無い。君が安全に安心して過ごしてくれる事が、僕らの利益になるんだよ。騙されたと思ってそこから出て来てくれないかな」


 僕はそのまま後ろに二歩ゆっくりと下がった。だがP助は動かない。普通のドラゴンならここで一歩くらい前に出て来てくれるものなのだが、予想以上に用心深い個体のようだ。これは長期戦になるかもしれないな、僕がそう覚悟したときである。

 ぱこーん。僕の後頭部が軽い音を立てた。などと言うとまるで僕の頭の中身が軽いかのようだが、そういう意味では無い。


「あれ、八大さん」


 振り返るとそこには、プラスチックのメガホンを手に八大さんが立っていた。水上八大みなかみはちだい、このペットホテルの経営者である。つまりは僕の雇い主なのだが、年齢は僕と二つしか違わない。いつも通り無精髭ぶしょうひげを生やし、ドラゴンの前だというのに防火服も着ず、ワイシャツにスラックスのままだ。


「キミは何をやってるんだい」

「何って見りゃ解るでしょ、お客さんを客室に入れようとしてるんですよ」

「ほーお、そりゃ大変だ。ご苦労さん」


 そう言うと八大さんはP助にずかずかと近付いて行った。


「で、お前さんは何をやってるんだい」


 八大さんは、P助の口のすぐ前で顔を見上げた。見上げられたP助は何故か後退る事も口を閉じる事も出来ず、呆然と立ち尽くしている。


「お前さんが今居るここはただの鉄の箱だ。洞窟ではないし宝物がある訳でもない。ドラゴンが長居すべき場所で無い事はお前さんも分かっているだろう」


 八大さんはメガホンを脇に挟むと、左掌を顔の横で開いて見せた。そこに右手の指を二本添える。


「七泊だ。お前さんが七泊する為の部屋を用意してある。そこで七泊を過ごし、八日目にお前さんは再びこのトレーラーに乗って家に戻る。それだけだ。難しい事は何もない。わかったらさっさと出ておいで」


 いつの間にかP助からは怒りのオーラが消えていた。その代わり、そんな事を言われましても、とその顔には書いてある。すると八大さんはメガホンをさっと振り上げ、P助の鼻っ面をぱこんと叩いた。


「ドラゴンが愚図愚図ぐずぐずしない、さっさと出て来る!」


 八大さんはP助に背中を向けて歩き出す。その勢いに飲まれたかのように、P助は耳を垂らし、翼を畳み、トボトボと荷室から付いて出て来た。


「つまりキミは要領が悪いのだな」


 八大さんはすれ違いざま僕にそう言うと、P助を引き連れて客室へと入って行った。

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