エピローグ

「ええ、だから、先にケンカを売ってきたのは《D・Fドラクル・ファミリア》の連中なんスよ。道端でナイフを突きつけられたんだから、黙って刺されるわけにもいかないでしょう?」


 古びたソファに腰をうずめた獣田六が、携帯電話で会話をしていた。

 それを背中で聞きながら、神楽鈴はお湯が沸くのを待っている。


「はい、そりゃあまあ、《ファング》の三下どもを壊滅させたのは俺ッスけど……ああ、はい、もちろん竜さんに連絡を取ろうとは思いましたよ。でも、ミンメイの店にいるのに邪魔しちゃ悪いと思って……いえ、違いますって」


 口では殊勝なことを言いながら、獣田六はテーブルに足を投げ出している。テレビ電話というものがもっと主流になってきたら、さぞかし彼も窮屈な生活を強いられるようになるだろう。


「ええ、わかりましたよ。今後は気をつけます。……はい、それじゃあまた」


 獣田六は携帯電話をソファに放り出し、「あーあ」と背もたれに後頭部をうずめた。


「ったく、グチグチうるせえなあ。仕事は無事に済んだんだから、三下どもの末路なんてどうでいいだろうによ」


「あはは。お疲れさまでした」


「あははじゃねえよ。誰のおかげでこんな説教をくらったと思ってやがる」


「え、わたしのせいなのですか? たとえわたしの存在がなくとも、あの方々はロックさんのお仕事にちょっかいを出してきたと思いますが」


「うるせえよ」と言いながら、獣田六は不機嫌そうな眼光を突きつけてくる。


「で、お前はさっきから勝手に何をしてやがるんだよ? ガス代だってタダじゃねえんだぞ?」


「お茶をいれているだけですよ。本当にロックさんの経済観念は規格外ですね」


 ちょうどお湯が沸いたので、それをポットに移し替え、神楽鈴は大きなトレイを手に応接セットのほうに戻っていった。


「……何だよ、そりゃ?」


「だから、お茶です。ダージリンでよかったですか?」


 白い陶磁のカップに香り高い黄金色の茶を注ぎ、獣田六の前に差し出してみせる。最後の一滴、ゴールデンドロップは当然、彼のものだ。

 獣田六は、生野菜サラダを供された肉食獣のような顔つきで鼻のあたりにしわを寄せた。


「……お前は家財を全部燃やされたんじゃねえのかよ? こんなしゃらくせえもんをどこから調達してきやがったんだ?」


「これは母が身をていして持ち出した唯一の家財です。母が紅茶を楽しめるぐらい回復するまで、借りておこうかと思いまして」


「…………」


「あ、母の転院についてはお世話になりました。その件では、わたしも竜さんという御方にぜひ御礼を言わせていただきたかったのですよね」


「俺の気苦労を増やすんじゃねえよ。お前みたいにこの街の仁義もわかってない大馬鹿を竜さんに近づけられるか」


 獣田六は、がりがりと頭をかきむしる。


「……で?」


「はい?」


「今日は何しに来やがったんだよ? 病院の件が片付いたんなら、もう何の文句もねえだろうが?」


「文句なんて、最初から何ひとつありませんけれど」


 あの狂騒の夜から、二日が経っている。昨日の正午にミッションを完遂させ、今日は半日をかけてその後始末に追われたのだ。


 母親は、市外の病院に転院させた。この街を支配する組織の連中もそうそう縄張りの外に手を出すことはないという話であったので、ひとまず心配はないだろう。元の病院の院長は《ファング》に弱みを握られており、それで神楽鈴も今回の騒動に巻き込まれることになったわけであるが、そちらも獣田六が《赤竜会》を通じて黙らせてくれた。これでいちおうは一件落着のはずである。


「あ、口座の入金も確認いたしました。あれで報酬の一パーセントなのですか?」


「ああ。億単位の利権がからむ仕事だったんだから、別に不自然な額じゃねえだろ」


「あの百倍の額がロックさんの取り分ということなのですね……さぞかし大変なお仕事であったのでしょう」


「うるせえな。とっとと用件を言いやがれ」


「はあ。用件というほどのことではないのですが、ちょっとご相談がありまして」


 ダージリンの芳香を楽しんでからカップと皿をテーブルの端に戻し、神楽鈴は居住まいを正した。


「今後の雇用形態についておうかがいしたかったのです。昨日は慌ただしくてお話を詰める時間もありませんでしたが、よかったらわたしはこちらの事務所に常駐させていただけませんか?」


「…………なに?」


「まあ常駐というか、要するにここで寝泊りさせていただきたいのです。母の病院も遠くなってしまいましたし、あそこから毎日通うというのは時間的にも経費的にもいささか厳しいでしょうから……」


「ちょっと待て! お前は何をほざいてやがるんだ?」


 獣田六はテーブルから足を下ろし、神楽鈴のほうに詰め寄ってきた。


「ここで寝泊りさせろだと? いったい何がどうなったらそんなふざけた話が飛び出すことになっちまうんだ?」


「いえ、ですから、助手として活動するにあたって、こちらのお部屋を間借りさせていただけないかと……もちろん相応の家賃はお支払いいたします」


「お前! あれだけのことをしでかしておいて、まだ助手面するつもりなのかよ!? いったいどういう神経をしてやがるんだ!?」


「え。だってロックさんは、あれだけのことをしでかしたわたしのことを信用してくださったじゃないですか。それできちんと報酬までいただけたのですから、てっきりそのまま雇用していただけるのかと……」


 そこまで言ってから、神楽鈴も猛烈に心配になってきてしまった。


「わ、わたしの早とちりであったでしょうか? だとしたら、あらためてお願いいたします! わたしは母のために、もっともっとお給金を稼がねばならないのです!」


 獣田六は再びのけぞり、ソファの背もたれにぐったりともたれかかった。


「信じられねえ……ここまで厚かましい人間を目にしたのは生まれて初めてだぜ」


「はあ、いたみいります」


「イタミイリマスじゃねえよ! つくづくお花畑な頭をしてやがるんだな、手前は!」


「そうですね。たぶんロックさんが開花させてくださったのだと思います」


 そのように答えながら、神楽鈴はまた笑顔になってしまうのを抑制することができなかった。

 家の火災で父親を失い、母親は意識不明の重体と成り果てた。それ以降、神楽鈴が自然に笑えるようになったのは、この獣田六に出会ってから───そして、獣田六に対する隠し事をすべてとっぱらってからであったのだ。


 獣田六のそばにいれば、自分も人間らしい心を失わずに済む。それが確信できた以上、神楽鈴も引き下がる気持ちはなかった。


「身売りと人殺し以外のことなら、どんな行為にでも手を染める覚悟です。どうかあなたの好意につけこませてください」


「そんな物の頼み方があるか、馬鹿野郎!」


 獣田六のわめき声が響く。

 それを自分の日常として手中にするために、神楽鈴は深々と頭を下げることにした。

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-666- Rock & Bell`s story EDA @eda

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