第三話 裏切りの果て

 道端での乱闘騒ぎから、およそ一時間後。

 神楽鈴は、歓楽街にある雑居ビルの内に身を置いていた。

 が、獣田六の住処ではない。西側のオフィス街との境にある、十二階建ての高層ビルである。


 ごてごてとした欧米風のインテリアに飾られた一室で、神楽鈴の周囲には十名以上の悪漢どもが立ち並んでいる。そんなに年をくった者はいない。ストリートファッションに身を包んだ、タチの悪い不良少年といった様子の悪漢どもだ。


「そいつが約束のブツか。うまいことやりやがったな、ええ、お嬢さんよ?」


 神楽鈴の正面に立った若者が、下卑た笑いを浮かべながらそのように述べた。

 短い髪を緑色に染めて、耳や鼻やまぶたにいくつものピアスを空けた、ずんぐりむっくりの若者である。

 これが《D・Fドラクル・ファミリア》の下部組織たる《ファング》のリーダー、名前はリトル・ダフィというらしい。どこからどう見ても日本人なので、きっと俗称なのだろう。


「こんなしょうもねえ作戦が上手くいくとは思ってなかったんだがなあ。噂の始末屋ロックも小娘の涙にはかなわねえってところか」


「……別にロックさんの前で涙などは見せておりませんけどね」


 精一杯の虚勢を張りながら、神楽鈴は言い返す。


「それに、中華料理のお店であなたのお仲間があっけなく全滅したときはどうなることかと思いました。あれではロックさんのそばから離れることもできませんでしたので」


「はん。あいつらは捨て駒だよ。本命は《D・Fドラクル・ファミリア》の殲滅部隊だ。今頃はあいつもべそをかきながら《赤竜会》に泣きついてるところだろうさ」


 リトル・ダフィーは、前歯の欠損した口でにいっと笑う。


「だけど、肝心のブツを失っちまっちゃあ、あいつの悪運もこれまでだ。明日の朝には、海に沈むことになるだろう。《赤竜会》の期待を踏みにじったんだから、それ以外に道はねえ」


「…………」


「さ、それじゃあブツを渡してもらおうか」


 指の短いリトル・ダフィーの手が、神楽鈴のほうに差しのべられてくる。

 小さなジェラルミンのケースを胸にかき抱きつつ、神楽鈴はその薄気味悪い面相をにらみ返した。


「その前に、もう一度確認させてください。これを渡したら、本当に母を助けてくださるのですね?」


「ああ、お前の目の前で院長に電話してやるよ。生命維持装置のスイッチをひねる必要はねえってな」


 神楽鈴は一瞬唇を噛んでから、ジェラルミンのケースを差し出した。

 それをひったくったリトル・ダフィーはケースの蓋を開け、中から紫色のファイルを引っ張り出す。


「ふん。《X-206》、と。……どうやら間違いはねえようだな。このご時勢にアナログの機密書類とは恐れ入るぜ」


 リトル・ダフィーは大声で笑い、周りの連中もそれに追従する。


「何でもこいつは新しい医療器具の設計図らしいぜ? こいつで特許でも出願したら、ゆくゆくは何億って稼ぎになるらしい。そりゃあ誰だって血眼になるはずだよなあ?」


「そうですか」


 しかしそのようなことは、神楽鈴にとってどうでもいい事柄であった。

 その医療器具とやらが神楽鈴の母親を治療してくれるというのならばその限りではないが、これから特許を出願ということは、まだまだ実用には時間のかかる代物なのだろう。


「それでは院長先生にご連絡していただけますか?」


「ああ、もちろん約束を破ったりはしないぜえ? これで俺たちは《D・Fドラクル・ファミリア》から正式に盃をもらうことができるんだからな。いくら感謝したってし足りねえや」


 そのように言いながら、リトル・ダフィーは脂っこく両目を光らせる。


「ただなあ、それで来月からはどうするつもりなんだ、お嬢ちゃんはよ?」


「来月から?」


「治療費ってのは毎月かかるもんなんだろう? これで今月はしのげたとしても、ひと月ばかり寿命がのびるぐらいじゃあ、おっかさんも浮かばれないんじゃねえのか?」


 周囲の連中も、同じ調子で笑い声をあげている。

 神楽鈴はこっそり両手の拳を握り込み、憤懣と恐怖の気持ちをいっぺんに呑みくだした。


「やっぱりそういうお話でしたか。それでは、あなたがたがわたしの勤め先を紹介してくださるとでも仰るのでしょうかね?」


「話が早えな。ま、その気になりゃあ金なんていくらでも稼げるもんだよ。お嬢様学校のお前さんなら、なおさらな」


「あいにく、変態クラブでしたら間に合っています。それでは母にも顔向けできなくなってしまいますし」


「それじゃあどうするんだ? おっかさんばかりじゃなく、お前さんだって一文無しなんだろう?」


「ええ、何とかなけなしの知恵をしぼって生き抜いていく所存ですよ」


 神楽鈴は胸を張り、正面からリトル・ダフィーの醜い笑顔をにらみ据えた。


「さしあたっては、母を転院させていただけますか? もうあなたがたの息がかかった病院に母を預けておくのはまっぴらなのです」


「へえ、そいつはまた……」


「報酬は、あなたがたが欲しがっているその機密書類とやらです」


 リトル・ダフィーは眉をひそめ、その手のファイルをぷらぷらと振りかざした。


「寝ぼけてんのか? 書類はもうこっちの手に渡ってんだぞ?」


「そんなに大事な書類なのでしたら、きちんと中身を確認してください。そのファイルは空っぽですよ」


 リトル・ダフィーは一瞬きょとんとしてから、慌ててファイルのページを繰った。

 そして、ジェラルミンのケースごとそれを床に叩きつける。


「手前! 騙したな!」


「おたがいさまでしょう。それとも、契約の確認が不十分であったと言うべきでしょうかね。わたしが望むのは、母の恒久的な安全です」


 震えそうになる両膝を励ましながら、神楽鈴は言いたてる。


「何も一生わたしと母を養えと言っているわけではありません。母を転院させてくださったら、それでけっこうです。後はわたしが、自力で道を切り開いてみせます」


「手前……!」


「安全な病院への転院を見届けたら、機密書類の場所をお教えいたします。この内容で、再度わたしと契約していただけますか?」


 ふつふつと不穏な空気が四方から押し寄せてきていた。

 きっと何人かは刃物やら何やらを抜き始めているのだろう。そんな光景を確認しても益はないので、神楽鈴はひたすらリトル・ダフィーの姿を見つめ続ける。


「察するところ、あなたがたは親筋の組織にまで助力を願い出たのでしょう? これで成果を上げられなかったら、いったいどのような目にあわされてしまうのでしょうね」


「…………」


「きっとあの防毒マスクの方たちはロックさんに制圧されて、警察か《赤竜会》の手に落ちていることでしょう。そこまでの犠牲を払いながら、一銭の稼ぎにもならないとしたら───」


「うるせえ!」と、リトル・ダフィーが悪趣味な装飾のテーブルを蹴り倒した。

 そこに載っていたウイスキーの瓶とグラスが割れ、毛足の長い絨毯にしみをつくっていく。


「組織の人間をなめるなよ、お嬢ちゃん。何の後ろ盾もねえ小娘が俺たちに脅しをかけようってのか……?」


「わたしの言葉に脅しの効果があったのなら幸いです」


「黙りやがれ! どうやら痛い目を見なきゃわからねえみたいだなあ?」


 その目だけは怒りに燃やしながら、リトル・ダフィーは愉快そうに舌なめずりをする。


「世間知らずの娘っ子に言うことを聞かせる方法なんていくらでもあるんだぜ? まずは俺と同じ場所にピアスでも空けてやろうか?」


「……そんな悪趣味なファッションは御免こうむります」


「そいつはご挨拶だな。手前の目に見えてるピアスなんて、ごく一部に過ぎねえんだぜ?」


 リトル・ダフィーが身を屈め、床から何かを拾い上げた。

 ウイスキーと一緒に床に落ちた、氷を割るためのアイスピックだ。


「そいつが済んだら、それこそ出荷先も変態クラブ限定になっちまうだろうなあ。ま、それはそれで新しい世界が開けるってもんだ」


 男たちがじわじわと距離を詰めてきているのがわかる。

 咽喉の奥からせり上がってくる怯懦の気持ちを、神楽鈴は全身全霊で抑制することになった。


「制服をひっぺがせ。まずは一番気持ちのいい場所から空けてやる」


 背後から、強い力で肩をつかまれた。

 やめてください、と神楽鈴は叫ぼうとした。

 その瞬間───首をひねられた鶏のような絶叫が室内に響きわたった。


「な、何だ!?」


 男たちが、神楽鈴の後方に視線を差し向ける。

 なので、神楽鈴も同じ方向を振り返ることになった。


 いつのまにか、廊下へと通ずる扉が空いていた。

 雄叫びをあげているのは、そこから転がり込んできた見張り役の若者であった。

 顔面を押さえ、水揚げされたクルマエビのようにぴちぴちとのたうち回っている。


「だから忠告しただろうがよ。目にでも当たっちまったか?」


 ふてぶてしい笑い声とともに、長身の人影がぬうっと踏み込んでくる。

 獣田六である。

 頭と右足にぐるぐると包帯を巻き、そこから赤い血をにじませている。

 が、それ以上に特筆するべきことがあった。

 彼はその右腕に巨大なガトリングガンを引っさげていたのである。


「よお、やっぱりここだったな、ベル公」


「ロ、ロックさん……」


「お前の始末は後回しだ。まずは目の前の面倒事を片付けちまわねえとな」


 獣田六はずかずかと室内に踏み入ってくる。

 男たちは、手に手に得物を振りかざしながら、その正面に立ちふさがった。

 が、やっぱり獣田六の携えた凶悪な武器に恐れをなしているのだろう。誰もが及び腰になってしまっている。


「ロック! 手前、正気か!? 《赤竜会》の許しも得ずに、《D・Fドラクル・ファミリア》と戦争をおっぱじめようってのか!?」


「俺もついさっきおんなじような台詞を吐くことになったぜ? 《D・Fドラクル・ファミリア》の連中には何の返事ももらえなかったけどよ」


 獣田六は、獣のごとく、にやりと笑う。


「だけど手前らは、まだ正式に盃をもらったわけでもねえんだろう? それなら条件は俺と一緒だ。どこの組織にも属さない三下同士、仲良くやり合おうじゃねえか」


「そ、それでも《D・Fドラクル・ファミリア》の縄張りでそんなもんをぶっぱなすなんて───」


「どいつもこいつも同じようなことを言いやがるな。こんなん玩具オモチャに決まってるだろうが。マジモンのM134をぶら下げてひょこひょこ歩けるやつがいるか、馬鹿」


 笑いながら、獣田六は一つに束ねられた六本の銃身を悪漢どものほうに差し向ける。

 確かに、エアガンであるらしい。それに電気の力も必要であるらしく、獣田六は腰から巨大なバッテリーを下げており、そのケーブルはガトリングガンの後部に接続されていた。


「ま、骨折ぐらいは覚悟しとけや。何せこれだけの至近距離だからな」


「馬鹿、やめ───!」


 何者かのわめき声が、途中で苦悶の絶叫に移り変わる。

 やはり、どれほど凶悪な外見をしていても、しょせんはエアガンなのだろう。六本の銃身がくるくると円運動をしながら物凄い数の弾丸を発射しているというのに、その銃声はタララララ……という、ごく可愛らしいものであった。


 が、通常のエアガンでも決して生身の人間に向けていいものではない。ましてやこれは、破壊力を高めた改造銃であるのだ。五メートルていどの至近距離から何百発という弾丸をあびた悪漢どもは、戦争映画のエキストラよろしくバタバタと倒れ伏していった。

 ちょっとした衣服などは紙切れのように爆ぜており、その下からは真っ赤な血がしぶく。皮膚を突き破り、肉にめり込むぐらいの破壊力は秘めているのだ。


 神楽鈴の前側に立っていた男たちは、それで全滅した。しかし、その間もその後も、神楽鈴の身にBB弾だか何だかが触れることはなかった。神楽鈴は人一倍小柄な少女であったため、銃身はその頭よりも高い位置に定められていたのである。床に倒れた男たちは、みな一様に顔面を押さえてのたうち回っていた。


 で、その後は掃討戦だ。いち早く身を屈めて難を逃れた悪漢どもに、今度はピンポイントで銃弾をあびせていく。毎秒数十発は射出されているのだろう。男たちは頭をかばいつつ、「あっあっあっ」とあわれみをさそう声をあげながらもんどり打つことになった。


 しばらく呆けてその地獄絵図のような有り様を眺めていた神楽鈴はふいに我に返って、絨毯に身を投げ出した。それから床に落ちていたミリタリーナイフをひっつかみ、自分の背後へと突きつける。


 タイミング的には、間一髪であった。神楽鈴の背後には、リトル・ダフィーを含む数名がまだ無事に生き残っていたのだ。数時間前の鼻ピアスと同じように神楽鈴を盾にしようとしていた男たちは、ナイフや特殊警棒を振り上げた体勢で立ちすくむことになった。


 そうして神楽鈴が床に身を投げ出したことで、いっそう射撃の自由度は高まった。肉の盾を失った残りの悪漢どもに、獣田六は笑顔でガトリングガンを差し向けた。


 もはや屋内は樹脂製の弾丸まみれである。十名以上もいた悪漢どもはその全員が床に倒れ込み、呪詛と苦悶の声をほとばしらせていた。


「ロック、手前……こんな真似をして、ただで済むとでも……」


 その内の一人、リトル・ダフィーがうずくまったままそのように声をあげる。

 鼻骨でも砕かれてしまったのだろうか。顔面を押さえた指の隙間からは、ちょっと尋常でない量の鮮血が噴きだしてしまっていた。


「俺の心配より自分の心配をするこった。《D・Fドラクル・ファミリア》の連中は、一人残らず警察に引き渡してやったぜ? 何せ中立区域であれだけの騒ぎを起こしたんだから、保釈には相当の銭がかかるだろうな」


「…………」


「親筋に赤っ恥をかかせた上に、全部が無駄骨に終わるわけだ。これが《赤竜会》だったら生皮を剥がされるところだけど、《D・Fドラクル・ファミリア》だとどうなのかな? 俺のお粗末な頭じゃあ想像もつかねえや」


 リトル・ダフィーはがっくりと崩れ落ち、そのまま動かなくなってしまった。

 他の悪漢どもの半分は意識を失い、もう半分は泣いたりうめいたりしている。その惨状を一通り見回してから、獣田六は「さて」と神楽鈴に目を向けてきた。


「それじゃあ、最後の始末だな」


 ガトリングガンの巨大な銃口が、ごりっと神楽鈴の額に押しつけられてくる。

 床にへたり込んだまま、神楽鈴は獣田六のふてぶてしい笑顔を真っ直ぐに見つめ返した。


「言いたいことがあるなら、今の内に言わせてやるぜ?」


「それはありがとうございます。……あの、家に戻れと命じられたのに、それを破ってしまって申し訳ありませんでした」


「ふん。この状況で、第一声がそれかよ?」


「はい。あと、そちらのケースとファイルを勝手に持ち出してしまい、まことに申し訳ありませんでした。……でも、ロックさんから託された鍵はしっかりと守り抜いていますので」


「そんな鍵に、今さら何の価値があるってんだよ?」


「価値は下がっていませんよ。持ち出したのは、ファイルとケースだけなのですから」


 神楽鈴はミリタリーナイフを放り捨て、胸もとから鍵のついたネックレスを引っ張り出してみせた。


「この悪漢たちと取り引きするために、どうしてもこのケースとファイルが必要だったのです。それで無事に母を転院させることがかなったら、ロックさんに鍵をお返しするつもりでした」


「……それをこの俺に信じろってのか?」


「はい。信じていただけないのですか?」


 緊張の糸が切れてしまい、神楽鈴はついつい口もとをほころばせてしまった。


「ロックさんのような人を、そこまで徹底的に裏切ることはできませんよ。それでは母に顔向けできません。……わたしの母は、厳格なのです」


「…………」


「自分の不始末は自力で片付けて、それからロックさんのもとに戻らせていただくつもりでした。……でも、こうしてロックさんにお手間をかけさせてしまったのですから、信用していただけないのも無理からぬことですよね」


「…………」


「どうぞお好きに処断してください。これ以上弁解する気持ちはありませんので」


 神楽鈴は微笑をひっこめて、ついでに両目もまぶたで隠した。

 この距離ならば、それこそ頭蓋骨に亀裂のひとつでも入ってしまうだろうか?

 しかしそれが獣田六の判断なら、何もあらがうつもりはなかった。どのみち神楽鈴はたくさんの隠し事をしていたし、自分の計画も半分がたしくじってしまったのだ。この状況で自分の正当性など主張できようはずもなかった。


 しばしの沈黙の後、額に押し当てられていた銃口がすっと引かれる。

 が、その銃口がまた勢いをつけて額にぶつかってきたので、神楽鈴はのけぞりつつ「うぎゃあ」と叫んでしまった。


「イカれたガキだな。この俺と《ファング》の連中を両方手玉に取るつもりでいやがったのか」


「べ、別にロックさんを手玉に取ろうなどとは───」


「うるせえ。とっととファイルとケースを拾いやがれ」


「はい」と涙目でうなずきつつ、神楽鈴はジェラルミンのケースと空のファイルを回収した。

 気絶しそびれた悪漢どもの何名かは、まだ地獄の亡者のようにうめき声をあげている。


「……手前の仕事は、その鍵を明日の正午まで守りぬくことだ」


 ガトリングガンを肩にかつぎながら、仏頂面で獣田六はそのように言い捨てた。


「それまで手前は無一文のクソガキだし、おまけに借金まで抱えていやがるんだからな。二度とそのことを忘れるんじゃねえぞ?」


「はい」と神楽鈴はうなずいた。

 また獣田六を怒らせてしまいそうであったが、どうしても微笑がたちのぼってくるのを抑制することはできなかった。


 そうして彼らの長い長い夜は、ようやく終わりを迎えることになったのだった。

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