第一話 ロックとベル
「わたしは
少女───神楽鈴と獣田六は場所を移し、とある一室で向かい合っていた。
年季の入った雑居ビルの二階で、壁も床もコンクリートの打ちっぱなしだ。神楽鈴が通されたのは八畳ほどもありそうな応接室らしき一室であったが、テレビやらデスクやら本棚やらが雑然と詰め込まれており、印象としてはきわめて狭苦しかった。
どうやらここが獣田六の住居兼仕事場であるらしい。入口の金属扉には『666』とだけ記されたプレートが掛かっており、それは少女の伝え聞いていた始末屋の屋号であった。
二人が座しているのは、粗大ゴミ置き場から拾ってきたような応接セットである。獣田六は、今にもスプリングの飛び出しそうなソファにだらしなく身をうずめて、背の低いテーブルに長い足を放り出している。それと相対する神楽鈴は、背負っていたリュックを胸もとに抱え込みつつ、せいいっぱい背筋をのばしていた。
「それでですね……」と神楽鈴が続けようとしたところで、獣田六が「ちょっと待て」と声をあげる。
「お前、日本人なのに、名前がベルなのか? そんなちんちくりんのくせして、ハーフか何かかよ?」
「いえ、純然たる日本人です。鈴と書いて、ベルと読むのです」
「はー、ふざけた名前だな! 親の顔を見てみたいもんだぜ」
「父親は、先日の火事で亡くなってしまいました。母親も、全身に大火傷を負って入院中です」
「……ふーん?」と、獣田六はますますうろんげに右目を細める。
「で、その気の毒なお嬢様が、俺に何を頼みたいってんだ?」
「はい。それでわたしの家は家財一式を燃やしてしまって、一文無しになってしまったのです。現在動かせるお金はすべて母の治療費にあててしまったので、文字通りのすっからかんです。帰る家も、着替える服すらありません」
「…………」
「ちなみになけなしの全財産は、さきほど一気に半分を失ってしまいました」
「……で?」
「で、わたしはとても困っているのです。このままでは、母に十分な治療を受けさせることもできなくなってしまいそうなのです」
この言葉に、獣田六は「ハッ」と咽喉を鳴らした。
「そんな馬鹿な話があるかよ。あんなご大層なお嬢様学校に通ってたんなら家は資産家のはずだし、それに保険金やら何やらだってがっぽりもらえるはずだろうがよ?」
「いえ、どうやら父の会社は大変な負債を抱えていたらしく、資産や家の土地ものきなみ徴収されてしまいました。母の治療費には、わたしのお年玉貯金をあてがったのです」
「…………」
「だからわたしには、お金が必要なのです! 最低限、母の治療費を準備しなければならないのです!」
「何だか雲行きがあやしくなってきたな」
獣田六は、興味なさげに言い捨てた。
「それで、本題は何なんだよ? お前はいったい何のために俺なんざを捜していやがったんだ?」
「え……それはもちろん、何とかこの窮地を救ってはいただけないかとご相談したかったのですが……ロックさんは、始末屋というご稼業を営んでらっしゃるのですよね?」
「ああ、そうだ。金さえもらえば殺し以外は何でも請け負う、そいつが始末屋ってもんだ。……で、一文無しのお前が俺に何の用事だって?」
「正確には、二千円ほど口座に残っておりますけれど、やっぱりこれでは報酬に足りないというお話でしょうか?」
「だから! そんな鼻紙みたいな報酬でどんな仕事を頼もうってんだよ!? 俺には医療の心得なんざねえぞ?」
「はあ、手段や方法は問いませんが、とにかく母を助けていただきたかったのです。ロックさんであれば、どのような難題でも必ず始末してくださると聞き及んでおりましたので……」
獣田六はぐったりとソファにもたれかかりながら、のばし放題の黒髪をばりばりと掻きむしった。
「お前にそんな馬鹿げたことを吹き込んだのはどこのどいつだよ?」
「ええと、わたしにロックさんの存在を教えてくださったのは、母が入院している病院の院長先生です。ロックさんならば、きっと何とかしてくださるはずだ、と───」
「それでお前はのこのことこんな場所まで出向いてきたってわけか。頭ん中がお花畑だなあ、ええ、おい?」
獣のように笑いながら、獣田六はテーブルの上で足を組み替えた。
「俺が知ってる医者なんてのは、ここいらで店を開けてる闇医者ぐれえのもんだ。その院長センセーとやらも、どこかで俺の名前を耳にしただけなんだろうぜ。……ちんちくりん、お前は騙されたんだよ」
「騙された?」
「ああ、そうさ。要するに、お前は金が欲しいだけなんだろ? だったらこの歓楽街で稼ぐのが一番手っ取り早い。その院長センセーとやらは何やかんや理由をつけて、お前をこの街に送り込みたかっただけなんだろうぜ。治療費を取りっぱぐれたらかなわねえとでも考えたんだろうさ」
「はあ……」
「しょせんはその親父も何ひとつわかってなかったってことだ。お前みたいな小娘がこの街にまぎれこんだって、変態クラブにでも売り飛ばされるのがオチなんだよ。ったく、笑わせてくれるぜ」
「……それはつまり、非合法な店で身売りをさせられる、という意味なのでしょうか」
ソファの上で座りなおし、神楽鈴はいっそう姿勢を正してみせる。
「そればかりは、わたしも肯んずることはできません。母はとても厳格な方ですので、わたしがそのような手段で治療費を捻出したと知ったら、きっと治療の甲斐もなく首をくくることになってしまうでしょう」
「心配しなくても、そんな方法で金を稼ぐことなんてできねえよ。金を手にできるのはお前を売っぱらった人間だけなんだからな」
小馬鹿にしたような口調で言い、獣田六は指の長い手の先をひらひらとそよがせる。
「理解したなら、とっとと帰んな。俺はひと眠りさせていただくからよ」
「え? いえ、でも……」
「でももへったくれもねえんだよ! どうして俺が見ず知らずの人間の辛気臭え身の上話を聞いてなきゃならねえんだ? 変態どもに売り飛ばされる前に、丘の上のお花畑に帰りやがれ」
「帰る場所はどこにもないのです。お花畑は燃えてしまったのです」
「知ったこっちゃねえよ! 俺にはこんなちんちくりんを弄ぶ変態趣味はねえんだからな!」
「ちんちくりんと言っても、いちおう十六歳の高校一年生なのですが」
神楽鈴はちょっとムッとして、獣田六の顔をにらみ返す。
「そういえば、ロックさんはおいくつなのですか?」
「俺は十七だ。文句あるか」
「えっ」と言ったきり、神楽鈴は思わず絶句してしまった。
外見よりは若いのだろうなと思っていたが、それでも成人に達していないとまでは考えていなかったのだ。
獣田六はフライトジャケットを脱ぎ捨てて、Tシャツ一枚の姿になっている。その袖から覗く二の腕には荒縄をよじり合わせたような筋肉が浮かんでいたし、正面からでも背筋や僧帽筋の発達具合が見て取れるほどである。ボディビルダーを圧搾機にかけて細身に仕立てあげたような、そんな奇異なる逞しさを有した若者なのだった。
あるいは、野生の豹や虎が人間に化けた、とでも言ったほうがより正鵠を射ているだろうか。とにかく猛烈なる力の気配をのべつまくなしに発散させている若者であり、これが十七歳だなどとはなかなか信じられるものではなかった。
「……それでは、どうしてもわたしを依頼人として認めていただくことはかなわないのですね?」
「しつけえな。そんな簡単に金を稼ぐ方法があるんなら、俺のほうこそ教えてもらいたいもんだぜ」
「わかりました」と、神楽鈴はまた居住まいを正す。
「では、わたしを雇用していただけませんか?」
「……はあ?」
「わたしをあなたの助手として雇ってください。わたしには、お金が必要なのです」
獣田六はしばらく右目をぱちくりとさせてから「ふざけんな!」と怒号をあげた。
「言うにこと欠いて、お前を雇えだと!? お花畑も大概にしやがれ!」
「わたしは本気です。ひょっとしたら院長先生も、ここまで見越してロックさんの存在をわたしに伝えてくださったのではないでしょうか」
われながら無茶な理屈だと思いつつ、神楽鈴は言いつのる。
「ロックさんは信用に足る人物であるとお見受けいたします。なおかつさきほどの手腕から、とても卓越した経済観念を所持されていることも察せられました」
「……まだ二千円を根に持ってんのかよ」
「先行投資と思えば安いものです。わたしもロックさんを見習って、この街で収入を確保したいのです」
「脳みそ膿んでんのか、このちんちくりんは! お前なんざが何の役に立つってんだよ!」
「それはわたしにもわかりませんが、何かしら使い道はあるのではないでしょうか? 囮役とか、潜入捜査とか……」
「頼むから、俺の殺意が沸点を超える前に消え失せろ」
ついに獣田六はへこたれた声をあげ、力なく天井を振り仰いだ。
その筋張った咽喉もとを見つめつつ、神楽鈴は懸命に言葉を重ねてみせる。
「どうにかご一考くださいませんか? わたしだって、母のためならどんなことでもする覚悟です。身売りと人殺し以外のことなら、きっと母も許してくれるはずです」
「……お前は何もわかってねえんだよ、ちんちくりん」
「ちんちくりんではなく、神楽鈴です」
「うるせえ、黙って聞け。……あのなあ、この街は三つの組織に牛耳られてるんだ。日本中で、こんな愉快な街はそうそうねえだろう。警察なんざは使い走りで、組織の顔色をうかがうしか能がねえ。表向きは平和な街でございという面をしながら、ここでは法律も道徳も通用しねえんだよ」
「はい」
「丘の上に住むお前たちは知らんぷりしてるが、ひと皮剥けば同類だ。何だったら、そのお優しい院長センセーとやらも裏では組織と繋がってやがるのかもな。《大黒舎》か、あるいは《
「なるほど。さきほどもそのようなお名前をうかがいましたね。ロックさんは、どこの組織にも属さないフリーランサーでいらっしゃるのですか?」
「どこの盃ももらっちゃいねえが、《赤竜会》とは懇意にしてる。そうじゃなかったら、俺みたいなはぐれもんは一晩で海の底だよ」
自嘲するように、獣田六は口もとをねじ曲げる。
その表情はこの若者に似合わないな、と神楽鈴は内心でひとりごちた。
「わかったか? この歓楽街は、そんな連中の巣窟なんだ。丘の上にひっこんでりゃあそうそう臭い思いもしないで済むが、この区域は肥溜めだ。お前みたいな温室育ちが生きていける場所じゃねえんだよ」
「でも、その温室が完膚なきまでに破壊されてしまったのですから、こうする他ないではないですか? わたしだって、ただ破滅するのを待ちたくはないのです」
神楽鈴は、必死に言いつのる。
「わたしが欲しいのは、お金と強さです。それがなければ、生きていくことはできません。それで……あなたのそばにいれば、その両方を身につけることができると思ったのです」
「力が欲しいなら、下のショップで得物を見つくろいな。刃物でも改造銃でも何でもござれだ。その制服を売っぱらえば、軍資金にも困らねえだろ」
「わたしが欲しいのは力じゃなく強さです。弱いまま人を傷つける力を手にしたって、何にもならないではないですか?」
獣田六は再び口をつぐみ、ソファの背もたれに頬杖をつきながら神楽鈴の姿を横目でにらみ返してきた。
これまでとはいささか異なる目つきである。服の下どころか皮膚の下まで透かし見られているような心地を味わわされ、神楽鈴の心臓は不規則にバウンドをした。
「……お前みたいなちんちくりんがこの街で金を稼ごうだなんて、本気でそんなことができると思ってんのか?」
「できるかどうかはわかりません。できなければ、わたしも母もそれまでだというだけのことです」
「ふん。だったら先に首をくくったほうが楽なぐらいかもしれねえぞ?」
「首をくくるぐらいの覚悟があれば、たいていのことはどうにかできるものではないでしょうか?」
獣田六はテーブルから足を下ろし、ぐいっと身を乗り出してきた。
獣のごとき眼光が、至近距離から神楽鈴を見据えてくる。
「お前は本当に、どんな仕事でもこなす覚悟を持ってると言い張るつもりか?」
「はい。身売りと人殺し以外ならば」
「それじゃあ、その覚悟とやらを見せてもらおうか」
言いながら、獣田六はダメージデニムの尻ポケットをまさぐった。
そこから取り出されたのは、金属製の小さな鍵だ。
「これは、B埠頭の貸し倉庫の鍵だ。倉庫の中には、俺が昼間に片付けた仕事の戦利品が隠してある」
「はい」
「依頼人への受け渡しは、明日の正午だ。……それまでそいつを守り抜いてみせろ」
獣田六は親指でその鍵を弾き、神楽鈴のほうに飛ばしてきた。
神楽鈴は、慌ててそれをキャッチする。
「言っておくが、依頼人は《赤竜会》の息がかかった人間だ。何かの間違いでそいつが《大黒舎》や《
「え? わたしだけでなく、ロックさんもですか?」
「当たり前だろ。仕事を請け負ったのは俺なんだからな。助手の不始末は雇い主の不始末ってこった」
獣田六は鼻のあたりにしわを寄せ、凶悪な顔で笑った。
「背負うのは、自分と母親の生命だけかと思ったか? 甘えんだよ、ちんちくりん。始末屋の看板ってのはそんな軽いもんじゃねえんだ」
神楽鈴は生唾を飲み込んでから、深々と頭を下げてみせた。
「わかりました。何としてでもロックさんの信頼に応えてみせます。わたしの覚悟のほどを、どうかお見届けください」
神楽鈴の耳に届くのは、獣田六の小馬鹿にしきったような笑い声のみであった。
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